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宮崎県の田の神さぁ 縄瀬共和(なわぜきょうわ)の田の神 都城市高崎町縄瀬共和 道路沿い

都城市立縄瀬小学校南側の道路沿いに「縄瀬共和(なわぜきょうわ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 縄瀬共和(なわぜきょうわ)の田の神 都城市高崎町縄瀬共和 道路沿い
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縄瀬共和(なわぜきょうわ)の田の神
設置場所: 道路沿い
建立年: 天明5年(1785年)
型分類: 神像型
形態: 上半身のみ
像高: 45cm
像幅: 60cm
奥行: 24cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴があります。
彩色: 彩色無し
セメントで固定されています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 縄瀬共和(なわぜきょうわ)の田の神 都城市高崎町縄瀬共和 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 縄瀬共和(なわぜきょうわ)の田の神 都城市高崎町縄瀬共和 道路沿い
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「天明五年」と書かれています。

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頭頂部に四角い穴があいています。
纓(えい)を付けるための穴なのでしょうか。

宮崎県の田の神さぁ 縄瀬共和(なわぜきょうわ)の田の神 都城市高崎町縄瀬共和 道路沿い
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両手輪組で穴があります。

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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/07/28(水) 18:00:04|
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