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「記・紀の道」男狭穂塚・女狭穂塚(おさほづか・めさほづか) 宮崎県西都市

男狭穂塚(おさほづか)は、宮崎県西都市にある帆立貝形古墳です。
西都原古墳群に属し、帆立貝形古墳では日本最大の古墳です。

「記・紀の道」男狭穂塚・女狭穂塚(おさほづか・めさほづか) 宮崎県西都市
hiroの部屋 「記・紀の道」男狭穂塚・女狭穂塚(おさほづか・めさほづか) 宮崎県西都市

宮内庁により「男狭穂塚陵墓参考地」(被葬候補者:ニニギノミコト(瓊瓊杵尊))として陵墓参考地に治定されている。

「記・紀の道」男狭穂塚・女狭穂塚(おさほづか・めさほづか) 宮崎県西都市
hiroの部屋 「記・紀の道」男狭穂塚・女狭穂塚(おさほづか・めさほづか) 宮崎県西都市

女狭穂塚(めさほづか)は、宮崎県西都市にある前方後円墳です。
西都原古墳群に属し、九州地方では最大の古墳です。

「記・紀の道」男狭穂塚・女狭穂塚(おさほづか・めさほづか) 宮崎県西都市
hiroの部屋 「記・紀の道」男狭穂塚・女狭穂塚(おさほづか・めさほづか) 宮崎県西都市

宮内庁により「女狭穂塚陵墓参考地」(被葬候補者:コノハナサクヤ姫(木花開耶姫))として陵墓参考地に治定されている。

「記・紀の道」男狭穂塚・女狭穂塚(おさほづか・めさほづか) 宮崎県西都市
hiroの部屋 「記・紀の道」男狭穂塚・女狭穂塚(おさほづか・めさほづか) 宮崎県西都市

1895年(明治28年)には、宮内庁陵墓参考地に指定され、現在は、宮内庁によって管理されている。
特別史跡「西都原古墳群」の指定範囲には入っていない。


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  1. 2014/06/29(日) 15:30:58|
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「記・紀の道」石貫神社(いしぬきじんじゃ) 宮崎県西都市

「記・紀の道」石貫神社(いしぬきじんじゃ) 宮崎県西都市

石貫神社は、コノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜毘売)の父オオヤマツミノカミ(大山津見神)を祭神として奉っている。

「記・紀の道」石貫神社(いしぬきじんじゃ) 宮崎県西都市
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天孫降臨の後、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)は、オオヤマツミノカミの娘であるコノハナサクヤヒメ(木花之開耶姫)と出逢い、オオヤマツミノカミはコノハナノサクヤヒメとその姉のイワナガヒメ(磐長姫)を差し出した。

「記・紀の道」石貫神社(いしぬきじんじゃ) 宮崎県西都市
hiroの部屋 「記・紀の道」石貫神社(いしぬきじんじゃ) 宮崎県西都市

ニニギノミコトが容姿が醜いイワナガヒメだけを送り返すと、オオヤマツミノカミはそれを怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げた。

「記・紀の道」石貫神社(いしぬきじんじゃ) 宮崎県西都市
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  1. 2014/06/29(日) 14:30:35|
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「記・紀の道」児湯の池(こゆのいけ) 宮崎県西都市

「記・紀の道」児湯の池(こゆのいけ) 宮崎県西都市

西都原大地の真清水を適時に湧水する児湯の池は、西都の神話にも語り継がれている代表的な伝承遺跡であります。
昔時この周辺は、水のにごった沼地の多いところでしたが、児湯の池だけはきれいな水が湧き、里人たちは「洗ん子(あれんこ)」と呼んでいました。

「記・紀の道」児湯の池(こゆのいけ) 宮崎県西都市
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それは、ニニギノ尊に嫁がれたコノハナサクヤ姫が、近くに無戸室(うつむろ)という産屋を建てて三皇子を出産され、産湯としてこの池の水をつかわれたと言うことから起こりました。

「記・紀の道」児湯の池(こゆのいけ) 宮崎県西都市
hiroの部屋 「記・紀の道」児湯の池(こゆのいけ) 宮崎県西都市

この地方の古くは児湯県(こゆのあがた)・児湯郡(こゆぐん)と称しました。地方発祥の地とも言われています。


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  1. 2014/06/29(日) 14:00:43|
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「記・紀の道」 無戸室(うつむろ) 宮崎県西都市

天孫ニニギノ尊はコノハナサクヤ姫と結婚されて、一夜明けると土賊討伐にお出かけになり、数ヶ月してお帰りになると姫はすでに身篭っていました。

「記・紀の道」 無戸室(うつむろ) 宮崎県西都市
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そこで尊は疑いになりましたので、姫は身の潔白を明かすため、戸の無い産殿をつくられ、周囲に火をかけその中で、「尊の子であれば火で焼け死ぬことはないでしょう」と言われてヒコホホデミの尊(山幸彦)・ホスセリの尊(海幸彦)・ホアカリの尊の三皇子を無事出産されました。

「記・紀の道」 無戸室(うつむろ) 宮崎県西都市
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この地元の人は「火柱殿(ひじゅどん)」ともいっています。

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  1. 2014/06/29(日) 13:30:04|
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「記・紀の道」八尋殿(やひろでん) 宮崎県西都市

結婚したニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの新婚生活のために建てられた御殿の跡といわれています。

「記・紀の道」八尋殿(やひろでん) 宮崎県西都市
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天孫ニニギノ尊が、逢初川で見初められたコノハナサクヤ姫と、事勝神の仲人によって結ばれ、二人の新婚生活のために建てられた御殿の跡と伝えられています。
館は、縦八尋(約15m程)と横八尋の家であったことから、この地方の人達が、八尋殿と名付けて跡地を保護しました。
古くは周辺に土塁もありました。

「記・紀の道」八尋殿(やひろでん) 宮崎県西都市
hiroの部屋 「記・紀の道」八尋殿(やひろでん) 宮崎県西都市

「尋(ひろ)」は大人が両手を広げたときの長さを表すことから、「八尋殿」は8人が手を広げてつないだほどの大きさの建物だったということになります。


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  1. 2014/06/29(日) 13:00:46|
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「記・紀の道」 逢初川(あいそめがわ) 宮崎県西都市

児湯の池から流れ出る小川で、ニニギノミコトがこの川に水を汲みにきたコノハナサクヤヒメと初めて出会い、見そめた場所と伝えられています。

「記・紀の道」 逢初川(あいそめがわ) 宮崎県西都市
hiroの部屋 「記・紀の道」 逢初川(あいそめがわ) 宮崎県西都市

ここが「古事記」の古書にでてくる逢初川だと伝えられています。

「記・紀の道」 逢初川(あいそめがわ) 宮崎県西都市
hiroの部屋 「記・紀の道」 逢初川(あいそめがわ) 宮崎県西都市

高千穂の峰に降りられた天孫ニニギノ尊はこの地、笠沙に移り住まわれますが、ある日散歩の途中この小川で水汲みをしていた、コノハナサクヤ姫を見初められ、結婚の申し入れをされた場所だと伝えられています。

「記・紀の道」 逢初川(あいそめがわ) 宮崎県西都市
hiroの部屋 「記・紀の道」 逢初川(あいそめがわ) 宮崎県西都市

古代の水汲みの場はすべて小川と呼ばれていました。

「記・紀の道」 逢初川(あいそめがわ) 宮崎県西都市
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そばを流れる小川の水がきれいですね。

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  1. 2014/06/29(日) 12:30:38|
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「記・紀の道」 御舟塚(みふねづか) 宮崎県西都市

御舟塚(みふねづか)
高天原から高千穂の峰に来降したニニギノミコト一行の船が到着したといわれる跡。

「記・紀の道」 御舟塚(みふねづか) 宮崎県西都市
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古くからの伝承によると、豊葦原中国を治めるため、高天原から日向の高千穂の峰に降臨された天孫ニニギノ尊ご一行は、よい国を求めて、海路で、当時、奥深い入江であったと伝えられるこの地、笠沙の御崎にご到着になりました。

「記・紀の道」 御舟塚(みふねづか) 宮崎県西都市
hiroの部屋 「記・紀の道」 御舟塚(みふねづか) 宮崎県西都市

そして、この西都原地方に本拠地を定められましたが、その時神がみの乗ってこられた舟がそのまま鎮まった所といわれています。

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  1. 2014/06/29(日) 12:00:35|
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宮崎の神話 御池(みそぎ池)波岐原森林公園 宮崎市

江田神社から、御池(みそぎ池)へ。
途中、新しい案内板がありました。

「古代の江田駅跡」
 この付近は古代の江田駅跡である。
 古代の律令時代の頃、中央と地方を結び、
 物資及び手紙の運搬をするために、
 官道が作られた。

「古代の江田駅跡」
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 そして、約30里ごとに、駅が作られた。
 駅には、駅馬が置かれた。

 ※約30里・・・約16Km(当時の1里は約550m)
 ※駅 馬・・・「はゆま」と呼ばれていた。

「古代の江田駅跡」
hiroの部屋 「古代の江田駅跡」

 日向国では、16の駅が作られた。
 その一つが、江田駅であり、この江田神社の
 敷地内にあったと、伝承されている。

 江田駅・・・駅馬は5疋(5頭のこと)置かれていた

「古代の江田駅跡」
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御池(みそぎ池)へ到着です。

御池(みそぎ池)波岐原森林公園 宮崎市
hiroの部屋 御池(みそぎ池)波岐原森林公園 宮崎市

世界の始まり
世界の最初に高天原で、別天津神・神世七代という神々が生まれた。
これらの神々の最後に生まれてきたのが、イザナギ・イザナミである。

イザナギとイザナミ
イザナギ・イザナミは、葦原中国に降り、結婚して、大八洲と呼ばれる日本列島を形成する島々を次々と生み出していった。さらに、様々な神々を生み出していったが、火の神カグツチを出産した際に、イザナミは火傷で死んでしまい出雲と伯耆の堺の比婆の山(現;島根県安来市)に埋葬された。イザナギはカグツチを殺し、イザナミをさがしに黄泉の国へと赴く。しかし、黄泉の国のイザナミは既に変わり果てた姿になっていた。これにおののいたイザナギは逃げた。イザナギは、黄泉のケガレを嫌って、禊をした。この時も、様々な神々が生まれた。左目を洗った時に生まれた神がアマテラス(日の神、高天原を支配)・右目を洗った時にツクヨミ(月の神、夜を支配)・鼻を洗った時にスサノオ(海原を支配)が成り、この三柱の神は三貴子と呼ばれ、イザナギによって世界の支配を命じられた。

アマテラスとスサノオ
スサノオは、イザナミのいる根の国へ行きたいと泣き叫び、天地に甚大な被害を与えた。そして、アマテラスの治める高天原へと登っていく。アマテラスは、スサノオが高天原を奪いに来たのかと勘違いし、弓矢を携えて、スサノオを迎えた。スサノオは、アマテラスの疑いを解くために、各の身につけている物などで子(神)を産みその性別によりスサノオは身の潔白を証明した。これによりアマテラスはスサノオを許したが、スサノオが高天原で乱暴を働いたため、アマテラスは、天岩戸に隠れた。日の神であるアマテラスが隠れてしまったために、太陽が出なくなってしまい、神々は困った。そこで、計略でアマテラスを天岩戸から出した。スサノオは、下界に追放された。

出雲神話
スサノオは、出雲の国に降り立った。そして、害獣であるヤマタノオロチ(八俣遠呂智)を切り殺し、国津神の娘と結婚する。スサノオの子孫である大国主は、スサノオの娘と結婚し、スクナビコナと葦原中国の国づくりを始めた。出雲風土記では意宇郡母里郷(現;島根県安来市)の地名制定説話にヤマタノオロチ退治がでるが、スサノオではなく大穴持(大国主)神となっているところに相違がある。

葦原中津国平定
アマテラスら高天原にいた神々(天津神)は、葦原中国を統治するべきなのは、天津神、とりわけアマテラスの子孫だとした。そのため、何人かの神を出雲に使わした。大国主の子である事代主・タケミナカタが天津神に降ると、大国主も大国主の為の宮殿建設と引き換えに、天津神に国を譲ることを約束する。この宮殿は後の出雲大社である。
アマテラスの孫であるニニギが、葦原中国平定を受けて、日向に降臨した。ニニギは、コノハナノサクヤビメと結婚した。


御池(みそぎ池)波岐原森林公園 宮崎
hiroの部屋 御池(みそぎ池)波岐原森林公園 宮崎市

山幸彦と海幸彦
ニニギの子である海幸彦・山幸彦は、山幸彦が海幸彦の釣り針をなくしたことでけんかになった。山幸彦は、海神の宮殿に赴き、釣り針を見つけ、釣り針を返した。山幸彦は海神の娘と結婚し、ウガヤフキアエズという子をなした。ウガヤフキアエズの子が、カムヤマトイワレヒコ(又はカンヤマトイワレヒコ。後の神武天皇)である。

神武天皇
カムヤマトイワレヒコは、兄たちと図って、ヤマトを支配しようともくろむ。ヤマトの先住者たちは果敢に抵抗し、カムヤマトイワレヒコも苦戦するが、結局天孫のカムヤマトイワレヒコの敵ではなかった。カムヤマトイワレヒコは、畝傍橿原宮の山麓で、即位する。これが、初代天皇である神武天皇である。
神武天皇の死後、神武天皇が日向にいた時の子であるタギシミミが反乱を起こす。カムヌナカワミミがそれを破り、皇位を継ぐ。

欠史八代
カムヌナカワミミは、綏靖天皇となるが、綏靖天皇以下の8代の天皇の事跡は伝わっていない。



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  1. 2013/11/23(土) 15:32:08|
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