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宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い

国道221号線荒ヶ田の信号を西へ560m行った所に「荒ヶ田(あらけだ)の田の神」が祀られています。
木の奥にいらっしゃいます。

宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い

「荒ヶ田(あらけだ)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像
形態:座位
像高:74cm
像幅:78cm
奥行:33cm
持ち物: 冠を被り、衣冠束帯で両手先よく分かりません。
彩色: 無し

宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い

首はセメント付けされています。

宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/05/15(土) 18:00:15|
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宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い

都城市岩満町巣立の道路沿いに「岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2」が祀られています。

やんちゃな田の神さぁです。
ネックレスをし、サングラスも似合っていますね。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い

ネックレス等外させていただきました。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い

「岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像
形態:座位
像高:75cm
像幅:70cm
奥行:40cm
持ち物:頭部は改作されていて、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 無し。

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い

目の前には、田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い

撮影後は、やんちゃな田の神さぁに戻すのでした。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/05/14(金) 18:00:14|
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宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い

「岩満町(いわみつちょう)の田の神」から東へ440m程先の右に「岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1」が祀られています。
道路沿いにいらっしゃるので、すぐに分かると思ったのですが、通り過ぎてしまいました。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い

「岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1」の詳細
建立年:安永5年(1777年)
型分類:神像型座像
形態:座位
像高:74cm
像幅:70cm
奥行:40cm
持ち物:冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で右手は欠損していて左手握り飯と思われます。
彩色: 無し。

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い

両手の袖が大きく広がっています。背筋を伸ばし、堂々とした田の神像です。切れ長の目がりりしい姿。コンクリートで土台に固めてあります。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い

目の前に田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い

次は、地元の方に教えていただいた「岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館

今回は、都城市の田の神さぁを巡ります。
都城市は広いので、沢山の田の神様がいらっしゃいます。
都城市北部からスタートです。
「岩満町(いわみつちょう)の田の神」は、都城市岩満町にある岩満営農研修館敷地内に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館


宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館

「岩満町(いわみつちょう)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像
形態:座位
像高:56cm
像幅:43cm
奥行:35cm
持ち物:被り物不明で、両手輪組と思われますがセメントで補強されています。
彩色: 無し。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館

頭巾を被り、着物は衣冠束帯と思われます。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館

目の前には、田んぼが広がっています。
住民に愛されている田の神さぁですね。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館

地元の方とお話しすることが出来ました。
この地区には3体の田の神様がいらっしゃって、場所を丁寧に教えていただきました。
ありがとうございます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/05/12(水) 18:00:12|
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宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神2 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

「福原(ふくはら)の田の神1」から西へ180m行った所に「福原(ふくはら)の田の神2」が祀られています。

今回で高原町の田の神さぁ巡りは終了です。

宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神2 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神2 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

「福原(ふくはら)の田の神2」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像
形態:座位
像高:70cm
像幅:45cm
奥行:35cm
持ち物:冠被り衣冠束帯(いかんそくたい)で両手組んで穴あり。
彩色: 無し。

宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神2 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神2 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

穴が開いています。

宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神2 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神2 西諸県郡高原町原福原 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/05/11(火) 18:00:13|
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宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

県道405号線上平踏切から小林方面へ260m走った所を右に入り、小道を290m行った所に「福原(ふくはら)の田の神1」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

「福原(ふくはら)の田の神1」の詳細
建立年:天明元年(1781年)?
型分類:神像型座像
形態:座位
像高:81cm
像幅:53cm
奥行:33cm
持ち物:衣冠束帯(いかんそくたい)で両手組穴あり。
彩色: 無し。

宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

高千穂峰が見えます。

宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

次は、「福原(ふくはら)の田の神2」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/05/10(月) 18:00:12|
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宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い

JRえびの高原線広原駅から高原方面へ370m程走り右手の小道に入り780m走った左手の民家の手前に「上村(うえむら)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い

「上村(うえむら)の田の神」の詳細
建立年:大正12年(1923年)
型分類:農民型
形態:椅像
像高:62cm
像幅:32cm
奥行:37cm
持ち物:ショケ被り長袖上衣(うえのきぬ)裁着袴(たっつけはかま)姿で右手にメシゲ左手杵の様な物を持っている。
彩色: 無し。

宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い

上衣(うえのきぬ):束帯・布袴(ほうこ)・衣冠のときに用いる上着
裁着袴(たっつけはかま):農民の仕事着

少し傾いています。

宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い

後ろに高千穂峰が見えます。

宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い

次は、「福原(ふくはら)の田の神1」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/05/09(日) 18:00:11|
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宮崎県の田の神さぁ 井出ノ上(いでのうえ)の田の神 西諸県郡高原町広原井出ノ上 王子神社境内

県道405号線(西麓小林線)沿い高原町立広原小学校南側交差点から東に入りY字路を左に道なりに460m行くと王子神社です。
王子神社に階段左手に「井出ノ上(いでのうえ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 井出ノ上(いでのうえ)の田の神 西諸県郡高原町広原井出ノ上 王子神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 井出ノ上(いでのうえ)の田の神 西諸県郡高原町広原井出ノ上 王子神社境内

「井出ノ上(いでのうえ)の田の神」の詳細
建立年:享保9年(1724年)
型分類:神像型椅像
形態:椅像(腰掛)
像高:85cm
像幅:78cm
奥行:50cm
持ち物:冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手組み、両手輪組で穴がある。
彩色: 無し。

宮崎県の田の神さぁ 井出ノ上(いでのうえ)の田の神 西諸県郡高原町広原井出ノ上 王子神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 井出ノ上(いでのうえ)の田の神 西諸県郡高原町広原井出ノ上 王子神社境内

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 井出ノ上(いでのうえ)の田の神 西諸県郡高原町広原井出ノ上 王子神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 井出ノ上(いでのうえ)の田の神 西諸県郡高原町広原井出ノ上 王子神社境内


宮崎県の田の神さぁ 井出ノ上(いでのうえ)の田の神 西諸県郡高原町広原井出ノ上 王子神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 井出ノ上(いでのうえ)の田の神 西諸県郡高原町広原井出ノ上 王子神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 井出ノ上(いでのうえ)の田の神 西諸県郡高原町広原井出ノ上 王子神社境内

次は、「上村(うえむら)の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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宮崎県の田の神さぁ 三福神(さんぷくじん)の田の神 西諸県郡高原町広原三福神 道路沿い

あさひ生コン株式会社高原工場側の国道221号線T字路交差点から県道405号線(西麓小林線)へ入り小林方面へ。230m先右手の小道に入り520m行った所の左側道路脇に「三福神(さんぷくじん)の田の神」が祀られています。

最初、田の神さぁが一体しかないと思いました。
左側の田の神さぁが枯れた笹の葉で埋まり頭部しか見えていない状態でした。
枯れた笹の葉や竹を取り去りました。

宮崎県の田の神さぁ 三福神(さんぷくじん)の田の神 西諸県郡高原町広原三福神 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 三福神(さんぷくじん)の田の神 西諸県郡高原町広原三福神 道路沿い

「三福神(さんぷくじん)の田の神(左)」の詳細
建立年:不詳
型分類:武神像
形態:座位
像高:80cm
像幅:70cm
奥行:測定不可
持ち物:判別出来ませんでした。
彩色: 無し。

宮崎県の田の神さぁ 三福神(さんぷくじん)の田の神 西諸県郡高原町広原三福神 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 三福神(さんぷくじん)の田の神 西諸県郡高原町広原三福神 道路沿い

「三福神(さんぷくじん)の田の神(右)」の詳細
建立年:不詳
型分類:武神像
形態:座位
像高:80cm
像幅:70cm
奥行:測定不可
持ち物:判別出来ませんでした。。
彩色: 無し。

宮崎県の田の神さぁ 三福神(さんぷくじん)の田の神 西諸県郡高原町広原三福神 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 三福神(さんぷくじん)の田の神 西諸県郡高原町広原三福神 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 三福神(さんぷくじん)の田の神 西諸県郡高原町広原三福神 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 三福神(さんぷくじん)の田の神 西諸県郡高原町広原三福神 道路沿い

次は、「井出ノ上(いでのうえ)の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/05/07(金) 18:00:09|
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宮崎県の田の神さぁ 祓川(はらいがわ)の田の神 西諸県郡高原町蒲牟田祓川 道路沿い

県道223号線(ひむか神話街道)祓川バス停側T字路から東へ890m程先のカーブ右側の祠に「祓川(はらいがわ)の田の神」が祀られています。

立派な祠です。

宮崎県の田の神さぁ 祓川(はらいがわ)の田の神 西諸県郡高原町蒲牟田祓川 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 祓川(はらいがわ)の田の神 西諸県郡高原町蒲牟田祓川 道路沿い

「祓川(はらいがわ)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像
形態:椅像(腰掛)
像高:60cm
像幅:40cm
持ち物:被り物なく、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手組まずに拳を握り麻靴を履く。
彩色: 袍(ほう)と袴(はかま)は赤色と白色。髪と目は黒色。

宮崎県の田の神さぁ 祓川(はらいがわ)の田の神 西諸県郡高原町蒲牟田祓川 道路沿い
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衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
袍(ほう):公家の装束の盤領 (まるえり) の上衣
袴(はかま):日本で下半身に着用する伝統的な衣類の一つ

宮崎県の田の神さぁ 祓川(はらいがわ)の田の神 西諸県郡高原町蒲牟田祓川 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 祓川(はらいがわ)の田の神 西諸県郡高原町蒲牟田祓川 道路沿い
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高千穂峰が見えます。

宮崎県の田の神さぁ 祓川(はらいがわ)の田の神 西諸県郡高原町蒲牟田祓川 道路沿い
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次は、高原町北部の「三福神(さんぷくじん)の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/05/06(木) 18:00:08|
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