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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横

都城市高城町桜木にある菅原天神横に「桜木(さくらぎ)の田の神2」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横


宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横


宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横

桜木(さくらぎ)の田の神2
設置場所: 菅原天神横
建立年: 文政12年(1829年)
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 73cm
像幅: 45cm
奥行: 30cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 顔と両手は白色で、袍(ほう)と袴(はかま)は赤色。冠と衣冠束帯は黒色です。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
袍(ほう):公家の装束の盤領 (まるえり) の上衣
袴(はかま):日本で下半身に着用する伝統的な衣類の一つ

宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横

旧高城町の田の神さぁを見てきました。
まだ探しきれていない田の神さぁがありますが、一応高城町の田の神さぁ巡りは終了します。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/19(木) 18:00:12|
  2.  ┣ 都城市高城町(田の神様)|
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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前

都城市高城町桜木にある将軍神社前に、「桜木(さくらぎ)の田の神1」が祀られています。
将軍神社の鳥居がありません。鳥居の台座が残っています。
新しい鳥居は奥の方にあります。

宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前

とても高い台座です。

宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前

桜木(さくらぎ)の田の神1
設置場所: 将軍神社前
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 74cm
像幅: 70cm
奥行: 42cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 顔と両手は白色で、袍(ほう)と袴(はかま)は赤色。冠と襟元は黒色です。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前

都城市指定文化財になっています。

宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/18(水) 18:00:11|
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宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い

タイヨー高城店北側の水田の道路沿いに「穂満坊(ほまんぼう)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い

台座にセメント付けされています。

宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い
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穂満坊(ほまんぼう)の田の神
設置場所: 水田の道路沿い
建立年: 享保年間(1716~1736年)
型分類: 農民型、都城型
形態: 立位
像高: 48cm
像幅: 40cm
奥行: 18cm
持ち物: 大きなシキを被り、長袖和服と長袴姿で、右手に少し長いメシゲを持ち、左手に椀を持っています。
彩色: 和服と袴は朱色で、シキとメシゲと椀は黄色です。

シキ:縄で編んだ敷物
袴(はかま):日本で下半身に着用する伝統的な衣類の一つ
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い

目の前には、田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/17(火) 18:00:10|
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宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い

都城市高城町石山を走る国道10号線西側に「石山片前(かたまえ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い

石山片前(かたまえ)の田の神
設置場所: 水田の道路沿い
建立年: 不詳
型分類: 神像型椅像
形態: 椅像
像高: 104cm
像幅: 80cm
奥行: 50cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いていません。
彩色: 朱色が残っています。
台座にセメント付けされています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い

目の前には、田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/08/16(月) 18:00:09|
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宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く

都城市高城町石山にある観音池公園の北側に「石山迫の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く


宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く

ブロック塀に囲まれています。

宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く


宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く

石山迫の田の神
設置場所: 道路近く
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 71cm
像幅: 59cm
奥行: 22cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。冠のあご紐と首紐があります。
彩色: 全体に薄い朱色が塗られています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く


宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
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穴が開いています。

宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
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宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/15(日) 18:00:08|
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宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内

国道10号線石山小入口交差点から西へ走り、石山分館前を左折した先にある菅原神社鳥居横の祠に「石山中方(なかほう)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
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石山中方(なかほう)の田の神
設置場所: 菅原神社境内
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 93cm
像幅: 90cm
奥行: 50cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 全体に薄い朱色が残っています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
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両手輪組で穴が開いています。

宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
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祠の前にコスモスが咲いていました。

宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/14(土) 18:00:07|
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宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い

都城市高城町石山を走るひむか神話街道から南へ390m走った道路沿いに「石山萩原(はぎはら)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
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石山萩原(はぎはら)の田の神
設置場所: 水田の道路沿い
建立年: 弘化4年(1847年)?
型分類: 農民型、都城型
形態: 立位
像高: 50cm
像幅: 28cm
奥行: 20cm
持ち物: シキを被り、長袖和服と袴姿で、右手にメシゲを持ち、左手に椀を持っています。
彩色: 顔・メシゲ・お椀は白色で、衣は赤色です。
膝から下がありません。セメント付けされています。

シキ:縄で編んだ敷物
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
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目の前には、田んぼが広がっています。
田植えが終わったばかりの田んぼもあります。

宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/13(金) 18:00:06|
  2.  ┣ 都城市高城町(田の神様)|
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宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台

有水橋から南へ270m程先の交差点を右へ70m程行った道路脇の高台に「石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神」が祀られています。
道幅が狭いので、この場所には車は停められません。

宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台

石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神
設置場所: 水田道路脇高台
建立年: 大正5年(1916年)?
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 78cm
像幅: 60cm
奥行: 40cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 袍(ほう)と袴(はかま)は朱色です。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
袍(ほう):公家の装束の盤領 (まるえり) の上衣
袴(はかま):日本で下半身に着用する伝統的な衣類の一つ

宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
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宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
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宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台

両手輪組で穴が開いています。

宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
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宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台

立派な冠ですね。

宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台


宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/12(木) 18:00:05|
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宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い

県道414号線(有水高原線)にある、高城地域乗合バス停西久保の側に「有水西久保(にしくぼ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い

有水西久保(にしくぼ)の田の神
設置場所: 道路沿い
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 86cm
像幅: 75cm
奥行: 45cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で腕の下が貫通しています。
彩色: 彩色無し
首はセメント付けされています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い

腕の下が貫通しています。

宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い

首はセメント付けされています。

宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い

止まれの先が、県道414号線(有水高原線)です。

宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/11(水) 18:00:04|
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宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横

国道10号線高城町有水交差点から県道414号線を西へ140m走った左側にあるJA都城有水出張所の裏手の倉庫横に「有水木之下(きのした)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横

有水木之下(きのした)の田の神
設置場所: JAの倉庫横
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 84cm
像幅: 84cm
奥行: 40cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 彩色無し
摩耗が進んでいます。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横


宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横


宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横


宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横
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宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横
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宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/10(火) 18:00:03|
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