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宮崎県の田の神さぁ 出口(でぐち)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓出口 高台

ファミリーマート高原インター前(高原町二本松交差点)から県道29号線を野尻方面へ560m走り右折し510m程先の左側高台に「出口(でぐち)の田の神」祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 出口(でぐち)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓出口 高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 出口(でぐち)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓出口 高台

「出口(でぐち)の田の神」の詳細
建立年:嘉永3年(1850年)下川原開田の時と伝わる
型分類:農民型
形態:立位
像高:70cm
像幅:38cm
奥行:30cm
持ち物:ショケ被り長袖上衣(うえのきぬ)裁着袴(たっつけはかま)姿で両手鍬持ち背にワラヅト
彩色: 無し。

宮崎県の田の神さぁ 出口(でぐち)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓出口 高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 出口(でぐち)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓出口 高台

シキ:縄で編んだ敷物
上衣(うえのきぬ):束帯・布袴(ほうこ)・衣冠のときに用いる上着
裁着袴(たっつけはかま):農民の仕事着
ワラヅト:ワラを束ねて中に物を包むようにいたもの。

鍬を持っているのは珍しいですね。

宮崎県の田の神さぁ 出口(でぐち)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓出口 高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 出口(でぐち)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓出口 高台

ワラヅトを背負っているのも珍しいですね。

宮崎県の田の神さぁ 出口(でぐち)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓出口 高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 出口(でぐち)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓出口 高台


宮崎県の田の神さぁ 出口(でぐち)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓出口 高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 出口(でぐち)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓出口 高台

高千穂峰が見えます。

宮崎県の田の神さぁ 出口(でぐち)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓出口 高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 出口(でぐち)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓出口 高台

次は、「蒲牟田(かまむた)の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/04/30(金) 18:00:02|
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宮崎県の田の神さぁ 梅ヶ久保(うめがくぼ)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓梅ヶ久保 水田

宮崎県の田の神さぁ巡りです。
今回は、西諸県郡高原町にある田の神さぁを巡ります。

最初に、高原町の東にある「梅ヶ久保(うめがくぼ)の田の神」です。
ファミリーマート高原インター前(高原町二本松交差点)から県道29号線を野尻方面へ3km弱走り、左の方へ上って行く小道に入ります。この道です。

宮崎県の田の神さぁ 梅ヶ久保(うめがくぼ)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓梅ヶ久保 水田
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 梅ヶ久保(うめがくぼ)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓梅ヶ久保 水田

真っ直ぐに540m程走り、左へ坂道を下りて行った突き当りに車を停めます。
車を停めるスペースがあるのは、ここだけだと思われます。
ここから右手奥に「梅ヶ久保(うめがくぼ)の田の神」が見えます。

宮崎県の田の神さぁ 梅ヶ久保(うめがくぼ)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓梅ヶ久保 水田
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 梅ヶ久保(うめがくぼ)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓梅ヶ久保 水田

「梅ヶ久保(うめがくぼ)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:農民型
形態:立位
像高:88cm
像幅:48cm
奥行:46cm
持ち物:シキ被り長袖上衣(うえのきぬ)裁着袴(たっつけはかま)姿で右手メシゲ左手棒状の物持ち右足前。
彩色: 無し。

宮崎県の田の神さぁ 梅ヶ久保(うめがくぼ)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓梅ヶ久保 水田
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 梅ヶ久保(うめがくぼ)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓梅ヶ久保 水田

シキ:縄で編んだ敷物
上衣(うえのきぬ):束帯・布袴(ほうこ)・衣冠のときに用いる上着
裁着袴(たっつけはかま):農民の仕事着
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 梅ヶ久保(うめがくぼ)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓梅ヶ久保 水田
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宮崎県の田の神さぁ 梅ヶ久保(うめがくぼ)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓梅ヶ久保 水田
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宮崎県の田の神さぁ 梅ヶ久保(うめがくぼ)の田の神 西諸県郡高原町大字西麓梅ヶ久保 水田
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次は、「出口(でぐち)の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/04/29(木) 18:00:01|
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TOKYO2020オリンピック聖火リレーセレブレーション 宮崎県庁

TOKYO2020オリンピック聖火リレーが、宮崎県で25日26日行われます。
25日は高千穂町から宮崎市まで走ります。
25日のセレブレーションが宮崎県庁前で行われました。
「セレブレーション」とは、その日の最終聖火ランナーが、聖火皿に聖火を灯すセレモニーのことです。

ダンスやパフォーマンスが披露されました。

TOKYO2020オリンピック聖火リレーセレブレーション 宮崎県庁
hiroの部屋 TOKYO2020オリンピック聖火リレーセレブレーション 宮崎県庁


TOKYO2020オリンピック聖火リレーセレブレーション 宮崎県庁
hiroの部屋 TOKYO2020オリンピック聖火リレーセレブレーション 宮崎県庁

最終ランナーの延岡市出身の五輪競泳メダリスト松田丈志さんです。

TOKYO2020オリンピック聖火リレーセレブレーション 宮崎県庁
hiroの部屋 TOKYO2020オリンピック聖火リレーセレブレーション 宮崎県庁


TOKYO2020オリンピック聖火リレーセレブレーション 宮崎県庁
hiroの部屋 TOKYO2020オリンピック聖火リレーセレブレーション 宮崎県庁


TOKYO2020オリンピック聖火リレーセレブレーション 宮崎県庁
hiroの部屋 TOKYO2020オリンピック聖火リレーセレブレーション 宮崎県庁

河野俊嗣宮崎県知事の挨拶です。

TOKYO2020オリンピック聖火リレーセレブレーション 宮崎県庁
hiroの部屋 TOKYO2020オリンピック聖火リレーセレブレーション 宮崎県庁


TOKYO2020オリンピック聖火リレーセレブレーション 宮崎県庁
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  1. 2021/04/25(日) 19:31:24|
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都井岬の御崎馬 宮崎県串間市

久々に都井岬にやって来ました。
駐車場に多くの車が停まっています。

風が凄いです。
丘を上るのに、下からの風で楽に上れる程です。
帽子が飛んだら終わりなので、バックにしまいます。

都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市

御崎馬の赤ちゃん「春駒」が生まれる季節がやってきました。

都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市


都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市


都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市


【御崎馬(みさきうま)】
 哺乳網奇蹄目ウマ科。岬馬とも呼ばれています。
 江戸時代前期の元禄10年(1697年)、高鍋藩の秋月家が軍事に欠かせない馬の放牧を、福島地方(現在の串間市)を中心に7カ所設置された藩営牧場の1つ都井村御崎牧(現在の御崎牧場)で始めたのが始まりとされています。
 明治維新後の明治7年(1874年)、御崎牧場は組合員155名からなる御崎組合の共有牧場として払い下げられました。
 明治30年(1897年)に明治政府は種牡馬検査法を公布しました。その後、国策として内国産馬の体格を向上させるために洋種馬の血統を導入する計画を実施しました。
 御崎馬も国策としての内国産馬改良事業から完全に逃れることはできず、都井岬には大正2年(1913年)に父がスタンダードブレッド、母が北海道和種と南部馬の雑種の北海道産牡馬である小松号が導入され、種馬として1年間供用され数頭の牝馬が種付けされました。
 小松号の特徴は、栗毛、流星、珠目正、鼻白、右後一白でした。それ以来、御崎馬には栗毛や白持ちで大柄の馬も出るようになりました。しかし、小松号の影響は限られたものにとどまり、御崎馬は純粋度の高い馬群を維持する数少ない日本在来馬として残りました。
 御崎馬は第二次世界大戦中から戦後にかけて数が減少し、農業の機械化にともない農耕馬としての需要も見込めなくなりました。
 しかし、昭和28年(1953年)に「岬馬およびその繁殖地」が国の天然記念物に指定され、昭和42年(1967年)と昭和43年(1968年)に発足した都井岬馬保護対策協議会と都井岬馬保護対策協力会が御崎牧場に協力、援助する体制ができました。
 さらに、昭和49年(1974年)からは国、宮崎県、串間市の補助事業として保護策がとられ、御崎馬の頭数は次第に増加傾向に転じました。近年は120頭前後で安定し、半野生状態を維持された希少な日本在来馬として宮崎県の重要な観光資源となっています。

【特徴】
 体長・体高ともに130cm内外で、毛色は主に鹿毛と青毛で、栗毛は極めて少なく、背中に鰻線のあるものが多く見られます。

【生態】
 春から夏はノシバやチガヤの豊富な小松ヶ丘や扇山の草地で、種雄馬(しゅゆうば)を中心に数頭の雌馬と子馬で構成された群(ハーレム)を作って過ごします。
 秋から冬は小さな群に分かれて海岸よりの杉林や雑木林に移動して、ススキやシダあるいはタブノキやアカメガシワなどの茎葉を食べて過ごします。

【春駒(子馬)】
 御崎馬の出産のシーズンは 3月~8月で、4・5月に最も多く生まれます。



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  1. 2021/04/18(日) 12:42:03|
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日南海岸 日南海岸ロードパーク

道の駅なんごうより先の県道448号線は通行止めになっています。
山道の市木南郷線を走り、幸島へ向かいます。

幸島が見えるいつもの撮影ポイントです。

日南海岸 日南海岸ロードパーク
hiroの部屋 日南海岸 日南海岸ロードパーク


日南海岸 日南海岸ロードパーク
hiroの部屋 日南海岸 日南海岸ロードパーク

幸島です。
この道も以前は通行できなかったのですが、大型を除いて通行できるようになっていました。

日南海岸 日南海岸ロードパーク
hiroの部屋 日南海岸 日南海岸ロードパーク

恋ケ浦海岸です。
大勢の人がサーフィンを楽しんでいます。

日南海岸 日南海岸ロードパーク
hiroの部屋 日南海岸 日南海岸ロードパーク


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  1. 2021/04/18(日) 11:50:43|
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日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町

昨日はお天気良くありませんでしたが、今日は久々の青空です。
ちょっと風が冷たいですね。
日南海岸を走り、道の駅なんごうへ。

道の駅なんごう側の県道448号線旧道に休憩所があります。
ここは誰もいなくて良いですね。

日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町
hiroの部屋 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町

ここからの眺めも良いですね。

日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町
hiroの部屋 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町


日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町
hiroの部屋 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町

 「道の駅 なんごう」は日南海岸国定公園のほぼ中央に位置し、日向灘を望む海岸線は無類の景勝地で、近隣に国内有数の県亜熱帯作物支場、有用植物園、ジャカランダの森などあり、自然を満喫することができます。
 また、駅周辺の海は日南海中公園で、水中観光船で珊瑚礁や熱帯魚なども鑑賞できます。


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  1. 2021/04/18(日) 11:30:59|
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宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

国道268号線の「梅田学園小林自動車学校」入口から300m行ったY字路を左へ進み、道なりに1km程行った左手に「八所(やところ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

「八所(やところ)(左)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:農民型
形態:座位
像高:62cm
像幅:52cm
奥行:30cm
持ち物:シキ被り長袖和服で右手メシゲ、左手持ち物なく両手膝の上。
 彩色:顔以外は鮮やかなベンガラに赤色

シキ:縄で編んだ敷物
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

「八所(やところ)(右)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神官型座像
形態:座位
像高:62cm
像幅:74cm
奥行:35cm
持ち物:頭部は改作されています。衣冠束帯で両手輪組で穴あり。
彩色:顔以外は鮮やかなベンガラに赤色

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

同じ所にに田の神が二体あるのは珍しく、夫婦の田の神とも言われていますが、後ろにある「田の神様御鎮座記念の碑」には

田の神様御鎮座記念の碑
 この横を流れる大谷川の水源は、山の神にあり、滾々と湧き出る水は、昔より涸れることなく、栗須の下を流れて、城の下川となり約10Km下流の大久保で岩瀬川に合流する。
 流域は昔より我等の祖先が開田し、営々として耕作を続けて来た。
 「御飯粒をこぼすと目がつぶれる。」と、いわれた程に大切な食糧である稲には、神が宿ると考えられ、神は春には田に降り、晩秋には山に帰られると信じていた。
 又、「サ」という神様が、春になると、天から降臨され、神に仕える早乙女は生贄にされたともいわれている。
 田の神に化粧するのは、ここらに由来しているものと思われる。
 旧薩摩藩領内では、今より約270年前頃より、田の神像を石で彫刻し、田の見える場所に安置して、豊作を祈念するようになった。

宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

 八所の田の神は初めに、大きい方の神像が造られた。
 その後は豊作続きであったので、他地区の人達が「八所の田の神は、豊作を授けて下さる有り難い神様だ。」ということで、夜、こっそりと借りて行った。ところが帰された時には、頭がなくなっていた。
 そこで八所の人々はしゃもじを持った小さい方の田の神を造って、二体並べて祭って来た。
 昭和二十三年に田の神お化粧の時、首なしの神にも頭を造って、くっつけた。

宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

 昭和八年には野尻原開田のずい道が通じた為に水位が下がり、田の神の前に揚水ポンプが設けられた。
 昭和六十一年に、ずい道の老朽化による改造工事の為、昔からの鎮座地で「字、佐土元、三三八一番地一〇(367㎡)」に台座を作り永久に田の神の敷地に使用することになった。
 旧三月十五日にはお化粧をし「サ昇り」には、焼酎や田の苗等をあげて豊作を祈念した。
 「春田打つ、夏の早苗とるあしたより、秋の夕を守る田の神”この度の鎮座に当り、由来を記し、後世に伝えるものである。」
昭和六十一年三月吉祥日 八所田の神講一同


今回の「八所(やところ)の田の神」の撮影で、小林市野尻町の「田の神さぁ」は終了します。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/14(水) 18:00:44|
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宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

菅原神社の右の「田の神」です。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

「菅原神社(右)の田の神」の詳細
建立年:延享二年(1745 年)
型分類:武神像、田の神原型式武神像
形態:椅位
像高:55cm
像幅:48cm
奥行:24cm
持ち物:丸顔で両手左右持ち膝の上。左脇の下に穴あり。
彩色:無し

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

左わきに穴が開いています。
他に記憶が無いですね。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

この「田の神」も袖が特徴的ですね。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

管原神社境内にある石神には「作者 毛利雅楽 延享二年(1745 年)」と刻まれています。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

毛利雅楽の名は立野の田の神(小林市大字南西方字立野)にも刻まれています。
また境内には「元文五年」の銘が刻まれた庚申供養塔もあり、菅原神社の歴史が古いことを物語る資料となっています


次は、「八所(やところ)の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/04/13(火) 18:00:43|
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宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

「西原(にしばる)の田の神」の横の階段を上ると、菅原神社です。
菅原神社に向かって左右に「田の神」が祀られています。
左の方の「田の神」へ

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

「菅原神社(左)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:武神像、田の神原型式武神像
形態:椅位
像高:61cm
像幅:50cm
奥行:28cm
持ち物:丸顔で両手左右持ち膝の上。
彩色:無し。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

この「田の神」は、袖が特徴的ですね。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原


「菅原神社(右)の田の神」を見てみましょう。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市

遅い時間ですが(16:30)、高取山公園にやって来ました。
ツツジが咲いている斜面が日陰になってきました。

速攻で撮影です。

宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市
hiroの部屋 宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市


宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市
hiroの部屋 宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市


宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市
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宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市
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ミツバツツジ(三葉躑躅 Rhododendron dilatatum)はツツジ科ツツジ属の落葉低木です。また、近縁のミツバツツジ類の総称でもあります。
 関東地方から近畿地方東部の太平洋側に分布し、主にやせた尾根や岩場、里山の雑木林などに生育します。
 他のミツバツツジ類の多くは雄しべが10本なのに対し、本種は5本であることが大きな特徴です。
 古くから庭木としても植えられますが、盗掘の影響もあるせいか野生の個体数は決して多くありません。
 ミツバツツジ類は、4-5月頃に咲く紅紫色の花が美しです。花が終わってから葉が出てきます。枝先に三枚の葉がつくことからこの名がつきました。
 ミツバツツジの変種には、トサノミツバツツジ、ハヤトミツバツツジ、ヒダカミツバツツジなどがあります。
 日本に自生するその他のミツバツツジ類には、トウゴクミツバツツジやサイコクミツバツツジ、コバノミツバツツジ、ダイセンミツバツツジ、ユキグニミツバツツジ、キヨスミミツバツツジなどがあります。


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  1. 2021/04/11(日) 20:19:53|
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宮崎の花 大塚原公園のツツジ 小林市野尻町東麓

今日は、三股町のしゃくなげの森に行って、その後椎八重公園のツツジを見に行こうと、宮崎市から北郷町回りで三股町へ行ったのですが、しゃくなげの森の駐車場は満車状態になっていました。密だと思い椎八重公園へ向かったのですが、反対車線の椎八重公園の入口から200m以上車が渋滞しています。椎八重公園のツツジは諦めて、どこかツツジは咲いていないか考えて、小林市野尻町の大塚原公園へ行ってみることにしました。

咲いていますが、まばらですね。

宮崎の花 大塚原公園のツツジ 小林市野尻町東麓
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宮崎の花 大塚原公園のツツジ 小林市野尻町東麓
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宮崎の花 大塚原公園のツツジ 小林市野尻町東麓
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  1. 2021/04/11(日) 20:09:24|
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宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

「佐土瀬(さどせ)の田の神」から南へ170m程先を右折し、920m行った右手に「西原(にしばる)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
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「西原(にしばる)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像、野尻神官型
形態:座位
像高:56cm
像幅:62cm
奥行:37cm
持ち物:纓(えい)の付いた冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組でメシゲを持っている。
彩色:顔とメシゲが白色で、あとは全て朱色。

宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
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纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
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宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
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もとは菅原神社東下の田んぼの土手にあったものを昭和53年に今の場所に移したとされています。

次は、横の階段を上って「菅原神社」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/11(日) 18:00:35|
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宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原

「野々崎(ののざき)の田の神」から210m程行った右手に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
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宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
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「佐土瀬(さどせ)の田の神」の詳細
建立年:昭和11年4月
型分類:神像型座像、野尻神官型
形態:座位
 像高:51cm
 像幅:47.5cm
奥行:32cm
持ち物:纓(えい)の付いた冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組でメシゲを持っている。
 彩色:顔とメシゲが白色で、あとは全て朱色。

宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
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纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
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宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
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次は、「西原(にしばる)の田の神」へ向かいます。

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/10(土) 18:00:17|
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宮崎県の田の神さぁ 野々崎(ののざき)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原

セブン-イレブン野尻栗須店から、小林方面へ820m程行った野々崎バス停手前を左折して、70m先の左手に祀られています。
「止まれ」の標識が見えている先が国道268号線です。

宮崎県の田の神さぁ 野々崎(ののざき)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
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宮崎県の田の神さぁ 野々崎(ののざき)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
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「野々崎(ののざき)の田の神」の詳細
建立年:昭和20年(1945年)7名連記
型分類:神像型座像、野尻神官型
形態:座位
像高:60cm
像幅:47cm
奥行:33cm
持ち物:纓(えい)の付いた冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組でメシゲを持っている。
彩色:顔とメシゲが白色で、あとは全て朱色。

宮崎県の田の神さぁ 野々崎(ののざき)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
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纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 野々崎(ののざき)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
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撮影している間、傍の家の番犬に吠えられ続けられました・・・
良いお仕事をしていますね。

次は、「佐土瀬(さどせ)の田の神」へ向かいます。
ここから見えています。

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/09(金) 18:00:26|
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宮崎県の田の神さぁ 大沢津(おおさわつ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字山神八尾神社

国道268号線沿いのセブン-イレブン 野尻栗須店から北へ500m行った所に「八尾神社」があります。
「八尾神社」の境内に、「大沢津(おおさわつ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 大沢津(おおさわつ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字山神八尾神社
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「大沢津(おおさわつ)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像、野尻神官型
形態:座位
像高:74cm
像幅:68cm
奥行:43cm
持ち物:纓(えい)の付いた冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で大きなメシゲを持っている。
 彩色:顔と手が白色で、あとは全て朱色。

宮崎県の田の神さぁ 大沢津(おおさわつ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字山神八尾神社
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纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 大沢津(おおさわつ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字山神八尾神社
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像の横にある石柱に「奉納 明治百年記念 沢口盛武」と付記されています。

次は、「野々崎(ののざき)の田の神」へ向かいます。

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/08(木) 18:00:58|
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宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神 小林市野尻町東麓字上野原

「上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神」から県道42号線を高崎町方面へ130m行った交差点を左折し、200m先のY字路を左折し、45先のT字路を右折し、200m程行った右側の建物の中に「上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神」が祀られています。

この建物です。

宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神 小林市野尻町東麓字上野原
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右にいらっしゃるのが「上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神」です。

宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神 小林市野尻町東麓字上野原
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「上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:仏像型
形態:座位
像高:43cm
像幅:40cm
奥行:23cm
持ち物:頭布を背に垂らし被り、長袖の着物で両手で大きなメシゲを抱く。
彩色:無し。

メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神 小林市野尻町東麓字上野原
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次は、「大沢津(おおさわつ)の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
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  1. 2021/04/07(水) 18:00:10|
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宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神 小林市野尻町東麓字跡瀬原

国道268号線東中町交差点より県道42号線を高崎町方面へ2.6km走った右カーブを左折した左手に「上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神 小林市野尻町東麓字跡瀬原
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「上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像
形態:座位
像高:65cm
像幅:50cm
奥行:25cm
持ち物:シキ風の被り物で長袖和服でおにぎりを両手で持っている。
彩色:衣は薄紫色で、顔と両手が白色。

シキ:縄で編んだ敷物

宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神 小林市野尻町東麓字跡瀬原
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宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神 小林市野尻町東麓字跡瀬原
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次は、「上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/06(火) 18:00:56|
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宮崎県の田の神さぁ 大笹(おおざさ)の田の神 小林市野尻町東麓字小笹

「牟田原(むたばる)の田の神」のカーブを曲がらず真っ直ぐ(東南)に走ります。1km程走り右手に見える木々の下に「大笹(おおざさ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 大笹(おおざさ)の田の神 小林市野尻町東麓字小笹
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馬頭観音と共に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 大笹(おおざさ)の田の神 小林市野尻町東麓字小笹
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「大笹(おおざさ)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:僧型
形態:座位
像高:65cm
像幅:26cm
奥行:28cm
持ち物:被り物は無く、僧衣で両手を組んでいる。
彩色:無し。

宮崎県の田の神さぁ 大笹(おおざさ)の田の神 小林市野尻町東麓字小笹
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次は、「上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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宮崎の花 宮崎神宮の藤の花 宮崎市

宮崎神宮にある藤棚へやって来ました。

宮崎の花 宮崎神宮の藤の花 宮崎市
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宮崎の花 宮崎神宮の藤の花 宮崎市
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宮崎の花 宮崎神宮の藤の花 宮崎市
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宮崎の花 宮崎神宮の藤の花 宮崎市
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宮崎神宮の藤の花は、国指定の天然記念物です。

指定年月日 昭和26年6月9日

本樹は中国原産のオオシラフジで、同種ではわが国で最も大きい樹木である。
根周り2.95mで幹が二つに分かれている。
西の枝は径1.6m、
東南の枝は径1.41mあり長く伸びている。
樹冠は西南方面に約12.23mに達し、東方面にはあまり伸びず約6.35mである。
四月中旬頃、真白で大きな花を咲かせ皆の目を楽しませてくれている。
「オオシラフジ」は 正式学名ではなく、フジの一品種で白く大きな花をつけることからその名がついている。
 宮崎市教育委員会

宮崎の花 宮崎神宮の藤の花 宮崎市
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 フジ (藤) は、マメ科のつる性の落葉木本であるフジ属の総称であり、またその中の1種の種名でもある。4-5月に淡紫色または白色の花を房状に垂れ下げて咲かせる。

 フジ属は、日本、北アメリカ、東アジアに自生し、日本固有種としてはフジ(ノダフジ)とヤマフジの2種がある。このほか、中国でシナフジ、欧米でアメリカフジなども栽培されている。

 異名に「さのかたのはな」、「むらさきぐさ」、「まつみぐさ」、「ふたきぐさ」、「まつなぐさ」などがある。

 園芸植物としては、日本では藤棚に仕立てられることが多い。白い品種もある。つる性であるため、樹木の上部を覆って光合成を妨げるほか、幹を変形させ木材の商品価値を損ねる。このため、植林地など手入れの行き届いた人工林では、フジのツルは刈り取られる。これは、逆にいえば、手入れのされていない山林で多く見られるということである。近年、日本の山林でフジの花が咲いている風景が増えてきた要因としては、木材の価格が下落したことによる管理放棄や、藤蔓を使った細工(籠など)を作れる人が減少したことが挙げられる。

フジ(ノダフジ)
 一般的にフジといわれるのがこれである。山野に普通。木に巻きついて登り、樹冠に広がる。かなり太くなるツル性の木本である。花序は長くしだれて20-80cmに達する。蔓の巻き方は右巻き(上から見ると右回り)。花は紫。本州・四国・九州の温帯から暖帯に分布する。ノダフジ(野田藤)の名は、この品種の発祥の地とされる大阪市福島区野田にちなんでいる。

ヤマフジ
 他の木に巻きついて大きく成長する。花は淡紫。花序はフジに比較して短く、蔓は上から見ると左回り。本州西部・四国・九州(暖帯)の山地に自生する。鑑賞用に栽培することもある。


一才藤(いっさいふぢ)
 園芸上の名称。樹高50cmくらいの、鉢植えや盆栽にして愉しむための一才物のフジ。花枝はしだれるが、支柱などは不要。



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  1. 2021/04/04(日) 19:00:48|
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宮崎の花 天ヶ城公園のツツジ 宮崎市高岡町内山

宮崎市高岡町にある「天ヶ城公園」へやって来ました。
サクラは終わっていますが、ツツジが今から見頃になります。
広場のツツジは見頃ですが、駐車場から下の方のツツジはまだまだですね。

宮崎の花 天ヶ城公園のツツジ 宮崎市高岡町内山
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  1. 2021/04/04(日) 18:50:08|
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宮崎の花 高岡町一里山(いちりやま)の芝桜 宮崎市高岡町水流口

高岡町久木野地区の芝桜を見にやって来たのですが、雨が降っています。
駐車場へ車を入れたのですが、雨で土がドロドロになっています。車から降りることが出来ません。
ここは諦めて、水流口地区の芝桜を見に行くことにします。

水流口地区に着きましたが、ここの駐車場もドロドロ状態です。
水流口地区の芝桜は道路を挟んで二カ所あるのですが、道路より高い所にある芝桜の先に車を停めるスペースがあったのを思い出しようやく車を停めることが出来ました。

芝桜は、雨のため鮮やかではありません。

上の段にある芝桜です。

宮崎の花 高岡町一里山(いちりやま)の芝桜 宮崎市高岡町水流口
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宮崎の花 高岡町一里山(いちりやま)の芝桜 宮崎市高岡町水流口
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下の段にある芝桜です。

宮崎の花 高岡町一里山(いちりやま)の芝桜 宮崎市高岡町水流口
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宮崎の花 高岡町一里山(いちりやま)の芝桜 宮崎市高岡町水流口
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晴れている時に撮影したいですね。

シバザクラ(芝桜、学名:Phlox subulata)はハナシノブ科の多年草です。別名、ハナツメクサ(花詰草、花爪草)。
北米原産で、4-5月頃にサクラに似た形の淡桃、赤、薄紫、あるいは白色の花を咲かせます。葉形やその匍匐性などから芝桜と名付けられました。葉は1センチ程度と小さく披針形で硬く、よく枝分かれし地面を覆い尽くすように密生します。また寒暑や乾燥に強く常緑のため芝生代わりに植えられていることもあります。
同属をまとめてフロックスと呼び、花期をずらして混植されることもあります。フロックス・ストロニフェラ(ツルハナシノブ)、フロックス・ドラモンディー(スターフロックス)、フロックス・パニクラータ(オイランソウ、クサキョウチクトウ)等ありますがそれぞれ別種です。



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  1. 2021/04/04(日) 18:40:13|
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宮崎の花 スミちゃんラーメン萩の茶屋のツツジ 小林市野尻町

萩の茶屋のツツジが見頃をむかえています。
雨が降っているので、色が鮮やかではありませんが・・・
晴れている時に撮影したいですね。

宮崎の花 スミちゃんラーメン萩の茶屋のツツジ 小林市野尻町
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宮崎の花 スミちゃんラーメン萩の茶屋のツツジ 小林市野尻町
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宮崎の花 スミちゃんラーメン萩の茶屋のツツジ 小林市野尻町
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宮崎の花 スミちゃんラーメン萩の茶屋のツツジ 小林市野尻町
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  1. 2021/04/04(日) 18:20:36|
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宮崎の花 スミちゃんラーメン萩の茶屋の藤の花 小林市野尻町

スミちゃんラーメン萩の茶屋の藤の花の撮影です。
お昼に雨が降る予報だったので、午前中に萩の茶屋にやって来たのですが、到着と同時に雨が降って来ました。
傘をさしての撮影です。

お天気良くないからでしょうか。思っていたほど車は多くないですね。

宮崎の花 スミちゃんラーメン萩の茶屋の藤の花 小林市野尻町
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宮崎の花 スミちゃんラーメン萩の茶屋の藤の花 小林市野尻町
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宮崎の花 スミちゃんラーメン萩の茶屋の藤の花 小林市野尻町
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宮崎の花 スミちゃんラーメン萩の茶屋の藤の花 小林市野尻町
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宮崎の花 スミちゃんラーメン萩の茶屋の藤の花 小林市野尻町
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 フジ (藤) は、マメ科のつる性の落葉木本であるフジ属の総称であり、またその中の1種の種名でもある。4-5月に淡紫色または白色の花を房状に垂れ下げて咲かせる。

 フジ属は、日本、北アメリカ、東アジアに自生し、日本固有種としてはフジ(ノダフジ)とヤマフジの2種がある。このほか、中国でシナフジ、欧米でアメリカフジなども栽培されている。

 異名に「さのかたのはな」、「むらさきぐさ」、「まつみぐさ」、「ふたきぐさ」、「まつなぐさ」などがある。

 園芸植物としては、日本では藤棚に仕立てられることが多い。白い品種もある。つる性であるため、樹木の上部を覆って光合成を妨げるほか、幹を変形させ木材の商品価値を損ねる。このため、植林地など手入れの行き届いた人工林では、フジのツルは刈り取られる。これは、逆にいえば、手入れのされていない山林で多く見られるということである。近年、日本の山林でフジの花が咲いている風景が増えてきた要因としては、木材の価格が下落したことによる管理放棄や、藤蔓を使った細工(籠など)を作れる人が減少したことが挙げられる。

フジ(ノダフジ)
 一般的にフジといわれるのがこれである。山野に普通。木に巻きついて登り、樹冠に広がる。かなり太くなるツル性の木本である。花序は長くしだれて20-80cmに達する。蔓の巻き方は右巻き(上から見ると右回り)。花は紫。本州・四国・九州の温帯から暖帯に分布する。ノダフジ(野田藤)の名は、この品種の発祥の地とされる大阪市福島区野田にちなんでいる。

ヤマフジ
 他の木に巻きついて大きく成長する。花は淡紫。花序はフジに比較して短く、蔓は上から見ると左回り。本州西部・四国・九州(暖帯)の山地に自生する。鑑賞用に栽培することもある。

一才藤(いっさいふぢ)
 園芸上の名称。樹高50cmくらいの、鉢植えや盆栽にして愉しむための一才物のフジ。花枝はしだれるが、支柱などは不要。




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  1. 2021/04/04(日) 18:10:40|
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宮崎県の田の神さぁ 牟田原(むたばる)の田の神 小林市野尻町東麓字牟田原

「東猿瀬(ひがしさるぜ)の田の神」祠から広域農道農道を東に1.7km先のカーブの先に「牟田原(むたばる)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 牟田原(むたばる)の田の神 小林市野尻町東麓字牟田原
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「牟田原(むたばる)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像
形態:座位
像高:78cm
像幅:40cm
奥行:30cm
持ち物: 顔は風化がひどく磨滅して目鼻立ちは分かりません。両手を組んでいます。
彩色:薄茶色が少し残っています。

宮崎県の田の神さぁ 牟田原(むたばる)の田の神 小林市野尻町東麓字牟田原
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宮崎県の田の神さぁ 牟田原(むたばる)の田の神 小林市野尻町東麓字牟田原
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宮崎県の田の神さぁ 牟田原(むたばる)の田の神 小林市野尻町東麓字牟田原
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次は、「大笹(おおざさ)の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/04(日) 18:00:48|
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宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市

高取山公園では、ミツバツツジが咲き始めています。
昨年も雨が降っていました。
お休みの日に雨が多いですね。

宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市
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宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市
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宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市
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宮崎の花 高取山公園のミツバツツジ 西都市
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 ミツバツツジ(三葉躑躅 Rhododendron dilatatum)はツツジ科ツツジ属の落葉低木です。また、近縁のミツバツツジ類の総称でもあります。
 関東地方から近畿地方東部の太平洋側に分布し、主にやせた尾根や岩場、里山の雑木林などに生育します。
 他のミツバツツジ類の多くは雄しべが10本なのに対し、本種は5本であることが大きな特徴です。
 古くから庭木としても植えられますが、盗掘の影響もあるせいか野生の個体数は決して多くありません。
 ミツバツツジ類は、4-5月頃に咲く紅紫色の花が美しです。花が終わってから葉が出てきます。枝先に三枚の葉がつくことからこの名がつきました。
 ミツバツツジの変種には、トサノミツバツツジ、ハヤトミツバツツジ、ヒダカミツバツツジなどがあります。
 日本に自生するその他のミツバツツジ類には、トウゴクミツバツツジやサイコクミツバツツジ、コバノミツバツツジ、ダイセンミツバツツジ、ユキグニミツバツツジ、キヨスミミツバツツジなどがあります。



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  1. 2021/04/03(土) 20:24:19|
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宮崎神宮 神事 流鏑馬(やぶさめ)中止 宮崎市

宮崎神宮の流鏑馬本儀は、4月3日です。
雨が降っています。
10時過ぎに宮崎神宮へ行ってみました。
撮影場所の馬場末には、数台の脚立が立ててあります。
昨日から立ててあるそうです。
雨が降っているので、流鏑馬本儀は行われるか検討中とのことです。
脚立を立て準備をしておきましょう。

1時過ぎ、中止が決まりました。
残念ですが、この雨では仕方ないですね。

宮崎神宮 神事 流鏑馬(やぶさめ)中止 宮崎市
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宮崎神宮 神事 流鏑馬(やぶさめ)中止 宮崎市
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流鏑馬(やぶさめ)
 綾藺笠(あやいがさ)をかぶり、弓懸(ゆがけ)・弓籠手(ゆごて)・行縢(むかばき)を着けた狩り装束の射手が馬を走らせながら鏑矢(かぶらや)で木製方形の三つの的を射る競技です。
 平安後期から鎌倉時代にかけて盛んに行われ、笠懸(かさがけ)・犬追物(いぬおうもの)とともに騎射三物(きしゃみつもの)のひとつです。
 現在は、鶴岡八幡宮、宮崎神社などで儀式として行われています。

綾藺笠(あやいがさ)
 藺草(いぐさ)を綾織りに編み、裏に布を張った笠。

弓懸(ゆがけ)
 弓を射るときに手の指を保護するために用いる革製の手袋。

弓籠手(ゆごて)
 弓を射るとき、袖が弦(つる)に当たるのを防ぐために、左の手首から肩にかけておおう皮や絹布などで作った筒状の籠手(こて)。

行縢(むかばき)
 狩猟の際に両足の覆いとした布帛(ふはく)や毛皮の類。

鏑矢(かぶらや)
 矢の先の鏃(やじり)の付け根に鏑を付けたもの。飛ぶときに音を発する。

笠懸(かさがけ)
 疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を放ち的を射る、日本の伝統的な騎射の技術・稽古・儀式・様式のこと。
 流鏑馬と比較して笠懸はより実戦的で標的も多彩であるため技術的な難易度が高いが、格式としては流鏑馬より略式となり、余興的意味合いが強い。

犬追物(いぬおうもの)
 騎射の練習のひとつで、円形の馬場の中に放した犬を追いながら、馬上から蟇目(ひきめ:傷を負わせない)の矢で射る武術。



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  1. 2021/04/03(土) 14:00:00|
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宮崎県の田の神さぁ 東猿瀬(ひがしさるぜ)の田の神 小林市野尻町東麓字猿瀬

国道268号線から県道29号線に入り、2.9km先の信号機を左折し広域農道入り、480m程を先を左折した先に「東猿瀬(ひがしさるぜ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 東猿瀬(ひがしさるぜ)の田の神 小林市野尻町東麓字猿瀬
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「東猿瀬(ひがしさるぜ)の田の神」の詳細
建立年:昭和3年(1928年)
型分類:農民型、田の神舞姿
形態:椅像
像高:48cm
像幅:33cm
奥行:20cm
持ち物:シキを被り、野良着姿で右手メシゲ左手にスリコギを持っている。
彩色:顔と持ち物は白色で、口と衣こしきは朱色。

シキ:縄で編んだ敷物
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 東猿瀬(ひがしさるぜ)の田の神 小林市野尻町東麓字猿瀬
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宮崎県の田の神さぁ 東猿瀬(ひがしさるぜ)の田の神 小林市野尻町東麓字猿瀬
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次は、「牟田原(むたばる)の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/02(金) 18:00:02|
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宮崎県の田の神さぁ 陣原(じんばる)の田の神 小林市野尻町東麓字田子ノ下

国道268号線から県道29号線に入り、800m先を左折し、200m程先の左手に「陣原(じんばる)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 陣原(じんばる)の田の神 小林市野尻町東麓字田子ノ下
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「陣原(じんばる)の田の神」の詳細
建立年:昭和34年(1959年)
型分類:神像型座像、野尻神官型
形態:座位
像高:78cm
像幅:70cm
奥行:35cm
持ち物: 纓(えい)の付いた冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手でメシゲを持っている。
彩色:袍(ほう)と袴(はかま)はピンクがかった朱色で、顔とメシゲは白色。

宮崎県の田の神さぁ 陣原(じんばる)の田の神 小林市野尻町東麓字田子ノ下
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纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
メシゲ:しゃもじ
袍(ほう):公家の装束の盤領 (まるえり) の上衣
袴(はかま):日本で下半身に着用する伝統的な衣類の一つ

宮崎県の田の神さぁ 陣原(じんばる)の田の神 小林市野尻町東麓字田子ノ下
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宮崎県の田の神さぁ 陣原(じんばる)の田の神 小林市野尻町東麓字田子ノ下
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次は、「東猿瀬(ひがしさるぜ)の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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