fc2ブログ

★hiroの部屋★

★写真 ★★車を快適に! ★★★バイクを快適に! ★★★★ ★★★★★ ★★★★★★ ★★★★★★★

宮崎県の田の神様 浮田神社麓の田の神様 宮崎市

浮田神社麓の田の神様

宮崎県の田の神様 浮田神社麓の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 浮田神社麓の田の神様 宮崎市


宮崎県の田の神様 浮田神社麓の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 浮田神社麓の田の神様 宮崎市

場所はこちらです。


 田の神の具体的な像は不明なことが多く、水口にさした木の枝やそれを束ねたもの、花、石などが依代とされることが多数あり、常設の祠堂をもたないのが全国的な傾向です。
 しかし、そうしたなかにあって田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布することは注目に値します。集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する石像を田の岸にまつる風習がみられます。
 青山幹雄の『宮崎の田の神像』によると、宮崎県は旧薩摩藩支配領域に元々分布していましたが、明治時代以降人々の移動により、その分布がやや拡大し、たとえば宮崎市近郊にも広がったこと、古い習慣で「オットイタノカンサー」、すなわち、部落の若者が他の部落から盗むこと習慣などが記載されています。これは、習慣なので、また取り戻したりします。実際行われることは少なかったようです。
 また、秋の収穫時の祭りには品のない言い合いをして、日ごろのうっぷんを晴らしたり、それについては江戸時代では、武士などは見て見ぬふりをしたといいます。
 宮崎県には神官型が多いこと、鹿児島県には農民型が多いこと、宮崎県小林にみられる陰陽石や、霧島噴火なども関係あるとしています。
 宮崎県に僧侶形が稀なのは、一向宗弾圧と関係あるのではないかと述べています。



プチット押していただけると嬉しいです

ランキングにご協力ください。
クリックをお願いしますね♪


  1. 2018/06/17(日) 15:42:51|
  2.  ┣ 宮崎市(田の神様)|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

宮崎県の田の神様 跡江の田の神様 宮崎市

跡江の田の神様

八坂神社の北50mに跡江の田の神様

宮崎県の田の神様 跡江の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 跡江の田の神様 宮崎市


宮崎県の田の神様 跡江の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 跡江の田の神様 宮崎市

場所はこちらです。


 田の神の具体的な像は不明なことが多く、水口にさした木の枝やそれを束ねたもの、花、石などが依代とされることが多数あり、常設の祠堂をもたないのが全国的な傾向です。
 しかし、そうしたなかにあって田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布することは注目に値します。集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する石像を田の岸にまつる風習がみられます。
 青山幹雄の『宮崎の田の神像』によると、宮崎県は旧薩摩藩支配領域に元々分布していましたが、明治時代以降人々の移動により、その分布がやや拡大し、たとえば宮崎市近郊にも広がったこと、古い習慣で「オットイタノカンサー」、すなわち、部落の若者が他の部落から盗むこと習慣などが記載されています。これは、習慣なので、また取り戻したりします。実際行われることは少なかったようです。
 また、秋の収穫時の祭りには品のない言い合いをして、日ごろのうっぷんを晴らしたり、それについては江戸時代では、武士などは見て見ぬふりをしたといいます。
 宮崎県には神官型が多いこと、鹿児島県には農民型が多いこと、宮崎県小林にみられる陰陽石や、霧島噴火なども関係あるとしています。
 宮崎県に僧侶形が稀なのは、一向宗弾圧と関係あるのではないかと述べています。



プチット押していただけると嬉しいです

ランキングにご協力ください。
クリックをお願いしますね♪



  1. 2018/06/17(日) 15:28:28|
  2.  ┣ 宮崎市(田の神様)|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市

八坂神社の田の神様

宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市

左手にメシゲ、右手にスリコギを持っています。

宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市

基壇に表彰記念文(日髙與平氏)が刻まれています。
昭和十四年三月十二日建設と読めます。

宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市


宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市


宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市


宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市


宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 八坂神社の田の神様 宮崎市

場所はこちらです。


 田の神の具体的な像は不明なことが多く、水口にさした木の枝やそれを束ねたもの、花、石などが依代とされることが多数あり、常設の祠堂をもたないのが全国的な傾向です。
 しかし、そうしたなかにあって田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布することは注目に値します。集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する石像を田の岸にまつる風習がみられます。
 青山幹雄の『宮崎の田の神像』によると、宮崎県は旧薩摩藩支配領域に元々分布していましたが、明治時代以降人々の移動により、その分布がやや拡大し、たとえば宮崎市近郊にも広がったこと、古い習慣で「オットイタノカンサー」、すなわち、部落の若者が他の部落から盗むこと習慣などが記載されています。これは、習慣なので、また取り戻したりします。実際行われることは少なかったようです。
 また、秋の収穫時の祭りには品のない言い合いをして、日ごろのうっぷんを晴らしたり、それについては江戸時代では、武士などは見て見ぬふりをしたといいます。
 宮崎県には神官型が多いこと、鹿児島県には農民型が多いこと、宮崎県小林にみられる陰陽石や、霧島噴火なども関係あるとしています。
 宮崎県に僧侶形が稀なのは、一向宗弾圧と関係あるのではないかと述べています。



プチット押していただけると嬉しいです

ランキングにご協力ください。
クリックをお願いしますね♪


  1. 2018/06/17(日) 15:18:55|
  2.  ┣ 宮崎市(田の神様)|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

宮崎県の田の神様 白髭神社の田の神様 宮崎市

白髭神社の田の神様

場所分かりにくいです。
白髭神社の参道階段右奥に田の神様

宮崎県の田の神様 白髭神社の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 白髭神社の田の神様 宮崎市

左手にメシゲを持っています。

宮崎県の田の神様 白髭神社の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 白髭神社の田の神様 宮崎市

右手にはスリコギを持っています。

宮崎県の田の神様 白髭神社の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 白髭神社の田の神様 宮崎市


宮崎県の田の神様 白髭神社の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 白髭神社の田の神様 宮崎市

場所はこちらです。


 田の神の具体的な像は不明なことが多く、水口にさした木の枝やそれを束ねたもの、花、石などが依代とされることが多数あり、常設の祠堂をもたないのが全国的な傾向です。
 しかし、そうしたなかにあって田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布することは注目に値します。集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する石像を田の岸にまつる風習がみられます。
 青山幹雄の『宮崎の田の神像』によると、宮崎県は旧薩摩藩支配領域に元々分布していましたが、明治時代以降人々の移動により、その分布がやや拡大し、たとえば宮崎市近郊にも広がったこと、古い習慣で「オットイタノカンサー」、すなわち、部落の若者が他の部落から盗むこと習慣などが記載されています。これは、習慣なので、また取り戻したりします。実際行われることは少なかったようです。
 また、秋の収穫時の祭りには品のない言い合いをして、日ごろのうっぷんを晴らしたり、それについては江戸時代では、武士などは見て見ぬふりをしたといいます。
 宮崎県には神官型が多いこと、鹿児島県には農民型が多いこと、宮崎県小林にみられる陰陽石や、霧島噴火なども関係あるとしています。
 宮崎県に僧侶形が稀なのは、一向宗弾圧と関係あるのではないかと述べています。



プチット押していただけると嬉しいです

ランキングにご協力ください。
クリックをお願いしますね♪


  1. 2018/06/17(日) 14:57:39|
  2.  ┣ 宮崎市(田の神様)|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

宮崎県の田の神様 長嶺の田の神様 宮崎市

長嶺の田の神様

宮崎県の田の神様 長嶺の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 長嶺の田の神様 宮崎市


宮崎県の田の神様 長嶺の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 長嶺の田の神様 宮崎市

台座に「明治33年」の刻銘があります。

宮崎県の田の神様 長嶺の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 長嶺の田の神様 宮崎市

場所はこちらです。


 田の神の具体的な像は不明なことが多く、水口にさした木の枝やそれを束ねたもの、花、石などが依代とされることが多数あり、常設の祠堂をもたないのが全国的な傾向です。
 しかし、そうしたなかにあって田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布することは注目に値します。集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する石像を田の岸にまつる風習がみられます。
 青山幹雄の『宮崎の田の神像』によると、宮崎県は旧薩摩藩支配領域に元々分布していましたが、明治時代以降人々の移動により、その分布がやや拡大し、たとえば宮崎市近郊にも広がったこと、古い習慣で「オットイタノカンサー」、すなわち、部落の若者が他の部落から盗むこと習慣などが記載されています。これは、習慣なので、また取り戻したりします。実際行われることは少なかったようです。
 また、秋の収穫時の祭りには品のない言い合いをして、日ごろのうっぷんを晴らしたり、それについては江戸時代では、武士などは見て見ぬふりをしたといいます。
 宮崎県には神官型が多いこと、鹿児島県には農民型が多いこと、宮崎県小林にみられる陰陽石や、霧島噴火なども関係あるとしています。
 宮崎県に僧侶形が稀なのは、一向宗弾圧と関係あるのではないかと述べています。



プチット押していただけると嬉しいです

ランキングにご協力ください。
クリックをお願いしますね♪


  1. 2018/06/16(土) 14:36:09|
  2.  ┣ 宮崎市(田の神様)|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

宮崎県の田の神様 阿弥陀堂の田の神様 宮崎市

阿弥陀堂の田の神様
柏原の田の神様から西へ少し行ったところに、阿弥陀堂の田の神様があります。


宮崎県の田の神様 阿弥陀堂の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 阿弥陀堂の田の神様 宮崎市


宮崎県の田の神様 阿弥陀堂の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 阿弥陀堂の田の神様 宮崎市


宮崎県の田の神様 阿弥陀堂の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 阿弥陀堂の田の神様 宮崎市


宮崎県の田の神様 阿弥陀堂の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 阿弥陀堂の田の神様 宮崎市

場所はこちらです。


 田の神の具体的な像は不明なことが多く、水口にさした木の枝やそれを束ねたもの、花、石などが依代とされることが多数あり、常設の祠堂をもたないのが全国的な傾向です。
 しかし、そうしたなかにあって田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布することは注目に値します。集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する石像を田の岸にまつる風習がみられます。
 青山幹雄の『宮崎の田の神像』によると、宮崎県は旧薩摩藩支配領域に元々分布していましたが、明治時代以降人々の移動により、その分布がやや拡大し、たとえば宮崎市近郊にも広がったこと、古い習慣で「オットイタノカンサー」、すなわち、部落の若者が他の部落から盗むこと習慣などが記載されています。これは、習慣なので、また取り戻したりします。実際行われることは少なかったようです。
 また、秋の収穫時の祭りには品のない言い合いをして、日ごろのうっぷんを晴らしたり、それについては江戸時代では、武士などは見て見ぬふりをしたといいます。
 宮崎県には神官型が多いこと、鹿児島県には農民型が多いこと、宮崎県小林にみられる陰陽石や、霧島噴火なども関係あるとしています。
 宮崎県に僧侶形が稀なのは、一向宗弾圧と関係あるのではないかと述べています。



プチット押していただけると嬉しいです

ランキングにご協力ください。
クリックをお願いしますね♪


  1. 2018/06/16(土) 14:22:33|
  2.  ┣ 宮崎市(田の神様)|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

宮崎県の田の神様 柏原の田の神様 宮崎市

柏原の田の神様
宮崎市柏原139付近

国道10号線(旧道)の生目小学校前の歩道橋から北に入った田んぼの中に、田の神や石像群があります。

宮崎県の田の神様 柏原の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 柏原の田の神様 宮崎市

台座に「昭和十六年」の刻銘があります。

宮崎県の田の神様 柏原の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 柏原の田の神様 宮崎市


宮崎県の田の神様 柏原の田の神様 宮崎市
hiroの部屋 宮崎県の田の神様 柏原の田の神様 宮崎市

場所はこちらです。

 田の神の具体的な像は不明なことが多く、水口にさした木の枝やそれを束ねたもの、花、石などが依代とされることが多数あり、常設の祠堂をもたないのが全国的な傾向です。
 しかし、そうしたなかにあって田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布することは注目に値します。集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する石像を田の岸にまつる風習がみられます。
 青山幹雄の『宮崎の田の神像』によると、宮崎県は旧薩摩藩支配領域に元々分布していましたが、明治時代以降人々の移動により、その分布がやや拡大し、たとえば宮崎市近郊にも広がったこと、古い習慣で「オットイタノカンサー」、すなわち、部落の若者が他の部落から盗むこと習慣などが記載されています。これは、習慣なので、また取り戻したりします。実際行われることは少なかったようです。
 また、秋の収穫時の祭りには品のない言い合いをして、日ごろのうっぷんを晴らしたり、それについては江戸時代では、武士などは見て見ぬふりをしたといいます。
 宮崎県には神官型が多いこと、鹿児島県には農民型が多いこと、宮崎県小林にみられる陰陽石や、霧島噴火なども関係あるとしています。
 宮崎県に僧侶形が稀なのは、一向宗弾圧と関係あるのではないかと述べています。



プチット押していただけると嬉しいです

ランキングにご協力ください。
クリックをお願いしますね♪


  1. 2018/06/16(土) 14:18:26|
  2.  ┣ 宮崎市(田の神様)|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

| ホーム |