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国指定史跡 祇園原古墳群 宮崎県新富町

 一ツ瀬川左岸にある新田原台地(海抜約70m)に円墳、前方後円墳、方墳など大小あわせて207基が確認されています。
 1944年(昭和19年)11月13日に国の史跡に指定されました。

国指定史跡 祇園原古墳群 宮崎県新富町
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 「新田原古墳群」という名称は、国による史跡指定時に新田村(現在の新富町)にあった古墳を行政単位で指定措置した結果ですが2010年(平成22年)現在は、古墳の分布状況や築造時期から4つの古墳群に大別すべきと考えられていて、東から塚原古墳群、石船古墳群、山之坊古墳群、祇園原古墳群と呼ばれています。

国指定史跡 祇園原古墳群 宮崎県新富町
hiroの部屋 国指定史跡 祇園原古墳群 宮崎県新富町

 祇園原古墳群は、円墳138基、前方後円墳14基、方墳1基、墳形不明1基の合計154基が確認されています。
 石船古墳群の一部(第42~45号墳)は、1941年(昭和16年)の陸軍飛行場(現在の航空自衛隊新田原基地)建設に伴い、大師山公園に移転(縮尺を5分の1にして改葬)しました。

国指定史跡 祇園原古墳群 宮崎県新富町
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 1824年(文政7年)8月、天領右松村(現在の西都市)の「佐土原領入田村境界同意書」付図の中に入田村(旧新田村、現在の新富町)と右松村の境界に「セタヲ塚」を確認していて、前方後円墳の前方部分が西都市、後円部が新富町として、当時の境界が現在にも継承されています。

国指定史跡 祇園原古墳群 宮崎県新富町
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新田原古墳群は新富町が管理し、新富町教育委員会によって発掘調査が行われています。


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  1. 2020/03/28(土) 11:43:10|
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国指定史跡 松本塚古墳 宮崎県西都市

県指定史跡 松本古墳群
 西都市街地の南西約2.6㎞に位置する古墳群で、清水原台地の南側に広がる平野東部に分布しています。
 松本古墳群は、国指定史跡松本塚古墳の周辺に形成された円墳群で、一部は陪冢(ばいちょう)と考えられています。周囲は三納川流域に開かれた水田地帯で、国指定の松本塚古墳を含めて7基の古墳が現存しています。
 陪冢:大型の古墳に近接する小規模の古墳で、その大型古墳に関連して営まれたとされるもの。
 松本塚古墳に樹立された円筒・朝顔形埴輪と制作技法の一致する同時期の埴輪が2号・5号・6号墳から出土していることから、これらの古墳群と松本塚古墳の関係が認められます。
 埴輪の中には、衣笠形埴輪の一部と考えられる破片も出土していて、器材埴輪も含まれていたと考えられます。
 以前は旧三納村に所在している文化財として、三納村古墳という名称で昭和10年に県史跡に指定されていましたが、実際の古墳のグループを評価し、所在地の地名を付して、平成27年に名称を松本古墳群と改めました。

国指定史跡 松本塚古墳
 指定年月日:昭和19年3月7日  所在地:西都市大字三納字松本
 松本塚古墳は、三納川北側の沖積地に所在しています。周囲は田園地帯で障壁がなく、優美な墳丘全体を眺めることができ、地元では「船塚」と呼ばれ親しまれており、この地方では鵜葺草葺不合(ウガヤフキアエズ)尊陵として言い伝えられています。
 鵜葺草葺不合命は、「ニニギノミコト」と「コノハナサクヤヒメ」の子・「ヒコホホデミノミコト」(山幸彦)の子供で神武天皇の父親になります。
 昭和19年(1944年)に国史跡に指定されました。
 西都市内では4番目の大きさで、墳長:約104m・後円部径:約47.5m・墳丘高:約7.6mで、周溝を含めた全長は約149mで、周囲に陪塚(ばいちょう)と考えられる同時期の円墳を伴い、小グループを形成しています。

国指定史跡 松本塚古墳 宮崎県西都市
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 また、墳丘の規格が大阪羽曳野市に所在する軽里大塚古墳(かるさとおおつかこふん・5世紀後半)と相似形である可能性が指摘されています。
 昭和61年(1986年)〜62年(1987)年に行われた発掘調査で、墳丘周囲に廻る周溝や周提、前方部の側面に造出しという突出部が検出され、円筒埴輪・朝顔形円筒埴輪が出土しています。
 その際、周辺の三納古墳群24・25号墳も調査され、葺石(ふきいし)や周溝が確認でき、現在は削平されているが、本来の古墳の規模が復元できます。
 出土遺物は埴輪や須恵器破片があります。埴輪は円筒埴輪が中心ですが、24号墳からは蓋(きぬがさ)の一部と考えられる形象埴輪も出土しています。

国指定史跡 松本塚古墳 宮崎県西都市
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 松本塚古墳出土埴輪やこれら周辺の古墳出土遺物の時期から、5世紀後半〜末に築造されたものと推定できます。
 5世紀中葉〜後半は、4世紀〜5世紀前半に全盛を誇った西都原古墳群で首長墓である前方後円墳の築造が停滞し、他の古墳群に大型の前方後円墳が築造されるという特徴があり、5世紀後半〜末、一ツ瀬川流域最大規模の墳丘をもつ松本塚古墳はその代表例です。
 同時期の前方後円墳は西都原古墳群も含めて周辺には存在せず、首長墓の変遷を考える上では重要な古墳です。
 また、西都原古墳群・新田原古墳群・茶臼原古墳群が、地域最大規模の前方後円墳を台地上に築造するのに対して、三納古墳群や松本塚古墳が沖積地に築造されているのは特徴的です。
 宮崎平野部において、古墳時代前期・中期・後期といった時間軸の中で、古墳群の築造動向を比較する際、非常に重要な資料として位置づけられています。


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  1. 2020/03/08(日) 20:35:26|
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熊本県指定史跡 国指定史跡 大野窟古墳 八代郡氷川町大野

道の駅竜北氷川町竜北物産館で観光案内図を見ていると、「大野窟古墳」の表示があります。
すぐ近くなので行ってみることに。

良く見ていないと、案内板を見逃してしまいます。
道が狭いので、車は無理です。

熊本県指定史跡 国指定史跡 大野窟古墳 八代郡氷川町大野
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大野原台地にあるこの古墳は直径約39m、高さ11.5mの円墳で、西南の方向に開口する複室の横穴式石室をもつ。
石室の全長は12.4m、玄室の高さは6.48mあり、県下最大の規模を誇る。
玄室は長方形で、奥壁に石棚があり、その下にくり抜きの家形石棺と二つの屍床がある。
羨道、前室などに白、赤色の彩色が認められるが図柄はわからない。
成立年代は6世紀後半のものと考えられ、火君に関連する古墳と推定される。
熊本県指定史跡 昭和60年11月19日指定
大野窟古墳(あまのいわやこふん)

熊本県指定史跡 国指定史跡 大野窟古墳 八代郡氷川町大野
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案内板と記載内容が異なっていますが・・・
大野窟古墳(おおのいわやこふん)
全長約123mの前方後円墳。
古墳時代後期に築造された前方後円墳としては九州地方第2位の規模をもつ。
墳丘は2段に築かれ、周囲には部分的に濠がめぐる。
なお、墳丘の周辺では新羅系の陶質土器や阿蘇溶結凝灰岩製の石製表飾品が出土している。
埋葬施設は後円部南西側に入口をもつ複室構造の横穴式石室で、玄室部は長さ約5.2m、幅約2.9m、高さは6.48m(国内最高)を測り、奥壁に沿って石屋形が設けられ、その下に刳抜き式の家形石棺(2.4m×1.3m×0.9m)の身が置かれている。
床には屍床を仕切る石材のほか石棺蓋の破片が残る。
前室部は長さ約1.9m、幅約2.2m、高さ約1.9m、羨道部は長さ約3.5m、幅約1.8m、高さ約2.1mを測り、壁面には彩色らしきものが認められる。
副葬品等については不明。6世紀後半の築造。
県指定史跡、1984(昭和59)年指定。
国指定史跡、2013(平成25)年指定。


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  1. 2016/05/22(日) 14:16:04|
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熊本県指定史跡 国指定史跡 野津古墳群 八代郡氷川町野津

八代郡氷川町の国道3号線を走っていると、「野津古墳群(のづこふんぐん)」の看板が見えたので、ちょっと覗いてみることに。
こんな山の上に古墳があるの?って思いながら、細い山道を登って行きます。
道が無くなりました・・・

熊本県指定史跡 国指定史跡 野津古墳群 八代郡氷川町野津
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八代平野を眼下にした氷川右岸の丘陵に4基の前方後円墳がある。
北端の姫ノ城古墳は全長85メートルで、幅14メートルの周溝を持っている。開墾で削平された部分から円筒埴輪や須恵器、サシバ、キヌガサなどの石製品が出土している。
南端にある端ノ城古墳は全長66メートル、墳丘全体が公園化されている。周溝と思われるところから円筒埴輪が出土している。
西側にある物見櫓古墳は前方が低く、幅が狭い前方後円墳で、全長72メートル。周溝はない。
この他に中の城古墳(未指定)がある。全長98メートルで八代最大の前方後円墳であり、人物埴輪が出土している。
これらの古墳はいずれも6世紀頃のものと推定されており、この地域に勢力をもった火の君一族の墓とみられる。
熊本県指定史跡 昭和47年4月26日指定
野津古墳群
姫ノ城古墳、端ノ城古墳、物見櫓古墳
熊本県教育委員会

地元の方にお会いしたので、お話を伺いました。
目の前にあるのが端ノ城古墳でした。
樹に覆われていて、古墳とは思いませんでした。

熊本県指定史跡 国指定史跡 野津古墳群 八代郡氷川町野津
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熊本県指定史跡 国指定史跡 野津古墳群 八代郡氷川町野津
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野津古墳群
野津古墳群は、端の城古墳・中の城古墳・姫の城古墳・物見櫓古墳・天堤古墳の前方後円墳5基からなる6世紀の古墳群である。(天堤古墳は消滅)この時期、長さ100mに近い前方後円墳が同時期に集中して作られるのは、全国的に珍しいといわれている。
墳丘の改変が著しいが、たくさんの埴輪(人物埴輪・鶏の埴輪なども出土)、須恵器、特に全国で珍しい石石器(さしば・きぬがさなど)が出土している。
埋葬者は「火の君」あるいはその一族といわれているが、はっきりしたことはわかっていない。
環境庁
熊本県

地図からすると、中の城古墳のようです。

熊本県指定史跡 国指定史跡 野津古墳群 八代郡氷川町野津
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中の城古墳
全長約100mの前方後円墳。
墳丘は3段に築かれ、葺石、埴輪のほか石製表飾品を伴う。周囲には濠がめぐらされている。
埋葬施設は石屋形を備えた横穴式石室で、ガラス玉や鉄刀、甲冑、馬具などが出土している。6世紀前半の築造。


ここまでは、順調だったのですが、道脇の草木が切られたばかりの狭い道を走っている時に、鋭い木の枝がタイヤを傷つけパンクしてしまいました。
こんな山の中で・・・
とりあえず平坦な場所に車を停めスペアタイヤに交換です。
タイヤ交換20年以上やっていませんね。スカイラインに乗っていた時にタイヤ交換して以来ですね。
交換したところまでは良かったのですが、スペアタイヤの空気圧は一度も点検していなかったので、当然スペアタイヤはペチャンコです。
アルミホイールが傷付くより、まだスチールホイールの良いので、ペチャンコのスペアタイヤで下山です。
シェルスタンドの西日本フリート(株) ルート3八代北給油所へ入り、タイヤ交換を。
ブリジストン レグノGRV2 215/60/16のタイヤの在庫はなく、メーカーに連絡していただいたのですが、2時間待ち。
この間、スタンドの側の食堂「ドライブインなかがわ」で、やきめしを食べるのでした。
西日本フリートさん、お世話になりました。
ありがとうございました。

西日本フリート(株) ルート3八代北給油所
〒869-4802 熊本県八代郡氷川町高塚1206
0965-53-5021

ドライブインなかがわ
〒869-4802 熊本県八代郡氷川町高塚1203
0965-62-3571


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  1. 2016/05/22(日) 10:38:44|
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古代の証言者たち 持田古墳群 宮崎県高鍋町

宮崎県高鍋町の持田台地に持田古墳群があります。
4世紀から6世紀にかけて古墳時代の姿をとどめる85基の古墳群です。

古代の証言者たち 持田古墳群 宮崎県高鍋町
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魏の皇帝から邪馬台国の卑弥呼に贈られた100面の銅鏡のうちの1面が持田古墳から出土しているそうです。
邪馬台国と何か関係があったのでしょうか。

古代の証言者たち 持田古墳群 宮崎県高鍋町
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古墳からは国重要文化財指定の画文帯神獣鏡や装身具類、刀剣類が出土しているそうです。

古代の証言者たち 持田古墳群 宮崎県高鍋町
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古代の証言者たち 持田古墳群 宮崎県高鍋町
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  1. 2014/11/15(土) 14:32:55|
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国指定生目古墳群 宮崎市跡江地区

生目古墳群は宮崎市の跡江地区にある大古墳群で、今から1500年~1700年前に大淀川下流域で栄えた豪族たちの墓地です。
市街地が見下ろせる丘の上にあり、現在51墓の古墳があります。
今もなお発掘調査が続けられ、地下式横穴墓等が新たに発見されています。

山の様に見えますが、前方後円墳の3号墳です。
手前が前方部、奥が後円部です。
後円部の方が前方部より高くなっています。
この3号墳に登る事が出来ます。

国指定生目古墳群 宮崎市跡江地区
hiroの部屋 国指定生目古墳群 宮崎市跡江地区

5号墳は、5世紀の初め頃に造られた長さ57mの前方後円墳です。

国指定生目古墳群 宮崎市跡江地区
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この5号墳は、以前来た時は工事中でした。

九州で3番目に大きな古墳「生目3号墳」 生目古墳群

国指定生目古墳群 宮崎市跡江地区
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地下式横穴墓です。

国指定生目古墳群 宮崎市跡江地区
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  1. 2014/08/24(日) 14:41:26|
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西都原古墳群 宮崎県西都市

西都原古墳群の東側にある、第2古墳群へやって来ました。

子供達が網を持って虫取りをしています。
良い感じだな~
自転車に乗り、こちらの方へやって来ます。
「こんにちは」と挨拶され、こちらも「こんにちは」
次の子も、次の子も「こんにちは」「こんにちは」・・・
元気と幸せを貰った感じで、笑顔になりますね。

西都原古墳群 宮崎県西都市
hiroの部屋 西都原古墳群 宮崎県西都市

犬の散歩をしている人もいます。

西都原古墳群 宮崎県西都市
hiroの部屋 西都原古墳群 宮崎県西都市

木陰は涼しいですね。

西都原古墳群 宮崎県西都市
hiroの部屋 西都原古墳群 宮崎県西都市


西都原古墳群 宮崎県西都市
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木陰で、のんびりするのも良いですね。


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  1. 2014/06/29(日) 16:00:56|
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高崎町古墳 宮崎県文化財

高崎町古墳は、1942(昭和17)年に宮崎県の文化財に指定されました。
古墳群としては、塚原地区と横谷地区に分かれています。

hiroの部屋 高崎町古墳 宮崎県文化財

塚原地区にある前方後円墳は、北諸地区では最大の規模です。
これらの古墳が造られたのは、古墳時代中頃(約1500年前)と考えられます。

hiroの部屋 高崎町古墳 宮崎県文化財

番号 墳型    規模(m)
1 前方後円墳 全長65.5 高さ6.0
2   円墳    径27.0 高さ4.1 
3   円墳    径11.0 高さ1.2
4   円墳    径26.0 高さ2.5
5   円墳    径30.0 高さ3.6
6   方墳      消失
7   円墳    径10.0 高さ2.4
8   円墳    径 9.5 高さ1.0
9   円墳    径 4.5 高さ0.7
10  円墳   径 4.4 高さ0.9
11  円墳   径28.0 高さ3.7
12  円墳   径 3.2 高さ0.5
13  円墳   径 7.2 高さ1.2
14  円墳     消失
15  円墳     消失
16  円墳   径 7.7 高さ2.1
17  円墳   径19.0 高さ19
18  円墳   径14.0 高さ2.0
19  円墳   径11.0 高さ1.3
20  円墳   径12.0 高さ4.1
21  円墳   径10.5 高さ1.2
22  円墳   径 9.0 高さ1.5
23  円墳   径 6.0 高さ1.3
24  円墳   径 3.5 高さ1.1
25  円墳   径 4.0 高さ1.2
26  円墳   径14.3 高さ1.9
27  円墳   径 6.0 高さ2.1
28  円墳   径16.8 高さ1.9
29  円墳     実測なし


西都や新富の古墳群は有名ですが、高崎町にこんなに綺麗な古墳群があるのは知りませんでした。


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  1. 2009/11/28(土) 23:37:38|
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木城町 永山古墳

町指定文化財 永山古墳 指定年月日 昭和59年12月7日

この永山古墳は、6世紀後半に造られた円墳であります。
この城山公園駐車場整備工事の際、塚状の高まりが確認されたので、木城町教育委員会が主体となり、昭和56年に宮崎県教育委員会により試掘調査が実施されました。調査の結果、内部が横穴式石室の古墳であることが分かりました。
横穴式石室とは、朝鮮半島より伝わってきた埋葬設備であり、追葬、合葬が可能な入口部を持ち、石を丁寧に積み上げて造られた墓室であります。県内では西都原古墳群にある鬼ノ窟古墳(西都市)、狐塚古墳(日南市)、野首第一遺跡(高鍋町)で確認された円墳などでこの石室が使われています。また全国的に規模が大きいと考えられるのは、蘇我馬子の墓とよばれる石舞台古墳(奈良県明日香村)が有名です。

hiroの部屋 木城町 永山古墳

これらの石室から当時の我が国と朝鮮半島との技術の交流が理解できます。
さて、この永山古墳の発掘調査から見つかったものは、朝鮮半島から製造方法が伝わったといわれる、須恵器(すえき)と呼ばれるものが主で、薄手で焼かれた土師器(はじき)と呼ばれるものもあります。他には、玉類や鉄器など見られていますが、これらのうち鉄器については、馬に乗る道具である馬具や軍事的要素を持つ鉄鏃、直刀などがあります。

hiroの部屋 木城町 永山古墳

これらの副葬品から、被葬者は軍事的な力を持つ豪族の可能性が考えられます。
また、これらの古墳は規模や形状によっては、その埋葬されている被葬者の地位、実力などが分かることがあります。当時の政治の中心であった天皇や豪族の古墳は大規模な前方後円墳が主であります。永山古墳の被葬者も当時の木城町周辺に影響を与える何らかの実力者であった可能性が考えられます。
平成18年 木城町教育委員会




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  1. 2008/07/21(月) 22:45:00|
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茶臼原古墳群 千畑古墳 新田原古墳群 古墳が沢山です

木城町からの帰り道、西都市茶臼原を走っていると、ナビに「茶臼原古墳群」の表示が!
ちょっと寄ってみましょう。


国指定 茶臼原古墳群(ちゃうすばるこふんぐん)

指定日:昭和48年8月18日指定
所在地:西都市大字穂北・茶臼原
 九州山地が南東に岬状に延びた標高130mほどの茶臼原台地上に分布し、南側眼下には穂北平野が広がり、その北部を一ツ瀬川が東流して周辺の水田地帯を潤している。なお、この茶臼原台地の南側及び西側傾斜地には千畑古墳をはじめ千畑・上江・野竹横穴墓など多く横穴墓が群在し、さらに、一ツ瀬川を隔てた対岸には西都原古墳群を眺望することができる。
西都市HP「西都市の文化財」より


hiroの部屋 茶臼原古墳群

お茶畑の中に円墳があります。

hiroの部屋 茶臼原古墳群

この先にも、古墳群があるとナビが教えています。
あまり聞いた事がない名前だなあ~

国指定 千畑古墳(ちばたけこふん)

指定日:昭和9年5月1日指定
所在地:西都市大字穂北千畑
 一ツ瀬川の左岸茶臼原台地上には前方後円墳3基・円墳52基で構成された茶臼原古墳群(国指定)が分布しており、千畑古墳はその茶臼原台地の南側傾斜面に位置している。この周辺傾斜面には千畑横穴墓群をはじめ上江、野竹横穴墓群など約50基の横穴墓も群在している。

 自然の傾斜面を前方後円墳に造形した有石室古墳で、石室は切石を横積みし、天井には巨大な板石が使用され、県内でも最大級の規模を有している。石室の全長9.2m、玄室の幅2.7m、高さ2.8m、羨道の長さ1.7m、高さ1.5mを測る。

 千畑古墳の築造年代は、古墳時代後期のものと推定されるが、鬼の窟古墳(西都原古墳)同様巨石を使用した大型の有石室古墳として学術的に価値が高い古墳である。
西都市HP「西都市の文化財」より


この坂道を登った所にあります。

hiroの部屋 千畑古墳群

千畑古墳は茶臼原台地から突出した一丘陵を、前方後円形式の古墳として造形し、その中腹に横穴式の石室を造った有石室古墳である。
石室の内部は、羨道の長さ3.4m、幅1.7m、高さ1.5m、玄室は長さが4.9m、幅2.7m程もあり側壁は巨大な石を積み上げ、玄室部分の上部には2個の巨大な石がその役割を果たしている。
石室に使用している石は一ツ瀬川上流のものと同じで、火成岩系の石が主に使われている。
平成3年12月
西都市教育委員会


入口が見えてきました。
草木が茂っています。

hiroの部屋 千畑古墳群

奥の方は、真っ暗です。
中に入ってみましょう。

hiroの部屋 千畑古墳群

真っ暗で、良く見えないのですが、とりあえシャッターを切りました。

hiroの部屋 千畑古墳群

天井も撮っておきましょう。
暗くて狭いの嫌だな~

hiroの部屋 千畑古墳群

中に入れる古墳があるとは思ってもみませんでした。
見に来て良かった。

駐車場がすぐ側にあります。

新田原古墳群にも行ってみましょう。
新田原古墳群(にゅうたばるこふんぐん)

町の台地面の北西部から南部にかけて分布する古墳群で、前方後円墳26基、円墳179基、
方墳2基の総数207基があります。
分布の集中は東から塚原、石船、山之坊、祇園原・春日の各地区で、それぞれ別個の
古墳群であると考えられます。
特に祇園原古墳群では総数154基の古墳があり、その築造は6世紀が最盛期で、
古墳時代後期の宮崎県内で最大規模になります。
最近の調査で、祇園原古墳群の百足塚古墳から「人物」「鶏」「鹿」「家」「柵」などの
形象埴輪が発見されてます。
新富町HPより


祇園原古墳群(ぎおんばるこふんぐん)

新田原古墳群は新富町大字新田(にゅうた)西都市右松(みぎまつ)にある国指定史跡です。
その分布は一ツ瀬川左岸台地上で、4つの地域に集中しているため、それぞれ塚原古墳群(つかばるこふんぐん)、岩船古墳群(いわふねこふんぐん)、山之坊古墳群(やまのぼうこふんぐん)、祇園原(ぎおんばるこふんぐん)と呼んでいます。
祇園原古墳群には前方後円墳14基、方墳1基、円墳139基の合計154基の古墳があり、古墳の多くは6世紀(古墳時代後期)に造られています。
発掘調査はあまり行われていませんが、平成9年度から始まった百足塚古墳(むかでづかこふん)の調査では周溝(古墳のまわりの堀)に転落していた埴輪(はにわ)が多数発見され、宮崎県でもめずらしい人物、鳥形、家形、柵形などの埴輪が復元されています。
平成4年度にはBグループで円墳の周溝から地下式横穴墓(ちかしきよこあなぼ)などが発見されています。
52号墳から発見された大刀の単龍環状柄頭は当時の中央政権から配布された威信具(いしんぐ:権力を表したもの)でしょう。
祇園原古墳群の前方後円墳の多くは6世紀において日向地方最大であり、当時の首長達の墓であろうと考えられています。
平成15年3月31日
新富町教育委員会


hiroの部屋 新田原古墳群

弥吾郎塚

hiroの部屋 新田原古墳群

今日は、古墳めぐりでした。
千畑古墳は中に入れたのが良かったですね。

宮崎再発見ですね。



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  1. 2008/07/21(月) 22:44:00|
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