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鹿児島の神社 鹿児島県指定有形文化財 鹿児島神宮 霧島市隼人町内

霧島市隼人町内にある鹿児島県指定有形文化財の「鹿児島神宮」へやって来ました。
 鹿児島神宮本殿は、宝暦6年(西暦1756年)島津重豪によって再建されたとされ、県内最大の木造建造物として文化財的価値が高いため、鹿児島県より有形文化財(建造物)として指定されました。

鹿児島県指定有形文化財 鹿児島神宮 霧島市隼人町内
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御神木です。
樹齢は約800年。

鹿児島県指定有形文化財 鹿児島神宮 霧島市隼人町内
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 本殿・拝殿・勅使殿が一直線に並び、柱筋が本殿から勅使殿までつらなる造りになっており、勅使殿両脇の東長庁、西長庁が外観を荘厳にしています。
 勅使殿は神殿の入口に位置し、天皇から幣帛(へいはく)を託された勅使をお迎えする所として作られています。

鹿児島県指定有形文化財 鹿児島神宮 霧島市隼人町内
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 本殿の構造は、柱間が正面七間、側面四間の入母屋造りで、正面に前室を設けてあります。
 本殿の壁画は薩摩藩の画家、木村探元の筆になると伝えられています。

鹿児島県指定有形文化財 鹿児島神宮 霧島市隼人町内
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 本殿につながる拝殿は縦長で、天井の格子には、花や野菜等が色彩豊かに描かれています。

鹿児島県指定有形文化財 鹿児島神宮 霧島市隼人町内
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 鹿児島神宮の文献上の所見は、『延喜式』(西暦927年)の「大隅国桑原郡一座 大 鹿児島神社」の記事です。
 平安時代には鹿児島神宮は、八幡正宮ついで正八幡宮と称されました。

鹿児島県指定有形文化財 鹿児島神宮 霧島市隼人町内
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 明治初年の廃仏毀釈以後、八幡の名乗りが廃され、鹿児島神社に復し、明治7年に皇室の祖先神を祭る神社として鹿児島神宮と称するようになりました。

鹿児島県指定有形文化財 鹿児島神宮 霧島市隼人町内
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幣帛(へいはく)とは、神道の祭祀において神に奉献する、神饌以外のものの総称である。広義には神饌をも含む。「みてぐら」「幣物(へいもつ)」とも言う。
「帛」は布を意味し、古代では貴重だった布帛が神への捧げ物の中心だったことを示すものである。
『延喜式』の祝詞の条に記される幣帛の品目としては、布帛、衣服、武具、神酒、神饌などがある。
幣帛は捧げ物であると同時に神の依り代とも考えられていたため、串の先に紙垂を挟んだ依り代や祓具としての幣束・御幣、大麻なども「幣帛」と呼ぶ。


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  1. 2014/01/12(日) 12:39:28|
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鹿児島の神社 島津忠良公を祀る竹田神社 鹿児島県南さつま市

鹿児島県南さつま市にある、竹田神社にやって来ました。
少し雨が降っています。

 竹田神社の御祭神は薩摩藩中興の英主・島津日新公(忠良)です。
 日新公は、室町時代明応元年(1492年)伊作亀丸城で誕生され、のち伊作島津家第十代城主になられました。

島津忠良公を祀る竹田神社 鹿児島県南さつま市
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 当時は、戦国の世で南九州でも戦乱が打ち続いていましたが、日新公は島津宗家(そうけ)から請われて三州(薩摩・大隅・日向)統一の大事業に当られました。

島津忠良公を祀る竹田神社 鹿児島県南さつま市
hiroの部屋 島津忠良公を祀る竹田神社 鹿児島県南さつま市

 晩年は加世田に居住され、善政をしき、住民の父と慕われつつ、永禄十一年(1568年)77歳で亡くなられました。
 日新公「いろは歌」は、公が日頃人間の正しい生き方について説いた教えを、五十四歳のとき四十七首にまとめられたものです。

島津忠良公を祀る竹田神社 鹿児島県南さつま市
hiroの部屋 島津忠良公を祀る竹田神社 鹿児島県南さつま市

 この歌は後世に伝えられ、鹿児島の教育の大きな柱となりました。
 この境内にあった保泉寺(ほせんじ、文明17年(1485年)建立)は、公の死後日新寺(じつしんじ)と改名、廃仏毀釈により廃寺、明治六年(1873年)その跡に建てられたのが現在の竹田神社であります。

島津忠良公を祀る竹田神社 鹿児島県南さつま市
hiroの部屋 島津忠良公を祀る竹田神社 鹿児島県南さつま市

 毎年7月23日の夏祭りには、日新公ゆかりの士踊(さむらいおどり)(稚児踊・ニギ踊)(県指定無形民俗文化財)や、昔ながらのからくり人形(国選択無形民俗文化財)、太鼓踊り、棒踊り等が奉納され終日にぎわっています。

島津忠良公を祀る竹田神社 鹿児島県南さつま市
hiroの部屋 島津忠良公を祀る竹田神社 鹿児島県南さつま市

 境内にうっそうとそびえる楠は、遠く保泉寺のいにしえからあるもので樹齢六百年といわれています。
 また、いぬまきの並木の道をたずねるとその奥に日新公のお墓があります。
(竹田神社境内の案内板より)

島津忠良公を祀る竹田神社 鹿児島県南さつま市
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左手に「いにしえの道」があります。
雨が強くなって来たので、撤収します。

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  1. 2013/12/21(土) 13:52:44|
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鹿児島の神社 古により薩摩の国を見守る照島神社 いちき串木野市

照島神社縁起 「日本の民話集」22巻参照

むかし、むかしのこと。
波の無い凪の日に山中どんという漁夫は、朝早くから魚釣に出かけていましたが、その日にかぎって昼過ぎまで雑魚一匹獲れませんでした。
山中どんはあせって、あちこちで釣ってみましたが、まったく駄目なので、あきらめて、ぼんやり水平線の水平線のかなたを見ていました。
すると、遥か彼方に一隻の無人の小舟が波に漂っています。
その舟はどちらが、とも(船尾)かみよし(船首)か分からず、両方とも軸(じく・船首)の形になっています。
しかも、船体は朱塗りでところどころに濃い青色も使ってあり、全く変わった舟です。

古により薩摩の国を見守る照島神社 いちき串木野市
hiroの部屋 照島神社 いちき串木野市

山中どんは、不思議に思いその小舟に近づいて調べてみましたが、中に宝物を積んでいる訳でもなく、帰る時に引いて帰ろうと思い、また近くで釣り糸を垂れました。
するとどうでしょう。今まで一匹の獲物も無かったのに、魚がひとりで舟の中に飛び込んでくるように釣れるのです。夢中になって、気が付くと夕方になっていました。
山中どんは慌てて帰り支度し、ふと振り返ってみると、不思議な舟は見えなくなっていました。

古により薩摩の国を見守る照島神社 いちき串木野市
hiroの部屋 照島神社 いちき串木野市

家に帰って妻にたくさんの獲物を見せ今日の一部始終話しますと、妻はさらに驚いて「それは本当ですか。他の漁師たちも、今日はその舟に出会ったそうで、やっぱりそれから魚がどんどん釣れ始めたそうですよ。」と言うではありませんか。

この話は、すぐ村中に知れ渡りました。
「それは七福神の宝舟だろう」
「いや、支那(中国)の海賊船の伝馬かも」と、その小舟の噂でもちきりです。

古により薩摩の国を見守る照島神社 いちき串木野市
hiroの部屋 照島神社 いちき串木野市

その翌日のの夕方、沖合いに、あの小舟がひょっこり現れました。
夕日をいっぱい受けた小舟は神々しいまでに光り輝いて右に左に傾きながらだんだん近づいてくるように思われました。
翌朝になって、ぴったりと照島の横に着いていたからです。

古により薩摩の国を見守る照島神社 いちき串木野市
hiroの部屋 照島神社 いちき串木野市

そこで村のおもだった人々が相談して、漁業の守り神として祀る事にしました。
こうして照島神社が建てられたそうですが、その時、村の人たちは争って、その舟の木を貰い受け、イカの引き餌をこさえたということです。

古により薩摩の国を見守る照島神社 いちき串木野市
hiroの部屋 照島神社 いちき串木野市

子供達が遊んでいます。
この頃が一番幸せなのかな~

場所はこちら↓
Google.png

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  1. 2013/09/21(土) 15:24:10|
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鹿児島の神社 戸柱公園の阿久根護国神社 鹿児島県阿久根市

国道3号線、阿久根市鶴見町交差点を阿久根市役所へ曲がり、少し走った所に、戸柱公園があります。
道が狭く車の離合が出来ないので注意が必要です。

戸柱公園から、光礁(ひかるぜ)が見えるとやって来たのですが、護国神社がありました。

戸柱公園の阿久根護国神社 鹿児島県阿久根市
hiroの部屋 戸柱公園の阿久根護国神社 鹿児島県阿久根市

奉納箱裏に、「阿久根護国神社」と記載があります。

戸柱公園の阿久根護国神社 鹿児島県阿久根市
hiroの部屋 戸柱公園の阿久根護国神社 鹿児島県阿久根市

社会福祉法人阿久根市社会福祉協議会が事業を行っているようです。

戸柱公園の阿久根護国神社 鹿児島県阿久根市
hiroの部屋 戸柱公園の阿久根護国神社 鹿児島県阿久根市

戸柱公園から、光礁(ひかるぜ)が見えます。

光礁(ひかるぜ) 鹿児島県阿久根市
hiroの部屋 光礁(ひかるぜ) 鹿児島県阿久根市

鳥居が立っている岩が、光礁(ひかるぜ)です。


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  1. 2013/04/13(土) 16:46:29|
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臨済宗相国寺派 鎮国山感応寺 出水市野田町下名

出水の越冬鶴の撮影の時に、県道368号線を走るのですが、肥薩おれんじ鉄道野田郷駅を過ぎた所に、「感応禅寺」の案内板があり、気になっていました。

山門仁王像が立っています。
開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対として、寺院の表門などに安置することが多い。
寛延4年(1751年)建立されており、出水市の文化財に指定されているそうです。

臨済宗相国寺派 鎮国山感応寺 出水市野田町下名
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右側が、阿形(あぎょう)像ですね。
阿形像は怒りの表情を顕わにしているそうです。

臨済宗相国寺派 鎮国山感応寺 出水市野田町下名
hiroの部屋 臨済宗相国寺派 鎮国山感応寺 出水市野田町下名

左側の、吽形(うんぎょう)像です。
吽形像は怒りを内に秘めた表情に表しているそうです。
こうした造形は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての性格を表しているそうです。

臨済宗相国寺派 鎮国山感応寺 出水市野田町下名
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立派な鐘楼ですね。

臨済宗相国寺派 鎮国山感応寺 出水市野田町下名
hiroの部屋 臨済宗相国寺派 鎮国山感応寺 出水市野田町下名

子安地蔵尊です。

臨済宗相国寺派 鎮国山感応寺 出水市野田町下名
hiroの部屋 臨済宗相国寺派 鎮国山感応寺 出水市野田町下名

右のソテツは、出水市の文化財に指定されています。

臨済宗相国寺派 鎮国山感応寺 出水市野田町下名
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市指定文化財 五廟社(ごびょうしゃ)
 五廟社とは、島津初代忠久から5代貞久までの墓のことで、初代から4代忠宗までは鎌倉時代、5代は南北朝時代初期に建立された。
 この中で初代忠久と二代忠時は鎌倉在勤中に彼の地で没し、鎌倉にも墓があるので、こちらの方は分骨の墓所である。
 薩摩藩26代藩主斉宣が石塔に廟堂を建立したが、現存していない。
 廃仏毀釈の際は法名を神名に変え、明治8年に現在の形となる。
 明治13年に感応寺復興以後、寺で管理している。
 寺では毎年7月17日に六月灯を執り行い、島津5代の慰霊を行なっている。

臨済宗相国寺派 鎮国山感応寺 出水市野田町下名
hiroの部屋 臨済宗相国寺派 鎮国山感応寺 出水市野田町下名

向かって左から
 初代 忠久 法名:得仏大禅定門 神号:瑞宝常照彦命
 二代 忠時 法名:道仏大禅定門 神号:剣太刀聡心雄命
 三大 久経 法名:道忍大禅定門 神号:真明履道男命
 四代 忠宗 法名:道義大禅定門 神号:委錦風雅士命
 五代 貞久 法名:道鑑大禅定門 神号:上寿豊福彦命

臨済宗相国寺派 鎮国山感応寺 出水市野田町下名
hiroの部屋 臨済宗相国寺派 鎮国山感応寺 出水市野田町下名

 島津 忠久(しまづ ただひさ)は平安時代末期から鎌倉時代前期の武将。鎌倉幕府御家人。島津氏の祖。正式には惟宗忠久という。
 島津 忠時(しまづ ただとき)は鎌倉時代前期から中期にかけての武将。島津氏の2代当主。父は初代当主・島津忠久。母は畠山重忠の娘(異説あり)。鎌倉幕府御家人。初名は忠義。のちに忠時に改名する。
 島津 久経(しまづ ひさつね)は鎌倉時代中期の武将。島津氏の第3代当主。鎌倉幕府御家人。第2代当主・島津忠時の嫡男。初名は久時。
 島津 忠宗(しまづ ただむね)は鎌倉時代中期から末期にかけての武将。島津氏の第4代当主。鎌倉幕府御家人。第3代当主・島津久経の嫡男。母は相馬胤綱の娘。
 島津 貞久(しまづ さだひさ)は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての武将。島津氏第5代当主。薩摩・大隅・日向の守護大名。島津忠宗の嫡男。領国の在地化を進め、島津氏の守護大名としての基礎を作った。


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  1. 2013/02/24(日) 13:06:26|
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鷹之巣神社のイチイガシ・ナギ 薩摩川内市入来町浦之名

薩摩川内市指定文化財
鷹之巣神社のイチイガシ・ナギ
 昭和49年7月1日指定
 管理者 市野々自治会
1.イチイガシ(ブナ科常緑樹)
  周囲 4.40m
2.ナギ(イヌマキ科常緑樹)
  周囲 2.30m

鷹之巣神社のイチイガシ・ナギ 薩摩川内市入来町浦之名
hiroの部屋 鷹之巣神社のイチイガシ・ナギ 薩摩川内市入来町浦之名

 イチイガシは「一位樫」とも表記され、関東以西の本州・九州などの温暖な地のほか、韓国・台湾等にも分布し、その材質から船の材料として使われます。
 ナギも本州南岸・四国・九州及び南西諸島・台湾などの温暖な地域に分布しています。
 鷹之巣神社のナギは鹿児島県内でも数少ない大木で、イチイガシとともに多くの神社の境内に植えられ、今もなお大切に守られています。

鷹之巣神社のイチイガシ・ナギ 薩摩川内市入来町浦之名
hiroの部屋 鷹之巣神社のイチイガシ・ナギ 薩摩川内市入来町浦之名

鷹之巣神社にまつわる伝説
 昔、市野々(いちのの)のこの鷹之巣神社のお宮の森に、どこからともなく鷹が舞い降りて巣を作りました。そこで育った三羽の鷹の子は成長し、牟礼山に飛んで行きました。

鷹之巣神社のイチイガシ・ナギ 薩摩川内市入来町浦之名
hiroの部屋 鷹之巣神社のイチイガシ・ナギ 薩摩川内市入来町浦之名

 その頃この山では、毒蛇が多くの人々を悩ましていました。三羽の鷹の子は、付近の毒蛇をことごとく食い殺したので、人々は安心して暮らせるようになり、その鷹の子を清浦の鷹ノ子岳に鷹子神社を建て神として祀りました。
 ところが、二羽が串木野の羽島へ飛び去り、その地で祀られたため、鷹子神社には残った一羽が祀られています。


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  1. 2012/12/23(日) 12:17:05|
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鹿児島の神社 新田神社 降来橋 鹿児島県薩摩川内市

鹿児島県薩摩川内市の新田神社の二の鳥居です。

鳥居(とりい) : 神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である。

新田神社 二の鳥居 鹿児島県薩摩川内市
hiroの部屋 新田神社 二の鳥居 鹿児島県薩摩川内市

二の鳥居の奥に橋が見えます。
降来橋です。

新降来橋と降来橋があります。
太鼓橋が新降来橋です。

新田神社 新降来橋 鹿児島県薩摩川内市
hiroの部屋 新田神社 新降来橋 鹿児島県薩摩川内市

薩摩川内市指定文化財
降来橋(こうらいばし)と擬宝珠(ぎぼうしゅ)
昭和61年3月26日指定
 鎌倉時代中期の、正応3年(1290)新田八幡宮の降来橋において舞楽が催されたとの記録があり、この橋の由来は古く昔の盛時がしのばれる。
 降来橋の下を流れる川を「忍穂井川(しおいがわ)」といい、橋から南に「八丁馬場」と呼ぶ参道が直線に伸びて、その入口は川内川に通じていた。その参道の両側に寺院が立ち並び「新田神社十二坊」と称されていた。

新田神社 降来橋 鹿児島県薩摩川内市
hiroの部屋 新田神社 降来橋 鹿児島県薩摩川内市

 慶長7年(1602)島津義弘が、神社の神殿を修復した際、この降来橋の欄干に刻銘入り青銅製擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ)八個が取付けられたが、現在ははずされ、宝物殿に大切に保管されている。
 太鼓橋は、明治25年11月に架け替えられたもので、長さ8m、幅5mである。

擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ) : 伝統的な建築物の装飾で橋や神社、寺院の階段、廻縁の高欄(手すり、欄干)の柱の上に設けられている飾りである。橋の擬宝珠には、その由来が刻まれている場合もある。


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  1. 2011/07/03(日) 19:30:41|
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新田神社の大楠 鹿児島県薩摩川内市

鹿児島県薩摩川内市にある新田神社の大楠です。

薩摩川内市指定文化財
新田神社の大楠
昭和46年11月1日指定
 クスノキは西日本に多く見られますが、自然の山林にはあまり見られず、人里周辺や神社などに多く見られます。樟脳(いわゆるカンフル)の原料となり、古来より防虫や鎮痛などに利用されるほか、丸木舟の材料にも使用されてきました。
 このクスノキは、根回り13.3m、目通り(幹回り)9.9m、枝張りが東西17.2m、南北は15.5m、高さ約20m余りで、根元近くは空洞になっています。樹齢2000年ともいわれていますが、年輪成長平均率からすると約650~800年と推定されます。

新田神社の大楠 鹿児島県薩摩川内市
hiroの部屋 新田神社の大楠 鹿児島県薩摩川内市

 地上2mのところに大穴牟遅神(おおあなむちのかみ 大国主の若き頃の名)の木造が彫刻してあります。この木造は、島津家の家老で、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて、島津義弘の影武者となり討死にした阿多長寿院盛淳(あたちょうじゅいんもりあつ)が自ら彫り、奉納したものと伝えられています。

新田神社の大楠 鹿児島県薩摩川内市
hiroの部屋 新田神社の大楠 鹿児島県薩摩川内市

 与謝野鉄幹・晶子夫妻が新田神社に参拝に訪れた際、詠んだ歌が残っています。

  可愛の山の 樟の大樹の 幹半ば
   うつろとなれど 広き蔭かな  
               与謝野鉄幹
               平成21年12月 薩摩川内市教育委員会


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鹿児島の神社 新田神社 鹿児島県薩摩川内市

勅鹿児島県薩摩川内市にある「新田神社」です。

右手に見えるのが、新田神社の大楠です。

新田神社勅使殿 鹿児島県薩摩川内市
hiroの部屋 新田神社勅使殿 鹿児島県薩摩川内市


新田神社勅使殿 鹿児島県薩摩川内市
hiroの部屋 新田神社勅使殿 鹿児島県薩摩川内市

勅使殿の彫刻です。

新田神社勅使殿 鹿児島県薩摩川内市
hiroの部屋 新田神社勅使殿 鹿児島県薩摩川内市


新田神社勅使殿 鹿児島県薩摩川内市
hiroの部屋 新田神社勅使殿 鹿児島県薩摩川内市


新田神社勅使殿 鹿児島県薩摩川内市
hiroの部屋 新田神社勅使殿 鹿児島県薩摩川内市

 明治7年(1874年)7月10日、明治天皇の裁可を経て可愛山陵が「邇邇芸尊陵」の指定を受け、大正3年(1914年)に宮内省直轄となる。
 新田神社のある神亀山の5分の4が陵墓の領域で、現在は宮内庁書陵部桃山監区可愛部事務所が置かれ、内閣府事務官が陵墓守部として管理している。
 陵墓と神社が一体となっているのは全国でも珍しい形態である。

新田神社勅使殿 鹿児島県薩摩川内市
hiroの部屋 新田神社勅使殿 鹿児島県薩摩川内市

 大正9年(1920年)3月30日・昭和天皇(当時の皇太子)参拝、昭和37年(1962年)今上天皇(当時の皇太子)及び皇后美智子(当時の皇太子妃)参拝、など皇族の参拝は9回にも及んでいる。

主祭神
 天津日高彦火邇邇杵尊(あまつひだかひこほのににぎのみこと)
 天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)


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可愛山稜 鹿児島県薩摩川内市

 新田神社右奥に、「可愛山稜」があります。

 可愛山陵は高屋山陵、吾平山陵と並び神代三山稜に数えられています。
 明治7年7月に天津日高彦瓊瓊杵尊(あまつひたかひこににぎのみこと)の墳墓と指定され、その領域は神亀山の5分の4にも及び、現在は宮内庁書陵部桃山監区可愛部事務所が置かれ、内閣府事務官が陵墓守部として管理している。

可愛山稜 鹿児島県薩摩川内市
hiroの部屋 可愛山稜 鹿児島県薩摩川内市

 社殿に上る石段の途中には御神木のクスなど緑が生い茂り、周囲には澄みきったやわらかい気が流れている。

可愛山稜 鹿児島県薩摩川内市
hiroの部屋 可愛山稜 鹿児島県薩摩川内市

 後の国学者や宮内庁の調査により、明治29年、宮崎県東臼杵郡北川町の可愛岳(えのだけ)山麓の古墳を「可愛山陵伝承地」、宮崎県西都市西都原古墳群にある男狭穂塚を「可愛山陵参考地」と定めた。
 また、可愛岳そのものが神陵であるという伝承もある。

 御陵のすぐ隣には、天津日高彦火邇邇杵尊を祀る創建は725年ともいわれる新田神社がある。
 新田神社は、薩摩の一の宮とされ古くから多くの参拝者が訪れている。
 陵墓と神社が一体となっているのは全国でも珍しい形態である。


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