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伊東四十八城「綾城」 宮崎県東諸県郡綾町

綾城(あやじょう)は、現在の宮崎県綾町にあったとされる山城です。

綾城のはじまりは、今からおよそ690年前の元弘年間(1331年~1334年)足利尊氏(あしかがたかうじ)の家臣であった細川小四郎義門(ほそかわこしろうよしかど)がこの地方に下向を命ぜられ、その子細川義遠が収納使として綾を領有し、綾に山城を構え、綾氏と称したころと考えられています。
綾氏は数代城主としてこの地方を治めていましたが、室町時代八代将軍足利義政のころ、都於郡城(とのこおりじょう)を根拠として日向の国の一大豪族となった伊東氏の家臣となりました。したがって、綾城も伊東氏四十八城の一つとなり、島津氏と戦う伊東方の重要な役割を果たしました。

伊東四十八城:日向国の戦国大名 伊東義祐、及びその後継である伊東義益の最盛期における、版図内に存在した48の外城及び砦の名数です。

伊東四十八城「綾城」 宮崎県東諸県郡綾町
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伊東四十八城「綾城」 宮崎県東諸県郡綾町
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都於郡城(とのこおりじょう)主三位入道伊東義祐は野尻城などの謀反により島津に追われる身となり、1577年(天正5年)豊後に落ち延びることとなりました。伊東義祐を城内に迎え入れた綾城主佐土原江守と田中国広は島津の追手から身を守る算段をととのえ、その策を伊東義祐に進言するのでした。

伊東四十八城「綾城」 宮崎県東諸県郡綾町
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伊東氏衰退後は島津氏の支城となりましたが、1615年に江戸幕府の一国一城令により廃城になるまでの二百七十余年、綾城は日向の国の山城のまもりでした。

伊東四十八城「綾城」 宮崎県東諸県郡綾町
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現在の綾城は日本城郭協会に依頼した中世山城の築城について考察を依頼し、数次にわたる調査に基づいた考察により想定され、昭和60年春に戦国初期城楼建造物として構築されました。当時の綾城がこのような城であったと思いたいですね。

伊東四十八城「綾城」 宮崎県東諸県郡綾町
hiroの部屋 伊東四十八城「綾城」 宮崎県東諸県郡綾町

城内は歴史資料館として綾の歴史の歩みを振り返ることができるとともに、日本一の刀鍛治といわれた田中国廣の刀が展示されています。

伊東四十八城「綾城」 宮崎県東諸県郡綾町
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薄明りの荘厳な工房
刀工師は、数多くの職人のなかでも、とくに格式高く位置づけられました。自分の生涯を一瞬に凝縮して、渾身の気迫で日常を超える力を追求したのが刀工師です。
この場面は、玉鋼(たまはがね)の処理に始まる幾種もの作刀工程のなかで、「素延べ」と呼ばれるもので、仕上りを考えた念入りな成形技法によって刀の原形がここでやっと見えてきます。
このあと、さらに「焼入れ」や「仕上げ」など緊迫した「技」が続きます。

伊東四十八城「綾城」 宮崎県東諸県郡綾町
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刀工田中国廣は、綾町の古屋地区で生まれ、幼い頃から父旅泊の元で鍛刀に励み伊東氏に仕えていました。
田中国廣は文武両道に秀れ、伊東氏が没落して豊後に落ちる際、伊藤マンショ(満千代)の侍臣としての功績も残しています。京に出て修行を重ねた田中国廣は石田三成など中央の人々とも交わり、新刀の開祖とまでいわれるようになりました。
天正14年(1586年)に打った刀は日州古屋住国廣作として国の重要文化財に指定されています。

伊東四十八城「綾城」 宮崎県東諸県郡綾町
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綾町では昭和45年に田中国廣が住んでいた跡地に記念碑、昭和61年田中国廣ゆかりの綾城にブロンズ像を建立してその偉績を顕彰しています。

伊東四十八城「綾城」 宮崎県東諸県郡綾町
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  1. 2021/03/28(日) 11:13:49|
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宮崎の神社 高都萬神社(たかつまじんじゃ) 小林市野尻町東麓

高都萬神社
住所:宮崎県小林市野尻町東麓539
御祭神:猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
創立年月日:不詳

古来「大王権現」と称されていました。

宮崎の神社 高都萬神社(たかつまじんじゃ) 小林市野尻町東麓
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皇紀2600年(昭和15年)記念事業として現在の本殿・拝殿が造営されました。

宮崎の神社 高都萬神社(たかつまじんじゃ) 小林市野尻町東麓
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宮崎の神社 高都萬神社(たかつまじんじゃ) 小林市野尻町東麓
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サルタヒコ
猿田毘古神、猿田毘古大神、猿田毘古之男神、猿田彦命
「古事記」及び「日本書紀」の天孫降臨の段に登場する。天孫降臨の際に、天照大御神に遣わされた邇邇芸命(ににぎのみこと)を道案内した国津神。


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  1. 2021/02/28(日) 17:24:22|
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宮崎の神社 舞鶴神社 児湯郡高鍋町

児湯郡高鍋町にある舞鶴神社です。

【舞鶴神社】
 昔の政治は祭政一致でした。それ政治は神仏を祭ることから始め、神仏の御加護によって国家の安泰を計り、政治の万全を期するためでした。
 秋月氏も、舞鶴城内の各所に八幡宮、天満宮、白山神社、財部大明神、龍宮の神々を奉斉して、藩の隆昌を祈念せられ、五神殿様として厚く尊崇されました。 
 明治4年(1871年)廃藩置県に際し現在の地に社を建て五社を合祀して旧城名に因み舞鶴神社と称するようになりました。

宮崎の神社 舞鶴神社 児湯郡高鍋町
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御祭神
一、八幡宮
 武道の神として
 応神天皇(おうじんてんのう第15代天皇)、
 住吉三神
 ・底筒男神(そこつつおのかみ)、
 ・中筒男神(なかつつおのかみ)、
 ・上筒男神(うわつつおのかみ)
 伊邪那岐命が「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で、黄泉国の汚穢を洗い清める禊を行った。
 このとき、瀬の深いところで底筒男神が、
 瀬の流れの中間で中筒男神が、
 水表で上筒男神が、それぞれ生まれ出たとされる。

宮崎の神社 舞鶴神社 児湯郡高鍋町
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一、天満宮
 学問の神として菅原道真公を祀る
 秋月氏が高鍋就封の際、旧領太宰府天満宮の分霊を移し祀ったものです

宮崎の神社 舞鶴神社 児湯郡高鍋町
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一、白山神社
 秋月氏の遠祖、
 ・漢高祖(劉邦(りゅうほう)は、前漢の初代皇帝。)、
 ・後漢霊帝(中国後漢の第12代皇帝)、
 ・阿知使王(応神天皇時代の漢人系渡来人で、東漢氏の祖と言われる。)
 を祖神とし、
 ・大蔵春實(おおくらのはるざね)(平安時代中期の貴族・武人。官位は従五位下・対馬守兼大宰大監。子孫は九州に土着し、大宰府の官人を世襲する。)
 以下秋月家代々の神霊を祀る

宮崎の神社 舞鶴神社 児湯郡高鍋町
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一、財部大明神
 財部城主初代の
 土持直綱(つちもちひさつな)(安土桃山時代の武将。土持親成の養子。)公命を祀る

宮崎の神社 舞鶴神社 児湯郡高鍋町
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一、竜宮
 水の神、農の神として闇淤加美神を祀る

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  1. 2020/12/12(土) 12:53:17|
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宮崎の神社 今村神社 延岡市北方町上鹿川

林の中に鳥居が見えます。
今村神社と書かれています。

宮崎の神社 今村神社 延岡市北方町上鹿川
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詳細は分かりませんが、神楽を舞う様な感じですね。

宮崎の神社 今村神社 延岡市北方町上鹿川
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  1. 2020/11/14(土) 15:10:38|
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宮崎の神社 鹿川神社 西臼杵郡日之影町七折

鹿川神社にやって来ました。
案内板はありません。
山の紅葉が奇麗だな~と、車を停めたら鳥居が見えました。

宮崎の神社 鹿川神社 西臼杵郡日之影町七折
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御祭神
 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
 伊邪那美命(いざなみのみこと)
 事逆解男命(ことさかわけをのみこと)
 黒尊神石

宮崎の神社 鹿川神社 西臼杵郡日之影町七折
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宝永5年(1708年)12月9日、三神を勧請し熊野三社大権現と称し、産土神として尊崇してきました。
境内に大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る黒尊神石があり、村民の一人が霊夢により見い出して祭祀したものと伝えられています。

宮崎の神社 鹿川神社 西臼杵郡日之影町七折
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年々正月十六日、霊夢の縁起の日を祭日にしていますが、霊験あらたかなる石と言われています。
「日向地誌」によると、当社祭神について伊弉冉尊、事逆解男命、速玉男命を合祀すると記載されています。
明治四年鹿川神社と改称され現在に至ります。

宮崎の神社 鹿川神社 西臼杵郡日之影町七折
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合社記念碑があります。

宮崎の神社 鹿川神社 西臼杵郡日之影町七折
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 集落から約4kmのところの日隠山(ひがくれやま)の山麓に、花崗岩の巨石があります。
 古文書によれば、高さ三十尋(54m)余り、周り二十尋(36m)とあります。
 地元では黒尊神、形が仏に似ていることから、黒尊仏とも呼ばれ黒尊神社の御神体として祀られていましたが、昭和29年の鹿川神社堂造営の折に合祀され神社はなくなりました。

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  1. 2020/11/14(土) 12:20:19|
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今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町

初詣に今泉神社(いまいずみじんじゃ)へ。
大勢の方が、初詣に来ています。
神社への階段に長い行列が出来ています。

1時00分より神楽が始まりました。
鬼神の舞です。

今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町
hiroの部屋 今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町


今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町
hiroの部屋 今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町


今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町
hiroの部屋 今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町

鬼神の舞は、激しい踊りです。

 「かぐら」の語源は「神座」(かむくら・かみくら)が転じたとされています。
 神座は「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」を意味し、神座に神々を降ろし、巫・巫女が人々の穢れを祓ったり、神懸かりして人々と交流するなど神人一体の宴の場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったとされています。
 古事記・日本書紀の岩戸隠れの段でアメノウズメが神懸りして舞った舞いが神楽の起源とされています。
 アメノウズメの子孫とされる猿女君が宮中で鎮魂の儀に関わるため、本来神楽は招魂・鎮魂・魂振に伴う神遊びだったとも考えられます。


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  1. 2020/01/01(水) 15:08:02|
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増上寺 旧台徳院霊廟惣門

17時30分。周りが暗くなってきました。

増上寺 旧台徳院霊廟惣門
hiroの部屋 増上寺 旧台徳院霊廟惣門

台徳院霊廟(たいとくいんれいびょう)は、江戸幕府二代将軍徳川秀忠の霊廟建築で、増上寺に造営されました。
壮大な規模を持ち、江戸時代初期を代表する建造物群でしたが、一部の建物を除き、戦災で焼失しています。


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  1. 2019/09/21(土) 17:30:30|
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日向妙国寺 宮崎県日向市細島

宮崎県日向市細島に日向妙国寺(ひゅうがみょうこくじ)があります。

妙国寺は、日蓮宗の名刹で、薩摩阿闍梨日叡上人が康永年間(1342~1345)に開山したと伝えられています。

日向妙国寺 宮崎県日向市細島
hiroの部屋 日向妙国寺 宮崎県日向市細島

 1933年4月13日に、国の名勝に指定された妙国寺庭園は、本堂の南西に造られています。
 奥に小さな滝があり、三つの築山、池、池中央に浮かぶ中島から成り立っています。中島には簡素な木橋も架けられています。
剥き出しの岩盤や背後の米ノ山の森林を生かした巧みな造成は南北朝期の技法と伝えられています。
 寺伝によれば、本堂南側の回廊から鑑賞するのが最良と言われています。
 典型的な仏説庭園であり、三界を表す築山、崖・森林・滝とで穢土を表し、中島は浄土を、池は三途の川を、橋は仏法を表すとされています。観賞と同時に、門徒や檀家衆の教化に利用された可能性もあり、寺院庭園の好例としても注目されます。

日本国指定名勝 妙国寺庭園 宮崎県日向市細島
hiroの部屋 日本国指定名勝 妙国寺庭園 宮崎県日向市細島

楼門は一部壊れているところがありました。

日向妙国寺 宮崎県日向市細島
hiroの部屋 日向妙国寺 宮崎県日向市細島

高い石垣です。

日向妙国寺 宮崎県日向市細島
hiroの部屋 日向妙国寺 宮崎県日向市細島

この石垣の上の方が、庭園になります。

日向妙国寺 宮崎県日向市細島
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  1. 2019/07/28(日) 11:40:32|
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今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町

最後は、鬼神の舞です。

今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町
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今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町
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今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町
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今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町
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今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町
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今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町
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今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町
hiroの部屋 今泉神社 神楽 鬼神の舞 宮崎市清武町

鬼神の舞はとても激しい舞です。
運動量が凄いです。
体力が無いと舞いませんね。


 「かぐら」の語源は「神座」(かむくら・かみくら)が転じたとされています。
 神座は「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」を意味し、神座に神々を降ろし、巫・巫女が人々の穢れを祓ったり、神懸かりして人々と交流するなど神人一体の宴の場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったとされています。
 古事記・日本書紀の岩戸隠れの段でアメノウズメが神懸りして舞った舞いが神楽の起源とされています。
 アメノウズメの子孫とされる猿女君が宮中で鎮魂の儀に関わるため、本来神楽は招魂・鎮魂・魂振に伴う神遊びだったとも考えられます。


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  1. 2019/01/01(火) 01:18:09|
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今泉神社 神楽(巫女神楽)浦安の舞 宮崎市清武町

浦安の舞です。

今泉神社 神楽(巫女神楽)浦安の舞 宮崎市清武町
hiroの部屋 今泉神社 神楽(巫女神楽)浦安の舞 宮崎市清武町


今泉神社 神楽(巫女神楽)浦安の舞 宮崎市清武町
hiroの部屋 今泉神社 神楽(巫女神楽)浦安の舞 宮崎市清武町


浦安の舞(うらやすのまい)
 1940年(昭和15年)11月10日に開かれる「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせ、全国の神社で奉祝臨時祭を行うに当たり、祭典中に奉奏する神楽舞を新たに作ることが立案され、当時の宮内省楽部の楽長である多忠朝が国風歌舞や全国神社に伝わる神楽舞を下地に作曲作舞した神楽舞です。

紀元二千六百年記念行事(きげんにせんろっぴゃくねんきねんぎょうじ)
 1940年(昭和15年)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った一連の行事を指します。


 「かぐら」の語源は「神座」(かむくら・かみくら)が転じたとされています。
 神座は「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」を意味し、神座に神々を降ろし、巫・巫女が人々の穢れを祓ったり、神懸かりして人々と交流するなど神人一体の宴の場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったとされています。
 古事記・日本書紀の岩戸隠れの段でアメノウズメが神懸りして舞った舞いが神楽の起源とされています。
 アメノウズメの子孫とされる猿女君が宮中で鎮魂の儀に関わるため、本来神楽は招魂・鎮魂・魂振に伴う神遊びだったとも考えられます。


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