宮崎神宮御神幸祭とは
「神武さま」と呼ばれ、秋の宮崎を彩る県下最大の祭です。
神武さまを自分のお宮として信仰してきた町民が、お宮までの道のりが遠く、親しくお参りすることが出来ないため、「せめて一年に一度神幸を願って一家をあげて心ゆくまで拝ませてください」という嘆願書を提出したのが始まりです。
明治42年頃から今のような形式になったと言われています。
今日まで地元の人々の信仰と親しみに支えられ、受け継がれてきた神武さまを、これからも絶やすことなく後世へ残していきたいものです。
宮崎神宮御神幸祭(神武さま) JC太鼓 宮崎市

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宮崎神宮御神幸祭とは
「神武さま」と呼ばれ、秋の宮崎を彩る県下最大の祭です。
神武さまを自分のお宮として信仰してきた町民が、お宮までの道のりが遠く、親しくお参りすることが出来ないため、「せめて一年に一度神幸を願って一家をあげて心ゆくまで拝ませてください」という嘆願書を提出したのが始まりです。
明治42年頃から今のような形式になったと言われています。
今日まで地元の人々の信仰と親しみに支えられ、受け継がれてきた神武さまを、これからも絶やすことなく後世へ残していきたいものです。
宮崎神宮御神幸祭(神武さま)青島臼太鼓踊り 宮崎市

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宮崎神宮御神幸祭とは
「神武さま」と呼ばれ、秋の宮崎を彩る県下最大の祭です。
神武さまを自分のお宮として信仰してきた町民が、お宮までの道のりが遠く、親しくお参りすることが出来ないため、「せめて一年に一度神幸を願って一家をあげて心ゆくまで拝ませてください」という嘆願書を提出したのが始まりです。
明治42年頃から今のような形式になったと言われています。
今日まで地元の人々の信仰と親しみに支えられ、受け継がれてきた神武さまを、これからも絶やすことなく後世へ残していきたいものです。
宮崎神宮御神幸祭(神武さま)人力車レディ 宮崎市

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宮崎神宮御神幸祭(神武さま)人力車レディ 宮崎市

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宮崎神宮御神幸祭とは
「神武さま」と呼ばれ、秋の宮崎を彩る県下最大の祭です。
神武さまを自分のお宮として信仰してきた町民が、お宮までの道のりが遠く、親しくお参りすることが出来ないため、「せめて一年に一度神幸を願って一家をあげて心ゆくまで拝ませてください」という嘆願書を提出したのが始まりです。
明治42年頃から今のような形式になったと言われています。
今日まで地元の人々の信仰と親しみに支えられ、受け継がれてきた神武さまを、これからも絶やすことなく後世へ残していきたいものです。
ミスシャンシャン馬
シャンシャン馬は鵜戸神宮へ参拝する新婚夫婦が乗っていた馬のこと。
1940年10月に宮崎市で開催された日向建国博覧会で、当時の宮崎商工会議所会頭であった岩切章太郎(後の宮崎交通社長)の提案によりシャンシャン馬20頭をパレードに出したことが原型となった。
宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市

1949年に宮崎交通の協賛で開始された。
最初の2年は宮崎市内から「代表」となる花嫁を選出。
1951年から宮崎県内の各市からの代表制となった。
宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市

1971年と1972年は宮崎交通の社員からの選出となったが、1973年に「宮交シティ開業記念」として宮崎市と周辺の町からの代表制となった(ここまでは宮崎交通が全額負担)。
2000年は公募制となり、2001年からは協賛企業の女子社員が「ミスシャンシャン馬」として選出されるようになった。
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- 2016/10/30(日) 14:12:01|
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宮崎神宮御神幸祭とは
神武さまを自分のお宮として信仰してきた町民が、お宮までの道のりが遠く、親しくお参りすることが出来ないため、「せめて一年に一度神幸を願って一家をあげて心ゆくまで拝ませてください」という嘆願書を提出したのが始まりです。
明治42年頃から今のような形式になったと言われています。
今日まで地元の人々の信仰と親しみに支えられ、受け継がれてきた神武さまを、これからも絶やすことなく後世へ残していきたいものです。
宮崎神宮御神幸祭(神武さま)神武こども太鼓こども獅子 宮崎市

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- 2016/10/30(日) 14:04:36|
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宮崎神宮御神幸祭とは
「神武さま」と呼ばれ、秋の宮崎を彩る県下最大の祭です。
神武さまを自分のお宮として信仰してきた町民が、お宮までの道のりが遠く、親しくお参りすることが出来ないため、「せめて一年に一度神幸を願って一家をあげて心ゆくまで拝ませてください」という嘆願書を提出したのが始まりです。
明治42年頃から今のような形式になったと言われています。
今日まで地元の人々の信仰と親しみに支えられ、受け継がれてきた神武さまを、これからも絶やすことなく後世へ残していきたいものです。
宮崎神宮御神幸祭(神武さま) 神武天皇東征「おきよ丸」 宮崎市

神武天皇東征「おきよ丸」
日本書紀では、神武天皇が日向から東征に出発されたのは、四十五歳の時です。
この年は天孫降臨の時から数えて179万2470余年になると言われています。
出発地については、「古事記」は「何れの処にいまさば、平らけく天の下の政を聞こしめさむ。なお、東に行かむと思ふとのりたまひて、即ち日向より発ちて筑紫に」向かわれたと記載されています。
「日本書紀」では、「冬十月丁巳の朔・・・日向より諸皇子・舟軍を率いて東征」に向かわれたと記されています。
「記紀」 ではどこから出航されたかは明確ではありませんが、一般には美々津港とされています。
お舟出に備えて美々津の人々は団子を作ってさしあげようと準備をしていましたが、夜半に天候が良くなったので御一行は予定を早めて、急きょ夜明けに出航されることになります。そこで、美々津の人々は大急ぎで、村中の者を「起きよ、起きよ」起こして廻りました。
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- 2016/10/30(日) 14:02:51|
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西都原古墳群のコスモスを見ようと、西都市内までやって来たのですが、車が渋滞していて進みません。
駅伝大会が開催されており、渋滞です。
わき道を走り、西都原古墳群にやって来たのですが、駐車場は満車です。
一番奥の駐車場に車を停めて、歩いて会場へ。
大勢の人が来ています。
イベントも行われていました。
西都原古墳群のコスモス 宮崎県西都市

西都原古墳群のコスモス 宮崎県西都市

大根畑です。
緑も良いですね。
西都原古墳群のコスモス 宮崎県西都市

私の車は、左の駐車場の一番奥に・・・
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- 2016/10/30(日) 11:37:09|
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宮崎神宮御神幸祭とは
神武さまを自分のお宮として信仰してきた町民が、お宮までの道のりが遠く、親しくお参りすることが出来ないため、「せめて一年に一度神幸を願って一家をあげて心ゆくまで拝ませてください」という嘆願書を提出したのが始まりです。
明治42年頃から今のような形式になったと言われています。
今日まで地元の人々の信仰と親しみに支えられ、受け継がれてきた神武さまを、これからも絶やすことなく後世へ残していきたいものです。
ミスシャンシャン馬は、宮崎神宮御神幸祭(神武さま)の目玉とされる出し物です。
シャンシャン馬は鵜戸神宮へ参拝する新婚夫婦が乗っていた馬のことです。
1940年10月に宮崎市で開催された日向建国博覧会で、当時の宮崎商工会議所会頭であった岩切章太郎(後の宮崎交通社長)の提案によりシャンシャン馬20頭をパレードに出したことが原型になりました。
宮崎神宮御神幸祭(神武さま) ミスシャンシャン馬 宮崎市

宮崎神宮御神幸祭(神武さま) ミスシャンシャン馬 宮崎市

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- 2016/10/29(土) 15:49:50|
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熊本県人吉市大野町にある、九州旅客鉄道(JR九州)肥薩線の大畑駅(おこばえき)にやって来ました。
日本で唯一、ループ線の中にスイッチバックを併せ持つ駅としても知られています。
無人駅です。
観光客が来ています。
肥薩線 大畑(おこば)駅 ループ線&スイッチバック

もうすぐ「しんぺい」が到着するので、撮影ポイントへ移動です。
12時45分 「しんぺい」がやって来ました。
肥薩線 大畑(おこば)駅 ループ線&スイッチバック

12時48分 スイッチバックして、大畑駅へ向かって行きます。
肥薩線 大畑(おこば)駅 ループ線&スイッチバック

12時55分 人吉に向けて「しんぺい」が走って行きます。
肥薩線 大畑(おこば)駅 ループ線&スイッチバック

肥薩線 人吉・八代方面(上り)
06:56 人吉
09:52 人吉
12:54 しんぺい 2 人吉
16:23 しんぺい 4 熊本
19:08 八代
肥薩線 吉松・隼人方面(下り)
07:34 吉松
10:27 いさぶろう 1 吉松
13:44 いさぶろう 3 吉松
17:25 吉松
20:04 吉松
2009年に行った時の「大畑(おこば)駅」はこちらです。
大畑駅(おこばえき) スイッチバック&ループ線 熊本県人吉市大畑麓町プチット押していただけると嬉しいです


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- 2016/10/16(日) 12:45:34|
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SL人吉(SLひとよし)は、九州旅客鉄道(JR九州)が熊本駅 - 人吉駅間を鹿児島本線・肥薩線経由で運行している、蒸気機関車牽引による臨時快速列車です。
一勝地駅に停車しているSL人吉を追い越して、那良口駅で待ちます。
お日様が雲に隠れています。
踏切の警報機が鳴り始めました。
望遠で撮影です。
肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 那良口駅

流し撮りもしたかったので、古いカメラで撮影です。
1/50秒
肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 那良口駅

もう少し流した方が・・・
リベンジ?
09:45発 熊本駅
10:25発 新八代駅
10:35発 八代駅
10:51発 坂本駅
11:02 球磨川第一橋りょう11:23発 白石駅(5分停車)
11:27 天月川橋りょう11:48発 一勝地駅(10分停車)
11:52 那良口駅11:58発 渡駅
12:09着 人吉駅
平成28年度は11月20日(日)までの運転です。国鉄8620形蒸気機関車
8620形は、日本国有鉄道(国鉄)前身である鉄道院が製造した、日本で初めて本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。「ハチロク」と愛称され、国鉄蒸気機関車の末期まで全国で使用された。
58654
1988年(昭和63年)に静態保存から復活してJR九州に所属しており、肥薩線を運行する「SL人吉」に運用される。この機関車は1922年(大正11年)日立製作所製で、九州地方で300万km余りを走った後、1975年(昭和50年)に廃車され、肥薩線矢岳駅前の人吉市SL展示館に展示されていた。1988年(昭和63年)に小倉工場で修復された。ボイラーは新日鐵で新製し、動輪は住友金属で新たに製作するなど、大がかりな修復となり、同年8月28日から豊肥本線の「SLあそBOY」、肥薩線の「SL人吉号」として、アメリカ風に改装された客車と共に運行開始された。
再登場当時はほぼ原型であったが、1993年(平成5年)頃に客車のイメージにあわせて水戸岡鋭治の監修下に濃緑色に塗装され、カウキャッチャーが取り付けられたこともあった。沿線の山林で列車通過後に火災が起きてからは回転火の粉止めを装備し、体裁を整えるためダイヤモンドスタック型の煙突カバーが常用されるようになった。また、ATSもATS-SK形に換装された。
しかし、元々古い車両だったために老朽化が進んでおり、台枠の歪みにより機体のバランスが崩れたために車軸などに負担がかかり車軸焼けなどを起こすようになっていた。当初は修復不可能と判断され、2005年8月28日をもって列車の運転が休止された。それに伴い機関車も一旦静態保存されることとなったが、JR九州としては動態保存の可能性を模索し、除籍を行わなかった。その後の調査により奇跡的にも日立製作所に製造時の図面が残されていると判明したことや、九州新幹線の延伸開業などもあり観光資源として有効活用できるとの判断から、台枠を日本車両で新製、ボイラをサッパボイラで修繕するなど約4億円の費用(客車等の修復も含む)をかけ2007年2月21日よりJR九州小倉工場にて修復を実施し、2009年4月25日より熊本駅 - 人吉駅間で運行が開始された。列車名は運転休止前に同区間を運行していた際の名称から「号」を省いた「SL人吉」とされた。プチット押していただけると嬉しいです


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- 2016/10/16(日) 11:52:42|
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SL人吉(SLひとよし)は、九州旅客鉄道(JR九州)が熊本駅 - 人吉駅間を鹿児島本線・肥薩線経由で運行している、蒸気機関車牽引による臨時快速列車です。
先日撮影した、橋りょうの名前がわからなかったので、白石駅の撮影をパスして橋りょうの撮影ポイントへやって来ました。
橋りょう名の確認です。
「天月川橋りょう」の表示がありました。
白石駅を、11時23分発なので、しばらく待ちます。
風が強く吹いています・・・
煙が流れてしまうかも・・・
汽笛が聞こえて来ました。
肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 天月川橋りょう

肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 天月川橋りょう

こちらからの撮影は、上りの撮影ポイントですね。
09:45発 熊本駅
10:25発 新八代駅
10:35発 八代駅
10:51発 坂本駅
11:02 球磨川第一橋りょう11:23発 白石駅(5分停車)
11:27 天月川橋りょう11:48発 一勝地駅(10分停車)
11:52 那良口駅11:58発 渡駅
12:09着 人吉駅
平成28年度は11月20日(日)までの運転です。国鉄8620形蒸気機関車
8620形は、日本国有鉄道(国鉄)前身である鉄道院が製造した、日本で初めて本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。「ハチロク」と愛称され、国鉄蒸気機関車の末期まで全国で使用された。
58654
1988年(昭和63年)に静態保存から復活してJR九州に所属しており、肥薩線を運行する「SL人吉」に運用される。この機関車は1922年(大正11年)日立製作所製で、九州地方で300万km余りを走った後、1975年(昭和50年)に廃車され、肥薩線矢岳駅前の人吉市SL展示館に展示されていた。1988年(昭和63年)に小倉工場で修復された。ボイラーは新日鐵で新製し、動輪は住友金属で新たに製作するなど、大がかりな修復となり、同年8月28日から豊肥本線の「SLあそBOY」、肥薩線の「SL人吉号」として、アメリカ風に改装された客車と共に運行開始された。
再登場当時はほぼ原型であったが、1993年(平成5年)頃に客車のイメージにあわせて水戸岡鋭治の監修下に濃緑色に塗装され、カウキャッチャーが取り付けられたこともあった。沿線の山林で列車通過後に火災が起きてからは回転火の粉止めを装備し、体裁を整えるためダイヤモンドスタック型の煙突カバーが常用されるようになった。また、ATSもATS-SK形に換装された。
しかし、元々古い車両だったために老朽化が進んでおり、台枠の歪みにより機体のバランスが崩れたために車軸などに負担がかかり車軸焼けなどを起こすようになっていた。当初は修復不可能と判断され、2005年8月28日をもって列車の運転が休止された。それに伴い機関車も一旦静態保存されることとなったが、JR九州としては動態保存の可能性を模索し、除籍を行わなかった。その後の調査により奇跡的にも日立製作所に製造時の図面が残されていると判明したことや、九州新幹線の延伸開業などもあり観光資源として有効活用できるとの判断から、台枠を日本車両で新製、ボイラをサッパボイラで修繕するなど約4億円の費用(客車等の修復も含む)をかけ2007年2月21日よりJR九州小倉工場にて修復を実施し、2009年4月25日より熊本駅 - 人吉駅間で運行が開始された。列車名は運転休止前に同区間を運行していた際の名称から「号」を省いた「SL人吉」とされた。プチット押していただけると嬉しいです


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SL人吉(SLひとよし)は、九州旅客鉄道(JR九州)が熊本駅 - 人吉駅間を鹿児島本線・肥薩線経由で運行している、蒸気機関車牽引による臨時快速列車です。
今日は雨予報でしたが、お日様が出ていない(曇り空)那良口駅でSL人吉を撮影しようと人吉ICへ走ります。
出掛けるのが遅くなり、SL人吉と並走して走ることに・・・
途中の坂本駅の撮影ポイントをパスし、球磨川第一橋りょうで待つことに。
カメラマンがお一人だけです。
晴れて来ました。
肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 球磨川第一橋りょう

09:45発 熊本駅
10:25発 新八代駅
10:35発 八代駅
10:51発 坂本駅
11:02 球磨川第一橋りょう11:23発 白石駅(5分停車)
11:27 天月川橋りょう11:48発 一勝地駅(10分停車)
11:52 那良口駅11:58発 渡駅
12:09着 人吉駅
平成28年度は11月20日(日)までの運転です。国鉄8620形蒸気機関車
8620形は、日本国有鉄道(国鉄)前身である鉄道院が製造した、日本で初めて本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。「ハチロク」と愛称され、国鉄蒸気機関車の末期まで全国で使用された。
58654
1988年(昭和63年)に静態保存から復活してJR九州に所属しており、肥薩線を運行する「SL人吉」に運用される。この機関車は1922年(大正11年)日立製作所製で、九州地方で300万km余りを走った後、1975年(昭和50年)に廃車され、肥薩線矢岳駅前の人吉市SL展示館に展示されていた。1988年(昭和63年)に小倉工場で修復された。ボイラーは新日鐵で新製し、動輪は住友金属で新たに製作するなど、大がかりな修復となり、同年8月28日から豊肥本線の「SLあそBOY」、肥薩線の「SL人吉号」として、アメリカ風に改装された客車と共に運行開始された。
再登場当時はほぼ原型であったが、1993年(平成5年)頃に客車のイメージにあわせて水戸岡鋭治の監修下に濃緑色に塗装され、カウキャッチャーが取り付けられたこともあった。沿線の山林で列車通過後に火災が起きてからは回転火の粉止めを装備し、体裁を整えるためダイヤモンドスタック型の煙突カバーが常用されるようになった。また、ATSもATS-SK形に換装された。
しかし、元々古い車両だったために老朽化が進んでおり、台枠の歪みにより機体のバランスが崩れたために車軸などに負担がかかり車軸焼けなどを起こすようになっていた。当初は修復不可能と判断され、2005年8月28日をもって列車の運転が休止された。それに伴い機関車も一旦静態保存されることとなったが、JR九州としては動態保存の可能性を模索し、除籍を行わなかった。その後の調査により奇跡的にも日立製作所に製造時の図面が残されていると判明したことや、九州新幹線の延伸開業などもあり観光資源として有効活用できるとの判断から、台枠を日本車両で新製、ボイラをサッパボイラで修繕するなど約4億円の費用(客車等の修復も含む)をかけ2007年2月21日よりJR九州小倉工場にて修復を実施し、2009年4月25日より熊本駅 - 人吉駅間で運行が開始された。列車名は運転休止前に同区間を運行していた際の名称から「号」を省いた「SL人吉」とされた。プチット押していただけると嬉しいです


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SL人吉を那良口駅で撮影後、コスモスが咲いている所はないか探したのですが、咲いている所が無く栗林第1踏切までやって来ました。
肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 栗林第1踏切 12:02

コスモスが咲いていたのは、葉木駅でした。
国鉄8620形蒸気機関車
8620形は、日本国有鉄道(国鉄)前身である鉄道院が製造した、日本で初めて本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。「ハチロク」と愛称され、国鉄蒸気機関車の末期まで全国で使用された。
58654
1988年(昭和63年)に静態保存から復活してJR九州に所属しており、肥薩線を運行する「SL人吉」に運用される。この機関車は1922年(大正11年)日立製作所製で、九州地方で300万km余りを走った後、1975年(昭和50年)に廃車され、肥薩線矢岳駅前の人吉市SL展示館に展示されていた。1988年(昭和63年)に小倉工場で修復された。ボイラーは新日鐵で新製し、動輪は住友金属で新たに製作するなど、大がかりな修復となり、同年8月28日から豊肥本線の「SLあそBOY」、肥薩線の「SL人吉号」として、アメリカ風に改装された客車と共に運行開始された。
再登場当時はほぼ原型であったが、1993年(平成5年)頃に客車のイメージにあわせて水戸岡鋭治の監修下に濃緑色に塗装され、カウキャッチャーが取り付けられたこともあった。沿線の山林で列車通過後に火災が起きてからは回転火の粉止めを装備し、体裁を整えるためダイヤモンドスタック型の煙突カバーが常用されるようになった。また、ATSもATS-SK形に換装された。
しかし、元々古い車両だったために老朽化が進んでおり、台枠の歪みにより機体のバランスが崩れたために車軸などに負担がかかり車軸焼けなどを起こすようになっていた。当初は修復不可能と判断され、2005年8月28日をもって列車の運転が休止された。それに伴い機関車も一旦静態保存されることとなったが、JR九州としては動態保存の可能性を模索し、除籍を行わなかった。その後の調査により奇跡的にも日立製作所に製造時の図面が残されていると判明したことや、九州新幹線の延伸開業などもあり観光資源として有効活用できるとの判断から、台枠を日本車両で新製、ボイラをサッパボイラで修繕するなど約4億円の費用(客車等の修復も含む)をかけ2007年2月21日よりJR九州小倉工場にて修復を実施し、2009年4月25日より熊本駅 - 人吉駅間で運行が開始された。列車名は運転休止前に同区間を運行していた際の名称から「号」を省いた「SL人吉」とされた。プチット押していただけると嬉しいです


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肥薩線の那良口駅です。
前回来た時は、雑草が伸びていましたが、今日は綺麗に刈られています。
コスモスが咲いてるかもと、期待していたのですが・・・
肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 那良口駅 11:53

今の時期は、踏切が陰になっていて、SL人吉とS字の線路が撮影できませんね。
曇っていた方が良かったかも・・・
国鉄8620形蒸気機関車
8620形は、日本国有鉄道(国鉄)前身である鉄道院が製造した、日本で初めて本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。「ハチロク」と愛称され、国鉄蒸気機関車の末期まで全国で使用された。
58654
1988年(昭和63年)に静態保存から復活してJR九州に所属しており、肥薩線を運行する「SL人吉」に運用される。この機関車は1922年(大正11年)日立製作所製で、九州地方で300万km余りを走った後、1975年(昭和50年)に廃車され、肥薩線矢岳駅前の人吉市SL展示館に展示されていた。1988年(昭和63年)に小倉工場で修復された。ボイラーは新日鐵で新製し、動輪は住友金属で新たに製作するなど、大がかりな修復となり、同年8月28日から豊肥本線の「SLあそBOY」、肥薩線の「SL人吉号」として、アメリカ風に改装された客車と共に運行開始された。
再登場当時はほぼ原型であったが、1993年(平成5年)頃に客車のイメージにあわせて水戸岡鋭治の監修下に濃緑色に塗装され、カウキャッチャーが取り付けられたこともあった。沿線の山林で列車通過後に火災が起きてからは回転火の粉止めを装備し、体裁を整えるためダイヤモンドスタック型の煙突カバーが常用されるようになった。また、ATSもATS-SK形に換装された。
しかし、元々古い車両だったために老朽化が進んでおり、台枠の歪みにより機体のバランスが崩れたために車軸などに負担がかかり車軸焼けなどを起こすようになっていた。当初は修復不可能と判断され、2005年8月28日をもって列車の運転が休止された。それに伴い機関車も一旦静態保存されることとなったが、JR九州としては動態保存の可能性を模索し、除籍を行わなかった。その後の調査により奇跡的にも日立製作所に製造時の図面が残されていると判明したことや、九州新幹線の延伸開業などもあり観光資源として有効活用できるとの判断から、台枠を日本車両で新製、ボイラをサッパボイラで修繕するなど約4億円の費用(客車等の修復も含む)をかけ2007年2月21日よりJR九州小倉工場にて修復を実施し、2009年4月25日より熊本駅 - 人吉駅間で運行が開始された。列車名は運転休止前に同区間を運行していた際の名称から「号」を省いた「SL人吉」とされた。プチット押していただけると嬉しいです


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肥薩線の白石駅(しろいしえき)です。
無人駅ですが、SL人吉の停車駅になっています。
肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 白石駅

SL人吉がやって来ました。
肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 白石駅 11:17

白石駅に5分程停車します。
11時23分出発です。
肥薩線 蒸気機関車「SL人吉」58654号(ハチロク8620形)人吉へ走る 白石駅
国鉄8620形蒸気機関車
8620形は、日本国有鉄道(国鉄)前身である鉄道院が製造した、日本で初めて本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。「ハチロク」と愛称され、国鉄蒸気機関車の末期まで全国で使用された。
58654
1988年(昭和63年)に静態保存から復活してJR九州に所属しており、肥薩線を運行する「SL人吉」に運用される。この機関車は1922年(大正11年)日立製作所製で、九州地方で300万km余りを走った後、1975年(昭和50年)に廃車され、肥薩線矢岳駅前の人吉市SL展示館に展示されていた。1988年(昭和63年)に小倉工場で修復された。ボイラーは新日鐵で新製し、動輪は住友金属で新たに製作するなど、大がかりな修復となり、同年8月28日から豊肥本線の「SLあそBOY」、肥薩線の「SL人吉号」として、アメリカ風に改装された客車と共に運行開始された。
再登場当時はほぼ原型であったが、1993年(平成5年)頃に客車のイメージにあわせて水戸岡鋭治の監修下に濃緑色に塗装され、カウキャッチャーが取り付けられたこともあった。沿線の山林で列車通過後に火災が起きてからは回転火の粉止めを装備し、体裁を整えるためダイヤモンドスタック型の煙突カバーが常用されるようになった。また、ATSもATS-SK形に換装された。
しかし、元々古い車両だったために老朽化が進んでおり、台枠の歪みにより機体のバランスが崩れたために車軸などに負担がかかり車軸焼けなどを起こすようになっていた。当初は修復不可能と判断され、2005年8月28日をもって列車の運転が休止された。それに伴い機関車も一旦静態保存されることとなったが、JR九州としては動態保存の可能性を模索し、除籍を行わなかった。その後の調査により奇跡的にも日立製作所に製造時の図面が残されていると判明したことや、九州新幹線の延伸開業などもあり観光資源として有効活用できるとの判断から、台枠を日本車両で新製、ボイラをサッパボイラで修繕するなど約4億円の費用(客車等の修復も含む)をかけ2007年2月21日よりJR九州小倉工場にて修復を実施し、2009年4月25日より熊本駅 - 人吉駅間で運行が開始された。列車名は運転休止前に同区間を運行していた際の名称から「号」を省いた「SL人吉」とされた。プチット押していただけると嬉しいです


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乳がん月間のキャンペーン活動として、宮崎県庁本館が、ピンク色にライトアップされています。
宮崎県庁本館 ピンク色にライトアップ

乳がんの早期発見、早期診断、早期治療の重要性を訴えるために、全世界共通で使われているシンボルマークが「ピンクリボン」です。
宮崎県庁本館 ピンク色にライトアップ

このピンクリボンを掲げた「ピンクリボンキャンペーン」は、8人に1人は乳がんにかかるといわれてきたアメリカで、乳がんで家族を亡くした遺族が、この悲劇を繰り返さないために・・と願いをこめて作ったピンクのリボンが始まりです。
宮崎県庁本館 ピンク色にライトアップ


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