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宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市

 ヒガンバナも終わりかなと思いながら、久々に「日本の棚田百選」の坂元棚田にやって来ました。
 まだ少しヒガンバナが咲いています。
 稲穂が頭を垂れています。
 10月中旬から稲刈り、掛け干しの光景が見られる様になります。

宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市
hiroの部屋 宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市

坂元棚田(日本の棚田百選認定 平成11年)
 坂元棚田は、日南市の最高峰小松山(標高988.8m)の南西斜面標高200mに位置し、小松山を水源に清らかな水が谷川から棚田へと流れています。


宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市
hiroの部屋 宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市

 棚田の元地は、集落共有の屋根を葺く茅を切る原野で茅場(かやば)と呼ばれていた所です。起状の少ないなだらかな傾斜地で、四季をとおして野の花が咲き、野鳥もたくさんいて、子供にとっては広々とした楽しい遊び場だったようです。

宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市
hiroの部屋 宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市

 その茅場が棚田に変わっていったのは昭和の初めで、国の補助事業を導入して大正の末から測量が始められ、昭和3年5月に坂元耕地整理組合を設立して同年9月から本格的に工事が始められました。工事は5年間を費やし、工事は19,747円と当時としては高額の費用をかけて昭和8年8月に約110枚、5ヘクタールの棚田が完成しました。

宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市
hiroの部屋 宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市

 石積みは全て現地の石を利用したもので、小さな自然石と大石を割ったものを垂直に近い斜面に高く積み上げる技は大変難しく、専門の技術者を雇い入れて工事は始まりました。工事が進むにしたがって地元の人々も見よう見まねで技術を習得し、十数枚の棚田が出来あがった頃からは、地元の人々を中心に家族総出で工事が進められたようです。

宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市
hiroの部屋 宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市

 この棚田は馬耕を前提としており、全国的に類を見ない幾何学的に整備されたもので、1枚あらり5アールの面積や畦道の幅など全て馬耕の思想が見られます。

宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市
hiroの部屋 宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市

 開田と同時に、灌漑用水工事も行われ、小松山中腹の赤ナメラ谷、半四郎窯谷の二つの谷から、約1,500mの水路開削工事も進められました。

宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市
hiroの部屋 宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市

 開田当時は漏水が激しく、田の表土も硬く、稲の収穫は現在の半分にも及ばない程でしたが、農家の努力によって年毎に耕作し易くなり徐々に増収へとつながっていきました。

宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市
hiroの部屋 宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市

 現在12戸の農家が水田として70枚の棚田を耕作していて、近年は、棚田を訪れる人々も多く、四季おりおりの風景を楽しんでいただいています。

宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市
hiroの部屋 宮崎の花 「日本の棚田百選」坂元棚田の彼岸花 日南市

 農林水産省は、平成11年7月26日、文化的遺産や国土保全、動植物生態系の維持など果たしている役割を評価して、「日本の棚田百選」に認定しました。


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  1. 2016/09/25(日) 20:33:19|
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伊勢海老料理 鬼扇(おにせん) 宮崎市青島

9月1日より伊勢えび解禁になりました。
宮崎で食欲の秋の代表食材と言えば、ちょっと高いけど伊勢海老かな。
「日南海岸伊勢えび大漁まつり」が行われています。

宮崎市青島にある「鬼扇(おにせん)」にやって来ました。

伊勢海老料理 鬼扇(おにせん) 宮崎市青島
hiroの部屋 伊勢海老料理 鬼扇(おにせん) 宮崎市青島

予約はしていませんでしたが、お昼前だったので席に着くことが出来ました。
「伊勢海老料理」を注文です。
料理を待っている間、予約のお客さんが次々やって来ました。

料理が出て来ました。
伊勢海老のお刺身が付いています。

伊勢海老料理 鬼扇(おにせん) 宮崎市青島
hiroの部屋 伊勢海老料理 鬼扇(おにせん) 宮崎市青島

伊勢海老のお味噌汁です。

伊勢海老料理 鬼扇(おにせん) 宮崎市青島
hiroの部屋 伊勢海老料理 鬼扇(おにせん) 宮崎市青島

食べきれるかな~

伊勢海老料理 鬼扇(おにせん) 宮崎市青島
hiroの部屋 伊勢海老料理 鬼扇(おにせん) 宮崎市青島

美味しくいただきました。
御馳走様でした。

■鬼扇(オニセン)■
〒889-2162
住所:宮崎県宮崎市青島2-6-6
電話:0985-65-2627
JR日南線青島駅 徒歩10分


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  1. 2016/09/19(月) 19:42:26|
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宮崎の花 皇子原公園の彼岸花 宮崎県高原町

家の近くで、彼岸花が咲き始めました。
皇子原公園の彼岸花は咲き始めたのかな~
宮崎自動車道を走り高原ICから皇子原公園へ走ります。
彼岸花が少し咲き始めていました。

宮崎の花 皇子原公園の彼岸花 宮崎県高原町
hiroの部屋 宮崎の花 皇子原公園の彼岸花 宮崎県高原町

見に来ている方は、少ないですね。

宮崎の花 皇子原公園の彼岸花 宮崎県高原町
hiroの部屋 宮崎の花 皇子原公園の彼岸花 宮崎県高原町

9月中旬から下旬にかけて、皇子原公園一帯が約300万本といわれる深紅のヒガンバナにうめつくされます。

宮崎の花 皇子原公園の彼岸花 宮崎県高原町
hiroの部屋 宮崎の花 皇子原公園の彼岸花 宮崎県高原町

皇子原公園は、皇祖神武天皇ご生誕の地に創建されたと伝えられる皇子原神社を中心に整備された自然公園です。
園内にはコテージでの宿泊の他、1.1キロのコースのゴーカートや遊具にニジマス釣り場等も有り、当公園の東側には大淀川の上流の川の一つである高千穂川を利用した水遊び場「たかはる清流ランド」が有り、夏の時期は多くの人々で賑わいます。


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  1. 2016/09/11(日) 14:20:09|
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肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 地下第一踏切

肥薩線の渡駅先の地下第一踏切で「SL人吉」を待ちます。
線路脇の雑草が伸びています。

稲穂が黄色くなるのは、まだ先のようですね。

肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 地下第一踏切
hiroの部屋 肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 地下第一踏切

撮影前に、赤とんぼが周りを飛び回ったいたのですが、写真に写り込んでいました。
秋がそこまで来ていますね。

肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 地下第一踏切
hiroの部屋 肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 地下第一踏切

国鉄8620形蒸気機関車
8620形は、日本国有鉄道(国鉄)前身である鉄道院が製造した、日本で初めて本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。「ハチロク」と愛称され、国鉄蒸気機関車の末期まで全国で使用された。

58654
 1988年(昭和63年)に静態保存から復活してJR九州に所属しており、肥薩線を運行する「SL人吉」に運用される。この機関車は1922年(大正11年)日立製作所製で、九州地方で300万km余りを走った後、1975年(昭和50年)に廃車され、肥薩線矢岳駅前の人吉市SL展示館に展示されていた。1988年(昭和63年)に小倉工場で修復された。ボイラーは新日鐵で新製し、動輪は住友金属で新たに製作するなど、大がかりな修復となり、同年8月28日から豊肥本線の「SLあそBOY」、肥薩線の「SL人吉号」として、アメリカ風に改装された客車と共に運行開始された。
 再登場当時はほぼ原型であったが、1993年(平成5年)頃に客車のイメージにあわせて水戸岡鋭治の監修下に濃緑色に塗装され、カウキャッチャーが取り付けられたこともあった。沿線の山林で列車通過後に火災が起きてからは回転火の粉止めを装備し、体裁を整えるためダイヤモンドスタック型の煙突カバーが常用されるようになった。また、ATSもATS-SK形に換装された。
 しかし、元々古い車両だったために老朽化が進んでおり、台枠の歪みにより機体のバランスが崩れたために車軸などに負担がかかり車軸焼けなどを起こすようになっていた。当初は修復不可能と判断され、2005年8月28日をもって列車の運転が休止された。それに伴い機関車も一旦静態保存されることとなったが、JR九州としては動態保存の可能性を模索し、除籍を行わなかった。その後の調査により奇跡的にも日立製作所に製造時の図面が残されていると判明したことや、九州新幹線の延伸開業などもあり観光資源として有効活用できるとの判断から、台枠を日本車両で新製、ボイラをサッパボイラで修繕するなど約4億円の費用(客車等の修復も含む)をかけ2007年2月21日よりJR九州小倉工場にて修復を実施し、2009年4月25日より熊本駅 - 人吉駅間で運行が開始された。列車名は運転休止前に同区間を運行していた際の名称から「号」を省いた「SL人吉」とされた。



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  1. 2016/09/10(土) 12:00:47|
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肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 橋りょう

以前撮影したポイントへやって来ました。
頭上に電線があるので、写り込まない位置で耳を澄まして「SL人吉」を待ちます。

「SL人吉」がやって来ました。

肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 橋りょう
hiroの部屋 肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 橋りょう

あっという間に走り去りました。
橋りょうの名前の確認を忘れていました。
次回来た時に確認します。

国鉄8620形蒸気機関車
8620形は、日本国有鉄道(国鉄)前身である鉄道院が製造した、日本で初めて本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。「ハチロク」と愛称され、国鉄蒸気機関車の末期まで全国で使用された。

58654
 1988年(昭和63年)に静態保存から復活してJR九州に所属しており、肥薩線を運行する「SL人吉」に運用される。この機関車は1922年(大正11年)日立製作所製で、九州地方で300万km余りを走った後、1975年(昭和50年)に廃車され、肥薩線矢岳駅前の人吉市SL展示館に展示されていた。1988年(昭和63年)に小倉工場で修復された。ボイラーは新日鐵で新製し、動輪は住友金属で新たに製作するなど、大がかりな修復となり、同年8月28日から豊肥本線の「SLあそBOY」、肥薩線の「SL人吉号」として、アメリカ風に改装された客車と共に運行開始された。
 再登場当時はほぼ原型であったが、1993年(平成5年)頃に客車のイメージにあわせて水戸岡鋭治の監修下に濃緑色に塗装され、カウキャッチャーが取り付けられたこともあった。沿線の山林で列車通過後に火災が起きてからは回転火の粉止めを装備し、体裁を整えるためダイヤモンドスタック型の煙突カバーが常用されるようになった。また、ATSもATS-SK形に換装された。
 しかし、元々古い車両だったために老朽化が進んでおり、台枠の歪みにより機体のバランスが崩れたために車軸などに負担がかかり車軸焼けなどを起こすようになっていた。当初は修復不可能と判断され、2005年8月28日をもって列車の運転が休止された。それに伴い機関車も一旦静態保存されることとなったが、JR九州としては動態保存の可能性を模索し、除籍を行わなかった。その後の調査により奇跡的にも日立製作所に製造時の図面が残されていると判明したことや、九州新幹線の延伸開業などもあり観光資源として有効活用できるとの判断から、台枠を日本車両で新製、ボイラをサッパボイラで修繕するなど約4億円の費用(客車等の修復も含む)をかけ2007年2月21日よりJR九州小倉工場にて修復を実施し、2009年4月25日より熊本駅 - 人吉駅間で運行が開始された。列車名は運転休止前に同区間を運行していた際の名称から「号」を省いた「SL人吉」とされた。



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  1. 2016/09/10(土) 11:27:04|
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肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 海路駅

九州自動車道八代ICを降り、「SL人吉」を追いかけます。
坂本駅で出発する「SL人吉」を撮影したのですが、線路内の雑草が伸びており、写真はボツに・・・
「SJ人吉」を追いかけ、追いついたのは、海路駅先カーブの撮影ポイントです。
「SL人吉」がカーブをまわってやって来ましたが、煙も少なく・・・
正面を通り過ぎて行きます。
流し撮りに撮影変更です。
ダメ元ですが、思い切って1/20で撮影してみました。

肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 海路駅
hiroの部屋 肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 海路駅

ピント合っていませんが、手持ちの撮影なので良しとしましょう。


国鉄8620形蒸気機関車
8620形は、日本国有鉄道(国鉄)前身である鉄道院が製造した、日本で初めて本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。「ハチロク」と愛称され、国鉄蒸気機関車の末期まで全国で使用された。

58654
 1988年(昭和63年)に静態保存から復活してJR九州に所属しており、肥薩線を運行する「SL人吉」に運用される。この機関車は1922年(大正11年)日立製作所製で、九州地方で300万km余りを走った後、1975年(昭和50年)に廃車され、肥薩線矢岳駅前の人吉市SL展示館に展示されていた。1988年(昭和63年)に小倉工場で修復された。ボイラーは新日鐵で新製し、動輪は住友金属で新たに製作するなど、大がかりな修復となり、同年8月28日から豊肥本線の「SLあそBOY」、肥薩線の「SL人吉号」として、アメリカ風に改装された客車と共に運行開始された。
 再登場当時はほぼ原型であったが、1993年(平成5年)頃に客車のイメージにあわせて水戸岡鋭治の監修下に濃緑色に塗装され、カウキャッチャーが取り付けられたこともあった。沿線の山林で列車通過後に火災が起きてからは回転火の粉止めを装備し、体裁を整えるためダイヤモンドスタック型の煙突カバーが常用されるようになった。また、ATSもATS-SK形に換装された。
 しかし、元々古い車両だったために老朽化が進んでおり、台枠の歪みにより機体のバランスが崩れたために車軸などに負担がかかり車軸焼けなどを起こすようになっていた。当初は修復不可能と判断され、2005年8月28日をもって列車の運転が休止された。それに伴い機関車も一旦静態保存されることとなったが、JR九州としては動態保存の可能性を模索し、除籍を行わなかった。その後の調査により奇跡的にも日立製作所に製造時の図面が残されていると判明したことや、九州新幹線の延伸開業などもあり観光資源として有効活用できるとの判断から、台枠を日本車両で新製、ボイラをサッパボイラで修繕するなど約4億円の費用(客車等の修復も含む)をかけ2007年2月21日よりJR九州小倉工場にて修復を実施し、2009年4月25日より熊本駅 - 人吉駅間で運行が開始された。列車名は運転休止前に同区間を運行していた際の名称から「号」を省いた「SL人吉」とされた。



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