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宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

国道268号線の「梅田学園小林自動車学校」入口から300m行ったY字路を左へ進み、道なりに1km程行った左手に「八所(やところ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

「八所(やところ)(左)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:農民型
形態:座位
像高:62cm
像幅:52cm
奥行:30cm
持ち物:シキ被り長袖和服で右手メシゲ、左手持ち物なく両手膝の上。
 彩色:顔以外は鮮やかなベンガラに赤色

シキ:縄で編んだ敷物
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

「八所(やところ)(右)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神官型座像
形態:座位
像高:62cm
像幅:74cm
奥行:35cm
持ち物:頭部は改作されています。衣冠束帯で両手輪組で穴あり。
彩色:顔以外は鮮やかなベンガラに赤色

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

同じ所にに田の神が二体あるのは珍しく、夫婦の田の神とも言われていますが、後ろにある「田の神様御鎮座記念の碑」には

田の神様御鎮座記念の碑
 この横を流れる大谷川の水源は、山の神にあり、滾々と湧き出る水は、昔より涸れることなく、栗須の下を流れて、城の下川となり約10Km下流の大久保で岩瀬川に合流する。
 流域は昔より我等の祖先が開田し、営々として耕作を続けて来た。
 「御飯粒をこぼすと目がつぶれる。」と、いわれた程に大切な食糧である稲には、神が宿ると考えられ、神は春には田に降り、晩秋には山に帰られると信じていた。
 又、「サ」という神様が、春になると、天から降臨され、神に仕える早乙女は生贄にされたともいわれている。
 田の神に化粧するのは、ここらに由来しているものと思われる。
 旧薩摩藩領内では、今より約270年前頃より、田の神像を石で彫刻し、田の見える場所に安置して、豊作を祈念するようになった。

宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

 八所の田の神は初めに、大きい方の神像が造られた。
 その後は豊作続きであったので、他地区の人達が「八所の田の神は、豊作を授けて下さる有り難い神様だ。」ということで、夜、こっそりと借りて行った。ところが帰された時には、頭がなくなっていた。
 そこで八所の人々はしゃもじを持った小さい方の田の神を造って、二体並べて祭って来た。
 昭和二十三年に田の神お化粧の時、首なしの神にも頭を造って、くっつけた。

宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 八所(やところ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字八所

 昭和八年には野尻原開田のずい道が通じた為に水位が下がり、田の神の前に揚水ポンプが設けられた。
 昭和六十一年に、ずい道の老朽化による改造工事の為、昔からの鎮座地で「字、佐土元、三三八一番地一〇(367㎡)」に台座を作り永久に田の神の敷地に使用することになった。
 旧三月十五日にはお化粧をし「サ昇り」には、焼酎や田の苗等をあげて豊作を祈念した。
 「春田打つ、夏の早苗とるあしたより、秋の夕を守る田の神”この度の鎮座に当り、由来を記し、後世に伝えるものである。」
昭和六十一年三月吉祥日 八所田の神講一同


今回の「八所(やところ)の田の神」の撮影で、小林市野尻町の「田の神さぁ」は終了します。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/14(水) 18:00:44|
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宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

菅原神社の右の「田の神」です。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

「菅原神社(右)の田の神」の詳細
建立年:延享二年(1745 年)
型分類:武神像、田の神原型式武神像
形態:椅位
像高:55cm
像幅:48cm
奥行:24cm
持ち物:丸顔で両手左右持ち膝の上。左脇の下に穴あり。
彩色:無し

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

左わきに穴が開いています。
他に記憶が無いですね。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

この「田の神」も袖が特徴的ですね。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

管原神社境内にある石神には「作者 毛利雅楽 延享二年(1745 年)」と刻まれています。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(右)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

毛利雅楽の名は立野の田の神(小林市大字南西方字立野)にも刻まれています。
また境内には「元文五年」の銘が刻まれた庚申供養塔もあり、菅原神社の歴史が古いことを物語る資料となっています


次は、「八所(やところ)の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/13(火) 18:00:43|
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宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

「西原(にしばる)の田の神」の横の階段を上ると、菅原神社です。
菅原神社に向かって左右に「田の神」が祀られています。
左の方の「田の神」へ

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

「菅原神社(左)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:武神像、田の神原型式武神像
形態:椅位
像高:61cm
像幅:50cm
奥行:28cm
持ち物:丸顔で両手左右持ち膝の上。
彩色:無し。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

この「田の神」は、袖が特徴的ですね。

宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 菅原神社(左)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原


「菅原神社(右)の田の神」を見てみましょう。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/12(月) 18:00:42|
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宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

「佐土瀬(さどせ)の田の神」から南へ170m程先を右折し、920m行った右手に「西原(にしばる)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

「西原(にしばる)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像、野尻神官型
形態:座位
像高:56cm
像幅:62cm
奥行:37cm
持ち物:纓(えい)の付いた冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組でメシゲを持っている。
彩色:顔とメシゲが白色で、あとは全て朱色。

宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原


宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 西原(にしばる)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字西原

もとは菅原神社東下の田んぼの土手にあったものを昭和53年に今の場所に移したとされています。

次は、横の階段を上って「菅原神社」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/11(日) 18:00:35|
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宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原

「野々崎(ののざき)の田の神」から210m程行った右手に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
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宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
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「佐土瀬(さどせ)の田の神」の詳細
建立年:昭和11年4月
型分類:神像型座像、野尻神官型
形態:座位
 像高:51cm
 像幅:47.5cm
奥行:32cm
持ち物:纓(えい)の付いた冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組でメシゲを持っている。
 彩色:顔とメシゲが白色で、あとは全て朱色。

宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
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宮崎県の田の神さぁ 佐土瀬(さどせ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
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次は、「西原(にしばる)の田の神」へ向かいます。

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/04/10(土) 18:00:17|
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宮崎県の田の神さぁ 野々崎(ののざき)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原

セブン-イレブン野尻栗須店から、小林方面へ820m程行った野々崎バス停手前を左折して、70m先の左手に祀られています。
「止まれ」の標識が見えている先が国道268号線です。

宮崎県の田の神さぁ 野々崎(ののざき)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 野々崎(ののざき)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原


宮崎県の田の神さぁ 野々崎(ののざき)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 野々崎(ののざき)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原

「野々崎(ののざき)の田の神」の詳細
建立年:昭和20年(1945年)7名連記
型分類:神像型座像、野尻神官型
形態:座位
像高:60cm
像幅:47cm
奥行:33cm
持ち物:纓(えい)の付いた冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組でメシゲを持っている。
彩色:顔とメシゲが白色で、あとは全て朱色。

宮崎県の田の神さぁ 野々崎(ののざき)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 野々崎(ののざき)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 野々崎(ののざき)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 野々崎(ののざき)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字佐土瀬原

撮影している間、傍の家の番犬に吠えられ続けられました・・・
良いお仕事をしていますね。

次は、「佐土瀬(さどせ)の田の神」へ向かいます。
ここから見えています。

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/04/09(金) 18:00:26|
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宮崎県の田の神さぁ 大沢津(おおさわつ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字山神八尾神社

国道268号線沿いのセブン-イレブン 野尻栗須店から北へ500m行った所に「八尾神社」があります。
「八尾神社」の境内に、「大沢津(おおさわつ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 大沢津(おおさわつ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字山神八尾神社
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 大沢津(おおさわつ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字山神八尾神社

「大沢津(おおさわつ)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像、野尻神官型
形態:座位
像高:74cm
像幅:68cm
奥行:43cm
持ち物:纓(えい)の付いた冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で大きなメシゲを持っている。
 彩色:顔と手が白色で、あとは全て朱色。

宮崎県の田の神さぁ 大沢津(おおさわつ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字山神八尾神社
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 大沢津(おおさわつ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字山神八尾神社

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 大沢津(おおさわつ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字山神八尾神社
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 大沢津(おおさわつ)の田の神 小林市野尻町三ケ野山字山神八尾神社

像の横にある石柱に「奉納 明治百年記念 沢口盛武」と付記されています。

次は、「野々崎(ののざき)の田の神」へ向かいます。

「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/04/08(木) 18:00:58|
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宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神 小林市野尻町東麓字上野原

「上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神」から県道42号線を高崎町方面へ130m行った交差点を左折し、200m先のY字路を左折し、45先のT字路を右折し、200m程行った右側の建物の中に「上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神」が祀られています。

この建物です。

宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神 小林市野尻町東麓字上野原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神 小林市野尻町東麓字上野原

右にいらっしゃるのが「上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神」です。

宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神 小林市野尻町東麓字上野原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神 小林市野尻町東麓字上野原

「上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:仏像型
形態:座位
像高:43cm
像幅:40cm
奥行:23cm
持ち物:頭布を背に垂らし被り、長袖の着物で両手で大きなメシゲを抱く。
彩色:無し。

メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神 小林市野尻町東麓字上野原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神 小林市野尻町東麓字上野原


次は、「大沢津(おおさわつ)の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/07(水) 18:00:10|
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宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神 小林市野尻町東麓字跡瀬原

国道268号線東中町交差点より県道42号線を高崎町方面へ2.6km走った右カーブを左折した左手に「上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神 小林市野尻町東麓字跡瀬原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神 小林市野尻町東麓字跡瀬原

「上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:神像型座像
形態:座位
像高:65cm
像幅:50cm
奥行:25cm
持ち物:シキ風の被り物で長袖和服でおにぎりを両手で持っている。
彩色:衣は薄紫色で、顔と両手が白色。

シキ:縄で編んだ敷物

宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神 小林市野尻町東麓字跡瀬原
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神 小林市野尻町東麓字跡瀬原


宮崎県の田の神さぁ 上跡瀬(うえあとぜ)1の田の神 小林市野尻町東麓字跡瀬原
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次は、「上跡瀬(うえあとぜ)2の田の神」へ向かいます。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/06(火) 18:00:56|
  2.  ┣ 小林市野尻町(田の神様)|
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宮崎県の田の神さぁ 大笹(おおざさ)の田の神 小林市野尻町東麓字小笹

「牟田原(むたばる)の田の神」のカーブを曲がらず真っ直ぐ(東南)に走ります。1km程走り右手に見える木々の下に「大笹(おおざさ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 大笹(おおざさ)の田の神 小林市野尻町東麓字小笹
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 大笹(おおざさ)の田の神 小林市野尻町東麓字小笹

馬頭観音と共に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 大笹(おおざさ)の田の神 小林市野尻町東麓字小笹
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 大笹(おおざさ)の田の神 小林市野尻町東麓字小笹

「大笹(おおざさ)の田の神」の詳細
建立年:不詳
型分類:僧型
形態:座位
像高:65cm
像幅:26cm
奥行:28cm
持ち物:被り物は無く、僧衣で両手を組んでいる。
彩色:無し。

宮崎県の田の神さぁ 大笹(おおざさ)の田の神 小林市野尻町東麓字小笹
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。


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  1. 2021/04/05(月) 18:00:59|
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