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宮崎県の田の神さぁ 南岡松の田の神さぁ2 えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

塗ってある色が剥げてきています。

宮崎県の田の神さぁ 南岡松の田の神さぁ2 えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 南岡松の田の神さぁ えびの市

何年かおきに塗り替えるのかな?

宮崎県の田の神さぁ 南岡松の田の神さぁ2 えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 南岡松の田の神さぁ えびの市


宮崎県の田の神さぁ 南岡松の田の神さぁ2 えびの市
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  1. 2018/10/31(水) 07:00:08|
  2.  ┣ 田の神様(たのかんさあ)|
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宮崎県の田の神さぁ 南岡松の田の神さぁ えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

「田の神通り」にいらっしゃいます。

宮崎県の田の神さぁ 南岡松の田の神さぁ えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 南岡松の田の神さぁ えびの市

目の前には田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 南岡松の田の神さぁ えびの市
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  1. 2018/10/30(火) 07:00:22|
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宮崎県の田の神さぁ 幣田神社の田の神さぁ えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

「幣田(ひえだ)神社の田の神さぁ」の詳細
 建立年:平成元年(1989年)
 型分類:農民型
 形態:座位
 像高:53cm
 像幅:37cm
 持ち物:シキを被り、長袖和服と袴姿で右手にメシゲ、左手に椀を持つ。
 彩色:顔は白色。着物は青色。メシゲは赤色。

鳥居の右手に見えます。

宮崎県の田の神さぁ 幣田神社の田の神さぁ えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 幣田神社の田の神さぁ えびの市


宮崎県の田の神さぁ 幣田神社の田の神さぁ えびの市
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大きなシキですね。

宮崎県の田の神さぁ 幣田神社の田の神さぁ えびの市
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  1. 2018/10/29(月) 07:00:24|
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宮崎神宮御神幸祭(神武さま)青島臼太鼓踊り 宮崎市

宮崎神宮御神幸祭とは
 「神武さま」と呼ばれ、秋の宮崎を彩る県下最大の祭です。
 神武さまを自分のお宮として信仰してきた町民が、お宮までの道のりが遠く、親しくお参りすることが出来ないため、「せめて一年に一度神幸を願って一家をあげて心ゆくまで拝ませてください」という嘆願書を提出したのが始まりです。
 明治42年頃から今のような形式になったと言われています。
 今日まで地元の人々の信仰と親しみに支えられ、受け継がれてきた神武さまを、これからも絶やすことなく後世へ残していきたいものです。

 青島臼太鼓踊りは、豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵した際、飫肥藩士の士気を鼓舞し、また、相手を威かくするために踊ったのが始まりと言われています。
 1707年(宝永4年)、藩主の許可を得て盆踊りとして青島地区に伝承されるようになりました。

宮崎神宮御神幸祭(神武さま)青島臼太鼓踊り 宮崎市
hiroの部屋 宮崎神宮御神幸祭(神武さま)青島臼太鼓踊り 宮崎市


宮崎神宮御神幸祭(神武さま)青島臼太鼓踊り 宮崎市
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宮崎神宮御神幸祭(神武さま)青島臼太鼓踊り 宮崎市
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宮崎神宮御神幸祭(神武さま)青島臼太鼓踊り 宮崎市
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  1. 2018/10/28(日) 14:30:08|
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宮崎神宮御神幸祭(神武さま)人力車レディ 宮崎市

宮崎神宮御神幸祭とは
 「神武さま」と呼ばれ、秋の宮崎を彩る県下最大の祭です。
 神武さまを自分のお宮として信仰してきた町民が、お宮までの道のりが遠く、親しくお参りすることが出来ないため、「せめて一年に一度神幸を願って一家をあげて心ゆくまで拝ませてください」という嘆願書を提出したのが始まりです。
 明治42年頃から今のような形式になったと言われています。
 今日まで地元の人々の信仰と親しみに支えられ、受け継がれてきた神武さまを、これからも絶やすことなく後世へ残していきたいものです。

宮崎市 宮崎観光親善レディ 宮崎サンシャインレディ

宮崎神宮御神幸祭(神武さま)人力車レディ 宮崎市
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都城市 都城観光レディ

宮崎神宮御神幸祭(神武さま)人力車レディ 宮崎市
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小林市 小林コスモスレディ

宮崎神宮御神幸祭(神武さま)人力車レディ 宮崎市
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川南町 川南町フロンティアレディ

宮崎神宮御神幸祭(神武さま)人力車レディ 宮崎市
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日南市 日南サンフレッシュレディ

宮崎神宮御神幸祭(神武さま)人力車レディ 宮崎市
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  1. 2018/10/28(日) 14:23:51|
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宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市

宮崎神宮御神幸祭とは
 「神武さま」と呼ばれ、秋の宮崎を彩る県下最大の祭です。
 神武さまを自分のお宮として信仰してきた町民が、お宮までの道のりが遠く、親しくお参りすることが出来ないため、「せめて一年に一度神幸を願って一家をあげて心ゆくまで拝ませてください」という嘆願書を提出したのが始まりです。
 明治42年頃から今のような形式になったと言われています。
 今日まで地元の人々の信仰と親しみに支えられ、受け継がれてきた神武さまを、これからも絶やすことなく後世へ残していきたいものです。

ミスシャンシャン馬
 シャンシャン馬は鵜戸神宮へ参拝する新婚夫婦が乗っていた馬のことです。
 1940年10月に宮崎市で開催された日向建国博覧会で、当時の宮崎商工会議所会頭であった岩切章太郎(後の宮崎交通社長)の提案によりシャンシャン馬20頭をパレードに出したことが原型となりました。


宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市
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宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市
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宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市
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宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市
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宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市
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  1. 2018/10/28(日) 14:17:57|
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西都原古墳群のコスモス 宮崎県西都市

西都原古墳群の300万本のコスモスが見頃をむかえています。
とても綺麗です。
シートを敷きお昼寝をしている人もいます。

西都原古墳群のコスモス 宮崎県西都市
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心地よい風に、コスモスが揺れています。

西都原古墳群のコスモス 宮崎県西都市
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西都原古墳群のコスモス 宮崎県西都市
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桜が咲いていました。
台風の影響でしょうか?

西都原古墳群のコスモス 宮崎県西都市
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  1. 2018/10/28(日) 11:12:38|
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宮崎県の田の神さぁ 京町上向江の田の神さぁ えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

「京町上向江の田の神さぁ」の詳細
 建立年:不明
 型分類:神像型座像
 形態:座位
 像高:81cm
 像幅:58cm
 持ち物:冠を被り、直衣姿。
 彩色:顔は白色。目と眉は黒色。唇は赤色。

立派な祠です。

宮崎県の田の神さぁ 京町上向江の田の神さぁ えびの市
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手が欠損しています。

宮崎県の田の神さぁ 京町上向江の田の神さぁ えびの市
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宮崎県の田の神さぁ 京町上向江の田の神さぁ えびの市
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宮崎県の田の神さぁ 京町上向江の田の神さぁ えびの市
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  1. 2018/10/28(日) 07:00:35|
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宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市

宮崎神宮御神幸祭とは
 「神武さま」と呼ばれ、秋の宮崎を彩る県下最大の祭です。
 神武さまを自分のお宮として信仰してきた町民が、お宮までの道のりが遠く、親しくお参りすることが出来ないため、「せめて一年に一度神幸を願って一家をあげて心ゆくまで拝ませてください」という嘆願書を提出したのが始まりです。
 明治42年頃から今のような形式になったと言われています。
 今日まで地元の人々の信仰と親しみに支えられ、受け継がれてきた神武さまを、これからも絶やすことなく後世へ残していきたいものです。

ミスシャンシャン馬
 シャンシャン馬は鵜戸神宮へ参拝する新婚夫婦が乗っていた馬のことです。
 1940年10月に宮崎市で開催された日向建国博覧会で、当時の宮崎商工会議所会頭であった岩切章太郎(後の宮崎交通社長)の提案によりシャンシャン馬20頭をパレードに出したことが原型となりました。

宮崎神宮へ御神幸行列が始まる1時間前に行ったのですが、駐車場は既に満車でした。
何とか空いているところを見つけ駐車する事が出来ました。

ミスシャンシャン馬が出発を待っています。

宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市
hiroの部屋 宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市


宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市
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宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市
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宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市
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宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市
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宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市
hiroの部屋 宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市

14時、いよいよ出発です。

宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市
hiroの部屋 宮崎神宮御神幸祭(神武さま)ミスシャンシャン馬 宮崎市

 1971年と1972年は宮崎交通の社員からの選出とななりましたが、1973年に「宮交シティ開業記念」として宮崎市と周辺の町からの代表制となりました(ここまでは宮崎交通が全額負担)。
 2000年は公募制となり、2001年からは協賛企業の女子社員が「ミスシャンシャン馬」として選出されるようになりました。

ミスシャンシャン馬
 宮崎交通 花牟禮真子 さん
 テレビ宮崎 柳田 莉沙 さん
 宮崎ガス 坂下 愛子 さん
 宮崎放送 藤島 由芽 さん
 宮崎空港ビル 冨岡 眞穂 さん
 宮崎太陽銀行 植村 悠 さん
 宮崎山形屋 坂元 このみ さん
 宮崎銀行 日髙 友香 さん


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  1. 2018/10/27(土) 14:00:00|
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宮崎県の田の神さぁ 下島内の田の神さぁ えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

道幅が狭い道路です。
車を停める所がありません。

宮崎県の田の神さぁ 下島内の田の神さぁ えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 下島内の田の神さぁ えびの市

メシゲを両手で抱えています。

宮崎県の田の神さぁ 下島内の田の神さぁ えびの市
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水路の橋の側に祠があります。

宮崎県の田の神さぁ 下島内の田の神さぁ えびの市
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  1. 2018/10/27(土) 07:00:14|
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宮崎県の田の神さぁ 向江原の田の神さぁ えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

「宮馬場城山の田の神さぁ」から山手に入った所にあります。

宮崎県の田の神さぁ 向江原の田の神さぁ えびの市
宮崎県の田の神さぁ 向江原の田の神さぁ えびの市


宮崎県の田の神さぁ 向江原の田の神さぁ えびの市
宮崎県の田の神さぁ 向江原の田の神さぁ えびの市

えびのPAの近くになります。

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  1. 2018/10/26(金) 07:00:33|
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宮崎県の田の神さぁ 宮馬場城山の田の神さぁ えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

「宮馬場城山の田の神さぁ」の詳細
 建立年:大正15年(1926年)
 型分類:農民型
 形態:座位
 像高:30cm
 像幅:20cm
 持ち物:シキを被り、長袖和服と袴姿で右手にメシゲ、左手にキネを持つ。
 彩色:顔、手は白色。衣服は空色。帯は黄色。

「天神通の田の神さぁ」のすぐ側です。
とても綺麗にしています。

宮崎県の田の神さぁ 宮馬場城山の田の神さぁ えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 宮馬場城山の田の神さぁ えびの市

祠の中も綺麗ですね。

宮崎県の田の神さぁ 宮馬場城山の田の神さぁ えびの市
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宮崎県の田の神さぁ 宮馬場城山の田の神さぁ えびの市
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  1. 2018/10/25(木) 07:01:05|
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宮崎県の田の神さぁ 牧之原公民館の田の神さぁ えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

「牧之原公民館の田の神さぁ」の詳細
 建立年:不明
 型分類:農民型
 形態:椅像
 像高:35cm
 像幅:30cm
 持ち物:シキを被り、長袖和服と長袴姿で右手にメシゲ、左手に椀を持つ。
 彩色:顔とメシゲは白色。


宮崎県の田の神さぁ 牧之原公民館の田の神さぁ えびの市
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優しい笑顔ですね。

宮崎県の田の神さぁ 牧之原公民館の田の神さぁ えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 牧之原公民館の田の神さぁ えびの市


宮崎県の田の神さぁ 牧之原公民館の田の神さぁ えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 牧之原公民館の田の神さぁ えびの市

道路幅は狭いですが、地元の車、トラクターが結構走っていました。


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  1. 2018/10/24(水) 07:00:45|
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宮崎県の田の神さぁ 湯田新田の田の神さぁ えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

写真では分かりませんが、とっても小さな「田の神さぁ」です。

宮崎県の田の神さぁ 湯田新田の田の神さぁ えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 湯田新田の田の神さぁ えびの市


宮崎県の田の神さぁ 湯田新田の田の神さぁ えびの市
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小さな祠ですね。

宮崎県の田の神さぁ 湯田新田の田の神さぁ えびの市
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  1. 2018/10/23(火) 07:00:48|
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宮崎県の田の神さぁ 湯田営農研究所の田の神さぁ えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

えびのICから国道268号線を鹿児島方面に少し走った湯田営農研究所の敷地内に祠があります。
左側の祠です。

宮崎県の田の神さぁ 湯田営農研究所の田の神さぁ えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 湯田営農研究所の田の神さぁ えびの市


宮崎県の田の神さぁ 湯田営農研究所の田の神さぁ えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 湯田営農研究所の田の神さぁ えびの市

地元の焼酎は、やっぱり明石酒造の「名月」ですね。

宮崎県の田の神さぁ 湯田営農研究所の田の神さぁ えびの市
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  1. 2018/10/22(月) 07:00:36|
  2.  ┣ 田の神様(たのかんさあ)|
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グリーンパークえびのコスモス えびの市

今年は生駒高原のコスモスを見なかったので、えびの市に来ているので、「グリーンパークえびの」のコスモスを撮影することに。
駐車場には車が少なく、お客さんはあまり来ていないようです。
芝生に横になりくつろいでいる人もいます。

背の低いコスモスです。
奥に見えるのがコカ・コーラの工場です。

グリーンパークえびのコスモス えびの市
hiroの部屋 グリーンパークえびのコスモス えびの市


グリーンパークえびのコスモス えびの市
hiroの部屋 グリーンパークえびのコスモス えびの市

ひまわりが見えます。

グリーンパークえびのコスモス えびの市
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グリーンパークえびのコスモス えびの市
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  1. 2018/10/21(日) 13:44:54|
  2.  ┣ コスモス|
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宮崎の神社 水流菅原神社 えびの市

以前、水流菅原神社に来た時に、この鳥居を撮影したかったのですが、別の方が撮影されていたので(農道なので、車一台分の道幅)次回に撮影しよと思っていました。

ちょっと遅かったですね。
稲刈りが終わっていました。

宮崎の神社 水流菅原神社 えびの市
hiroの部屋 宮崎の神社 水流菅原神社 えびの市

遠くの山のループが見えます。
AND海上自衛隊の超長波(VLF)アンテナも見えます。

宮崎の神社 水流菅原神社 えびの市
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この鳥居は、NHKのCM?で流れていましたね。


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  1. 2018/10/21(日) 12:52:40|
  2.  ┣ 宮崎の神社・神話|
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水路の水草 えびの市

この写真、何だと思います。

水路の水草 えびの市
hiroの部屋 水路の水草 えびの市

えびの市の「田の神さぁ」の撮影で色んな場所を回っています。
広い田んぼや、山にある田んぼ・・・
稲作には、水が必要です。
そのために水路が沢山あります。

とても綺麗な水路に出会いました。
透明感があり、光を反射しキラキラしています。
水底の水草が流れる水にたなびいています。

こんな写真を撮影しようとしてたのですが、流れの複雑な所を撮影しチェックしてみたら、面白い写真が撮れていました。
 
水路の水草 えびの市
hiroの部屋 水路の水草 えびの市

で、調子に乗って何枚も撮影するのでした(^-^;


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  1. 2018/10/21(日) 11:09:45|
  2.  ┣ その他の植物・花写真|
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宮崎県の田の神さぁ 池島の田の神さぁ えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

「池島の田の神さぁ」の詳細
 建立年:平成3年(1991年)
 型分類:神像型座像
 形態:座像

宮崎県の田の神さぁ 池島の田の神さぁ えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 池島の田の神さぁ えびの市

以前は、祠があった様です。
周りは田んぼが広がり、風を遮る物が無いので、強風で壊れたのでしょうか?

宮崎県の田の神さぁ 池島の田の神さぁ えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 池島の田の神さぁ えびの市

側には、カラフルな「田の神さぁ」が

宮崎県の田の神さぁ 池島の田の神さぁ えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 池島の田の神さぁ えびの市

「飯くれ~」って言ってるような・・・

宮崎県の田の神さぁ 池島の田の神さぁ えびの市
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「わしにも、飯くれ~」って言ってるような・・・
立派な、ひげですね。

宮崎県の田の神さぁ 池島の田の神さぁ えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 池島の田の神さぁ えびの市

稲刈りが済んでいる田んぼもありますね。

宮崎県の田の神さぁ 池島の田の神さぁ えびの市
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  1. 2018/10/20(土) 07:00:22|
  2.  ┣ 田の神様(たのかんさあ)|
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宮崎県の田の神さぁ 大明司の田の神さぁ えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

「大明司の田の神さぁ」の詳細
 建立年:昭和49年(1974年)
 型分類:農民型
 形態:椅像
 像高:42cm
 像幅:21cm
 持ち物:シキを被り、長袖和服と長袴姿で右手にメシゲ、左手に椀を持つ。
 彩色:顔は白色。目と眉は黒色。唇は赤色。

国道221号線沿いに祠があります。
車を停めるスペースが僅かにあります。
交通量が多いので注意してください。

宮崎県の田の神さぁ 大明司の田の神さぁ えびの市
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予備の瓦と、掃除用のほうきがあります。

宮崎県の田の神さぁ 大明司の田の神さぁ えびの市
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  1. 2018/10/19(金) 07:00:28|
  2.  ┣ 田の神様(たのかんさあ)|
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宮崎県の田の神さぁ 坂元の田の神さぁ えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

「坂元の田の神さぁ」の詳細
 建立年:昭和62年(1987年)
 型分類:神像型座像
 形態:座位
 像高:57cm
 像幅:34cm
 持ち物:烏帽子を被り、長袖和服。
 彩色:烏帽子は黒色。顔と手は白色。服は青緑色。

笑顔の「田の神さぁ」です。

宮崎県の田の神さぁ 坂元の田の神さぁ えびの市
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とても耳が大きい「田の神さぁ」ですね。

宮崎県の田の神さぁ 坂元の田の神さぁ えびの市
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宮崎県の田の神さぁ 坂元の田の神さぁ えびの市
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  1. 2018/10/18(木) 07:00:56|
  2.  ┣ 田の神様(たのかんさあ)|
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宮崎県の田の神さぁ 蛭子神社の田の神さぁ えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

「蛭子神社の田の神さぁ」の詳細
 建立年:享保10年(1725年)
 型分類:僧型
 形態:立位
 像高:64cm
 像幅:31cm
 持ち物:シキ様の笠を被り、僧衣。
 彩色:なし。

宮崎県の田の神さぁ 蛭子神社の田の神さぁ えびの市
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  1. 2018/10/17(水) 07:00:55|
  2.  ┣ 田の神様(たのかんさあ)|
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宮崎県の田の神さぁ 御内馬場の田の神さぁ えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

とてもカラフルな「田の神さぁ」です。

宮崎県の田の神さぁ 御内馬場の田の神さぁ えびの市
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「御内馬場の田の神さぁ 女性」の詳細
 建立年:江戸末期
 型分類:夫婦像の女性
 形態:立位
 像高:63cm
 像幅:39cm
 持ち物:シキを被り長袖和服で、右手にメシゲ、左手に椀を持っている。
 彩色:メシゲ・顔・手は肌色。椀・帯は青色。服は赤色。

カラフルなシキです。
手足の爪が赤くてお洒落ですね。

宮崎県の田の神さぁ 御内馬場の田の神さぁ えびの市
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「御内馬場の田の神さぁ 男性」の詳細
 建立年:江戸末期
 型分類:夫婦像の男性
 形態:立位
 像高:55cm
 像幅:35cm
 持ち物:シキを被り長袖和服で、右手にメシゲ、左手に飯を盛った椀を持っている。
 彩色:足は肌色。メシゲは黄色。シキ・口・椀は赤色。服は青色。

飯を山盛りにした椀を持っています。

宮崎県の田の神さぁ 御内馬場の田の神さぁ えびの市
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宮崎県の田の神さぁ 御内馬場の田の神さぁ えびの市
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  1. 2018/10/16(火) 07:07:24|
  2.  ┣ 田の神様(たのかんさあ)|
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宮崎県の田の神さぁ 下五日市の田の神さぁ えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

「下五日市の田の神さぁ」の詳細
 建立年:不明
 型分類:農民型
 形態:立位
 像高:56cm
 像幅:28cm
 持ち物:大きなシキを被り長袖和服と袴姿で、右手にメシゲ、左手に椀を持っている。
 彩色:顔と服は白色。メシゲは赤色。

宮崎県の田の神さぁ 下五日市の田の神さぁ えびの市
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宮崎県の田の神さぁ 下五日市の田の神さぁ えびの市
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宮崎県の田の神さぁ 下五日市の田の神さぁ えびの市
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国道221号線八幡ケ丘公園前交差点から100m程西に行ったところに祠があります。

宮崎県の田の神さぁ 下五日市の田の神さぁ えびの市
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  1. 2018/10/15(月) 07:05:07|
  2.  ┣ 田の神様(たのかんさあ)|
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宮崎県の田の神さぁ 田の神通り えびの市

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。

 田の神さぁの写真を撮影するために、えびの市の京町温泉近くをうろうろいていると、たくさんの田の神さぁが目に飛び込んできました。
 写真でよく見た場所です。
 「田の神通り」の案内板があります。

 ここの田の神さぁを見ていると、なにかニコニコしてきます。
 稲穂が黄色く色づき、田の神さぁも喜んでいるようです。

宮崎県の田の神さぁ 田の神通り えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 田の神通り えびの市

道路沿いに、田の神さぁが並んでいます。

宮崎県の田の神さぁ 田の神通り えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 田の神通り えびの市


宮崎県の田の神さぁ 田の神通り えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 田の神通り えびの市

どの田の神さぁも、メシゲと椀を持っています。

宮崎県の田の神さぁ 田の神通り えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 田の神通り えびの市


宮崎県の田の神さぁ 田の神通り えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 田の神通り えびの市

人魚?はメシゲと椀は持っていません。

宮崎県の田の神さぁ 田の神通り えびの市
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 田の神通り えびの市

楽しくなりますね。


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  1. 2018/10/14(日) 19:25:06|
  2.  ┣ 田の神様(たのかんさあ)|
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山内自治公民館前のかかし 宮崎県えびの市

えびの市を「田の神さぁ」撮影で回っていると、道端にかかしが。
久しぶりに、かかしを見ます。坂元棚田で見たのが最後かな。

山内自治公民館前のかかし 宮崎県えびの市
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きれいなお姉さんかかしですね。

山内自治公民館前のかかし 宮崎県えびの市
hiroの部屋 山内自治公民館前のかかし 宮崎県えびの市

お天気が良ければなあ~

山内自治公民館前のかかし 宮崎県えびの市
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  1. 2018/10/14(日) 12:27:59|
  2.  ┣ えびの市|
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宮崎県の田の神さぁ 高野西の田の神さぁ 宮崎市高岡町

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 宮崎市高岡町にも田の神が残されています。神像型座像が多いですね。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。

「 高野西の田の神さぁ」の詳細
 建立年:安永6年(1777年)
 型分類:僧型
 形態:座位
 像高:55cm
 像幅:42cm
 持ち物:頭を丸め、僧衣で両手輪組で笏(しゃく)を持ち、座禅を組んでいる。
 彩色:衣は赤茶色。耳は黄色。

宮崎市高岡町上倉永高野西

宮崎県の田の神さぁ 高野西の田の神さぁ 宮崎市高岡町
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 高野西の田の神さぁ 宮崎市高岡町


宮崎県の田の神さぁ 高野西の田の神さぁ 宮崎市高岡町
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 高野西の田の神さぁ 宮崎市高岡町


宮崎県の田の神さぁ 高野西の田の神さぁ 宮崎市高岡町
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  1. 2018/10/12(金) 07:00:37|
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宮崎県の田の神さぁ 高野東の田の神さぁ 宮崎市高岡町

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 宮崎市高岡町にも田の神が残されています。神像型座像が多いですね。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。

「 高野東の田の神さぁ」の詳細
 建立年:昭和35年(1960年)
 型分類:農民型
 形態:立位
 像高:65cm
 像幅:33cm
 持ち物:シキを被り長袖和服と袴姿で、右手にメシゲ、左手にすりこぎを持っている。
 彩色:衣赤色。

宮崎市高岡町上倉永高野東

宮崎県の田の神さぁ 高野東の田の神さぁ 宮崎市高岡町
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 高野東の田の神さぁ 宮崎市高岡町


宮崎県の田の神さぁ 高野東の田の神さぁ 宮崎市高岡町
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 高野東の田の神さぁ 宮崎市高岡町


宮崎県の田の神さぁ 高野東の田の神さぁ 宮崎市高岡町
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 高野東の田の神さぁ 宮崎市高岡町


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  1. 2018/10/11(木) 07:00:32|
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宮崎県の田の神さぁ 寺迫の田の神さぁ 宮崎市高岡町

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 宮崎市高岡町にも田の神が残されています。神像型座像が多いですね。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。

「 寺迫の田の神さぁ」の詳細
 建立年:昭和25年(1950年)
 型分類:農民型
 形態:立位
 像高:106cm
 像幅:45cm
 持ち物:シキを被り長袖和服と袴姿で、右手にメシゲ、左手にすりこぎを持っている。
 彩色:衣が一部茶褐色。

宮崎市高岡町上倉永寺迫

宮崎県の田の神さぁ 寺迫の田の神さぁ 宮崎市高岡町
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宮崎県の田の神さぁ 寺迫の田の神さぁ 宮崎市高岡町
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宮崎県の田の神さぁ 寺迫の田の神さぁ 宮崎市高岡町
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  1. 2018/10/10(水) 07:00:54|
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宮崎県の田の神さぁ 上倉永の田の神さぁ 宮崎市高岡町

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 宮崎市高岡町にも田の神が残されています。神像型座像が多いですね。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。

「 上倉永の田の神さぁ」の詳細
 建立年:昭和15年(1940年)
 型分類:農民型
 形態:椅像
 像高:98cm
 像幅:55cm
 持ち物:シキを被り長袖和服と股引き姿で、右手にメシゲ左手に椀を持ち、肩にわらづとを背負っている。
 彩色:無し。

宮崎市高岡町上倉永寺迫

宮崎県の田の神さぁ 上倉永の田の神さぁ 宮崎市高岡町
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肩にわらづと(わらなどを束ねてその両端を縛り,中間部で物をくるむもの)を背負っています。

宮崎県の田の神さぁ 上倉永の田の神さぁ 宮崎市高岡町
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宮崎県の田の神さぁ 上倉永の田の神さぁ 宮崎市高岡町
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  1. 2018/10/09(火) 07:00:36|
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