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なごみの岬(富山丸慰霊塔) 鹿児島県徳之島

鹿児島県徳之島の東に「なごみの岬」があります。

なごみの岬(富山丸慰霊塔) 鹿児島県徳之島
hiroの部屋 なごみの岬(富山丸慰霊塔) 鹿児島県徳之島

青い海、青い空が綺麗です。

なごみの岬(富山丸慰霊塔) 鹿児島県徳之島
hiroの部屋 なごみの岬(富山丸慰霊塔) 鹿児島県徳之島

昭和19年6月29日に、太平洋戦争中、戦時徴用船として沖縄に向け鹿児島港を出港した富山丸が、アメリカ海軍の潜水艦(スタージョン)に魚雷攻撃を受けた。潜水艦は魚雷4本を発射し、4本のうち3本が「富山丸」の左舷船首と二番船倉および四番船倉と機関室の中間部に命中。左舷船首と二番船倉に命中した魚雷の衝撃でガソリンが船内および海上で発火して炎上する。止めを刺したのは四番船倉と機関室の中間部に命中した魚雷で、「富山丸」は船体を二つに折って北緯27度43分 東経129度06分の徳之島南東12キロの地点に、3,700余名の乗組員とともに沈没した。

なごみの岬(富山丸慰霊塔) 鹿児島県徳之島
hiroの部屋 なごみの岬(富山丸慰霊塔) 鹿児島県徳之島

乗船部隊(敗戦時の球部隊位置:沖縄・石垣島・宮古島)
船団指揮官 陸軍大佐 柴田常松 編成:熊本 通称 たま(球)部隊
 球7070 630名独立混成第44旅団第一歩兵隊
 第一歩兵隊(柴田常松大佐・士候24期)歩兵隊本部、3個歩兵大隊、1個歩兵砲中隊、1個速射砲中隊。富山丸遭難で柴田大佐殉職、隊は復員解消
 球7071 792名独立混成第44旅団第二歩兵隊
 第二歩兵隊(宇土武彦大佐・士候27期)編成は第1歩兵隊に同じ
 球7072 150名旅団砲兵隊
 球7073  63名旅団工兵隊
 球6461 324名独立混成第45旅団独歩第298大隊
 球6462 419名独立混成第45旅団独歩第299大隊
 球6463 407名独立混成第45旅団独歩第300大隊
 球6464 405名独立混成第45旅団独歩第301大隊
 球6465 150名旅団工兵隊
 球12518 171名第32軍兵器勤務隊
 球15393 127名第129野戦飛行場設定隊
 球1616   12名第32軍司令部
 球6071   4名宮古島陸軍病院
生存者は、徳之島住民や僚船に助け上げられ徳之島の病院・学校などに収容されたが、戦闘行動に耐えられる軍人は漁船や機帆船によって沖縄戦線に運ばれ、折角命拾いした多くの方達が命を落としています。

富山丸7,089総トン西大洋漁業
 昭和19年6月25日宇品出港
 昭和19年6月27日1200 那覇に向け鹿児島をカタ412船団として出港
 昭和19年6月28日1500 奄美大島古仁屋入港
 昭和19年6月29日0400 同港出港
 昭和19年6月29日0725 北緯27度43分、東経129度04分(徳之島亀津北東12Km付近)において米潜水艦SS-187 Sturgeonの魚雷攻撃をうけ被雷沈没。
 船員70名、船砲隊6名、兵員3,654名戦死生存者は270名から300名と思われる。

なごみの岬(富山丸慰霊塔) 鹿児島県徳之島
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6月29日に「第50回富山丸戦没者慰霊祭」がおこなわれました。

なごみの岬(富山丸慰霊塔) 鹿児島県徳之島
hiroの部屋 なごみの岬(富山丸慰霊塔) 鹿児島県徳之島

「なごみの碑」に戦没者のお名前が刻まれています。

なごみの岬(富山丸慰霊塔) 鹿児島県徳之島
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自衛隊ラッパ隊による追悼ラッパ

なごみの岬(富山丸慰霊塔) 鹿児島県徳之島
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富山丸慰霊塔 碑文
 昭和19年6月3日大東亜戦参加のため鹿児島、都城、熊本にて編成せる独立混成第44旅団及び四国にて編成せる独立混成第45旅団を基幹とする兵員4千余名は輸送指揮官柴田常松大佐指揮の下に6月24日鹿児島港にて富山丸に乗船せり。然るに敵の潜水艦は山川港に出没して、我船団の行動を監視しつつありとの情報に接するも、我が方の情報遅滞するを許さず6月27日沖縄に向け出港せり。
 翌28日午後4時古仁屋港に入港す。同港にて荷揚予定のガソリン1500本は積載のまま出港、他の艦船と三従梯団の船列にて徳之島亀徳港沖2浬を航行中、敵潜水艦の発射せる魚雷は富山丸の船首に命中す。間髪を入れず第2第3の魚雷は富山丸の機関部とガソリンに命中し、猛烈なる爆風と火焔は天を覆ひ富山丸は瞬時にして撃沈せり。
 柴田大佐以下3600余名の兵員と47名の富山丸乗組員は船と運命を倶にし、辛うじて身を海中に投ぜし兵員も、燃えさかるガソリンの炎にあふられて、火傷するあり傷死するあり、戦場の常とはいへ、凄惨の極にして焼熱地獄の中に陛下の万才を唱え、無念の涙をのみつつ散華しゆく諸兄の神々しき姿は現として髣髴たり。
 本年20周年を迎へるに当たり各界各位の厚意により、諸兄が眠る海底を眼下に見降ろす景勝の地を卜して、此の地に慰霊塔を建立し、諸兄の例を慰めむとす。
 諸兄よ冀くば徳之島の山懐に抱かれて、亀徳沖に永へに神安らかに鎮まり給らんことを。
昭和39年6月29日
建設者 三角光雄
     徳之島町

富山丸戦没者慰霊祭を主催してきた遺族会全国連合会は、今回を機に解散ですが、各県・地区単位の遺族会は存続、来年以降は徳之島町主催で継続します。


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  1. 2013/06/29(土) 07:25:00|
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