★hiroの部屋★

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ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町

日本で唯一のジャカランダ群生林があるのは日南市南郷町だけだそうです。
世界3大花木と言われるホウオウボク、カエンボク、ジャカランダ。
そのひとつのジャカランダが宮崎県総合農業試験場内の有用植物園に植栽されています。

ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町
hiroの部屋 ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町

ジャカランダ(紫雲木)はアルゼンチン原産の半落葉性高木で、樹高15mに達します。

ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町
hiroの部屋 ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町

5月下旬~6月上旬に青紫色の美しい花を一斉に咲かせるため、海外では初夏を知らせる花として親しまれています。

ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町
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アルゼンチンでは国花となっており、またその他にもアフリカやオーストラリア、熱帯アジア、アメリカのフロリダ州やカリフォルニア州など、世界中の熱帯、亜熱帯地方で広く街路樹、庭木として利用されています。

ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町
hiroの部屋 ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町

日本では葉をつけてから開花しますが、海外では開花した後に葉をつけるため、紫の桜のように見えます。
そのため、昔、南米に移住していった日本人達はこの木を桜にみたて、故郷を偲んだといわれています。

ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町
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①福山自動車時計博物館 外車 広島県福山市

福山自動車時計博物館
 地元の企業経営者で、自動車愛好家でもある能宗孝(のうそう たかし、1943年 - )らが、1966年(昭和41年)より収集したコレクションを元に1989年(平成元年)7月4日に、公益財団法人「能宗文化財団」によって運営されています。

福山自動車時計博物館 外車 広島県福山市
福山自動車時計博物館 外車 広島県福山市

ここの博物館の凄い所は、車に触れるし、座席に座る事が出来るのです。

福山自動車時計博物館 外車 広島県福山市
hiroの部屋 福山自動車時計博物館 外車 広島県福山市

T型フォード スピードスター1915年(大正4年)
 1908年に発売され、以後1927年まで基本的なモデルチェンジのないまま、1,500万7,033台が生産されました。
 4輪自動車でこれを凌いだのは、唯一2,100万台以上を生産されたフォルクスワーゲン・タイプ1が存在するのみです。
 その廉価さから、アメリカをはじめとする世界各国に広く普及しました。

T型フォード スピードスター1915年(大正4年)
hiroの部屋 T型フォード スピードスター1915年(大正4年)

シートはバケットシートのようです。
座るとお尻は完全に固定さて、ハンドルは手前に・・・
パワステ無いので、運転は力が必要?

T型フォード スピードスター1915年(大正4年)
hiroの部屋 T型フォード スピードスター1915年(大正4年)

MG-TD 1951年(昭和26年)
イギリス
排気量:1250cc
最高出力:54ps(馬力)/40kw

MG-TD 1951年(昭和26年)
hiroの部屋 MG-TD 1951年(昭和26年)

ブガッティ レプリカ 1937年(昭和12年)

ブガッティ レプリカ 1937年(昭和12年)
hiroの部屋 ブガッティ レプリカ 1937年(昭和12年)


ブガッティ レプリカ 1937年(昭和12年)
hiroの部屋 ブガッティ レプリカ 1937年(昭和12年)

トライアンフ TR4 1963年(昭和38年)
TR1(1952年)
TR2(1953-55年)
TR3(1955-1957年)
TR3A(1957-1961年)
TR4(1961-1965年)
TR4A(1961-1965年)
TR5(1967-1968年)
TR6(1969-1976年)[編集]
TR7(1974-1981年)
TR8(1978-1981年)

TR4(1961-1965年)
 TR4は当時のトライアンフ各車のデザインを手がけていたイタリアの新進デザイナー・ジョヴァンニ・ミケロッティによる、寄り目のヘッドライトは受け継いだものの、全く新しいボディを与えられて登場した。
 しかし、ホイールベースはTR1-3と同じ2240mmのままであり、トレッドが10cm拡大され、ステアリングギアがラック・ピニオン式に変更、4段ギアボックスがフルシンクロ化されるなどの改良は受けたものの、シャシーは基本的にはTR3と同じはしご型フレームが踏襲された。
 エンジンは2138ccに拡大され、出力は100馬力のままであったが、最大トルクは大きくなった。(日本へは従来の1991ccエンジン付きが輸入され、5ナンバー登録された)
 巻き上げ式のサイドウインドウの装備など居住性は向上したものの、TR4はスマートな外観とは裏腹にTR3Aの旧式な操縦性・乗り心地を受け継いでおり、1962年に登場したライバルのMG・Bなどに比べて見劣りするようになっていた。
 TR4は40,253台が生産され、37,761台がアメリカはじめ日本を含む各国に輸出された。

トライアンフ TR4 1963年(昭和38年)
hiroの部屋 トライアンフ TR4 1963年(昭和38年)


トライアンフ TR4 1963年(昭和38年)
hiroの部屋 トライアンフ TR4 1963年(昭和38年)

ベンツSSK・レプリカ(ガゼール)1929年(昭和4年)
 SSはスーパースポーツ。Kはショートホイールをあらわしている。
 当館のSSKは平成元年に米国フロリダ州マイアミでボディーやシャシーが造られカリフォルニアで組み立てられたもの。
 その後平成2年に輸入された。
 フォードピントのエンジン(2300cc)、足回りを利用している。
 1928年式のメルセデス・ベンツは、排気量7068cc。最高時速192Km。最高出力はスーパーチャージャー作動時に225馬力(166Kw)

ベンツSSK・レプリカ(ガゼール)1929年(昭和4年)
hiroの部屋 ベンツSSK・レプリカ(ガゼール)1929年(昭和4年)


ベンツSSK・レプリカ(ガゼール)1929年(昭和4年)
hiroの部屋 ベンツSSK・レプリカ(ガゼール)1929年(昭和4年)

ウイリス ジープスター 1949年(昭和24年)
 ジープは軍用車の四輪駆動であるが、このエンジンを利用した後輪二輪駆動車が民間用ジープスター。
 軍用車製造のウイルス社はジープを転用し全天候型乗用車を製造した。

ウイリス ジープスター 1949年(昭和24年)
hiroの部屋 ウイリス ジープスター 1949年(昭和24年)

メルセデスベンツ 170SD 1954年(昭和29年)
 1935年(昭和10年)デビューしたが、第二次世界大戦のため生産を中断、戦後ダイムラーベンツ社が最初に生産を再開した小型乗用車。
 ガソリン車に比べ経済的だった。
排気量:1767cc
最高出力:40ps(馬力)

メルセデスベンツ 170SD 1954年(昭和29年)
hiroの部屋 メルセデスベンツ 170SD 1954年(昭和29年)

フォード GPW
 第二次世界大戦中に大量生産された標準的なジープ。
 製造メーカーの異なるウィリス・MBとは細部に異なる部分はあるが、部品に互換性があり形態・構造ともにほぼ同一であった.
 ジープ(英語:Jeep)は、クライスラー社の四輪駆動車のブランドである。

フォード GPW
hiroの部屋 フォード GPW

クロスリー レーシングカー 1943年(昭和18年)
 アメリカとして異例のミニタイプで、いわばアメリカ自動者会の盲点をついたがゆえに、戦後の一時成功を収めた。
 絶頂期には、セダン、ステーションワゴン、配達用バンやいろいろなスポーツモデルの車など、広範囲に渡って製造した。

クロスリー レーシングカー 1943年(昭和18年)
hiroの部屋 クロスリー レーシングカー 1943年(昭和18年)


クロスリー レーシングカー 1943年(昭和18年)
hiroの部屋 クロスリー レーシングカー 1943年(昭和18年)


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②福山自動車時計博物館 国産車 広島県福山市

福山自動車時計博物館
 地元の企業経営者で、自動車愛好家でもある能宗孝(のうそう たかし、1943年 - )らが、1966年(昭和41年)より収集したコレクションを元に1989年(平成元年)7月4日に、公益財団法人「能宗文化財団」によって運営されています。

ダットサン ロードスター 1936年(昭和11年)
法律が改正され、スペアタイヤがトランクの外に固定できるようになった。当時の価格で1750円。
 ロードスター:2人乗りの幌つきオープンカー
排気量:722cc
最高出力:16ps(馬力)/12kw

ダットサン ロードスター 1936年(昭和11年)
hiroの部屋 ダットサン ロードスター 1936年(昭和11年)

ダットサン フェートン 1935年(昭和10年)
 フロントグリルが心臓の形をしていたので、ハート型フェートンと呼ばれた。当時の価格は1800円。
 フェートン:4人乗りのほろt幌つきオープンカー
排気量:722cc
最高出力:16ps(馬力)/12kw

ダットサン フェートン 1935年(昭和10年)
hiroの部屋 ダットサン フェートン 1935年(昭和10年)

ダットサン セダン 1936年(昭和11年)
 フロントグリル中央に太めの縦バーがあり、室内が質素なのが特徴。
 当時の価格で1900円。
 昭和10年には1275台が生産された。
 セダン:屋根が鉄板の4人乗り。
排気量:722cc
最高出力:19ps(馬力)/12kw

ダットサン セダン 1936年(昭和11年)
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ダットサン フェアレディ SPL213 1961年(昭和36年)
SPL212 / SPL213型
1960年1月 - 「フェアレデー1200」発表。
 フェアレディの名を冠した(ただし当時の表記は「フェアレデー」であった)最初の車は、このSPL212型である。
 車名はミュージカル「マイ・フェア・レディ」に由来するもので、当時の日産の社長、川又克二が前年に渡米した際、ブロードウェーでの同ミュージカルの観覧で感銘を受けたことからの命名。型式記号はそれぞれ、「S」が「スポーツ」、「P」が「パワーアップ版」、「L」が「レフトハンドドライブ(左ハンドル)」を表す。
 数字の百の位の「2」は第二世代の意味であるが、この場合はダットサンセダン210型の派生車であることからそれに揃えた型式となっている。
 十の位は、奇数が乗用、偶数が貨物用(トラックシャーシ流用のバスも偶数)で、「1」と「2」が小型の「ダットサン」、「3」、「4」以上が「ニッサン」となる。
 ダットサンスポーツの場合は「小型乗用」なので「1」となる。
 一の位は、「0」を基本型として改良された回数を表しており、SPL212の場合は、2回目のマイナーチェンジモデルということになる。
 この212と次の213は北米専売モデルの扱いであり、左ハンドルのみの生産であったが、日本国内でも少数がそのまま販売された。
 生産性を考慮し、ボディーは一般的なスチール製としたがシャシに大きな変更は無く、4輪リーフリジッドのままであった。
 なおダットサントラックのフロントサスペンションは、セダンやフェアレデーに先駆けてダブルウイッシュボーンと縦置きトーションバー・スプリングによる独立式となっている。
 エンジンは、ブルーバードにも使われたOHV1,189ccのE型に変更され、ツーバレルキャブレターを装着し、48馬力/8.4kgmの出力を発揮、フロアシフトの4速トランスミッションを介し、最高速度は132km/hと発表された。
 自動車としての洗練度は英国製ライトウエイトスポーツカーに及ばなかったが、これらの改良により市場での競争力は着実に高まっていった。生産台数は288台。
 1960年10月 - エンジンは改良されたE1型となり、出力を60馬力/9.3kgmにアップ。
 当時アメリカの広告での価格は、新世代のシャシを使う310型ブルーバード4ドアセダンの$1,816に対し、$1,996となっている。
1961年 - SPL213登場
1962年 - 生産終了。生産台数は217台。

ダットサン フェアレディ SPL213 1961年(昭和36年)
hiroの部屋 ダットサン フェアレディ SPL213 1961年(昭和36年)

トヨペットクラウンRS 1958年(昭和33年)
 海外と技術提携が盛んに行なわれるなかで、トヨタは純国産方式を押し通し、1955年トヨペットクラウンRS型を発表。
 当初から自家用車として設計されたRS型は、あらゆる意味において国産車のモータリゼーションの出発点であった。
 そしてわが国の自動車業界へも大きな自信を与えたのである。
 デザインは当時のわが国の実状に適応した巧みなもので、乗り心地や耐久性など、すべてがバランスされた純国産車として話題を集めた。

トヨペットクラウンRS 1958年(昭和33年)
hiroの部屋 トヨペットクラウンRS 1958年(昭和33年)

ダットサン ダブルピックアップ 6000-U 1954年(昭和29年)
排気量:860cc
最高出力:16ps(馬力)/12kw

ダットサン ダブルピックアップ 6000-U 1954年(昭和29年)
hiroの部屋 ダットサン ダブルピックアップ 6000-U 1954年(昭和29年)

ダイハツ DBC-1 1974年(昭和49年)
 早くから電気自動車の開発に取り組んできたダイハツでは大阪万博のときに会場の足として275台が活躍。
 続いてゴルフ用に「ダイハツマスターズ」を発表。
最高出力:6.7hp(馬力)/5kw

ダイハツ DBC-1 1974年(昭和49年)
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③福山自動車時計博物館 国産車 広島県福山市

福山自動車時計博物館
 地元の企業経営者で、自動車愛好家でもある能宗孝(のうそう たかし、1943年 - )らが、1966年(昭和41年)より収集したコレクションを元に1989年(平成元年)7月4日に、公益財団法人「能宗文化財団」によって運営されています。

福山自動車時計博物館 国産車 広島県福山市
hiroの部屋 福山自動車時計博物館 国産車 広島県福山市

スバル 360 K111 1964年(昭和39年)
 スバル360(Subaru 360 )は、富士重工業(現・SUBARU)が開発した軽自動車です。
 1958年から1970年までのべ12年間に渡り、約39万2,000台が生産されました。
排気量:356cc
最高出力:20hp(馬力)/15kw

スバル 360 K111 1964年(昭和39年)
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ダイハツ号 SH6型 1935年(昭和10年)

ダイハツ号 HS6型 1935年(昭和10年)
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ダイハツ三輪トラック SSR型 1954年(昭和29年)
 運転席に防風ガラスと幌が付き、風雨をしのげるようになった。
 ヘッドライト横のダイハツマークはその後のダイハツオート三輪の最終モデルまで続いた。

ダイハツ三輪トラック SSR型 1954年(昭和29年)
hiroの部屋 ダイハツ三輪トラック SSR型 1954年(昭和29年)


ダイハツ三輪トラック SSR型 1954年(昭和29年)
hiroの部屋 ダイハツ三輪トラック SSR型 1954年(昭和29年)

ダイハツ ミゼット DSA 1961年(昭和36年)
 ミゼット(Midget )とは、ダイハツ工業が1957年(昭和32年)から1972年(昭和47年)まで生産・販売していた軽自動車規格の三輪自動車です。
 Midgetは英語で「超小型のもの」という意味の単語で、小型、小人、チビな車という想いを込めて名付けられました。

ダイハツ ミゼット DSA 1961年(昭和36年)
hiroの部屋 ダイハツ ミゼット DSA 1961年(昭和36年)

ダイハツ ミゼット MP4 1963年(手話38年)
 MPA/MPAV型(北米仕様):1959年
 MP2/MP2V型:1959年
 MP3/MP3V型:1959年 - 1960年
 MP4/MP4V型:1960年 - 1962年
 MP5/MP5V型:1962年 - 1972年
 MP4型:1960年(昭和35年)5月にはMP3型を基に全長を200 mm延長し、荷台のサイズを拡大し、最大積載量300kgから350kgへ変更し、サイドドアの窓が上下に昇降可能(レギュレーターハンドル付)になった

ダイハツ ミゼット MP4 1963年(手話38年)
hiroの部屋 ダイハツ ミゼット MP4 1963年(手話38年)

トヨタ パブリカDX 1966年(昭和41年)
 パブリカ(Publica)は、トヨタ自動車が1961年から1978年まで生産した小型乗用車です。

トヨタ パブリカDX 1966年(昭和41年)
hiroの部屋 トヨタ パブリカDX 1966年(昭和41年)

ホンダ T360
 1963年8月1日に発売された。
 日本初のDOHCエンジン(2バルブ)搭載車であり、ホンダ初の4輪自動車でもある。

ホンダ T360
hiroの部屋 ホンダ T360


ホンダ T360
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④福山自動車時計博物館 国産車 広島県福山市

福山自動車時計博物館
 地元の企業経営者で、自動車愛好家でもある能宗孝(のうそう たかし、1943年 - )らが、1966年(昭和41年)より収集したコレクションを元に1989年(平成元年)7月4日に、公益財団法人「能宗文化財団」によって運営されています。

マツダ 三輪トラック GA型 1949年(昭和24年)
 GA車は、在来車種と比較して、登坂力、加速力の増大、燃料消費、エンジン負担の軽減など、数多くのメリットを発揮した。
 燃料の軽減は市場の歓迎を受けた。最高速度65Km.
排気量:670cc
最高出力:13.7ps(馬力)/10kw

マツダ 三輪トラック GA型 1949年(昭和24年)
hiroの部屋 マツダ 三輪トラック GA型 1949年(昭和24年)


マツダ 三輪トラック GA型 1949年(昭和24年)
hiroの部屋 マツダ 三輪トラック GA型 1949年(昭和24年)


マツダ 三輪トラック GA型 1949年(昭和24年)
hiroの部屋 マツダ 三輪トラック GA型 1949年(昭和24年)


マツダ 三輪トラック GA型 1949年(昭和24年)
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マツダ PD型 三輪乗用車

マツダ PD型 三輪乗用車
マツダ PD型 三輪乗用車


マツダ PD型 三輪乗用車
hiroの部屋 マツダ PD型 三輪乗用車

マツダ 360 クーペ 1962年(昭和37年)

 マツダ・R360クーペは、マツダ(当時は東洋工業)の製造した軽自動車です。
 1960年に発売されました。この車で、マツダは4輪乗用車市場に参入しました。
 価格は30万円で、当時のスバル360より安く設定されていました。

マツダ 360 クーペ 1962年(昭和37年)
hiroの部屋 マツダ 360 クーペ 1962年(昭和37年)

マツダ キャロル 360DX 1968年(昭和43年)

 初代モデルはマツダの前身の東洋工業により1962年(昭和37年)に発売された360cc車で、軽自動車初の4ドアセダンタイプのモデルとなったことでも知られ、1970年(昭和45年)まで生産されました。

マツダ キャロル 360DX 1968年(昭和43年)
hiroの部屋 マツダ キャロル 360DX 1968年(昭和43年)

三菱 三輪 ペットレオ 1959年(昭和34年)

三菱 三輪 ペットレオ 1959年(昭和34年)
hiroの部屋 三菱 三輪 ペットレオ 1959年(昭和34年)

三菱 ミニカ 360 1966年(昭和41年)

 初代は1962年に三菱自動車(当時は新三菱重工業、後の三菱重工業)初の軽乗用車として登場する。

三菱 ミニカ 360 1966年(昭和41年)
hiroの部屋 三菱 ミニカ 360 1966年(昭和41年)

日野ルノー 4CV 1961年(昭和36年)

 4CVは日本において、日野自動車がライセンス生産を行ないました。
 1953年(昭和28年)からルノー公団との契約のもとノックダウン生産を開始しました。
 順次国産部品の調達率を高め、1958年(昭和33年)3月ついに完全国産化を達成、フランス本国での生産が終了した後も1963年(昭和38年)まで生産されました。

日野ルノー 4CV 1961年(昭和36年)
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 地元の企業経営者で、自動車愛好家でもある能宗孝(のうそう たかし、1943年 - )らが、1966年(昭和41年)より収集したコレクションを元に1989年(平成元年)7月4日に、公益財団法人「能宗文化財団」によって運営されています。

ホンダのカブがあります。

福山自動車時計博物館 広島県福山市
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くろがね号 97式 サイドカー 1937(昭和12)年 1260cc

 日本内燃機は、1932年(昭和7年)に設立された日本の自動車メーカーで、現在の日産自動車系列のエンジン製造会社である日産工機の前身企業です。
 1930年代から1950年代にかけ、「くろがね」のブランドでオート三輪トラック市場の代表的メーカーとして活動したことで後世に知られています。

くろがね号 97式 サイドカー 1937(昭和12)年 1260cc
hiroの部屋 くろがね号 97式 サイドカー 1937(昭和12)年 1260cc

陸王サイドカー VFD-LTS 1955年(昭和30年)

 陸王(りくおう)とは、かつて日本で製造販売されていたオートバイのブランドです。
 生産された車両は主としてアメリカのハーレーダビッドソンを源流としていました。
 陸王の生産に携わった企業は、幾度の買収や倒産を経たため数社に跨っています。

 1959年(昭和34年)を最後に陸王の生産は打ち切られました。陸王モーターサイクルも翌年倒産しました。

陸王サイドカー VFD-LTS 1955年(昭和30年)
hiroの部屋 陸王サイドカー VFD-LTS 1955年(昭和30年)

パイパー PA28-140 チェロキー JA3639
 PA-28 チェロキー(PA-28 Cherokee)は、飛行訓練、エアタクシー、自家用機などを目的として設計された軽飛行機のファミリーで、パイパー・エアクラフトが製造しています。

パイパー PA28-140 チェロキー JA3639
hiroの部屋 パイパー PA28-140 チェロキー JA3639

拳銃も展示しています。

福山自動車時計博物館 広島県福山市
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館外にも古い車が置いてあります。
トヨタの消防車です。

福山自動車時計博物館 広島県福山市
hiroの部屋 福山自動車時計博物館 広島県福山市

ボンネットバスです。
日野BA14

福山自動車時計博物館 ボンネットバス日野BA14 広島県福山市
hiroの部屋 福山自動車時計博物館 ボンネットバス日野BA14 広島県福山市

木炭自動車です。
 木炭をエネルギー源とし、車載した木炭ガス発生装置で不完全燃焼により発生する一酸化炭素ガスと同時にわずかに発生する水素(合成ガス)とを回収、これを内燃機関の燃料として走る自動車です。

福山自動車時計博物館 木炭自動車 広島県福山市
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国宝 中道山円光寺 明王院 広島県福山市

 芦田川下流西岸にある明王院は、中道山円光寺(ちゅうどうさんえんこうじ)と号す寺院です。
 中世、現在の寺域には理智山常福寺(りちざんじょうふくじ)があり、近在の本庄(ほんじょう)に明王院円光寺がありました。

国宝 中道山円光寺 明王院 広島県福山市
hiroの部屋 国宝 中道山円光寺 明王院 広島県福山市

 明王院は、水野氏福山入封後、同氏の祈願所となり、水野勝貞(かつさだ)は常福寺を廃号とし明王院を名のらせました。
 常福寺は、大同2年(807年)弘法大師の開基と伝えられています。

国宝 中道山円光寺 明王院 広島県福山市
hiroの部屋 国宝 中道山円光寺 明王院 広島県福山市

 現在の本堂は、元応(げんおう)3年(1321年)に紀貞経(きのさだつね)、沙門(しゃもん)頼秀の本願により再建されたもので、和様(わよう)を基調とし、細部に禅宗様(ぜんしゅうよう)と大仏様(だいぶつよう)を交えた折衷様(せっちゅうよう)の建物ですが、その基礎の下方に掘立穴(ほったてあな)の遺構が発見されており、前身建物の存在が明らかになっています。

国宝 中道山円光寺 明王院 広島県福山市
hiroの部屋 国宝 中道山円光寺 明王院 広島県福山市

 五重塔は、貞和(じょうわ)4年(1348年)頼秀の勧進(かんじん)によって建てられ整えられた和様の建築です。
 両建物とも建築史上貴重なもので国宝に指定されています。
 当時常福寺の隆盛を背景に造立されたものと思われます。

国宝 中道山円光寺 明王院 広島県福山市
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 さらに明徳2年(1391年)9月28日の西大(さいだい)寺末寺帳に「草出(くさいず) 常福寺」などとみえ、草戸千軒町との関係をうかがわせています。

国宝 中道山円光寺 明王院 広島県福山市
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 近世の明王院は末寺48ヵ寺を擁し、本堂、五重塔、大門(だいもん)、鐘楼(しょうろう)、書院、庫裏(くり)など多数の建物を整えています。 

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  1. 2017/06/04(日) 09:20:11|
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備後福山城 広島県福山市

備後福山城
 城跡は国の史跡に指定されている。
 久松城(ひさまつじょう)、葦陽城(いようじょう)とも呼ばれる。
 日本における近世城郭円熟期の代表的な遺構であり、2006年2月13日、日本100名城に選定された。

備後福山城 広島県福山市
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 福山城は1615年(慶長20年)の一国一城令発布後の元和8年(1622年)に竣工した城である。
 大規模な新規築城による近世城郭では最後の例となった。
 備後福山藩の藩庁かつ藩主の居城であった。
 形式は輪郭式の平山城で、2重の堀や瀬戸内海へ抜ける運河を持ち五重の天守と7基の三重櫓を有していた。

 道路が曲がっているのは、お城を攻めにくくするためだそうです。

備後福山城 広島県福山市
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 1873年(明治6年)の廃城令によって、大蔵省の所管となり、建物の払い下げ、取り壊しが実施されていたが、翌1874年(明治7年)に所在自治体の福山町などの請願によって、本丸の天守(付櫓を含む)・筋鉄御門・伏見櫓・御湯殿・鐘櫓の5棟の建築物が残されることとなった。
 その内鐘櫓を除く4棟について、国法保存法の国宝に指定された。

備後福山城 広島県福山市
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 天守以外のこれらの現存建築は、福山城の築城時に伏見城から移築されたものであったが、昭和20年(1945年)の福山大空襲によって、伏見櫓、筋鉄御門(ともに、国の重要文化財)を残して焼失している。

備後福山城 広島県福山市
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 現在の天守(付櫓含む)、月見櫓、御湯殿は1966年(昭和41年)に鉄筋コンクリート構造で復興されたのものである。
 再建された天守内部は福山市立福山城博物館として利用され、天守最上階の回縁からは市街を360度見渡せ、晴れた日には瀬戸内海を望むこともできる。

備後福山城 広島県福山市
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 三の丸南側はJR福山駅が東西に貫き、新幹線や福塩線のホームからは、天守や伏見櫓が聳立する本丸跡を間近に望むことができる。


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  1. 2017/06/04(日) 09:10:16|
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福山歩こう会 福山観光 広島県福山市 2017/6/4

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  1. 2017/06/04(日) 09:00:00|
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福山歩こう会  鞍の浦(とものうら)~福山駅 2017/6/3

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