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宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田

都城市山之口町富吉の道路から見える祠に「富吉乗平の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田


宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田
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宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田
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冨吉乗平の田の神
設置場所: 水田
建立年: 不詳
型分類: 神像型
形態: 上半身のみ
像高: 77cm
像幅: 43cm
奥行: 25cm
持ち物: 白い帽子状の物を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いていません。
彩色: 袍(ほう)は薄茶色です。
風化が進んでいます。表情は不明です。

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
袍(ほう):公家の装束の盤領 (まるえり) の上衣。

宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田
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宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田
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宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田
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旧山之口町の田の神さぁを見てきました。
まだ探しきれていない田の神さぁがありますが、一応山之口町の田の神さぁ巡りは終了します。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/30(月) 18:00:11|
  2.  ┣ 都城市山之口町(田の神様)|
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宮崎県の田の神さぁ 富吉桑原の田の神 都城市山之口町富吉桑原 水田

都城市山之口町富吉桑原の県道47号線沿いに「富吉桑原の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 富吉桑原の田の神 都城市山之口町富吉桑原 水田
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宮崎県の田の神さぁ 富吉桑原の田の神 都城市山之口町富吉桑原 水田
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富吉桑原の田の神
設置場所: 水田
建立年: 不詳
型分類: 神官型
形態: ―
像高: 35cm
像幅: 80cm
奥行: 55cm
持ち物: 胸から上が無く、残った部分も破壊されています。
彩色: 無し
下の部分の四角形が残っているので、田の神様と分かります。

青山幹雄著の「宮崎の田の神像」(1979年6月29日発行)にも書かれています。

宮崎県の田の神さぁ 富吉桑原の田の神 都城市山之口町富吉桑原 水田
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/29(日) 18:00:10|
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宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内

都城市山之口町富吉中原にある県道47号線沿いの中原公民館敷地内に「富吉中原の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
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宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
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宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
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富吉中原の田の神
設置場所: 公民館敷地内
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 63cm
像幅: 55cm
奥行: 26cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組の手が線彫りで、胴体に穴を開けて物をさすようになっています。
彩色: 赤茶色が残っています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具。
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
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宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
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宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
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宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
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胴体に穴を開けて物をさすようになっています。

宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
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宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
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宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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青山幹雄著の「宮崎の田の神像」(1979年6月29日発行)には、
川東墓地には沢山の「田の神さぁ」が祀られています。

  1. 2021/08/28(土) 18:00:09|
  2.  ┣ 都城市山之口町(田の神様)|
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宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い

都城市山之口町富吉にある「弥五郎どんの館」の南に、「 富吉的野(正近)の田の神」が祀られています。

「田の神像」の標柱があります。
道路沿いの畑の高台に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
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笑顔満面の田の神様ですね。

宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
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富吉的野(正近)の田の神
青山幹雄著の「宮崎の田の神像」には「正近」と書かれています。
設置場所: 道路沿い
建立年: 不詳
型分類: 農民型、都城型
形態: 立位
像高: 58cm
像幅: 47cm
奥行: 20cm
持ち物: シキを被り、長袖和服と長袴姿で、右手にメシゲを持ち、左手に椀を持っています。
彩色: 顔と手は白色です。シキは黒色で赤茶色の衣に縦筋模様の袴(はかま)姿です。

シキ:縄で編んだ敷物。
メシゲ:しゃもじ。

宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/27(金) 18:00:08|
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宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台

都城市山之口町富吉上森の道路沿い高台にある祠に「富吉上森の田の神」が祀られています。
細い道なので注意が必要です。車が1台だけ停められるスペースがあります。

宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
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宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
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宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
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富吉上森の田の神
設置場所: 道路沿い高台
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 100cm
像幅: 100cm
奥行: 45cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴は開いていません。
彩色: 冠は黒色、袍(ほう)は赤茶色で、背中からお腹に青い肩衣(かたぎぬ)と胸から足元まで黄色、顔と手は肌色です。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具。
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
袍(ほう):公家の装束の盤領 (まるえり) の上衣。
肩衣(かたぎぬ):室町時代以後の武士の礼服。袖(そで)がなく、小袖の上に、肩からせなかをおおって着るもの。下には半袴(はんばかま)を着ける。

宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台


宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台


宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台


宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台

どこから撮っても、目がこちらを向いているように感じますね。

宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台

目の前に田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/08/26(木) 18:00:07|
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宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横

都城市山之口町花木前方にある南方神社鳥居横の祠に「花木前方の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横
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宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横
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花木前方の田の神
設置場所: 南方神社鳥居横
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 101cm
像幅: 64cm
奥行: 50cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴は開いていません。
彩色: 彩色無し

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具。
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横
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宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横
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宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横
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磨滅が激しいですね。

宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/25(水) 18:00:06|
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宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内

国道268号線山之口麓交差点から県道422号線を5km程走ると、永野神社です。
永野神社境内に「山之口永野の田の神」が祀られています。

車は、県道422号線沿いに停められる所があります。

宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
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「山之口永野の田の神」は、大きなムクノキの根元に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
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山之口永野の田の神
設置場所: 永野神社境内
建立年: 不詳 九月吉日徳右衛門
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 55cm
像幅: 46cm
奥行: 28cm
持ち物: 頭部は改作されています。衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 袍(ほう)と袴(はかま)は薄茶色です。

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
袍(ほう):公家の装束の盤領 (まるえり) の上衣
袴(はかま):日本で下半身に着用する伝統的な衣類の一つ。

宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
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両手輪組で穴が貫通しいています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内

頭部は後付けで、セメント付けされています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/24(火) 18:00:05|
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宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い

国道269号線山之口麓交差点から高城方面へ斜め右へ410m程行った所を右折し、さらに440m行った先を右折すると「山之口田原の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い

山之口田原の田の神
設置場所: 道路沿い
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 58cm
像幅: 64cm
奥行: 27cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 赤茶色が残っています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具。
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い
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  1. 2021/08/23(月) 18:00:05|
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宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内

国道269号線沿いの山之口麓文弥節人形浄瑠璃資料館前から宮崎方面へ240m走った所を左折し、最初の十字路を右折すると走湯神社です。この走湯神社境内に「山之口麓の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
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山之口麓の田の神
設置場所: 走湯神社境内
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 96cm
像幅: 85cm
奥行: 50cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 赤茶色が残っています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具。
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/22(日) 18:00:03|
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宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い

国道269号線のJR青井岳駅入口から南に1.1km行った所に「山之口天神川原の田の神」が祀られています。

標柱があります。
左下に祀られているように見えますが、よく見ると、標柱の下に右向きの矢印があります。

標柱に
「この地は高城郷の「飛地」で、山之口郷と高城郷の役人が日替りで勤めていました。晩年の役人は清川平八と記されています。」
と書かれています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
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右を見ると「山の神さま」の案内板があり、奥の方に田の神様が見えます。

宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
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田の神様は、山の神様と共に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
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山之口天神川原の田の神
設置場所: 道路沿い
建立年: 嘉永5年(1852年)の刻銘
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 70cm
像幅: 49cm
奥行: 30cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 赤茶色が残っています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
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両手輪組で穴が開いています。

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宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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