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国指定史跡 松本塚古墳 宮崎県西都市

県指定史跡 松本古墳群
 西都市街地の南西約2.6㎞に位置する古墳群で、清水原台地の南側に広がる平野東部に分布しています。
 松本古墳群は、国指定史跡松本塚古墳の周辺に形成された円墳群で、一部は陪冢(ばいちょう)と考えられています。周囲は三納川流域に開かれた水田地帯で、国指定の松本塚古墳を含めて7基の古墳が現存しています。
 陪冢:大型の古墳に近接する小規模の古墳で、その大型古墳に関連して営まれたとされるもの。
 松本塚古墳に樹立された円筒・朝顔形埴輪と制作技法の一致する同時期の埴輪が2号・5号・6号墳から出土していることから、これらの古墳群と松本塚古墳の関係が認められます。
 埴輪の中には、衣笠形埴輪の一部と考えられる破片も出土していて、器材埴輪も含まれていたと考えられます。
 以前は旧三納村に所在している文化財として、三納村古墳という名称で昭和10年に県史跡に指定されていましたが、実際の古墳のグループを評価し、所在地の地名を付して、平成27年に名称を松本古墳群と改めました。

国指定史跡 松本塚古墳
 指定年月日:昭和19年3月7日  所在地:西都市大字三納字松本
 松本塚古墳は、三納川北側の沖積地に所在しています。周囲は田園地帯で障壁がなく、優美な墳丘全体を眺めることができ、地元では「船塚」と呼ばれ親しまれており、この地方では鵜葺草葺不合(ウガヤフキアエズ)尊陵として言い伝えられています。
 鵜葺草葺不合命は、「ニニギノミコト」と「コノハナサクヤヒメ」の子・「ヒコホホデミノミコト」(山幸彦)の子供で神武天皇の父親になります。
 昭和19年(1944年)に国史跡に指定されました。
 西都市内では4番目の大きさで、墳長:約104m・後円部径:約47.5m・墳丘高:約7.6mで、周溝を含めた全長は約149mで、周囲に陪塚(ばいちょう)と考えられる同時期の円墳を伴い、小グループを形成しています。

国指定史跡 松本塚古墳 宮崎県西都市
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 また、墳丘の規格が大阪羽曳野市に所在する軽里大塚古墳(かるさとおおつかこふん・5世紀後半)と相似形である可能性が指摘されています。
 昭和61年(1986年)〜62年(1987)年に行われた発掘調査で、墳丘周囲に廻る周溝や周提、前方部の側面に造出しという突出部が検出され、円筒埴輪・朝顔形円筒埴輪が出土しています。
 その際、周辺の三納古墳群24・25号墳も調査され、葺石(ふきいし)や周溝が確認でき、現在は削平されているが、本来の古墳の規模が復元できます。
 出土遺物は埴輪や須恵器破片があります。埴輪は円筒埴輪が中心ですが、24号墳からは蓋(きぬがさ)の一部と考えられる形象埴輪も出土しています。

国指定史跡 松本塚古墳 宮崎県西都市
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 松本塚古墳出土埴輪やこれら周辺の古墳出土遺物の時期から、5世紀後半〜末に築造されたものと推定できます。
 5世紀中葉〜後半は、4世紀〜5世紀前半に全盛を誇った西都原古墳群で首長墓である前方後円墳の築造が停滞し、他の古墳群に大型の前方後円墳が築造されるという特徴があり、5世紀後半〜末、一ツ瀬川流域最大規模の墳丘をもつ松本塚古墳はその代表例です。
 同時期の前方後円墳は西都原古墳群も含めて周辺には存在せず、首長墓の変遷を考える上では重要な古墳です。
 また、西都原古墳群・新田原古墳群・茶臼原古墳群が、地域最大規模の前方後円墳を台地上に築造するのに対して、三納古墳群や松本塚古墳が沖積地に築造されているのは特徴的です。
 宮崎平野部において、古墳時代前期・中期・後期といった時間軸の中で、古墳群の築造動向を比較する際、非常に重要な資料として位置づけられています。


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  1. 2020/03/08(日) 20:35:26|
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