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宮崎の神社 瀧山神社(たきさんじんじゃ) 串間市大納

宮崎市から都井岬に行くのに、国道448号線を走るのですが、いつも気になる鳥居がありました。
白い鳥居が国道448号線沿いに立っているんです。
「瀧山神社1.7km」の案内板があります。

宮崎の神社 瀧山神社(たきさんじんじゃ) 串間市大納
hiroの部屋 宮崎の神社 瀧山神社(たきさんじんじゃ) 串間市大納

行ってみましょう。
鳥居をくぐると舗装は無くなり悪路になりました。
とても狭い道路です。対向車が来たらどうしましょう。
のろのろ運転で駐車場に到着です。結構広い駐車場です。

宮崎の神社 瀧山神社(たきさんじんじゃ) 串間市大納
hiroの部屋 宮崎の神社 瀧山神社(たきさんじんじゃ) 串間市大納

瀧山神社(名谷神社)
御祭神
・水速女命(みずはやめのみこと)水の神(水神)
・誉田分命(ほんだわけのみこと)八幡神
・少彦名命(すくなひこなのみこと)山や丘の造物者

宮崎の神社 瀧山神社(たきさんじんじゃ) 串間市大納
hiroの部屋 宮崎の神社 瀧山神社(たきさんじんじゃ) 串間市大納

創建はかなり古く、鎌倉時代と言われるが天保8年(1837年)の大洪水で社殿諸共、当社殿の宝物、記録書物、創建、改修記録等が全て流失してしまい不明である。

このお水は、冷たくて凄く綺麗です。

宮崎の神社 瀧山神社(たきさんじんじゃ) 串間市大納
hiroの部屋 宮崎の神社 瀧山神社(たきさんじんじゃ) 串間市大納

当神社は飛龍三社大権現と呼ばれ(鵜戸神宮、榎原神社)と共に時の将軍より、旱天時等の祈願所として、1.5石受け境内に在った真言宗東明寺の社僧が管理していた。
大正13年(1914年)に滝山名谷参拝道が完成した。

綺麗な拝殿です。
扉が開いています。
毎日、管理をされているようです。

宮崎の神社 瀧山神社(たきさんじんじゃ) 串間市大納
hiroの部屋 宮崎の神社 瀧山神社(たきさんじんじゃ) 串間市大納

古来より岬を航海する船の、海上安全大漁祈願、農業豊作祈願などの、日南油津の貿易商、南郷目井津の魚商達の参拝が多かった。
又、他に婦人の血の道、頭痛めまい等に滝の水が霊験あらたかなりと言われ庶民の信者が絶えなかった。

本殿もきれいですね。
平成5年に改築されたようです。

宮崎の神社 瀧山神社(たきさんじんじゃ) 串間市大納
hiroの部屋 宮崎の神社 瀧山神社(たきさんじんじゃ) 串間市大納

例祭日は10月18日と2月18日の新年祭を行っている。祈願の行者は7日籠り、10日籠りの行をしていた。

左手奥に滝があります。
綺麗な滝です。

宮崎の神社 瀧山神社(たきさんじんじゃ) 串間市大納
hiroの部屋 宮崎の神社 瀧山神社(たきさんじんじゃ) 串間市大納

境内には00年以上とも言われる杉の巨木、銀杏の巨木が有り神社の周囲には150年以上の手つかずの森林があり、滝山植物群落保護林として管理されています。癒しの森として最高です。


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  1. 2021/05/31(月) 20:38:29|
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都井岬の紫陽花 宮崎県串間市

都井岬の紫陽花が、規模は小さいですが見頃をむかえています。

遠くの海は、志布志湾です。

都井岬の紫陽花 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の紫陽花 宮崎県串間市


都井岬の紫陽花 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の紫陽花 宮崎県串間市


都井岬の紫陽花 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の紫陽花 宮崎県串間市


御崎馬が走って移動していたので、慌てて撮影です。

都井岬の紫陽花 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の紫陽花 宮崎県串間市


アジサイ
アジサイ(紫陽花、学名:Hydrangea)は、アジサイ科アジサイ属の植物の総称です。学名は「水の容器」という意味で、そのままヒドランジアあるいはハイドランジアということもあります。日本原産です。

いわゆる最も一般的に植えられている球状のアジサイはセイヨウアジサイで、日本原産のガクアジサイ(Hydrangea macrophylla)を改良した品種です。

花の色は、助色素というアントシアニンの発色に影響を与える物質のほか、土壌のpH濃度、アルミニウムイオン量によって様々に変化します。そのため、「七変化」とも呼ばれます。日本原産の最も古いものは、青色だそうです。花はつぼみのころは緑色、それが白く移ろい、咲くころには水色、または薄紅色。 咲き終わりに近づくにつれて、花色は濃くなっていきます。

「あじさい」の名は「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が訛ったものと言われています。また漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易が別の花(ライラックか?)に名付けたもので、平安時代の学者源順がこの漢字をあてはめたことから誤って広まったといわれています。

樹高1~2m。
葉は、光沢のある淡緑色で葉脈のはっきりした卵形で、周囲は鋸歯状です。
花は、6~7月に紫(赤紫から青紫)のを咲かせます。一般に花と言われている部分は装飾花で、本来の花は中心部で小さくめだちません。花びらに見えるものは萼(がく)です。セイヨウアジサイではすべてが装飾花に変化しています。

酸性との関わり
アジサイはその土地の酸性度によって色を変えます。
酸性度が高いと青が強く、酸性度が低いとピンクが強くなります。



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  1. 2021/05/31(月) 19:17:19|
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宮崎県の田の神さぁ 東高木(ひがしたかぎ)の田の神1 都城市高木町東高木 道路沿い

「東高木(ひがしたかぎ)の田の神1」は用水路の上に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 東高木(ひがしたかぎ)の田の神1 都城市高木町東高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 東高木(ひがしたかぎ)の田の神1 都城市高木町東高木 道路沿い

「東高木の田の神1」の詳細
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 80cm
像幅: 60cm
奥行: 30cm
持ち物: 被り物は不明で、衣冠束帯で両手輪組で穴はありません。
彩色: 赤茶色が薄く残っています。

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 東高木(ひがしたかぎ)の田の神1 都城市高木町東高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 東高木(ひがしたかぎ)の田の神1 都城市高木町東高木 道路沿い

頭部は一部損壊しています。補修したセメントが剝がれています。

宮崎県の田の神さぁ 東高木(ひがしたかぎ)の田の神1 都城市高木町東高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 東高木(ひがしたかぎ)の田の神1 都城市高木町東高木 道路沿い

目の前には、田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 東高木(ひがしたかぎ)の田の神1 都城市高木町東高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 東高木(ひがしたかぎ)の田の神1 都城市高木町東高木 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/05/31(月) 18:00:31|
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都井岬の御崎馬 宮崎県串間市

先月も来ましたが、今日も都井岬にやって来ました。
先月程人は多くないですね。

御崎馬は中腹から頂上にかけているのが見えます。
重い器材を持って、息を切らして上って行きます。
子供たちは元気ですね。走って上って行きます。

都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市


都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市

春駒(子馬)です。

都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市

都井御崎牧組合の方のお話しでは、春駒(子馬)は現在10頭いるそうです。

都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市


都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市

お母さんから離れません。

都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市


都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市


都井岬の御崎馬 宮崎県串間市
hiroの部屋 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市


【御崎馬(みさきうま)】
 哺乳網奇蹄目ウマ科。岬馬とも呼ばれています。
 江戸時代前期の元禄10年(1697年)、高鍋藩の秋月家が軍事に欠かせない馬の放牧を、福島地方(現在の串間市)を中心に7カ所設置された藩営牧場の1つ都井村御崎牧(現在の御崎牧場)で始めたのが始まりとされています。
 明治維新後の明治7年(1874年)、御崎牧場は組合員155名からなる御崎組合の共有牧場として払い下げられました。
 明治30年(1897年)に明治政府は種牡馬検査法を公布しました。その後、国策として内国産馬の体格を向上させるために洋種馬の血統を導入する計画を実施しました。
 御崎馬も国策としての内国産馬改良事業から完全に逃れることはできず、都井岬には大正2年(1913年)に父がスタンダードブレッド、母が北海道和種と南部馬の雑種の北海道産牡馬である小松号が導入され、種馬として1年間供用され数頭の牝馬が種付けされました。
 小松号の特徴は、栗毛、流星、珠目正、鼻白、右後一白でした。それ以来、御崎馬には栗毛や白持ちで大柄の馬も出るようになりました。しかし、小松号の影響は限られたものにとどまり、御崎馬は純粋度の高い馬群を維持する数少ない日本在来馬として残りました。
 御崎馬は第二次世界大戦中から戦後にかけて数が減少し、農業の機械化にともない農耕馬としての需要も見込めなくなりました。
 しかし、昭和28年(1953年)に「岬馬およびその繁殖地」が国の天然記念物に指定され、昭和42年(1967年)と昭和43年(1968年)に発足した都井岬馬保護対策協議会と都井岬馬保護対策協力会が御崎牧場に協力、援助する体制ができました。
 さらに、昭和49年(1974年)からは国、宮崎県、串間市の補助事業として保護策がとられ、御崎馬の頭数は次第に増加傾向に転じました。近年は120頭前後で安定し、半野生状態を維持された希少な日本在来馬として宮崎県の重要な観光資源となっています。

【特徴】
 体長・体高ともに130cm内外で、毛色は主に鹿毛と青毛で、栗毛は極めて少なく、背中に鰻線のあるものが多く見られます。

【生態】
 春から夏はノシバやチガヤの豊富な小松ヶ丘や扇山の草地で、種雄馬(しゅゆうば)を中心に数頭の雌馬と子馬で構成された群(ハーレム)を作って過ごします。
 秋から冬は小さな群に分かれて海岸よりの杉林や雑木林に移動して、ススキやシダあるいはタブノキやアカメガシワなどの茎葉を食べて過ごします。

【春駒(子馬)】
 御崎馬の出産のシーズンは 3月~8月で、4・5月に最も多く生まれます。



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  1. 2021/05/30(日) 19:42:14|
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宮崎の花 ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町

ジャカランダの花はまだ咲いていないのか?
裏のトロピカルドームから入りました。
ジャカランダの谷は咲いています。

ジャカランダの森の駐車場に車を停め歩いて確認です。

宮崎の花 ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町
hiroの部屋 宮崎の花 ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町

まだ5部咲きですね。

宮崎の花 ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町
hiroの部屋 宮崎の花 ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町


宮崎の花 ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町
hiroの部屋 宮崎の花 ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町


宮崎の花 ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町
hiroの部屋 宮崎の花 ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町

いつもの撮影ポイントで一枚。

宮崎の花 ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町
hiroの部屋 宮崎の花 ジャカランダの花 道の駅なんごう(南郷) 日南市南郷町


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  1. 2021/05/30(日) 18:10:02|
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国道428号線旧道休憩所のブーゲンビリア 道の駅なんごう

今日は、都井岬迄行こうと思います。
日南海岸を南下し(車少ないです)、道の駅なんごうを通り過ぎトンネル手前で旧道に入ります。
いつもの休憩所で休憩です。

国道428号線旧道休憩所のブーゲンビリア 道の駅なんごう
hiroの部屋 国道428号線旧道休憩所のブーゲンビリア 道の駅なんごう

ブーゲンビリアが咲いています。

国道428号線旧道休憩所のブーゲンビリア 道の駅なんごう
hiroの部屋 国道428号線旧道休憩所のブーゲンビリア 道の駅なんごう


国道428号線旧道休憩所のブーゲンビリア 道の駅なんごう
hiroの部屋 国道428号線旧道休憩所のブーゲンビリア 道の駅なんごう


国道428号線旧道休憩所のブーゲンビリア 道の駅なんごう
hiroの部屋 国道428号線旧道休憩所のブーゲンビリア 道の駅なんごう


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  1. 2021/05/30(日) 18:05:01|
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宮崎県の田の神さぁ 浜宮池(はまみやいけ)の田の神 都城市高木町西高木 道路沿い

都城市高木町西高木にある遊水池「浜宮池」傍に「浜宮池(はまみやいけ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 浜宮池(はまみやいけ)の田の神 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 浜宮池(はまみやいけ)の田の神 都城市高木町西高木 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 浜宮池(はまみやいけ)の田の神 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 浜宮池(はまみやいけ)の田の神 都城市高木町西高木 道路沿い

「浜宮池(はまみやいけ)の田の神」の詳細
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 45cm
像幅: 36cm
奥行: 30cm
持ち物: 被り物は不明で、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴はありません。
彩色: 薄赤茶色

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

顔の摩耗がひどい状態です。

宮崎県の田の神さぁ 浜宮池(はまみやいけ)の田の神 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 浜宮池(はまみやいけ)の田の神 都城市高木町西高木 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 浜宮池(はまみやいけ)の田の神 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 浜宮池(はまみやいけ)の田の神 都城市高木町西高木 道路沿い

空き缶で作った風車(かざぐるま)が勢いよく回っています。
面白い作り方です。。

宮崎県の田の神さぁ 浜宮池(はまみやいけ)の風車 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 浜宮池(はまみやいけ)の風車 都城市高木町西高木


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/05/30(日) 18:00:30|
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宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神2 都城市高木町西高木 境内

厳島神社境内に「西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神2」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神2 都城市高木町西高木 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神2 都城市高木町西高木 境内

「西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神2」の詳細
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 65cm
像幅: 85cm
奥行: 10cm
持ち物: 衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴はありません。
彩色: 彩色無し

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神2 都城市高木町西高木 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神2 都城市高木町西高木 境内

頭部を新しく作成していますね。

宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神2 都城市高木町西高木 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神2 都城市高木町西高木 境内

摩耗がひどい状態ですね。

宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神2 都城市高木町西高木 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神2 都城市高木町西高木 境内

右側の自然石は田の神様なのかな?

宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神2 都城市高木町西高木 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神2 都城市高木町西高木 境内


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/05/29(土) 18:00:29|
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宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神1 都城市高木町西高木 境内

「西高木(にしたかぎ)の田の神4」から430m程行った所に厳島神社があります。
厳島神社境内に「西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神1」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神1 都城市高木町西高木 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神1 都城市高木町西高木 境内


宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神1 都城市高木町西高木 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神1 都城市高木町西高木 境内

「西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神1」の詳細
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 73cm
像幅: 75cm
奥行: 33cm
持ち物: 被り物は不明で、衣冠束帯で両手輪組で穴はありません。
彩色: 彩色無し

首はセメント付けされています。

宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神1 都城市高木町西高木 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神1 都城市高木町西高木 境内


宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神1 都城市高木町西高木 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木厳島神社(にしたかぎいつくしまじんじゃ)の田の神1 都城市高木町西高木 境内


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/05/28(金) 18:00:28|
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宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神4 都城市高木町西高木 道路沿い

「西高木(にしたかぎ)の田の神3」から道なりに170m程行った右側に「西高木(にしたかぎ)の田の神4」が祀られています。
歩いて探したのですが通り過ぎていました。
木の下の雑草の中に、頭が少し見えています。

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神4 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神4 都城市高木町西高木 道路沿い

傍まで行かないと見えないですね。
田の神さぁが向いている方向に田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神4 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神4 都城市高木町西高木 道路沿い

「西高木(にしたかぎ)の田の神4」の詳細
建立年: 嘉永4年(1851年)
型分類: 農民型、都城型
形態: 立位
像高: 83cm
像幅: 58cm
奥行: 35cm
持ち物: 鉄兜状の大きなシキを被り、長袖和服と長袴姿で右手にメシゲ左手に椀を持っています。
彩色: 後方からは男性根。彩色無し。

長袴の縦の線がはっきりしてますね。

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神4 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神4 都城市高木町西高木 道路沿い

大きなシキ被り、大袖の上衣と袴姿で、険しい顔付をしています。

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神4 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神4 都城市高木町西高木 道路沿い

「嘉永四」と読めます。

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神4 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神4 都城市高木町西高木 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/05/27(木) 18:00:27|
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宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神3 都城市高木町西高木 道路沿い

「西高木(にしたかぎ)の田の神3」は、用水路沿いに祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神3 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神3 都城市高木町西高木 道路沿い

隣の小さな像も田の神様かな?

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神3 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神3 都城市高木町西高木 道路沿い

「西高木(にしたかぎ)の田の神3」の詳細
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 上半身のみ
像高: 58cm
像幅: 65cm
奥行: 38cm
持ち物: 冠を被り、衣冠束帯で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 羽織は赤茶色

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神3 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神3 都城市高木町西高木 道路沿い

上半身のみです。
セメントで固定されている?
穴の中にお金が入れてあります。

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神3 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神3 都城市高木町西高木 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神3 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神3 都城市高木町西高木 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/05/26(水) 18:00:26|
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宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神2 都城市高木町西高木 道路沿い

「西高木(にしたかぎ)の田の神2」は、「西高木(にしたかぎ)の田の神1」の近くに祀られています。
目の前には、田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神2 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神2 都城市高木町西高木 道路沿い

「西高木(にしたかぎ)の田の神2」の詳細
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 上半身のみ
像高: 60cm
像幅: 50cm
奥行: 25cm
持ち物: 冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 橙色が一部残っています。

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神2 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神2 都城市高木町西高木 道路沿い

上半身のみでセメント付けされ、風化が進んでいます。

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神2 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神2 都城市高木町西高木 道路沿い

穴が開いています。

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神2 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神2 都城市高木町西高木 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/05/25(火) 18:00:25|
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宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神1 都城市高木町西高木 道路沿い

西高木地区には、7体の田の神様が祀られています。
初めに「西高木(にしたかぎ)の田の神1」へ
右側に「西高木(にしたかぎ)の田の神2」が祀られています。
近くに車を停められるスペースがあります。

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神1 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神1 都城市高木町西高木 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神1 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神1 都城市高木町西高木 道路沿い

「西高木(にしたかぎ)の田の神1」の詳細
建立年: 不詳
型分類: 農民型
形態: 椅像
像高: 45cm
像幅: 30cm
奥行: 19cm
持ち物: シキを被り、長袖和服で右手にメシゲ左手にスリコギを持っています。
彩色: 彩色無し

シキ:縄で編んだ敷物
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神1 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神1 都城市高木町西高木 道路沿い

左膝を立てて躍動的で、比較的新しく見えますね。

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神1 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神1 都城市高木町西高木 道路沿い

目の前には、田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神1 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神1 都城市高木町西高木 道路沿い

特徴的なのは、後ろ側です。
深く溝が彫られています。
他に見たことが無いですね。

宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神1 都城市高木町西高木 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西高木(にしたかぎ)の田の神1 都城市高木町西高木 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/05/24(月) 18:00:24|
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宮崎県の田の神さぁ 志和地(しわち)の田の神 都城市上水流町志和地 道路沿い

「志和地(しわち)の田の神」の目の前には、田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 志和地(しわち)の田の神 都城市上水流町志和地 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 志和地(しわち)の田の神 都城市上水流町志和地 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 志和地(しわち)の田の神 都城市上水流町志和地 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 志和地(しわち)の田の神 都城市上水流町志和地 道路沿い

「志和地(しわち)の田の神」の詳細
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 67cm
像幅: 51cm
奥行: 33cm
持ち物: 冠を被り、長袖和服で右手にスリコギ左手にメシゲを持っています。
彩色: 赤茶色が薄く残っています。

宮崎県の田の神さぁ 志和地(しわち)の田の神 都城市上水流町志和地 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 志和地(しわち)の田の神 都城市上水流町志和地 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 志和地(しわち)の田の神 都城市上水流町志和地 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 志和地(しわち)の田の神 都城市上水流町志和地 道路沿い

和服に色が残っています。

宮崎県の田の神さぁ 志和地(しわち)の田の神 都城市上水流町志和地 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 志和地(しわち)の田の神 都城市上水流町志和地 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/05/23(日) 18:00:23|
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宮崎県の田の神さぁ 上西(かみにし)の田の神 都城市上水流町上西 道路沿い

「上西(かみにし)の田の神」の目の前には田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 上西(かみにし)の田の神 都城市上水流町上西 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上西(かみにし)の田の神 都城市上水流町上西 道路沿い

「上西(かみにし)の田の神」の詳細
建立年: 嘉永6年(1803年)
型分類: 農民型、都城型
形態: 立位
像高: 65cm
像幅: 32cm
奥行: 26cm
持ち物: シキを被り、長袖和服と長袴で右手にメシゲ左手にお椀を持っています。
彩色: 襟元に赤茶色が残っています。

大きな石に浮き彫りされています。

宮崎県の田の神さぁ 上西(かみにし)の田の神 都城市上水流町上西 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上西(かみにし)の田の神 都城市上水流町上西 道路沿い

浮き彫りの田の神さぁは珍しいですね。
浮き彫りされている部分を測るのを忘れていました。

宮崎県の田の神さぁ 上西(かみにし)の田の神 都城市上水流町上西 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上西(かみにし)の田の神 都城市上水流町上西 道路沿い

都城市の田の神様は、ほとんどが足元をセメントで固定されているのですが、「上西(かみにし)の田の神」は固定されていませんね。

宮崎県の田の神さぁ 上西(かみにし)の田の神 都城市上水流町上西 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上西(かみにし)の田の神 都城市上水流町上西 道路沿い

嘉永6年2月吉日と読めます。

宮崎県の田の神さぁ 上西(かみにし)の田の神 都城市上水流町上西 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上西(かみにし)の田の神 都城市上水流町上西 道路沿い

六地蔵(ろくじぞう)
島津氏が日向・大隅・薩摩を統一した頃 戦死した敵味方の霊を弔うために各地に立てた供養塔の一つ。六面に地蔵が刻まれている。

宮崎県の田の神さぁ 上西(かみにし)の田の神 都城市上水流町上西 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上西(かみにし)の田の神 都城市上水流町上西 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/05/22(土) 18:00:22|
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宮崎県の田の神さぁ 上水流(かみづる)の田の神 都城市上水流町 道路沿い

「上水流(かみづる)の田の神」は田んぼが良く見える所に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 上水流(かみづる)の田の神 都城市上水流町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上水流(かみづる)の田の神 都城市上水流町 道路沿い

「上水流(かみづる)の田の神」の詳細
建立年: 「宝暦元壬申十二月 田神宮」(1752年)の刻銘(都城では最も古い)
型分類: 神像型
形態: 上半身のみ
像高: 55cm
像幅: 48cm
奥行: 23cm
持ち物: 冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手を合わせています。
彩色: 彩色無し。

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

両手を胸の前に組み合わせた姿は、あまり見ませんね。。

宮崎県の田の神さぁ 上水流(かみづる)の田の神 都城市上水流町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上水流(かみづる)の田の神 都城市上水流町 道路沿い

上半身のみで首はセメント付けされています。
太い眉とつり上がった目が特徴的な神像型です。

宮崎県の田の神さぁ 上水流(かみづる)の田の神 都城市上水流町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上水流(かみづる)の田の神 都城市上水流町 道路沿い

田の神様の由来が書かれています。

宮崎県の田の神さぁ 上水流(かみづる)の田の神 都城市上水流町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上水流(かみづる)の田の神 都城市上水流町 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 上水流(かみづる)の田の神 都城市上水流町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上水流(かみづる)の田の神 都城市上水流町 道路沿い

ここに来る途中にバス停がありました。
こんな狭い所をバスが走っているのと思ったら、トトロのバス停でした。
時刻表には、「大潮満月23:05発」と書かれています。

宮崎県の田の神さぁ 上水流(かみづる)の田の神近く トトロのバス停
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上水流(かみづる)の田の神近く トトロのバス停

待ってたら、猫バスやって来るのかな?


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/05/21(金) 18:00:21|
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宮崎県の田の神さぁ 下水流町(しもづるちょう)の田の神 都城市下水流町 道路沿い

「下水流町(しもづるちょう)の田の神」は見晴らしが良い所に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 下水流町(しもづるちょう)の田の神 都城市下水流町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 下水流町(しもづるちょう)の田の神 都城市下水流町 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 下水流町(しもづるちょう)の田の神 都城市下水流町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 下水流町(しもづるちょう)の田の神 都城市下水流町 道路沿い

「下水流町下水流町(しもづるちょう)の田の神」の詳細
建立年: 不詳
型分類: 農民型、都城型
形態: 立位
像高: 80cm
像幅: 70cm
奥行: 33cm
持ち物: シキを被り、長袖和服と長袴で右手にメシゲ左手にお椀を持っています。
彩色: 襟元に赤茶色が残っています。

宮崎県の田の神さぁ 下水流町(しもづるちょう)の田の神 都城市下水流町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 下水流町(しもづるちょう)の田の神 都城市下水流町 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 下水流町(しもづるちょう)の田の神 都城市下水流町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 下水流町(しもづるちょう)の田の神 都城市下水流町 道路沿い

衣を着てワラヅトの様に大きな風呂敷を背負い、胸の前でしばっています。

宮崎県の田の神さぁ 下水流町(しもづるちょう)の田の神 都城市下水流町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 下水流町(しもづるちょう)の田の神 都城市下水流町 道路沿い

大きなシキを被り、袖の大きな上着と袴姿で、後方からは男性根ですね。

宮崎県の田の神さぁ 下水流町(しもづるちょう)の田の神 都城市下水流町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 下水流町(しもづるちょう)の田の神 都城市下水流町 道路沿い

青山幹雄著の「宮崎の田の神像」(1979年6月29日発行)には、下水流には、神官型2、農民型1が書かれています。
農民型1は、この「下水流町(しもづるちょう)の田の神」ですが、神官型は、1体盗まれたと書かれていて、残り1体は「全体的にまめつ。背面平板。6月27日祭り。セメントで固める。」とあるので「水流神社(つるじんじゃ)の田の神」のことでしょう。


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 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/05/20(木) 18:00:20|
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宮崎の神社 水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町

宮崎県都城市下水流町にある「水流神社(つるじんじゃ)」です。

宮崎の神社 水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町
hiroの部屋 宮崎の神社水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町

鳥居をくぐると、左右に祠があります。

碑文
寛政8年(1796年)8月吉日前神様として
左像 丸山泊左衛門
右像 坂田伊左衛門 二体奉寄進
両氏、水流新田の水守を島津家より承る。
両氏共尊崇五社のうちの一つ諏訪神社(現水流神社)を祀っていたとされる。
右像奉納した坂田家(現川口家)は、前田宮司、神社総代に提案、指導の下、また丸山御三家の協力もあって、経年劣化、水害等での損傷を受けた前神様を子々孫々の同意を得て建立奉納と相成った。
水流神社氏子、参拝方々各位御健勝、御祈願成就を祈念し献上す。
平成27年7月吉日

左側の祠です。

宮崎の神社 水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町
hiroの部屋 宮崎の神社水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町


宮崎の神社 水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町
hiroの部屋 宮崎の神社水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町

右側の祠です。

宮崎の神社 水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町
hiroの部屋 宮崎の神社水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町


宮崎の神社 水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町
hiroの部屋 宮崎の神社水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町

宮崎の神社 水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町
祭神
 建御名方神(たけみなかたのかみ)
 事代主神(ことしろぬしのかみ)
 埴山毘売神(はにやまひめのかみ)
由緒 
 創建不詳なるも応永年間(1394年~1428年)と言う
 元禄12年(1699年)8月15日社殿改築
 天明2年(1782年)8月社殿再興
 明治4年(1871年)2月庄内諏訪神社へ合祀されたのを明治12年9月復社し明治22年10月社殿改築
 昭和3年(1928年)9月下水流字南鶴より現在地へ社殿改築移転遷宮し今日に至る
祭日
 春祭祈年祭 3月27日
 六月灯例祭 7月27日
 秋祭新嘗祭 11月27日

拝殿立派な造りです。

宮崎の神社 水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町
hiroの部屋 宮崎の神社水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町

本殿も立派です。
ワイヤーで固定しています。

宮崎の神社 水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町
hiroの部屋 宮崎の神社水流神社(つるじんじゃ)(旧諏訪神社)宮崎県都城市下水流町


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  1. 2021/05/19(水) 18:01:19|
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宮崎県の田の神さぁ 水流神社(つるじんじゃ)の田の神 都城市下水流町 境内

県道420号線の瀬戸の口から東へ600m行った所に「水流神社(つるじんじゃ)の田の神」が祀られています。
水流神社の鳥居の側に車を停めるスペースがあります。

水流神社拝殿の左側にいらっしゃいます。

宮崎県の田の神さぁ 水流神社(つるじんじゃ)の田の神 都城市下水流町 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 水流神社(つるじんじゃ)の田の神 都城市下水流町 境内


宮崎県の田の神さぁ 水流神社(つるじんじゃ)の田の神 都城市下水流町 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 水流神社(つるじんじゃ)の田の神 都城市下水流町 境内

「水流神社(つるじんじゃ)の田の神」の詳細
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 70cm
像幅: 53cm
奥行: 20cm
持ち物: 冠被りを被り、衣冠束帯で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 衣の一部に赤茶色が残っています。

宮崎県の田の神さぁ 水流神社(つるじんじゃ)の田の神 都城市下水流町 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 水流神社(つるじんじゃ)の田の神 都城市下水流町 境内


宮崎県の田の神さぁ 水流神社(つるじんじゃ)の田の神 都城市下水流町 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 水流神社(つるじんじゃ)の田の神 都城市下水流町 境内

顔の摩耗がひどい状態です。

宮崎県の田の神さぁ 水流神社(つるじんじゃ)の田の神 都城市下水流町 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 水流神社(つるじんじゃ)の田の神 都城市下水流町 境内

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/05/19(水) 18:00:18|
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宮崎県の田の神さぁ 中大五郎(なかだいごろう)の田の神 都城市丸谷町 高台

都城市丸谷町を走る宮崎自動車道の西側にある高台に「中大五郎(なかだいごろう)の田の神」が祀られています。
鳥居の側にいらっしゃいます。

宮崎県の田の神さぁ 中大五郎(なかだいごろう)の田の神 都城市丸谷町 高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 中大五郎(なかだいごろう)の田の神 都城市丸谷町 高台

「中大五郎(なかだいごろう)の田の神」の詳細
建立年: 側面に「文政元年」(1818年)の刻銘
型分類: 農民型
形態: 椅像
像高: 50cm
像幅: 25cm
奥行: 33cm
持ち物: シキを被り、長袖和服で右手にメシゲ左手にお椀を持っています。
彩色: 顔は赤茶色

シキ:縄で編んだ敷物

宮崎県の田の神さぁ 中大五郎(なかだいごろう)の田の神 都城市丸谷町 高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 中大五郎(なかだいごろう)の田の神 都城市丸谷町 高台

膝を立てて座っています。

宮崎県の田の神さぁ 中大五郎(なかだいごろう)の田の神 都城市丸谷町 高台
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うっすらと高千穂峰が見えます。

宮崎県の田の神さぁ 中大五郎(なかだいごろう)の田の神 都城市丸谷町 高台
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宮崎県の田の神さぁ 中大五郎(なかだいごろう)の田の神 都城市丸谷町 高台
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/05/18(火) 18:00:18|
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宮崎県の田の神さぁ 下大五郎庚申神社(しもだいごろうこうしんじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 道路沿い

都城市丸谷町の道路沿いに「下大五郎庚申神社(しもだいごろうこうしんじんじゃ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 下大五郎庚申神社(しもだいごろうこうしんじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 下大五郎庚申神社(しもだいごろうこうしんじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 道路沿い

「下大五郎庚申神社(しもだいごろうこうしんじんじゃ)の田の神」の詳細
建立年: 不詳
型分類: 不明
形態: 椅像
像高: 60cm
像幅: 36cm
奥行: 35cm
持ち物: シキを被り、顔は風化が激しく不明です。長袖和服で両手輪組しています。
彩色: 彩色無し

シキ:縄で編んだ敷物

宮崎県の田の神さぁ 下大五郎庚申神社(しもだいごろうこうしんじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 下大五郎庚申神社(しもだいごろうこうしんじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 道路沿い

顔は破損しています。

宮崎県の田の神さぁ 下大五郎庚申神社(しもだいごろうこうしんじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 下大五郎庚申神社(しもだいごろうこうしんじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 下大五郎庚申神社(しもだいごろうこうしんじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 下大五郎庚申神社(しもだいごろうこうしんじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 道路沿い

両膝を折り曲げています。

宮崎県の田の神さぁ 下大五郎庚申神社(しもだいごろうこうしんじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 下大五郎庚申神社(しもだいごろうこうしんじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/05/17(月) 18:00:17|
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宮崎県の田の神さぁ 丸谷大年神社(まるたにおおとしじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 境内

志和地小入口交差点から県道46号線(高城山田線)を西へ1.3km走った所を左折し、210m先の十字路を右折すると丘の上に丸谷大年神社が見えてきます。
丸谷大年神社境内に「丸谷大年神社(まるたにおおとしじんじゃ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 丸谷大年神社(まるたにおおとしじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 丸谷大年神社(まるたにおおとしじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 境内

大きなメシゲですね。

メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 丸谷大年神社(まるたにおおとしじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 丸谷大年神社(まるたにおおとしじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 境内

「丸谷大年神社(まるたにおおとしじんじゃ)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:田の神舞神職型
形態:立位
像高:53cm
像幅:33cm
奥行:27cm
持ち物: 総髪でシキを被り、長袖和服長袴姿で、両手でメシゲを持っています。
彩色: 無し。

シキ:縄で編んだ敷物
袴(はかま):日本で下半身に着用する伝統的な衣類の一つ

宮崎県の田の神さぁ 丸谷大年神社(まるたにおおとしじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 丸谷大年神社(まるたにおおとしじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 境内

背にワラズトを背負っています。

ワラヅト:ワラを束ねて中に物を包むようにいたもの。

宮崎県の田の神さぁ 丸谷大年神社(まるたにおおとしじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 丸谷大年神社(まるたにおおとしじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 境内

目の前には、田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 丸谷大年神社(まるたにおおとしじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 丸谷大年神社(まるたにおおとしじんじゃ)の田の神 都城市丸谷町 境内

丸谷大年神社の裏手でユンボが動いていました。
何の工事でしょう?


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/05/16(日) 18:00:16|
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宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い

国道221号線荒ヶ田の信号を西へ560m行った所に「荒ヶ田(あらけだ)の田の神」が祀られています。
木の奥にいらっしゃいます。

宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い

「荒ヶ田(あらけだ)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像
形態:座位
像高:74cm
像幅:78cm
奥行:33cm
持ち物: 冠を被り、衣冠束帯で両手先よく分かりません。
彩色: 無し

宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い

首はセメント付けされています。

宮崎県の田の神さぁ 荒ヶ田(あらけだ)の田の神 都城市丸谷町荒ヶ田 道路沿い
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/05/15(土) 18:00:15|
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宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い

都城市岩満町巣立の道路沿いに「岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2」が祀られています。

やんちゃな田の神さぁです。
ネックレスをし、サングラスも似合っていますね。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い

ネックレス等外させていただきました。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い

「岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像
形態:座位
像高:75cm
像幅:70cm
奥行:40cm
持ち物:頭部は改作されていて、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 無し。

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い

目の前には、田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 都城市岩満町巣立 道路沿い

撮影後は、やんちゃな田の神さぁに戻すのでした。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/05/14(金) 18:00:14|
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宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い

「岩満町(いわみつちょう)の田の神」から東へ440m程先の右に「岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1」が祀られています。
道路沿いにいらっしゃるので、すぐに分かると思ったのですが、通り過ぎてしまいました。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い

「岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1」の詳細
建立年:安永5年(1777年)
型分類:神像型座像
形態:座位
像高:74cm
像幅:70cm
奥行:40cm
持ち物:冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で右手は欠損していて左手握り飯と思われます。
彩色: 無し。

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い

両手の袖が大きく広がっています。背筋を伸ばし、堂々とした田の神像です。切れ長の目がりりしい姿。コンクリートで土台に固めてあります。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い

目の前に田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神1 都城市岩満町巣立 道路沿い

青山幹雄著の「宮崎の田の神像」(1979年6月29日発行)には、「すばらしい彫り。両手輪組になる以前の作品?」と書かれています。

次は、地元の方に教えていただいた「岩満町巣立(いわみつちょうすだて)の田の神2 」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/05/13(木) 18:00:13|
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宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館

今回は、都城市の田の神さぁを巡ります。
都城市は広いので、沢山の田の神様がいらっしゃいます。
都城市北部からスタートです。
「岩満町(いわみつちょう)の田の神」は、都城市岩満町にある岩満営農研修館敷地内に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館


宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館

「岩満町(いわみつちょう)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像
形態:座位
像高:56cm
像幅:43cm
奥行:35cm
持ち物:被り物不明で、両手輪組と思われますがセメントで補強されています。
彩色: 無し。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館

頭巾を被り、着物は衣冠束帯と思われます。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館

目の前には、田んぼが広がっています。
住民に愛されている田の神さぁですね。

宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 岩満町(いわみつちょう)の田の神 都城市岩満町 岩満営農研修館

地元の方とお話しすることが出来ました。
この地区には3体の田の神様がいらっしゃって、場所を丁寧に教えていただきました。
ありがとうございます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/05/12(水) 18:00:12|
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宮崎県が梅雨に入りました。

今日気象台は、宮崎県を含む九州南部の「梅雨入り」を発表しました。
宮崎市内では、5時過ぎから雨が降り出しました。
天気予報を見ると、明日から来週初めまで雨予報です。
今年の梅雨入りは、平年より19日も早いそうです。
5月前半の梅雨入りは、昭和49年(1974年)以来47年ぶりで、統計を取り始めてから2番目の早さだそうです。

hiroの部屋 宮崎県が梅雨に入りました。

昭和49年(1974年)の出来事
・ルバング島で小野田寛郎元少尉を発見。
・WBC世界ライト級タイトルマッチで、挑戦者・ガッツ石松が王座獲得。
・ウォーターゲート事件。


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  1. 2021/05/11(火) 20:03:26|
  2. 日記|
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宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神2 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

「福原(ふくはら)の田の神1」から西へ180m行った所に「福原(ふくはら)の田の神2」が祀られています。

今回で高原町の田の神さぁ巡りは終了です。

宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神2 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神2 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

「福原(ふくはら)の田の神2」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像
形態:座位
像高:70cm
像幅:45cm
奥行:35cm
持ち物:冠被り衣冠束帯(いかんそくたい)で両手組んで穴あり。
彩色: 無し。

宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神2 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神2 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

穴が開いています。

宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神2 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神2 西諸県郡高原町原福原 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

県道405号線上平踏切から小林方面へ260m走った所を右に入り、小道を290m行った所に「福原(ふくはら)の田の神1」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

「福原(ふくはら)の田の神1」の詳細
建立年:天明元年(1781年)?
型分類:神像型座像
形態:座位
像高:81cm
像幅:53cm
奥行:33cm
持ち物:衣冠束帯(いかんそくたい)で両手組穴あり。
彩色: 無し。

宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

高千穂峰が見えます。

宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 福原(ふくはら)の田の神1 西諸県郡高原町原福原 道路沿い

次は、「福原(ふくはら)の田の神2」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/05/10(月) 18:00:12|
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宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い

JRえびの高原線広原駅から高原方面へ370m程走り右手の小道に入り780m走った左手の民家の手前に「上村(うえむら)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い

「上村(うえむら)の田の神」の詳細
建立年:大正12年(1923年)
型分類:農民型
形態:椅像
像高:62cm
像幅:32cm
奥行:37cm
持ち物:ショケ被り長袖上衣(うえのきぬ)裁着袴(たっつけはかま)姿で右手にメシゲ左手杵の様な物を持っている。
彩色: 無し。

宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い

上衣(うえのきぬ):束帯・布袴(ほうこ)・衣冠のときに用いる上着
裁着袴(たっつけはかま):農民の仕事着

少し傾いています。

宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い

後ろに高千穂峰が見えます。

宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上村(うえむら)の田の神 西諸県郡高原町広原上村 道路沿い

次は、「福原(ふくはら)の田の神1」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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