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②福山自動車時計博物館 国産車 広島県福山市

福山自動車時計博物館
 地元の企業経営者で、自動車愛好家でもある能宗孝(のうそう たかし、1943年 - )らが、1966年(昭和41年)より収集したコレクションを元に1989年(平成元年)7月4日に、公益財団法人「能宗文化財団」によって運営されています。

ダットサン ロードスター 1936年(昭和11年)
法律が改正され、スペアタイヤがトランクの外に固定できるようになった。当時の価格で1750円。
 ロードスター:2人乗りの幌つきオープンカー
排気量:722cc
最高出力:16ps(馬力)/12kw

ダットサン ロードスター 1936年(昭和11年)
hiroの部屋 ダットサン ロードスター 1936年(昭和11年)

ダットサン フェートン 1935年(昭和10年)
 フロントグリルが心臓の形をしていたので、ハート型フェートンと呼ばれた。当時の価格は1800円。
 フェートン:4人乗りのほろt幌つきオープンカー
排気量:722cc
最高出力:16ps(馬力)/12kw

ダットサン フェートン 1935年(昭和10年)
hiroの部屋 ダットサン フェートン 1935年(昭和10年)

ダットサン セダン 1936年(昭和11年)
 フロントグリル中央に太めの縦バーがあり、室内が質素なのが特徴。
 当時の価格で1900円。
 昭和10年には1275台が生産された。
 セダン:屋根が鉄板の4人乗り。
排気量:722cc
最高出力:19ps(馬力)/12kw

ダットサン セダン 1936年(昭和11年)
hiroの部屋 ダットサン セダン 1936年(昭和11年)

ダットサン フェアレディ SPL213 1961年(昭和36年)
SPL212 / SPL213型
1960年1月 - 「フェアレデー1200」発表。
 フェアレディの名を冠した(ただし当時の表記は「フェアレデー」であった)最初の車は、このSPL212型である。
 車名はミュージカル「マイ・フェア・レディ」に由来するもので、当時の日産の社長、川又克二が前年に渡米した際、ブロードウェーでの同ミュージカルの観覧で感銘を受けたことからの命名。型式記号はそれぞれ、「S」が「スポーツ」、「P」が「パワーアップ版」、「L」が「レフトハンドドライブ(左ハンドル)」を表す。
 数字の百の位の「2」は第二世代の意味であるが、この場合はダットサンセダン210型の派生車であることからそれに揃えた型式となっている。
 十の位は、奇数が乗用、偶数が貨物用(トラックシャーシ流用のバスも偶数)で、「1」と「2」が小型の「ダットサン」、「3」、「4」以上が「ニッサン」となる。
 ダットサンスポーツの場合は「小型乗用」なので「1」となる。
 一の位は、「0」を基本型として改良された回数を表しており、SPL212の場合は、2回目のマイナーチェンジモデルということになる。
 この212と次の213は北米専売モデルの扱いであり、左ハンドルのみの生産であったが、日本国内でも少数がそのまま販売された。
 生産性を考慮し、ボディーは一般的なスチール製としたがシャシに大きな変更は無く、4輪リーフリジッドのままであった。
 なおダットサントラックのフロントサスペンションは、セダンやフェアレデーに先駆けてダブルウイッシュボーンと縦置きトーションバー・スプリングによる独立式となっている。
 エンジンは、ブルーバードにも使われたOHV1,189ccのE型に変更され、ツーバレルキャブレターを装着し、48馬力/8.4kgmの出力を発揮、フロアシフトの4速トランスミッションを介し、最高速度は132km/hと発表された。
 自動車としての洗練度は英国製ライトウエイトスポーツカーに及ばなかったが、これらの改良により市場での競争力は着実に高まっていった。生産台数は288台。
 1960年10月 - エンジンは改良されたE1型となり、出力を60馬力/9.3kgmにアップ。
 当時アメリカの広告での価格は、新世代のシャシを使う310型ブルーバード4ドアセダンの$1,816に対し、$1,996となっている。
1961年 - SPL213登場
1962年 - 生産終了。生産台数は217台。

ダットサン フェアレディ SPL213 1961年(昭和36年)
hiroの部屋 ダットサン フェアレディ SPL213 1961年(昭和36年)

トヨペットクラウンRS 1958年(昭和33年)
 海外と技術提携が盛んに行なわれるなかで、トヨタは純国産方式を押し通し、1955年トヨペットクラウンRS型を発表。
 当初から自家用車として設計されたRS型は、あらゆる意味において国産車のモータリゼーションの出発点であった。
 そしてわが国の自動車業界へも大きな自信を与えたのである。
 デザインは当時のわが国の実状に適応した巧みなもので、乗り心地や耐久性など、すべてがバランスされた純国産車として話題を集めた。

トヨペットクラウンRS 1958年(昭和33年)
hiroの部屋 トヨペットクラウンRS 1958年(昭和33年)

ダットサン ダブルピックアップ 6000-U 1954年(昭和29年)
排気量:860cc
最高出力:16ps(馬力)/12kw

ダットサン ダブルピックアップ 6000-U 1954年(昭和29年)
hiroの部屋 ダットサン ダブルピックアップ 6000-U 1954年(昭和29年)

ダイハツ DBC-1 1974年(昭和49年)
 早くから電気自動車の開発に取り組んできたダイハツでは大阪万博のときに会場の足として275台が活躍。
 続いてゴルフ用に「ダイハツマスターズ」を発表。
最高出力:6.7hp(馬力)/5kw

ダイハツ DBC-1 1974年(昭和49年)
hiroの部屋 ダイハツ DBC-1 1974年(昭和49年)


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