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宮崎県の田の神さぁ 山田石風呂(いしふろ)の田の神 都城市山田町山田石風呂 祠



宮崎県の田の神さぁ 山田石風呂(いしふろ)の田の神 都城市山田町山田石風呂 祠
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宮崎県の田の神さぁ 山田石風呂(いしふろ)の田の神 都城市山田町山田石風呂 祠
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山田石風呂(いしふろ)の田の神
設置場所 大イチョウ側
建立年: 安永7年(1778年)8月吉日永井庄右衛門利記
型分類: 旅僧型
形態: 立位
像高: 78cm
像幅: 45cm
奥行: 36cm
持ち物: シキを被り、両足とも膝(ひざ)から下の脛(すね)を出し、両手でメシゲを持っています。背石型。
彩色: 赤茶色が薄く残っています。
背石型で背中に建立された永井利記の銘があります。すぐ側に天然記念物の大イチョウがあります。

シキ:縄で編んだ敷物
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 山田石風呂(いしふろ)の田の神 都城市山田町山田石風呂 祠
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宮崎県の田の神さぁ 山田石風呂(いしふろ)の田の神 都城市山田町山田石風呂 祠
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宮崎県の田の神さぁ 山田石風呂(いしふろ)の田の神 都城市山田町山田石風呂 祠
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宮崎県の田の神さぁ 山田石風呂(いしふろ)の田の神 都城市山田町山田石風呂 祠
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右奥にも祠があります。

宮崎県の田の神さぁ 山田石風呂(いしふろ)の田の神 都城市山田町山田石風呂 祠
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宮崎県の田の神さぁ 山田石風呂(いしふろ)の田の神の足元にあった石 都城市山田町山田石風呂 祠
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宮崎県の田の神さぁ 山田石風呂(いしふろ)の田の神の足元にあった石 都城市山田町山田石風呂 祠
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山田石風呂(いしふろ)の田の神の足元にあった石 都城市山田町山田石風呂 祠

青山幹雄著の「宮崎の田の神像」(1979年6月29日発行)には、小判型の20cmと10cmの石が置いてあったとの記載があります。
その石でしょうか?
山田石風呂(いしふろ)の田の神の足元にも石が置いてありますが、3個ですね。

宮崎県の田の神さぁ 山田石風呂(いしふろ)の田の神の足元にあった石 都城市山田町山田石風呂 祠
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山田石風呂(いしふろ)の田の神の足元にあった石 都城市山田町山田石風呂 祠

旧山田町の田の神さぁを見てきました。
まだ探し切れていない田の神さぁがありますが、一応山田町の田の神さぁ巡りは終了します。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/07/24(土) 18:00:13|
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宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神2 都城市山田町中霧島古江 高台

都城市山田町中霧島古江にある薩摩迫館跡に「中霧島古江(ふるえ)の田の神2」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神2 都城市山田町中霧島古江 高台
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中霧島古江(ふるえ)の田の神2
設置場所 高台
建立年: 大正6年(1917年)12月2日
型分類: 僧型
形態: 立位
像高: 56cm
像幅: 29cm
奥行: 25cm
持ち物: 総髪円盤状シキを被り、袖広羽織と長袴姿で右手にメシゲを持ち、左手に数珠を持っています。
彩色: 彩色無し

シキ:縄で編んだ敷物
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神2 都城市山田町中霧島古江 高台
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宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神2 都城市山田町中霧島古江 高台
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宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神2 都城市山田町中霧島古江 高台
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後姿は男根に見えます。

宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神2 都城市山田町中霧島古江 高台
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宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神2 都城市山田町中霧島古江 高台
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大正6年(1917年)12月2日

宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神2 都城市山田町中霧島古江 高台
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宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神2 都城市山田町中霧島古江 高台
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宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神2 都城市山田町中霧島古江 高台
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/07/22(木) 18:00:12|
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宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神1 都城市山田町中霧島古江 高台

都城市山田町中霧島古江にある薩摩迫館跡に「中霧島古江(ふるえ)の田の神1」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神1 都城市山田町中霧島古江 高台
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宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神1 都城市山田町中霧島古江 高台
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中霧島古江(ふるえ)の田の神1
設置場所 高台
建立年: 嘉永7年(1854年)寅8月古江二才中
型分類: 神像型と農民型の混合型
形態: 立位
像高: 94cm
像幅: 50cm
奥行: 33cm
持ち物: 髪をちょんまげ風に結い、上下羽織と長袴で、両手輪組で笏(しゃく)を持っています。首から下は背石型で直立像です。
彩色: 顔は肌色で羽織袴赤目は黒色です。口紅しています。
白いちゃんちゃんこを着ています。

笏(しゃく):細長い板

宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神1 都城市山田町中霧島古江 高台
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宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神1 都城市山田町中霧島古江 高台
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嘉永7年(1854年)寅8月古江二才中

宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神1 都城市山田町中霧島古江 高台
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頭髪が独特で、農民型のシキが髪型に変化をしたのかも。首が折れた様でセメントでついであります。

宮崎県の田の神さぁ 中霧島古江(ふるえ)の田の神1 都城市山田町中霧島古江 高台
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/07/22(木) 18:00:11|
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宮崎県の田の神さぁ 山田池之原(いけのはる)の田の神 都城市山田町山田池之原 お堂の境内

城市山田町山田池之原にあるお堂の境内に、「山田池之原(いけのはる)の田の神」が祀られています。

池之原安楽堂の敷地内に記念碑と馬頭観音と一緒にいらっしゃいます。

宮崎県の田の神さぁ 山田池之原(いけのはる)の田の神 都城市山田町山田池之原 お堂の境内
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宮崎県の田の神さぁ 山田池之原(いけのはる)の田の神 都城市山田町山田池之原 お堂の境内
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山田池之原(いけのはる)の田の神
設置場所 お堂の境内
建立年: 嘉永7年(1854年)8月吉日池原中
型分類: 神像型と農民型の混合型
形態: 立位
像高: 111cm
像幅: 60cm
奥行: 32cm
持ち物: シキを被り、羽織袴姿で、両手輪組で笏(しゃく)を持っています。
彩色: 袴が赤色です。

シキ:縄で編んだ敷物
笏(しゃく):細長い板

宮崎県の田の神さぁ 山田池之原(いけのはる)の田の神 都城市山田町山田池之原 お堂の境内
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宮崎県の田の神さぁ 山田池之原(いけのはる)の田の神 都城市山田町山田池之原 お堂の境内
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宮崎県の田の神さぁ 山田池之原(いけのはる)の田の神 都城市山田町山田池之原 お堂の境内
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宮崎県の田の神さぁ 山田池之原(いけのはる)の田の神 都城市山田町山田池之原 お堂の境内

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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/07/21(水) 18:00:10|
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宮崎県の田の神さぁ 山田下是位川内(しもじいかわうち)の田の神 都城市山田町山田下是位川内 営農研究館

都城市山田町山田下是位川内にある「下是位川内営農研究館」敷地内に「山田下是位川内(しもじいかわうち)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 山田下是位川内(しもじいかわうち)の田の神 都城市山田町山田下是位川内 営農研究館
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鳥居に、令和2年4月吉日建立と書かれています。
この時に移設して来たと思われます。

宮崎県の田の神さぁ 山田下是位川内(しもじいかわうち)の田の神 都城市山田町山田下是位川内 営農研究館
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山田下是位川内(しもじいかわうち)の田の神
設置場所 営農研究館
建立年: 不詳:池之原・古江と同型なので同じころの作品と思われます。
型分類: 神像型と農民型の混合型
形態: 立位
像高: 98cm
像幅: 53cm
奥行: 30cm
持ち物: 髪をちょんまげ風に結い、羽織と長袴で、両手輪組で笏(しゃく)を持っています。
彩色: 胸が薄い朱色に見えます。首から下は背石型です。

宮崎県の田の神さぁ 山田下是位川内(しもじいかわうち)の田の神 都城市山田町山田下是位川内 営農研究館
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宮崎県の田の神さぁ 山田下是位川内(しもじいかわうち)の田の神 都城市山田町山田下是位川内 営農研究館
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宮崎県の田の神さぁ 山田下是位川内(しもじいかわうち)の田の神 都城市山田町山田下是位川内 営農研究館
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宮崎県の田の神さぁ 山田下是位川内(しもじいかわうち)の田の神 都城市山田町山田下是位川内 営農研究館
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宮崎県の田の神さぁ 山田下是位川内(しもじいかわうち)の田の神 都城市山田町山田下是位川内 営農研究館
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/07/20(火) 18:00:09|
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宮崎県の田の神さぁ 山田浜之段(はまのだん)の田の神 都城市山田町山田浜之段 公民館

都城市山田町山田浜之段にある浜之段公民館敷地内に「山田浜之段(はまのだん)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 山田浜之段(はまのだん)の田の神 都城市山田町山田浜之段 公民館
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宮崎県の田の神さぁ 山田浜之段(はまのだん)の田の神 都城市山田町山田浜之段 公民館
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宮崎県の田の神さぁ 山田浜之段(はまのだん)の田の神 都城市山田町山田浜之段 公民館
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山田浜之段(はまのだん)の田の神
設置場所 浜之段公民館
建立年: 昭和37年(1962年)11月3日奉納坂元実盛ノ妻ワイ山田町浜之段
型分類: 大黒天型、農民型との融合
形態: 座位
像高: 74cm
像幅: 45cm
奥行: 42cm
持ち物: 大黒天がかぶっているような大きな頭巾(シキではありません)を被り、下に着きそうな大袖の羽織姿で、右手に大きなメシゲを下向きに持ち、左手に稲穂を持ち肩にかけています。
彩色: 彩色無し
都城市の「上東町の田の神」に似ています。


宮崎県の田の神さぁ 山田浜之段(はまのだん)の田の神 都城市山田町山田浜之段 公民館
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宮崎県の田の神さぁ 山田浜之段(はまのだん)の田の神 都城市山田町山田浜之段 公民館
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昭和37年(1962年)11月3日奉納坂元実盛ノ妻ワイ山田町浜之段

宮崎県の田の神さぁ 山田浜之段(はまのだん)の田の神 都城市山田町山田浜之段 公民館
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体に合わない、とても小さくて可愛い手と足ですね。

宮崎県の田の神さぁ 山田浜之段(はまのだん)の田の神 都城市山田町山田浜之段 公民館
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/07/19(月) 18:00:08|
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宮崎県の田の神さぁ 山田竹脇(たけわき)の田の神 都城市山田町山田竹脇 農事集会所

都城市山田町山田竹脇にある竹脇農事集会所敷地内に、「山田竹脇(たけわき)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 山田竹脇(たけわき)の田の神 都城市山田町山田竹脇 農事集会所
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山田竹脇(たけわき)の田の神 都城市山田町山田竹脇 農事集会所

山田竹脇(たけわき)の田の神
設置場所 竹脇農事集会所
建立年: 平成4年5月建之
型分類: ―
形態: 座位
像高: 57cm
像幅: 33cm
奥行: 31cm
持ち物: 黄色のシキ?を被り、胸の前で両手を合わせています。
彩色: 黄色のシキ?に、顔と手は白色で、体は真っ赤です。

宮崎県の田の神さぁ 山田竹脇(たけわき)の田の神 都城市山田町山田竹脇 農事集会所
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宮崎県の田の神さぁ 山田竹脇(たけわき)の田の神 都城市山田町山田竹脇 農事集会所
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平成4年5月建之と書かれています。

宮崎県の田の神さぁ 山田竹脇(たけわき)の田の神 都城市山田町山田竹脇 農事集会所
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宮崎県の田の神さぁ 山田竹脇(たけわき)の田の神 都城市山田町山田竹脇 農事集会所
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/07/18(日) 18:00:07|
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宮崎県の田の神さぁ 山田脇之馬場(わきのばば)の田の神 都城市山田町山田脇之馬場 公民館

都城市役所山田総合支所近くの、脇之馬場公民館に「山田脇之馬場(わきのばば)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 山田脇之馬場(わきのばば)の田の神 都城市山田町山田脇之馬場 公民館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山田脇之馬場(わきのばば)の田の神 都城市山田町山田脇之馬場 公民館


宮崎県の田の神さぁ 山田脇之馬場(わきのばば)の田の神 都城市山田町山田脇之馬場 公民館
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山田脇之馬場(わきのばば)の田の神 都城市山田町山田脇之馬場 公民館

山田脇之馬場(わきのばば)の田の神
設置場所 脇之馬場公民館
建立年: 不詳
型分類: 田の神舞神職型
形態: 座位
像高: 54cm
像幅: 27cm
奥行: 25cm
持ち物: シキを被り、右手にメシゲ左手に椀を持っています。
彩色: 彩色無し

シキ:縄で編んだ敷物
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 山田脇之馬場(わきのばば)の田の神 都城市山田町山田脇之馬場 公民館
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宮崎県の田の神さぁ 山田脇之馬場(わきのばば)の田の神 都城市山田町山田脇之馬場 公民館
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宮崎県の田の神さぁ 山田脇之馬場(わきのばば)の田の神 都城市山田町山田脇之馬場 公民館
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/07/17(土) 18:00:06|
  2.  ┣ 都城市山田町(田の神様)|
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宮崎県の田の神さぁ 山田修行(しゅうぎょう)の田の神 都城市山田町山田修行 境内

都城市山田町山田修行にある熊野神社境内に「山田修行(しゅうぎょう)の田の神」が祀られています。

熊野神社への坂道は濡れていて落ち葉があり、とても滑りやすいので注意が必要です。

宮崎県の田の神さぁ 山田修行(しゅうぎょう)の田の神 都城市山田町山田修行 境内
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宮崎県の田の神さぁ 山田修行(しゅうぎょう)の田の神 都城市山田町山田修行 境内
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山田修行(しゅうぎょう)の田の神
設置場所 熊野神社境内
建立年: 不詳
型分類: 田の神舞神職型
形態: 立位
像高: 67cm
像幅: 38cm
奥行: 20cm
持ち物: シキを被り、裁着袴(たっつけはかま)姿で、右手にメシゲ左手に椀を持っています。
彩色: 赤茶色が残っています。

裁着袴(たっつけはかま):農民の仕事着

宮崎県の田の神さぁ 山田修行(しゅうぎょう)の田の神 都城市山田町山田修行 境内
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宮崎県の田の神さぁ 山田修行(しゅうぎょう)の田の神 都城市山田町山田修行 境内
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宮崎県の田の神さぁ 山田修行(しゅうぎょう)の田の神 都城市山田町山田修行 境内
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首はセメント付けされています。

宮崎県の田の神さぁ 山田修行(しゅうぎょう)の田の神 都城市山田町山田修行 境内
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/07/16(金) 18:00:05|
  2.  ┣ 都城市山田町(田の神様)|
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宮崎県の田の神さぁ 山田倉平(くらひら)の田の神 都城市山田町山田倉平 道路沿い

山田田中から山に向かって2.8km先の道路沿いに「山田倉平(くらひら)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 山田倉平(くらひら)の田の神 都城市山田町山田倉平 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 山田倉平(くらひら)の田の神 都城市山田町山田倉平 道路沿い
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山田倉平(くらひら)の田の神
建立年: 明和三丙戌(1766年)
型分類: 神像型
形態: 立位
像高: 80(33)
像幅: 47(21)
奥行: 17(2)
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴があります。
彩色: 彩色無し

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 山田倉平(くらひら)の田の神 都城市山田町山田倉平 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 山田倉平(くらひら)の田の神 都城市山田町山田倉平 道路沿い
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大きな石に、田の神が浮き彫りされています。

宮崎県の田の神さぁ 山田倉平(くらひら)の田の神 都城市山田町山田倉平 道路沿い
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両手輪組で穴があります。

宮崎県の田の神さぁ 山田倉平(くらひら)の田の神 都城市山田町山田倉平 道路沿い
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/07/15(木) 18:00:04|
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