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ひめゆり学徒隊の慰霊塔

 看護要員として戦場に動員され、亡くなっていった「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔です。
 ひめゆり平和祈念資料館には、ひめゆり学徒隊の犠牲者の遺品や、ガス弾によって多くの犠牲者がでた伊原第三外科壕が実物大で再現されており、ひめゆり学徒隊について学べる場となっています。

ひめゆり学徒隊の慰霊塔
hiroの部屋 ひめゆり学徒隊の慰霊塔

いはまくら かたくもあらむ やすらかに ねむれとぞいのる まなびのともは

ひめゆり学徒隊の慰霊塔 「いわまくら」の歌碑
hiroの部屋 ひめゆり学徒隊の慰霊塔


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  1. 2015/11/21(土) 12:01:06|
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琉球王国の栄華の証 首里城公園 守礼門

守礼門 (沖縄県那覇市)
 首里城外の楼門のひとつ守礼門【しゅれいもん】。
 扁額【へんがく】に「守禮之邦(守礼之邦)」と掲げられていることから守礼門と呼ばれるようになったという。
 1429年に琉球王国が誕生し40年後の1469年、農夫のクーデターによって政権交代がなされ第二尚氏王統が始まる。
 その4代目・尚清王【しょうせいおう】代(1527~1555)に守礼門は創建されたと伝えられている。
 昭和8年に歓会門【かんかいもん】や瑞泉門【ずいせんもん】と共に国宝に指定されるが、去る沖縄戦で破壊された。
 現在の守礼門は沖縄がアメリカに統治されている時代にあたる昭和33年(1958年)に復元されたものである。

琉球王国の栄華の証 守礼門
hiroの部屋 琉球王国の栄華の証 守礼門

首里城正殿
 正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)とよばれ、文字通り全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物であった。

琉球王国の栄華の証 首里城正殿
hiroの部屋 琉球王国の栄華の証 首里城公園

唐破風妻飾(からはふつまかざり)
 唐破風の妻壁には、中央に火焔宝珠(かえんほうじゅ)と大蟇股(だいかえるまた)、両脇には金龍と瑞雲の彫刻が施されています。

琉球王国の栄華の証 首里城正殿
hiroの部屋 琉球王国の栄華の証 首里城正殿

 首里城正殿の壁等の彩色塗装には、桐油が塗られている。なお、下地の一部は漆である。

琉球王国の栄華の証 首里城正殿
hiroの部屋 琉球王国の栄華の証 首里城正殿

御差床(うさすか)
国王が座る玉座

琉球王国の栄華の証 首里城 御差床hiroの部屋 琉球王国の栄華の証 首里城 御差床


琉球王国の栄華の証 首里城公園
hiroの部屋 琉球王国の栄華の証 首里城公園

淑順門(しゅくじゅんもん)
 淑順門(しゅくじゅんもん)は、国王やその家族が暮らす御内原(おうちばら)と呼ばれる場所への表門で、琉球語の古称は「みもの御門」「うなか御門」である。
 建物の創建年は不明とされており、2010年(平成22年)に復元された。
 門の造りは櫓門形式・入母屋造・本瓦葺となっている。

琉球王国の栄華の証 首里城公園 淑順門(しゅくじゅんもん)
hiroの部屋 琉球王国の栄華の証 首里城公園


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  1. 2015/11/21(土) 11:00:48|
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海軍戦没者慰霊の塔 旧海軍司令部壕

海軍戦没者慰霊の塔

hiroの部屋 海軍戦没者慰霊の塔

海軍戦没者慰霊の塔
 昭和33年、沖縄海友会ならびに海軍戦没者慰霊之塔建立発起人会によって建立されました。
 平成22年1月に社団法人沖縄海友会(現一般社団法人沖縄海友会)により外観の補修工事が行われました。
 慰霊塔前広場からは、首里城や南部市街が見渡せます。


旧海軍司令部壕

hiroの部屋 旧海軍司令部壕

 昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われて います。
 カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵士が収容されていました。
 戦後しばらく放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後、昭和45年(1970年)3月、観光開発事業団によって司令官室を中心に300mが復元されました。

hiroの部屋 旧海軍司令部壕

 大田實海軍少将は、自決する直前の1945年6月6日午後8時16分に海軍次官宛てに発信した電報は広く知られている。
 当時の訣別電報の常套句だった「天皇陛下万歳」「皇国ノ弥栄ヲ祈ル」などの言葉はなく、ひたすらに沖縄県民の敢闘の様子を訴えている。

発 沖縄根拠地隊司令官
宛 海軍次官
左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度
沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ
然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ
而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ
所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ
更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ
是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン
糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

現代語訳
 沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。
 県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。
 沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。
 にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。
 残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝されながら窮乏した生活に甘んじ続けている。
 しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。
 どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。
 看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。
 さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。
 つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。

海軍次官宛の電報
 食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。
 沖縄県民はこのように戦い抜いた。
 県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。



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  1. 2015/11/21(土) 10:14:15|
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沖縄県護国神社

hiroの部屋 沖縄県護国神社

沖縄県護国神社
 沖縄県護国神社は、昭和11年に招魂社として創建され昭和14年に護国神社と改称、昭和15年7月1日内務省令第407号を以て内務大臣指定護国神社となり、県社相当の社格を与えられました。
 日清、日露の戦役以降、先の大戦までの国難に殉ぜられた沖縄県出身の軍人、軍属をはじめ、沖縄戦にて散華された一般住民並びに本土出身の御英霊を祀る神社です。

 しかし、昭和20年4月の米軍上陸作戦にて戦災を被り社務所を残し本殿、拝殿が焼失した為、昭和34年4月に仮社殿を竣工し、戦後第一回の春季大祭を斎行しました。また同年の秋季大祭には靖國神社から御霊代を奉移し、靖國神社池田良八権宮司外四名の神職奉仕のもと、厳粛盛大な祭典が斎行されました。

 昭和40年10月に社団法人沖縄県護国神社復興期成会(会長具志堅宗精氏)の尽力により、現在の本殿、拝殿が竣工し、同年11月19日遷座祭、20日21日には天皇陛下から幣帛が御奉納され北白川祥子様、坊城神宮大宮司、佐々木神社本庁統理、筑波靖國神社宮司夫妻、全国知事会代表木下大分県知事が参列され池田靖國神社権宮司外八名の神職により奉祝祭が斎行されました。

 御祭神は郷土関係靖國の御英霊をはじめ、先の大戦にて郷土のため敢然と立ち向かわれた郷土出身軍人軍属並びに、沖縄方面作戦にて殉ぜられた本土出身の御英霊を合祀するほか、戦争の犠牲となられた一般住民、遭難学童及び文官関係戦歿者のみたま、合わせて177,912柱をお祀り申し上げています。

 主な祭典として、春秋の例大祭と6月23日の沖縄戦戦歿者総合慰霊祭、8月15日のみたま祭りのほかに毎月1日、23日に月例祭を斎行しています。

御祭神
 北海道 10,090柱
 青森県   550柱
 岩手県   630柱
 山形県   771柱
 宮城県   582柱
 福島県   942柱
 新潟県  1,111柱
 栃木県   434柱
 群馬県   858柱
 茨城県   523柱
 千葉県  1,660柱
 埼玉県  1,037柱
 東京都  2,480柱
 神奈川県  438柱
 山梨県   532柱
 静岡県  1,683柱
 愛知県  2,517柱
 長野県  1,237柱
 富山県   632柱
 石川県   883柱
 福井県  1,135柱
 岐阜県   820柱
 滋賀県  1,695柱
 三重県  2,853柱
 奈良県   483柱
 和歌山県  833柱
 京都府  2,538柱
 大阪府  2,202柱
 兵庫県  2,637柱
 鳥取県   539柱
 岡山県  1,635柱
 島根県   562柱
 広島県  1,360柱
 山口県   842柱
 香川県  1,010柱
 徳島県   934柱
 愛媛県  2,040柱
 高知県   813柱
 福岡県  2,314柱
 佐賀県   914柱
 大分県   977柱
 長崎県  1,566柱
 熊本県  1,783柱
 宮崎県  1,847柱
 鹿児島県 2,576柱
 沖縄県 110,981柱


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  1. 2015/11/21(土) 10:00:40|
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