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日南海岸国定公園 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町贄波

「道の駅なんごう」には何度も来ているのですが、遊歩道は歩いた事がありませんでした。
今日は、ちょっと歩いてみました。

テラスからの眺めです。

日南海岸国定公園 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町贄波
hiroの部屋 日南海岸国定公園 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町贄波

階段の途中に展望台が設けられています。

日南海岸国定公園 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町贄波
hiroの部屋 日南海岸国定公園 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町贄波

更に上へと階段を上って行きます。

日南海岸国定公園 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町贄波
hiroの部屋 日南海岸国定公園 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町贄波

大好きな撮影ポイントに到着です。

日南海岸国定公園 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町贄波
hiroの部屋 日南海岸国定公園 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町贄波

お天気最高ですね。

日南海岸国定公園 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町贄波
hiroの部屋 日南海岸国定公園 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町贄波


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  1. 2022/04/08(金) 11:15:03|
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旧飯田(はんだ)医院 宮崎県日南市飫肥

 旧飯田医院は、飫肥藩伊東家の家臣であった守永家に養子に入った飯田輝夫(はんだてるお)氏が、大正11年(1922年)に医院、薬局、病室、研究室を兼ねて建築しました。

旧飯田(はんだ)医院 宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 旧飯田(はんだ)医院 宮崎県日南市飫肥

 昭和55年(1980年)から空き家となっていましたが、平成24年(2012年)に日南市に寄附されました。

旧飯田(はんだ)医院 宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 旧飯田(はんだ)医院 宮崎県日南市飫肥

文化財の指定は受けていないようです。


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  1. 2022/01/26(水) 16:53:34|
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小村寿太郎候誕生之地 宮崎県日南市飫肥

小村寿太郎候生誕之地
 小村寿太郎は、安政二年(1855)この記念碑がある場所で生まれた。父は町役人(別当職)をしていた小村寛で、禄高十八石の従士席という役人であった。

小村寿太郎候誕生之地 宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 小村寿太郎候誕生之地 宮崎県日南市飫肥

 明治になって小村寛は飫肥藩の専売品を取り扱う飫肥商社の社長に就任していたため、その経営を巡る裁判によって小村家は破産した。
 その後、土地・建物は隣に屋敷を構えることになる山本猪平に売却されたが、昭和八年(1933)に山本家が土地を寄付するとともに飫肥藩関係者の寄付金によって現在の記念碑が建てられた。

小村寿太郎候誕生之地 宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 小村寿太郎候誕生之地 宮崎県日南市飫肥

 記念碑の題字は、日本海海戦指揮官東郷平八郎の揮毫、裏面は大学時代から親交のあった杉浦重剛の詩である。

小村寿太郎候誕生之地 宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 小村寿太郎候誕生之地 宮崎県日南市飫肥


小村寿太郎候誕生之地 宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 小村寿太郎候誕生之地 宮崎県日南市飫肥

 平成五年(1993)、小村候の功績を記念して国際交流センターが飫肥城前に開館した。
 また、生誕の家と伝えられている建物は飫肥城近くに残されている。

小村寿太郎候誕生之家 宮崎県日南市飫肥
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  1. 2022/01/25(火) 16:42:58|
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日南市指定文化財 旧山本猪平家 宮崎県日南市飫肥

 旧山本猪平家は、飫肥の豪商であった山本猪平が明治 40 年(1907年)頃に建築した商家の本宅です。
 敷地面積約 1,100 ㎡の中に、主屋、離れ屋、台所、浴室、便所等がほぼ建築当初のまま残されていて、飫肥本町の商人本宅を現代に伝える遺構として貴重な建物です。

日南市指定文化財 旧山本猪平家 宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 日南市指定文化財 旧山本猪平家 宮崎県日南市飫肥


日南市指定文化財 旧山本猪平家 宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 日南市指定文化財 旧山本猪平家 宮崎県日南市飫肥


日南市指定文化財 旧山本猪平家 宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 日南市指定文化財 旧山本猪平家 宮崎県日南市飫肥


日南市指定文化財 旧山本猪平家 宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 日南市指定文化財 旧山本猪平家 宮崎県日南市飫肥

 この屋敷地の南半分は、もともと町役人であった小村寿太郎の父親である小村寛の屋敷地でした。小村寛が飫肥商社事件で没落したために、山本猪平が買収してこの建物を建てました。
 山本家には、この建物は小村寿太郎が飫肥に帰ってきた時のために建てたという言い伝えが残されています。


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  1. 2022/01/24(月) 16:27:02|
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日南市指定文化財 旧藩校振徳堂(しんとくどう)宮崎県日南市飫肥

旧藩校振徳堂(しんとくどう)
 天保2年(1831年)飫肥藩13台祐相公により開港され、孟子の教えにあたる「又従而振徳之」から振徳堂と名づけられました。
 教授には安井滄州、息軒親子を招き、藩士の子弟の教育に努めました。
 小倉処平、小村寿太郎も振徳堂で学びました。

日南市指定文化財 旧藩校振徳堂(しんとくどう)宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 日南市指定文化財 旧藩校振徳堂(しんとくどう)宮崎県日南市飫肥

 藩校の敷地の外回りには高さ3mを超える切り石の石垣が積まれ、南向きの入口は長屋門を構えています。

日南市指定文化財 旧藩校振徳堂(しんとくどう)宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 日南市指定文化財 旧藩校振徳堂(しんとくどう)宮崎県日南市飫肥

 飫肥藩では中小姓以上の藩士の子弟は必ず入校しなければならない規定で、徒歩格以下は任意で入校できました。
 また藩士以外でも希望するものは入学を許されましたが、町人や農民はおもに習字・算術を一般の家塾で学んでいました。

日南市指定文化財 旧藩校振徳堂(しんとくどう)宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 日南市指定文化財 旧藩校振徳堂(しんとくどう)宮崎県日南市飫肥


日南市指定文化財 旧藩校振徳堂(しんとくどう)宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 日南市指定文化財 旧藩校振徳堂(しんとくどう)宮崎県日南市飫肥

 1,468坪の敷地内には、教室となった素読の間、講釈の間などの主屋、剣術場や槍術場、居寮など延べ273坪の施設がありました。

20220123 日南市指定文化財 旧藩校振徳堂(しんとくどう)宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 日南市指定文化財 旧藩校振徳堂(しんとくどう)宮崎県日南市飫肥


日南市指定文化財 旧藩校振徳堂(しんとくどう)宮崎県日南市飫肥
hiroの部屋 日南市指定文化財 旧藩校振徳堂(しんとくどう)宮崎県日南市飫肥


飫肥藩(おびはん)は現在の宮崎県日南市周辺にあって、日向国那珂郡のある南部を支配した藩。藩庁は飫肥城。藩主は伊東氏。家格は外様大名である。
 伊東氏は鎌倉時代に日向国の地頭に任じられ、1335年に伊東祐持が足利尊氏によって都於郡300町を宛がわれて下向した事に始まる戦国大名である。一時は島津氏との争いに敗れ日向を追われるが、豊臣秀吉の九州征伐に付き従った当時の伊東家当主祐兵が、戦功によって飫肥の地を得て大名となった。
 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは祐兵が大阪で病を得ていた為、成り行きで西軍につくものの、密かに黒田如水を通じて東軍に味方をし、嫡男祐慶を下向させて宮崎城を攻撃。事なきを得た。元和3年(1617年)2代将軍徳川秀忠より5万7千石の所領安堵の朱印状を受けた。
 3代祐久は寛永13年(1636年)弟の祐豊に3千石を分与。4代祐由は明暦3年(1657年)弟の祐春に3千石を分与し、以後、石高は5万1千石となった。
 領内は耕地が少なく、山林と海浜に囲まれていた。温暖で湿潤な気候を利用し杉・檜などの林業を発展させ、今日でも「飫肥杉」はこの地の特産として残っている。また、同時に漁業も藩財政の一翼を担った。
 11代祐民の享和元年(1801年)学問所を設け、これが天保元年(1830年)藩校振徳堂となった。
 幕末の飫肥藩は極度の財政難に陥り、嘉永4年(1851年)には藩士の家禄を1/3に減じ、更に安政4年(1857年)には倹約令を出すほどだった。
 明治4年(1871年)廃藩置県により飫肥県となった。後、都城県、宮崎県、鹿児島県を経て宮崎県に編入された。
 明治17年(1884年)伊東家は子爵となり華族に列した。
 なお、明治時代、外務大臣となりポーツマス条約締結を行った小村寿太郎は当藩士出身である。



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  1. 2022/01/23(日) 16:26:51|
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日南市指定文化財 史跡飫肥城旧本丸跡 宮崎県日南市飫肥

日南市指定丈化財 平成3年8月1日指定
史跡 飫肥城旧本丸

 飲肥城は東西約750m、南北約500mの城域に大小13の曲輪と犬馬場などからなる広大な城である。

日南市指定文化財 史跡飫肥城旧本丸跡 宮崎県日南市飫肥
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 各曲輪は、シラス台地を空堀で区切った壮大な規模で、南九州の中世城郭において特徴的な形態である。

日南市指定文化財 史跡飫肥城旧本丸跡 宮崎県日南市飫肥
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 戦国時代には代々島津氏一族が城主であったが、天正15年(1587年)に飲肥藩初代伊東祐兵が豊臣秀書から飲肥を領地として与えられて以後、明治時代まで伊東氏の居城となった。

日南市指定文化財 史跡飫肥城旧本丸跡 宮崎県日南市飫肥
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 城内の各曲輪は本丸、松尾、中ノ城、今城、西ノ丸、北ノ丸などの名称で呼ばれていた。

日南市指定文化財 史跡飫肥城旧本丸跡 宮崎県日南市飫肥
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 このうち、元禄6年(1693年)に現在の本丸(飫肥小学枚グラウンド)が完成するまでは旧本丸が藩主の御殿であった。

日南市指定文化財 史跡飫肥城旧本丸跡 宮崎県日南市飫肥
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 旧本丸は寛文2年(1662年)、延宝8年(1680年)、貞享2年(1686年)の3度の大きな地震で地割れが発生し、移転することになった。

日南市指定文化財 史跡飫肥城旧本丸跡 宮崎県日南市飫肥
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日南市指定文化財 史跡飫肥城旧本丸跡 宮崎県日南市飫肥
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  1. 2021/11/27(土) 13:13:31|
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日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町

昨日はお天気良くありませんでしたが、今日は久々の青空です。
ちょっと風が冷たいですね。
日南海岸を走り、道の駅なんごうへ。

道の駅なんごう側の県道448号線旧道に休憩所があります。
ここは誰もいなくて良いですね。

日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町
hiroの部屋 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町

ここからの眺めも良いですね。

日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町
hiroの部屋 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町


日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町
hiroの部屋 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町

 「道の駅 なんごう」は日南海岸国定公園のほぼ中央に位置し、日向灘を望む海岸線は無類の景勝地で、近隣に国内有数の県亜熱帯作物支場、有用植物園、ジャカランダの森などあり、自然を満喫することができます。
 また、駅周辺の海は日南海中公園で、水中観光船で珊瑚礁や熱帯魚なども鑑賞できます。


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  1. 2021/04/18(日) 11:30:59|
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日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町

今日のお天気は晴れなのですが、遠くが良く見えません。
サーフィンで有名になった木崎浜へ行ってみました。
堤防沿いに隙間が無い程の車が停まっています。
大勢の人がサーフィンをしています。
水平線がはっきり見えません。
青い海は見えますが、青い空、水平線が見えないので、南へ移動することに。
堀切峠でも水平線が見えません。もっと南に移動です。
で、「道の駅なんごう」へたどり着きました。

日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町
hiroの部屋 日向灘を望む展望台 道の駅なんごう 宮崎県日南市南郷町

 「道の駅 なんごう」は日南海岸国定公園のほぼ中央に位置し、日向灘を望む海岸線は無類の景勝地で、近隣に国内有数の県亜熱帯作物支場、有用植物園、ジャカランダの森などあり、自然を満喫することができます。
 また、駅周辺の海は日南海中公園で、水中観光船で珊瑚礁や熱帯魚なども鑑賞できます。


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  1. 2020/08/01(土) 21:39:49|
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道の駅酒谷で蜂蜜を 日南市酒谷

久々に「道の駅酒谷」にやって来ました。
店内をうろうろ。
栗が出ていたので一袋購入。
お店の外で、蜂蜜を打っています。
瓶詰の蜂蜜と・・・
え!蜂の巣を売っています。
試食すると、美味しい。懐かしい味です。全部食べれます。
で、即購入。1,000円でした。

道の駅酒谷で蜂蜜を 日南市酒谷
hiroの部屋 道の駅酒谷で蜂蜜を 日南市酒谷

スプーンですくっていただきます。

道の駅酒谷で蜂蜜を 日南市酒谷酒
hiroの部屋 道の駅酒谷で蜂蜜を 日南市酒谷

昔は、丸太をくりぬき、蜂の巣(家)を作っていましたね。
今は、見かける事が無いですね。


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  1. 2018/10/07(日) 14:05:04|
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春の雛人形めぐり 飫肥城下町武家屋敷通 日南市

飫肥城下町で春の雛人形めぐりが行われています。

春の雛人形めぐり 飫肥城下町武家屋敷通 日南市
hiroの部屋 春の雛人形めぐり 飫肥城下町武家屋敷通 日南市


春の雛人形めぐり 飫肥城下町武家屋敷通 日南市
hiroの部屋 春の雛人形めぐり 飫肥城下町武家屋敷通 日南市


春の雛人形めぐり 飫肥城下町武家屋敷通 日南市
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春の雛人形めぐり 飫肥城下町武家屋敷通 日南市
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春の雛人形めぐり 飫肥城下町武家屋敷通 日南市
hiroの部屋 春の雛人形めぐり 飫肥城下町武家屋敷通 日南市

飫肥藩(おびはん)は現在の宮崎県日南市周辺にあって、日向国那珂郡のある南部を支配した藩。藩庁は飫肥城。藩主は伊東氏。家格は外様大名である。
 伊東氏は鎌倉時代に日向国の地頭に任じられ、1335年に伊東祐持が足利尊氏によって都於郡300町を宛がわれて下向した事に始まる戦国大名である。一時は島津氏との争いに敗れ日向を追われるが、豊臣秀吉の九州征伐に付き従った当時の伊東家当主祐兵が、戦功によって飫肥の地を得て大名となった。
 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは祐兵が大阪で病を得ていた為、成り行きで西軍につくものの、密かに黒田如水を通じて東軍に味方をし、嫡男祐慶を下向させて宮崎城を攻撃。事なきを得た。元和3年(1617年)2代将軍徳川秀忠より5万7千石の所領安堵の朱印状を受けた。
 3代祐久は寛永13年(1636年)弟の祐豊に3千石を分与。4代祐由は明暦3年(1657年)弟の祐春に3千石を分与し、以後、石高は5万1千石となった。
 領内は耕地が少なく、山林と海浜に囲まれていた。温暖で湿潤な気候を利用し杉・檜などの林業を発展させ、今日でも「飫肥杉」はこの地の特産として残っている。また、同時に漁業も藩財政の一翼を担った。
 11代祐民の享和元年(1801年)学問所を設け、これが天保元年(1830年)藩校振徳堂となった。
 幕末の飫肥藩は極度の財政難に陥り、嘉永4年(1851年)には藩士の家禄を1/3に減じ、更に安政4年(1857年)には倹約令を出すほどだった。
 明治4年(1871年)廃藩置県により飫肥県となった。後、都城県、宮崎県、鹿児島県を経て宮崎県に編入された。
 明治17年(1884年)伊東家は子爵となり華族に列した。
 なお、明治時代、外務大臣となりポーツマス条約締結を行った小村寿太郎は当藩士出身である。



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  1. 2018/02/18(日) 14:30:47|
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