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大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市

今年の3月30日(土)に入来麓武家屋敷群に行ったのですが、翌日が「旧増田家住宅」の一般公開で、いつかは見に行こうと思っていたのですが、今日になりました。

大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市
hiroの部屋 大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市

母屋
 薩摩藩の武家屋敷は、「おもて」と「なかえ」から構成されています。

大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市
hiroの部屋 大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市

 手前が「なかえ」、奥が「おもて」です。

大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市
hiroの部屋 大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市

 こちらは、裏側です。
 手前が「なかえ」、奥が「おもて」になります。
 屋根の向きが異なっています。 

大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市
hiroの部屋 大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市

 「おもて」は、接客空間として使用され、玄関・つぎのま、ざしき、うちざなどと呼ばれる部屋に加え、寝室に使われるなんどで構成されれいます。
 左上に見える竹の束が、棟と棟の間(樋の間)に造られた雨どいです。
 手前の部屋が「うちざ」、奥の部屋が「なんど」です。
 右手には「つぎのま(小さな囲炉裏があります)」「ざしき(診療を行なった所)」の部屋があります。

大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市
hiroの部屋 大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市

 「なかえ」は、食堂兼居間として使う部屋と調理などをする土間から構成されています。

大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市
hiroの部屋 大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市

 「おもて」と「なかえ」では、外部の相違として、床と棟が「おもて」の方が必ず高くなっています。
 これは、武家社会における接客空間として主人が使用する建物として格式を重んじたことが背景にあると考えられます。
 内部の相違として、「おもて」は天井を張り、トコやタナ等の座敷構えがあり、長押や釘隠し等の装飾が施される一方で、「なかえ」は、天井は張りません。
 「なかえ」の天井です。

大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市
hiroの部屋 大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市

 これらの二つの棟からなる建物は、別棟型民家と呼ばれており、おもてとなかえのずれた場所に玄関が設けられています。

 二つの棟の間(樋の間)に、竹で雨どいが作られています。

大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市
hiroの部屋 大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市

 右奥に見える竹の束が、棟と棟の間(樋の間)に造られた雨どいです。

大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市
hiroの部屋 大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市

 旧増田家住宅においては、基本的には同じ様式によって建築されていますが、玄関の位置が異なっており、敷地入口から異なっており、敷地入口から最短となるおもての縁側を切った場所に設けています。
 「おもて」と「なかえ」がずれることなく、かつ、「なかえ」が「おもて」からはみ出ない例は、他の麓を見てもありません。

 お風呂と便所は外に造られています。

大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市
hiroの部屋 大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市

 お風呂場の窓から見えるのは石蔵です。

大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市
hiroの部屋 大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市

石蔵には、武家屋敷群の歴史などが学べる3種類のビデオ(各5分)見ることが出来ます。

大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市
hiroの部屋 大正の姿を復元 入来麓武家屋敷群「旧増田家住宅」 薩摩川内市

旧増田家住宅の概要
 旧増田家住宅の創建年代は明らかではありませんが、延命院跡地として伝えられています。
 敷地は、清色城跡の土居と接しており、中世的な地割りに属しています。
 また、他の武家住宅とは異なり、街路に面していないことなどからも寺院跡地であったと考えられます。
 敷地入口にある明治6年の石敢当から、母屋はその頃の建築と考えられ、おもてとなかえの当初の部材には和釘が残されています。
 なかえの構造材には、明らかに転用材と思われる部材が残っており、風食等の程度から考慮すると延命院の建造物の一部を転用していっる可能性も考えられます。
 昭和5年発行の「入來村史」に所収されている古写真「清色城址」に、増田家住居が写っており、なかえの棟と石蔵を確認することが出来ます。
 大正12年に入来町で大火があったことをきっかけとして、茅葺屋根から瓦葺屋根に葺替えられていったと口承されており、前述の古写真にも、茅葺屋根と瓦葺屋根の建物が混在していることなどから、大正末期ころの写真と推定されます。
 増田家は、代々医者を営んでおり、昭和21年ごろまで、この地でも眼科医として診療を行っていました。
 石蔵に保存されていた増田眼科医院の看板は、代々使用されてきたものと考えられます。

石敢當(いしがんどう、いしがんとう、せっかんとう)
石敢當などの文字が刻まれた魔よけの石碑や石標。石敢当、泰山石敢當、石敢東、石散當、石散堂、石厳當と書かれたものもある。
中国で発祥したもので、日本では主に沖縄県や鹿児島県で見かける。

伝統的建造物群保存地区保存修理事業 旧増田家住宅保存修理工事概要
修理方針
 母  屋(おもて・なかえ・樋の間)半解体修理
 石  蔵        屋根葺替及び部分修理
 浴室便所        屋根葺替及び部分修理
 洗い場         解体修理
 物置小屋        解体撤去
工事期間
 保存修理工事 平成22年9月22日~平成24年12月10日
保存修理事業費 158,550,000円
工事関係者
 事業者 薩摩川内市 岩切秀雄
 設計監理 株式会社文化財保存計画協会 代表取締役 矢野和之
  工事監督(主任技術者)事業本部長 細川道夫
 施工請負 松井建設株式会社九州支店 盆子原和利
  現場代理人 森永純廣
  協力業者(主要工事)
   木工事    株式会社島崎工務店・有限会社長坂建設
   屋根茅葺工事 株式会社町田屋根
   屋根瓦葺工事 日置瓦工業協同組合
   左官工事   フナモリ左官工業所
   建具工事   合資会社竹下建具製作所
   畳工事    有限会社山下製畳
   電気工事   有限会社是枝商会
   設備工事   平野商事株式会社


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  1. 2013/05/26(日) 16:24:13|
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