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白金不動の滝 北海道美瑛町

白金温泉の途中にある白金不動の滝は、高さが25mあり、十勝岳各方面の地下水が集まって岩の間をぬって落ちる段々の滝で、水温も低く水量が豊富です。

白金不動の滝 北海道美瑛町
hiroの部屋 白金不動の滝 北海道美瑛町

また、白金新四国八十八ヶ所の石仏群が並んでいて不動の滝霊場の名にふさわしいですね。


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  1. 2018/06/24(日) 13:57:13|
  2.  ┣ 滝|
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宮崎県の田の神様 浮田神社麓の田の神様 宮崎市

浮田神社麓の田の神様

宮崎県の田の神様 浮田神社麓の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 浮田神社麓の田の神様 宮崎市


宮崎県の田の神様 浮田神社麓の田の神様 宮崎市
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場所はこちらです。


 田の神の具体的な像は不明なことが多く、水口にさした木の枝やそれを束ねたもの、花、石などが依代とされることが多数あり、常設の祠堂をもたないのが全国的な傾向です。
 しかし、そうしたなかにあって田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布することは注目に値します。集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する石像を田の岸にまつる風習がみられます。
 青山幹雄の『宮崎の田の神像』によると、宮崎県は旧薩摩藩支配領域に元々分布していましたが、明治時代以降人々の移動により、その分布がやや拡大し、たとえば宮崎市近郊にも広がったこと、古い習慣で「オットイタノカンサー」、すなわち、部落の若者が他の部落から盗むこと習慣などが記載されています。これは、習慣なので、また取り戻したりします。実際行われることは少なかったようです。
 また、秋の収穫時の祭りには品のない言い合いをして、日ごろのうっぷんを晴らしたり、それについては江戸時代では、武士などは見て見ぬふりをしたといいます。
 宮崎県には神官型が多いこと、鹿児島県には農民型が多いこと、宮崎県小林にみられる陰陽石や、霧島噴火なども関係あるとしています。
 宮崎県に僧侶形が稀なのは、一向宗弾圧と関係あるのではないかと述べています。



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  1. 2018/06/17(日) 15:42:51|
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宮崎県の田の神様 跡江の田の神様 宮崎市

跡江の田の神様

八坂神社の北50mに跡江の田の神様

宮崎県の田の神様 跡江の田の神様 宮崎市
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宮崎県の田の神様 跡江の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 跡江の田の神様 宮崎市

場所はこちらです。


 田の神の具体的な像は不明なことが多く、水口にさした木の枝やそれを束ねたもの、花、石などが依代とされることが多数あり、常設の祠堂をもたないのが全国的な傾向です。
 しかし、そうしたなかにあって田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布することは注目に値します。集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する石像を田の岸にまつる風習がみられます。
 青山幹雄の『宮崎の田の神像』によると、宮崎県は旧薩摩藩支配領域に元々分布していましたが、明治時代以降人々の移動により、その分布がやや拡大し、たとえば宮崎市近郊にも広がったこと、古い習慣で「オットイタノカンサー」、すなわち、部落の若者が他の部落から盗むこと習慣などが記載されています。これは、習慣なので、また取り戻したりします。実際行われることは少なかったようです。
 また、秋の収穫時の祭りには品のない言い合いをして、日ごろのうっぷんを晴らしたり、それについては江戸時代では、武士などは見て見ぬふりをしたといいます。
 宮崎県には神官型が多いこと、鹿児島県には農民型が多いこと、宮崎県小林にみられる陰陽石や、霧島噴火なども関係あるとしています。
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  1. 2018/06/17(日) 15:28:28|
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宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市

八坂神社の田の神様

宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市
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左手にメシゲ、右手にスリコギを持っています。

宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市
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基壇に表彰記念文(日髙與平氏)が刻まれています。
昭和十四年三月十二日建設と読めます。

宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市
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宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市
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宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市
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宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市
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宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市
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場所はこちらです。


 田の神の具体的な像は不明なことが多く、水口にさした木の枝やそれを束ねたもの、花、石などが依代とされることが多数あり、常設の祠堂をもたないのが全国的な傾向です。
 しかし、そうしたなかにあって田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布することは注目に値します。集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する石像を田の岸にまつる風習がみられます。
 青山幹雄の『宮崎の田の神像』によると、宮崎県は旧薩摩藩支配領域に元々分布していましたが、明治時代以降人々の移動により、その分布がやや拡大し、たとえば宮崎市近郊にも広がったこと、古い習慣で「オットイタノカンサー」、すなわち、部落の若者が他の部落から盗むこと習慣などが記載されています。これは、習慣なので、また取り戻したりします。実際行われることは少なかったようです。
 また、秋の収穫時の祭りには品のない言い合いをして、日ごろのうっぷんを晴らしたり、それについては江戸時代では、武士などは見て見ぬふりをしたといいます。
 宮崎県には神官型が多いこと、鹿児島県には農民型が多いこと、宮崎県小林にみられる陰陽石や、霧島噴火なども関係あるとしています。
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  1. 2018/06/17(日) 15:18:55|
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宮崎県の田の神様 白髭神社の田の神様 宮崎市

白髭神社の田の神様

場所分かりにくいです。
白髭神社の参道階段右奥に田の神様

宮崎県の田の神様 白髭神社の田の神様 宮崎市
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左手にメシゲを持っています。

宮崎県の田の神様 白髭神社の田の神様 宮崎市
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右手にはスリコギを持っています。

宮崎県の田の神様 白髭神社の田の神様 宮崎市
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宮崎県の田の神様 白髭神社の田の神様 宮崎市
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場所はこちらです。


 田の神の具体的な像は不明なことが多く、水口にさした木の枝やそれを束ねたもの、花、石などが依代とされることが多数あり、常設の祠堂をもたないのが全国的な傾向です。
 しかし、そうしたなかにあって田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布することは注目に値します。集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する石像を田の岸にまつる風習がみられます。
 青山幹雄の『宮崎の田の神像』によると、宮崎県は旧薩摩藩支配領域に元々分布していましたが、明治時代以降人々の移動により、その分布がやや拡大し、たとえば宮崎市近郊にも広がったこと、古い習慣で「オットイタノカンサー」、すなわち、部落の若者が他の部落から盗むこと習慣などが記載されています。これは、習慣なので、また取り戻したりします。実際行われることは少なかったようです。
 また、秋の収穫時の祭りには品のない言い合いをして、日ごろのうっぷんを晴らしたり、それについては江戸時代では、武士などは見て見ぬふりをしたといいます。
 宮崎県には神官型が多いこと、鹿児島県には農民型が多いこと、宮崎県小林にみられる陰陽石や、霧島噴火なども関係あるとしています。
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  1. 2018/06/17(日) 14:57:39|
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宮崎県の田の神様 長嶺の田の神様 宮崎市

長嶺の田の神様

宮崎県の田の神様 長嶺の田の神様 宮崎市
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宮崎県の田の神様 長嶺の田の神様 宮崎市
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台座に「明治33年」の刻銘があります。

宮崎県の田の神様 長嶺の田の神様 宮崎市
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場所はこちらです。


 田の神の具体的な像は不明なことが多く、水口にさした木の枝やそれを束ねたもの、花、石などが依代とされることが多数あり、常設の祠堂をもたないのが全国的な傾向です。
 しかし、そうしたなかにあって田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布することは注目に値します。集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する石像を田の岸にまつる風習がみられます。
 青山幹雄の『宮崎の田の神像』によると、宮崎県は旧薩摩藩支配領域に元々分布していましたが、明治時代以降人々の移動により、その分布がやや拡大し、たとえば宮崎市近郊にも広がったこと、古い習慣で「オットイタノカンサー」、すなわち、部落の若者が他の部落から盗むこと習慣などが記載されています。これは、習慣なので、また取り戻したりします。実際行われることは少なかったようです。
 また、秋の収穫時の祭りには品のない言い合いをして、日ごろのうっぷんを晴らしたり、それについては江戸時代では、武士などは見て見ぬふりをしたといいます。
 宮崎県には神官型が多いこと、鹿児島県には農民型が多いこと、宮崎県小林にみられる陰陽石や、霧島噴火なども関係あるとしています。
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  1. 2018/06/16(土) 14:36:09|
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宮崎県の田の神様 阿弥陀堂の田の神様 宮崎市

阿弥陀堂の田の神様
柏原の田の神様から西へ少し行ったところに、阿弥陀堂の田の神様があります。


宮崎県の田の神様 阿弥陀堂の田の神様 宮崎市
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宮崎県の田の神様 阿弥陀堂の田の神様 宮崎市
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宮崎県の田の神様 阿弥陀堂の田の神様 宮崎市
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宮崎県の田の神様 阿弥陀堂の田の神様 宮崎市
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場所はこちらです。


 田の神の具体的な像は不明なことが多く、水口にさした木の枝やそれを束ねたもの、花、石などが依代とされることが多数あり、常設の祠堂をもたないのが全国的な傾向です。
 しかし、そうしたなかにあって田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布することは注目に値します。集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する石像を田の岸にまつる風習がみられます。
 青山幹雄の『宮崎の田の神像』によると、宮崎県は旧薩摩藩支配領域に元々分布していましたが、明治時代以降人々の移動により、その分布がやや拡大し、たとえば宮崎市近郊にも広がったこと、古い習慣で「オットイタノカンサー」、すなわち、部落の若者が他の部落から盗むこと習慣などが記載されています。これは、習慣なので、また取り戻したりします。実際行われることは少なかったようです。
 また、秋の収穫時の祭りには品のない言い合いをして、日ごろのうっぷんを晴らしたり、それについては江戸時代では、武士などは見て見ぬふりをしたといいます。
 宮崎県には神官型が多いこと、鹿児島県には農民型が多いこと、宮崎県小林にみられる陰陽石や、霧島噴火なども関係あるとしています。
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  1. 2018/06/16(土) 14:22:33|
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宮崎県の田の神様 柏原の田の神様 宮崎市

柏原の田の神様
宮崎市柏原139付近

国道10号線(旧道)の生目小学校前の歩道橋から北に入った田んぼの中に、田の神や石像群があります。

宮崎県の田の神様 柏原の田の神様 宮崎市
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台座に「昭和十六年」の刻銘があります。

宮崎県の田の神様 柏原の田の神様 宮崎市
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宮崎県の田の神様 柏原の田の神様 宮崎市
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場所はこちらです。

 田の神の具体的な像は不明なことが多く、水口にさした木の枝やそれを束ねたもの、花、石などが依代とされることが多数あり、常設の祠堂をもたないのが全国的な傾向です。
 しかし、そうしたなかにあって田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布することは注目に値します。集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する石像を田の岸にまつる風習がみられます。
 青山幹雄の『宮崎の田の神像』によると、宮崎県は旧薩摩藩支配領域に元々分布していましたが、明治時代以降人々の移動により、その分布がやや拡大し、たとえば宮崎市近郊にも広がったこと、古い習慣で「オットイタノカンサー」、すなわち、部落の若者が他の部落から盗むこと習慣などが記載されています。これは、習慣なので、また取り戻したりします。実際行われることは少なかったようです。
 また、秋の収穫時の祭りには品のない言い合いをして、日ごろのうっぷんを晴らしたり、それについては江戸時代では、武士などは見て見ぬふりをしたといいます。
 宮崎県には神官型が多いこと、鹿児島県には農民型が多いこと、宮崎県小林にみられる陰陽石や、霧島噴火なども関係あるとしています。
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  1. 2018/06/16(土) 14:18:26|
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日本の棚田百選 浜野浦の棚田の夕日 佐賀県玄海町

先週に引き続き、佐賀県玄海町の浜野浦の棚田にやって来ました。
宮崎から九州自動車道を走り5時間、到着したのは17時でした。
先週は、PM?黄砂?の為に遠くが霞がかかったようにハッキリ見えず、また雲が水平線上にあり夕日を見る事が出来ませんでした。
3日に雨が降ったので、今日は夕日が見えるかも。
今日も、大勢の方が来ています。

日本の棚田百選 浜野浦の棚田 佐賀県玄海町
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日本の棚田百選 浜野浦の棚田 佐賀県玄海町
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夕日まで時間があるので、歩き回っていると、アザミの花が咲いていました。

日本の棚田百選 浜野浦の棚田 佐賀県玄海町
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雲も無く、夕日が沈むのを見る事が出来ました。
右奥に見える島影は、馬渡島(まだらしま)でしょうか。

日本の棚田百選 浜野浦の棚田の夕日 佐賀県玄海町
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浜野浦の棚田
 浜野浦の棚田は、玄海町の北西部に位置し、2級河川浜野浦川の下流域にあります。
 玄界灘に面した海岸から駆け上がる階段のように、斜面を幾重にも連なる棚田が覆い、日々の天候によって自然の景色を映し出します。
 特に4月下旬から5月上旬の代掻きから田植え後の時期には、夕陽がオレンジ色に染まり海と水田とあぜ道とが描く造形美は一段とすばらしいものです。
 畦畔は石積みで戦国・江戸時代から延々と受け継がれてきた棚田であり、平成11年に「日本棚田百選」にも認定されています。
 また、平成23年に「佐賀県遺産」に認定されました。
 「浜野浦」の地名は、急傾斜になっている海岸、緩やかな丘、入り江にある集落ということで名付けられたと考えられています。
 浜野浦海岸に流れ込む延長約2kmの浜野浦川によって形成された浸食谷に、堂々と築かれてきたのが棚田です。
 面積11.5haの中に大小283枚の田んぼが幾重にも連なっています。


浜野浦の棚田の景観・日没時間
 1月          水仙の花見頃  17:30 前後
 3月下旬~4月上旬  菜の花見頃    18:30 前後
 4月下旬~末     田植え     19:00 前後
 5月1~8日頃    夕日が中央に沈む 19:06 前後
 5月3~5日頃     景観見頃
 7月上旬~中旬    ユウスゲの花見頃 19:35 前後
 7月下旬       オニユリの花見頃 19:25 前後
 8月4~12日頃   夕日が中央に沈む 19:15 前後
 8月お盆頃~     稲刈り      19:00 前後
 9月中旬~下旬    彼岸花見頃    18:30 前後(中旬)

佐賀県の日本の棚田百選
 蕨野の棚田 相知町
 大浦の棚田 肥前町
 浜野浦の棚田 玄海町
 岳の棚田   西有田町
 江里山の棚田 小城町
 西の谷の棚田 富士町


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  1. 2018/05/04(金) 19:03:47|
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日本の棚田百選 石積の棚田 福岡県八女市星野村広内上原

八女市星野村の「石積の棚田」です。

 2012年(平成24年)7月3日~7月14日まで梅雨前線に伴う集中的な豪雨が九州各 地で発生しました。
 7月14日:福岡県八女市黒木で最大時間雨量91.5 ㎜,24時間雨量 486㎜を記録しました。このため黒木町では八女市星野村とともに多くの斜面崩 壊などにより道路が寸断され一時孤立化しました。
 「石積の棚田」は、幸い大きな被害はありませんでしたので、 2012年も無事に米の収穫が行われました。しかし棚田末端は広内川の攻撃斜面にあたり、河川侵食により 一部崩落してしまいました。
 展望台には、当時の写真が掲示されています。
 棚田から泥水が滝のように流れ落ちているのが掲示されています。

日本の棚田百選 石積の棚田 福岡県八女市星野村広内上原
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日本の棚田百選 石積の棚田 福岡県八女市星野村広内上原
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日本の棚田百選 石積の棚田 福岡県八女市星野村広内上原
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8年前は、秋に来ていますね。
日本の棚田百選 石積の棚田 福岡県八女市星野村広内上原


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  1. 2018/04/30(月) 12:26:37|
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