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宮崎県の田の神さぁ 笛水(ふえみず)の田の神 都城市高崎町笛水 道路沿い

都城市高崎町笛水の道路沿いに「笛水(ふえみず)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 笛水(ふえみず)の田の神 都城市高崎町笛水 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 笛水(ふえみず)の田の神 都城市高崎町笛水 道路沿い

笛水(ふえみず)の田の神
設置場所: 道路沿い
建立年: 大正って書いてあるような
型分類: 神像型
形態: 上半身のみ
像高: 126cm
像幅: 59cm
奥行: 38cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)でメシゲを両手で胸の前で持っています。
彩色: 彩色無し

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 笛水(ふえみず)の田の神 都城市高崎町笛水 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 笛水(ふえみず)の田の神 都城市高崎町笛水 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 笛水(ふえみず)の田の神 都城市高崎町笛水 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 笛水(ふえみず)の田の神 都城市高崎町笛水 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 笛水(ふえみず)の田の神 都城市高崎町笛水 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 笛水(ふえみず)の田の神 都城市高崎町笛水 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 笛水(ふえみず)の田の神 都城市高崎町笛水 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 笛水(ふえみず)の田の神 都城市高崎町笛水 道路沿い

左には「豊作」
右には「大正○年」って書いてあるような・・・

宮崎県の田の神さぁ 笛水(ふえみず)の田の神 都城市高崎町笛水 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 笛水(ふえみず)の田の神 都城市高崎町笛水 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 笛水(ふえみず)の田の神 都城市高崎町笛水 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 笛水(ふえみず)の田の神 都城市高崎町笛水 道路沿い

旧高崎町の田の神さぁを見てきました。
まだ探しきれていない田の神さぁがありますが、一応高崎町の田の神さぁ巡りは終了します。

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/07(土) 18:00:14|
  2.  ┣ 都城市高崎町(田の神様)|
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宮崎県の田の神さぁ 江平炭床(えひらすみとこ)の田の神 都城市高崎町江平炭床 諏訪神社鳥居横

都城市高崎町江平炭床にある諏訪神社の鳥居横に「江平炭床(えひらすみとこ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 江平炭床(えひらすみとこ)の田の神 都城市高崎町江平炭床 諏訪神社鳥居横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 江平炭床(えひらすみとこ)の田の神 都城市高崎町江平炭床 諏訪神社鳥居横


宮崎県の田の神さぁ 江平炭床(えひらすみとこ)の田の神 都城市高崎町江平炭床 諏訪神社鳥居横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 江平炭床(えひらすみとこ)の田の神 都城市高崎町江平炭床 諏訪神社鳥居横

江平炭床(えひらすみとこ)の田の神
設置場所: 諏訪神社鳥居横
建立年: 宝暦14年(1764年)
型分類: 神像型椅像
形態: 椅像
像高: 105cm
像幅: 65cm
奥行: 43cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴はありません。
彩色: 彩色無し

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 江平炭床(えひらすみとこ)の田の神 都城市高崎町江平炭床 諏訪神社鳥居横
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宮崎県の田の神さぁ 江平炭床(えひらすみとこ)の田の神 都城市高崎町江平炭床 諏訪神社鳥居横
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宮崎県の田の神さぁ 江平炭床(えひらすみとこ)の田の神 都城市高崎町江平炭床 諏訪神社鳥居横
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宮崎県の田の神さぁ 江平炭床(えひらすみとこ)の田の神 都城市高崎町江平炭床 諏訪神社鳥居横
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宮崎県の田の神さぁ 江平炭床(えひらすみとこ)の田の神 都城市高崎町江平炭床 諏訪神社鳥居横
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宮崎県の田の神さぁ 江平炭床(えひらすみとこ)の田の神 都城市高崎町江平炭床 諏訪神社鳥居横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 江平炭床(えひらすみとこ)の田の神 都城市高崎町江平炭床 諏訪神社鳥居横


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/06(金) 18:00:13|
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宮崎県の田の神さぁ 前田谷川(まえだたにがわ)の田の神 都城市高崎町前田谷川 道路沿い

都城市高崎町前田谷川の道路沿いに「前田谷川(まえだたにがわ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 前田谷川(まえだたにがわ)の田の神 都城市高崎町前田谷川 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 前田谷川(まえだたにがわ)の田の神 都城市高崎町前田谷川 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 前田谷川(まえだたにがわ)の田の神 都城市高崎町前田谷川 道路沿い
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前田谷川(まえだたにがわ)の田の神
設置場所: 道路沿い
建立年: 享保9年(1724年)
型分類: 神像型椅像
形態: 椅像
像高: 82cm
像幅: 74cm
奥行: 54cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で、右手欠損し左手は輪を作り穴が開いています。
彩色: 彩色無し

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 前田谷川(まえだたにがわ)の田の神 都城市高崎町前田谷川 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 前田谷川(まえだたにがわ)の田の神 都城市高崎町前田谷川 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 前田谷川(まえだたにがわ)の田の神 都城市高崎町前田谷川 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 前田谷川(まえだたにがわ)の田の神 都城市高崎町前田谷川 道路沿い

高崎町指定有形文化財
指定番号 第6号
指定日:昭和57年
都城市指定有形文化財

稲が豊作であるように願いをこめて、享保9年に造立されたもので衣冠束帯装束の神官型の腰掛け座像である。この型で年号記入のものとしては旧島津藩領内で2番目に古いものである。

宮崎県の田の神さぁ 前田谷川(まえだたにがわ)の田の神 都城市高崎町前田谷川 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 前田谷川(まえだたにがわ)の田の神 都城市高崎町前田谷川 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 前田谷川(まえだたにがわ)の田の神 都城市高崎町前田谷川 道路沿い
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「享保九年甲辰」と書かれています。

宮崎県の田の神さぁ 前田谷川(まえだたにがわ)の田の神 都城市高崎町前田谷川 道路沿い
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右手欠損?左手は輪を作り穴が開いています。

宮崎県の田の神さぁ 前田谷川(まえだたにがわ)の田の神 都城市高崎町前田谷川 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 前田谷川(まえだたにがわ)の田の神 都城市高崎町前田谷川 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 前田谷川(まえだたにがわ)の田の神 都城市高崎町前田谷川 道路沿い
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/05(木) 18:00:12|
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宮崎県の田の神さぁ 前田栗巣(まえだくりす)の田の神 都城市高崎町前田栗巣 公民館

都城市高崎町前田栗巣にある栗巣公民館敷地内に、「前田栗巣(まえだくりす)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 前田栗巣(まえだくりす)の田の神 都城市高崎町前田栗巣 公民館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 前田栗巣(まえだくりす)の田の神 都城市高崎町前田栗巣 公民館


宮崎県の田の神さぁ 前田栗巣(まえだくりす)の田の神 都城市高崎町前田栗巣 公民館
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前田栗巣(まえだくりす)の田の神
設置場所: 公民館
建立年: 不詳
型分類: 神像型椅像
形態: 椅像
像高: 82cm
像幅: 65cm
奥行: 45cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手首先を欠損しています。
彩色: 彩色無し
栗巣公民館敷地内に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 前田栗巣(まえだくりす)の田の神 都城市高崎町前田栗巣 公民館
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宮崎県の田の神さぁ 前田栗巣(まえだくりす)の田の神 都城市高崎町前田栗巣 公民館
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宮崎県の田の神さぁ 前田栗巣(まえだくりす)の田の神 都城市高崎町前田栗巣 公民館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 前田栗巣(まえだくりす)の田の神 都城市高崎町前田栗巣 公民館

両手首先を欠損しています。

宮崎県の田の神さぁ 前田栗巣(まえだくりす)の田の神 都城市高崎町前田栗巣 公民館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 前田栗巣(まえだくりす)の田の神 都城市高崎町前田栗巣 公民館

首はセメント付けされています。

宮崎県の田の神さぁ 前田栗巣(まえだくりす)の田の神 都城市高崎町前田栗巣 公民館
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/08/04(水) 18:00:11|
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田田平(おおむたたびら)の田の神 都城市高崎町大牟田田平 山の斜面

都城市高崎町大牟田田平の山の斜面に「大牟田田平(おおむたたびら)の田の神」が祀られています。

傾斜のある場所に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 大牟田田平(おおむたたびら)の田の神 都城市高崎町大牟田田平 山の斜面
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田田平(おおむたたびら)の田の神 都城市高崎町大牟田田平 山の斜面
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 大牟田田平(おおむたたびら)の田の神 都城市高崎町大牟田田平 山の斜面

大牟田田平(おおむたたびら)の田の神
設置場所: 山の斜面
建立年: 不詳
型分類: 僧型
形態: 立位
像高: 70cm
像幅: 40cm
奥行: 30cm
持ち物: 頭部に頭巾を被り、長袴の僧衣で、右手にメシゲ左手に椀を持っています。
彩色: 顔と衣の一部が白色です。

メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 大牟田田平(おおむたたびら)の田の神 都城市高崎町大牟田田平 山の斜面
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田田平(おおむたたびら)の田の神 都城市高崎町大牟田田平 山の斜面
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 大牟田田平(おおむたたびら)の田の神 都城市高崎町大牟田田平 山の斜面


宮崎県の田の神さぁ 大牟田田平(おおむたたびら)の田の神 都城市高崎町大牟田田平 山の斜面
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 大牟田田平(おおむたたびら)の田の神 都城市高崎町大牟田田平 山の斜面

右手にメシゲを持ち前方に向けています。
左手に椀を持っています。

宮崎県の田の神さぁ 大牟田田平(おおむたたびら)の田の神 都城市高崎町大牟田田平 山の斜面
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田田平(おおむたたびら)の田の神 都城市高崎町大牟田田平 山の斜面
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/08/03(火) 18:00:10|
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田荒場(おおむたあらば)の田の神 都城市高崎町大牟田荒場 公民館

都城市高崎町大牟田荒場にある荒場公民館に「大牟田荒場(おおむたあらば)の田の神」が祀られています。

荒場公民館の入口に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 大牟田荒場(おおむたあらば)の田の神 都城市高崎町大牟田荒場 公民館
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田荒場(おおむたあらば)の田の神 都城市高崎町大牟田荒場 公民館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 大牟田荒場(おおむたあらば)の田の神 都城市高崎町大牟田荒場 公民館

大牟田荒場(おおむたあらば)の田の神
設置場所: 公民館
建立年: 不詳
型分類: 神像型椅像
形態: 椅像
像高: 85cm
像幅: 60cm
奥行: 40cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手首先を欠損しています。
彩色: 彩色無し

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 大牟田荒場(おおむたあらば)の田の神 都城市高崎町大牟田荒場 公民館
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田荒場(おおむたあらば)の田の神 都城市高崎町大牟田荒場 公民館
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田荒場(おおむたあらば)の田の神 都城市高崎町大牟田荒場 公民館
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田荒場(おおむたあらば)の田の神 都城市高崎町大牟田荒場 公民館
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両手首先を欠損しています。

宮崎県の田の神さぁ 大牟田荒場(おおむたあらば)の田の神 都城市高崎町大牟田荒場 公民館
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田荒場(おおむたあらば)の田の神 都城市高崎町大牟田荒場 公民館
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/08/02(月) 18:00:09|
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田鍋(おおむたなべ)の田の神 都城市高崎町大牟田鍋 道路沿い

都城市高崎町大牟田鍋の県道42号線都城野尻線を西側に200m程行った所に「大牟田鍋(おおむたなべ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 大牟田鍋(おおむたなべ)の田の神 都城市高崎町大牟田鍋 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田鍋(おおむたなべ)の田の神 都城市高崎町大牟田鍋 道路沿い
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大牟田鍋(おおむたなべ)の田の神
設置場所: 道路沿い
建立年: 不詳
型分類: 神像型椅像
形態: 椅像
像高: 56cm
像幅: 45cm
奥行: 30cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴があります。
彩色: 彩色無し

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 大牟田鍋(おおむたなべ)の田の神 都城市高崎町大牟田鍋 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田鍋(おおむたなべ)の田の神 都城市高崎町大牟田鍋 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田鍋(おおむたなべ)の田の神 都城市高崎町大牟田鍋 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田鍋(おおむたなべ)の田の神 都城市高崎町大牟田鍋 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田鍋(おおむたなべ)の田の神 都城市高崎町大牟田鍋 道路沿い
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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宮崎県の田の神さぁ 大牟田高坂(おおむたこうざか)の田の神 都城市高崎町大牟田高坂 高坂ふれあい公園

高崎町大牟田高坂にある「高坂ふれあい公園」の西側に「大牟田高坂(おおむたこうざか)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 大牟田高坂(おおむたこうざか)の田の神 都城市高崎町大牟田高坂 高坂ふれあい公園
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大牟田高坂(おおむたこうざか)の田の神
設置場所: 高坂ふれあい公園
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 87cm
像幅: 54cm
奥行: 54cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴があります。
彩色: 彩色無し

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

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あれ?

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貫通していますね。

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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/07/31(土) 18:00:07|
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宮崎県の田の神さぁ 東霧島松ヶ水流(まつがずる)の田の神 都城市高崎町東霧島松ヶ水流 水田沿い

高崎川西側にある水田沿いに「東霧島松ヶ水流(まつがずる)の田の神」が祀られています。
雑草が高く伸びていて、田の神さぁをすぐには見つける事が出来ませんでした。
少しだけ頭部が見えたので見つける事が出来ました。

宮崎県の田の神さぁ 東霧島松ヶ水流(まつがずる)の田の神 都城市高崎町東霧島松ヶ水流 水田沿い
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東霧島松ヶ水流(まつがずる)の田の神
設置場所: 水田沿い
建立年: 不詳
型分類: 僧型
形態: 0
像高: 58cm
像幅: 45cm
奥行: 30cm
持ち物: 頭部は欠損しています。衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組?で穴はありません。
彩色: 彩色無し
頭部は後付けでしょうか。首はセメント付けされています。

宮崎県の田の神さぁ 東霧島松ヶ水流(まつがずる)の田の神 都城市高崎町東霧島松ヶ水流 水田沿い
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/07/30(金) 18:00:06|
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宮崎県の田の神さぁ 縄瀬三和(なわぜみつわ)の田の神 都城市高崎町縄瀬三和 菅原神社鳥居前

ひむか神話街道から北へ750m行った所にある菅原神社鳥居前に「縄瀬三和(なわぜみつわ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 縄瀬三和(なわぜみつわ)の田の神 都城市高崎町縄瀬三和 菅原神社鳥居前
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宮崎県の田の神さぁ 縄瀬三和(なわぜみつわ)の田の神 都城市高崎町縄瀬三和 菅原神社鳥居前
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縄瀬三和(なわぜみつわ)の田の神
設置場所: 菅原神社鳥居前
建立年: 享保11年(1726年)
型分類: 神像型椅像
形態: 椅像
像高: 100cm
像幅: 90cm
奥行: 40cm
持ち物: 頭部は欠損しています。衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴はありません。
彩色: 彩色無し

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 縄瀬三和(なわぜみつわ)の田の神 都城市高崎町縄瀬三和 菅原神社鳥居前
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宮崎県の田の神さぁ 縄瀬三和(なわぜみつわ)の田の神 都城市高崎町縄瀬三和 菅原神社鳥居前
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頭部は欠損していて、五輪塔の上部のような物が乗せてあります。

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宮崎県の田の神さぁ 縄瀬三和(なわぜみつわ)の田の神 都城市高崎町縄瀬三和 菅原神社鳥居前
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/07/29(木) 18:00:05|
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