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都井岬の御崎馬 宮崎県串間市

久々に都井岬にやって来ました。
駐車場に多くの車が停まっています。

風が凄いです。
丘を上るのに、下からの風で楽に上れる程です。
帽子が飛んだら終わりなので、バックにしまいます。

都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市

御崎馬の赤ちゃん「春駒」が生まれる季節がやってきました。

都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市


都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市


都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市


【御崎馬(みさきうま)】
 哺乳網奇蹄目ウマ科。岬馬とも呼ばれています。
 江戸時代前期の元禄10年(1697年)、高鍋藩の秋月家が軍事に欠かせない馬の放牧を、福島地方(現在の串間市)を中心に7カ所設置された藩営牧場の1つ都井村御崎牧(現在の御崎牧場)で始めたのが始まりとされています。
 明治維新後の明治7年(1874年)、御崎牧場は組合員155名からなる御崎組合の共有牧場として払い下げられました。
 明治30年(1897年)に明治政府は種牡馬検査法を公布しました。その後、国策として内国産馬の体格を向上させるために洋種馬の血統を導入する計画を実施しました。
 御崎馬も国策としての内国産馬改良事業から完全に逃れることはできず、都井岬には大正2年(1913年)に父がスタンダードブレッド、母が北海道和種と南部馬の雑種の北海道産牡馬である小松号が導入され、種馬として1年間供用され数頭の牝馬が種付けされました。
 小松号の特徴は、栗毛、流星、珠目正、鼻白、右後一白でした。それ以来、御崎馬には栗毛や白持ちで大柄の馬も出るようになりました。しかし、小松号の影響は限られたものにとどまり、御崎馬は純粋度の高い馬群を維持する数少ない日本在来馬として残りました。
 御崎馬は第二次世界大戦中から戦後にかけて数が減少し、農業の機械化にともない農耕馬としての需要も見込めなくなりました。
 しかし、昭和28年(1953年)に「岬馬およびその繁殖地」が国の天然記念物に指定され、昭和42年(1967年)と昭和43年(1968年)に発足した都井岬馬保護対策協議会と都井岬馬保護対策協力会が御崎牧場に協力、援助する体制ができました。
 さらに、昭和49年(1974年)からは国、宮崎県、串間市の補助事業として保護策がとられ、御崎馬の頭数は次第に増加傾向に転じました。近年は120頭前後で安定し、半野生状態を維持された希少な日本在来馬として宮崎県の重要な観光資源となっています。

【特徴】
 体長・体高ともに130cm内外で、毛色は主に鹿毛と青毛で、栗毛は極めて少なく、背中に鰻線のあるものが多く見られます。

【生態】
 春から夏はノシバやチガヤの豊富な小松ヶ丘や扇山の草地で、種雄馬(しゅゆうば)を中心に数頭の雌馬と子馬で構成された群(ハーレム)を作って過ごします。
 秋から冬は小さな群に分かれて海岸よりの杉林や雑木林に移動して、ススキやシダあるいはタブノキやアカメガシワなどの茎葉を食べて過ごします。

【春駒(子馬)】
 御崎馬の出産のシーズンは 3月~8月で、4・5月に最も多く生まれます。



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  1. 2021/04/18(日) 12:42:03|
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日南海岸 日南海岸ロードパーク

道の駅なんごうより先の県道448号線は通行止めになっています。
山道の市木南郷線を走り、幸島へ向かいます。

幸島が見えるいつもの撮影ポイントです。

日南海岸 日南海岸ロードパーク
hiroの部屋 日南海岸 日南海岸ロードパーク


日南海岸 日南海岸ロードパーク
hiroの部屋 日南海岸 日南海岸ロードパーク

幸島です。
この道も以前は通行できなかったのですが、大型を除いて通行できるようになっていました。

日南海岸 日南海岸ロードパーク
hiroの部屋 日南海岸 日南海岸ロードパーク

恋ケ浦海岸です。
大勢の人がサーフィンを楽しんでいます。

日南海岸 日南海岸ロードパーク
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  1. 2021/04/18(日) 11:50:43|
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日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町

昨日はお天気良くありませんでしたが、今日は久々の青空です。
ちょっと風が冷たいですね。
日南海岸を走り、道の駅なんごうへ。

道の駅なんごう側の県道448号線旧道に休憩所があります。
ここは誰もいなくて良いですね。

日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町
hiroの部屋 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町

ここからの眺めも良いですね。

日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町
hiroの部屋 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町


日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町
hiroの部屋 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町

 「道の駅 なんごう」は日南海岸国定公園のほぼ中央に位置し、日向灘を望む海岸線は無類の景勝地で、近隣に国内有数の県亜熱帯作物支場、有用植物園、ジャカランダの森などあり、自然を満喫することができます。
 また、駅周辺の海は日南海中公園で、水中観光船で珊瑚礁や熱帯魚なども鑑賞できます。


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  1. 2021/04/18(日) 11:30:59|
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宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

国道268号線の「梅田学園小林自動車学校」入口から300m行ったY字路を左へ進み、道なりに1km程行った左手に「八所(やところ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

「八所(やところ)(左)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:農民型
形態:座位
像高:62cm
像幅:52cm
奥行:30cm
持ち物:シキ被り長袖和服で右手メシゲ、左手持ち物なく両手膝の上。
 彩色:顔以外は鮮やかなベンガラに赤色

シキ:縄で編んだ敷物
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

「八所(やところ)(右)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神官型座像
形態:座位
像高:62cm
像幅:74cm
奥行:35cm
持ち物:頭部は改作されています。衣冠束帯で両手輪組で穴あり。
彩色:顔以外は鮮やかなベンガラに赤色

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

同じ所にに田の神が二体あるのは珍しく、夫婦の田の神とも言われていますが、後ろにある「田の神様御鎮座記念の碑」には

田の神様御鎮座記念の碑
 この横を流れる大谷川の水源は、山の神にあり、滾々と湧き出る水は、昔より涸れることなく、栗須の下を流れて、城の下川となり約10Km下流の大久保で岩瀬川に合流する。
 流域は昔より我等の祖先が開田し、営々として耕作を続けて来た。
 「御飯粒をこぼすと目がつぶれる。」と、いわれた程に大切な食糧である稲には、神が宿ると考えられ、神は春には田に降り、晩秋には山に帰られると信じていた。
 又、「サ」という神様が、春になると、天から降臨され、神に仕える早乙女は生贄にされたともいわれている。
 田の神に化粧するのは、ここらに由来しているものと思われる。
 旧薩摩藩領内では、今より約270年前頃より、田の神像を石で彫刻し、田の見える場所に安置して、豊作を祈念するようになった。

宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

 八所の田の神は初めに、大きい方の神像が造られた。
 その後は豊作続きであったので、他地区の人達が「八所の田の神は、豊作を授けて下さる有り難い神様だ。」ということで、夜、こっそりと借りて行った。ところが帰された時には、頭がなくなっていた。
 そこで八所の人々はしゃもじを持った小さい方の田の神を造って、二体並べて祭って来た。
 昭和二十三年に田の神お化粧の時、首なしの神にも頭を造って、くっつけた。

宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

 昭和八年には野尻原開田のずい道が通じた為に水位が下がり、田の神の前に揚水ポンプが設けられた。
 昭和六十一年に、ずい道の老朽化による改造工事の為、昔からの鎮座地で「字、佐土元、三三八一番地一〇(367㎡)」に台座を作り永久に田の神の敷地に使用することになった。
 旧三月十五日にはお化粧をし「サ昇り」には、焼酎や田の苗等をあげて豊作を祈念した。
 「春田打つ、夏の早苗とるあしたより、秋の夕を守る田の神”この度の鎮座に当り、由来を記し、後世に伝えるものである。」
昭和六十一年三月吉祥日 八所田の神講一同


今回の「八所(やところ)の田の神」の撮影で、小林市野尻町の「田の神さぁ」は終了します。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/14(水) 18:00:44|
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宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

菅原神社の右の「田の神」です。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

「菅原神社(右)の田の神」の詳細
建立年:延享二年(1745 年)
型分類:武神像、田の神原型式武神像
形態:椅位
像高:55cm
像幅:48cm
奥行:24cm
持ち物:丸顔で両手左右持ち膝の上。左脇の下に穴あり。
彩色:無し

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

左わきに穴が開いています。
他に記憶が無いですね。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

この「田の神」も袖が特徴的ですね。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

管原神社境内にある石神には「作者 毛利雅楽 延享二年(1745 年)」と刻まれています。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

毛利雅楽の名は立野の田の神(小林市大字南西方字立野)にも刻まれています。
また境内には「元文五年」の銘が刻まれた庚申供養塔もあり、菅原神社の歴史が古いことを物語る資料となっています


次は、「八所(やところ)の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/13(火) 18:00:43|
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宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

「西原(にしばる)の田の神」の横の階段を上ると、菅原神社です。
菅原神社に向かって左右に「田の神」が祀られています。
左の方の「田の神」へ

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

「菅原神社(左)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:武神像、田の神原型式武神像
形態:椅位
像高:61cm
像幅:50cm
奥行:28cm
持ち物:丸顔で両手左右持ち膝の上。
彩色:無し。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

この「田の神」は、袖が特徴的ですね。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原


「菅原神社(右)の田の神」を見てみましょう。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/12(月) 18:00:42|
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宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市

遅い時間ですが(16:30)、高取山公園にやって来ました。
ツツジが咲いている斜面が日陰になってきました。

速攻で撮影です。

宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市
hiroの部屋 宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市


宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市
hiroの部屋 宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市


宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市
hiroの部屋 宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市


宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市
hiroの部屋 宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市


ミツバツツジ(三葉躑躅 Rhododendron dilatatum)はツツジ科ツツジ属の落葉低木です。また、近縁のミツバツツジ類の総称でもあります。
 関東地方から近畿地方東部の太平洋側に分布し、主にやせた尾根や岩場、里山の雑木林などに生育します。
 他のミツバツツジ類の多くは雄しべが10本なのに対し、本種は5本であることが大きな特徴です。
 古くから庭木としても植えられますが、盗掘の影響もあるせいか野生の個体数は決して多くありません。
 ミツバツツジ類は、4-5月頃に咲く紅紫色の花が美しです。花が終わってから葉が出てきます。枝先に三枚の葉がつくことからこの名がつきました。
 ミツバツツジの変種には、トサノミツバツツジ、ハヤトミツバツツジ、ヒダカミツバツツジなどがあります。
 日本に自生するその他のミツバツツジ類には、トウゴクミツバツツジやサイコクミツバツツジ、コバノミツバツツジ、ダイセンミツバツツジ、ユキグニミツバツツジ、キヨスミミツバツツジなどがあります。


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  1. 2021/04/11(日) 20:19:53|
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宮崎の花 大塚原公園のツツジ 小林市野尻町東麓

今日は、三股町のしゃくなげの森に行って、その後椎八重公園のツツジを見に行こうと、宮崎市から北郷町回りで三股町へ行ったのですが、しゃくなげの森の駐車場は満車状態になっていました。密だと思い椎八重公園へ向かったのですが、反対車線の椎八重公園の入口から200m以上車が渋滞しています。椎八重公園のツツジは諦めて、どこかツツジは咲いていないか考えて、小林市野尻町の大塚原公園へ行ってみることにしました。

咲いていますが、まばらですね。

宮崎の花 大塚原公園のツツジ 小林市野尻町東麓
hiroの部屋 宮崎の花 大塚原公園のツツジ 小林市野尻町東麓


宮崎の花 大塚原公園のツツジ 小林市野尻町東麓
hiroの部屋 宮崎の花 大塚原公園のツツジ 小林市野尻町東麓


宮崎の花 大塚原公園のツツジ 小林市野尻町東麓
hiroの部屋 宮崎の花 大塚原公園のツツジ 小林市野尻町東麓


宮崎の花 大塚原公園のツツジ 小林市野尻町東麓
hiroの部屋 宮崎の花 大塚原公園のツツジ 小林市野尻町東麓


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  1. 2021/04/11(日) 20:09:24|
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宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

「佐土瀬(さどせ)の田の神」から南へ170m程先を右折し、920m行った右手に「西原(にしばる)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

「西原(にしばる)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像、野尻神官型
形態:座位
像高:56cm
像幅:62cm
奥行:37cm
持ち物:纓(えい)の付いた冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組でメシゲを持っている。
彩色:顔とメシゲが白色で、あとは全て朱色。

宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原


宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

もとは菅原神社東下の田んぼの土手にあったものを昭和53年に今の場所に移したとされています。

次は、横の階段を上って「菅原神社」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原

「野々崎(ののざき)の田の神」から210m程行った右手に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原


宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原

「佐土瀬(さどせ)の田の神」の詳細
建立年:昭和11年4月
型分類:神像型座像、野尻神官型
形態:座位
 像高:51cm
 像幅:47.5cm
奥行:32cm
持ち物:纓(えい)の付いた冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組でメシゲを持っている。
 彩色:顔とメシゲが白色で、あとは全て朱色。

宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原


宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原

次は、「西原(にしばる)の田の神」へ向かいます。

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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