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みやざきの巨樹 樹齢500年白鳥夫婦杉倒木 白鳥神社 えびの市

白鳥神社の紅葉は終わっていました。
拝殿の右奥に行ってみます。

白鳥第御神木 家族杉です。

みやざきの巨樹 樹齢500年白鳥夫婦杉倒木 白鳥神社 えびの市
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立札があります。

 当社御神木(夫婦杉)倒木の御奉告
 当社を五百年近く見守ってきた夫婦杉の一本が、台風十四号の強風を受け一か月弱持ちこたえておりましたが、本年十月十一日に倒木いたしました。
 参拝者からも御神木としてよくお参りくださっており無念でありますが、茲に御奉告申し上げます。
 恐れ入りますが、御神木近くへの立ち寄りはご遠慮くださいますようお願いいたします。
 白鳥神社社務所

みやざきの巨樹 樹齢500年白鳥夫婦杉倒木 白鳥神社 えびの市
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みやざきの巨樹 樹齢500年白鳥夫婦杉倒木 白鳥神社 えびの市
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みやざきの巨樹 樹齢500年白鳥夫婦杉倒木 白鳥神社 えびの市
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みやざきの巨樹 樹齢500年白鳥夫婦杉倒木 白鳥神社 えびの市
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2009/11/03(火) 撮影

hiroの部屋 巨樹 白鳥夫婦杉 白鳥神社 えびの市


東大寺大仏殿 虹梁(梁木)白鳥巨松の由来
 東大寺大仏殿の大屋根八十万6千貫(3020トン)を支えている大虹梁は、元禄十六年(1703)この白鳥神社境内より伐出された二本の赤松です。
 いずれも樹齢は二千年を超えるものです。
 一本目は長さ十三間(約24m)、元口四尺三寸(約1.3m)、末口三尺三寸七分五厘(約1m)、重さ六一八三貫(23.2トン)あり、樵夫(きこり)九十人の手により四日間かかり伐出されました。
 二本目は長さ十三貫(約24m)、元口四尺一寸(約1.2m)、末口三尺七分五厘(約90cm)、重さ五四三五貫(20.4トン )あり、百人の人手が、三日間費やされました。
 代金は一本二千両。
 山出しの際は傷がつかないよう両端には金輪がはめられ、霧島山中から薩摩湾岸の国分新川口に至る二五里(98.2 km)を一日八百六十人の人夫と牛四十頭の号力によって運び出されました。
 到着するまでには百十五日の歳月を要し、その間には命を失うもの、怪我をしたものは数しれなかったらしい。
 国分新川口からは千石船に積み替えられ、鹿児島湾、日向細島港さらに豊予海峡の急灘を乗り越え瀬戸内海に入り、兵庫港に着き、大阪伝法川口を経て、また淀川をのぼり、木津川から奈良坂を越えて、ようやく無事に大仏殿に到着しました。
 延々八百五十里(3,338 km)に及ぶ大運搬でした。
 宝禄六年(1709)東大寺大仏殿の落成供経も盛大に行われましたが、白鳥巨松は、後の大改修を経ながらも大虹梁として今なお東大寺際仏殿を支え続けています。


東大寺大仏殿虹梁
 東大寺の大仏殿の屋根を支える2本の虹梁(こうりょう)は、それぞれ長さ23.5mのアカマツが使われており、1704年(宝永元年)、日向国の白鳥神社から大和国の東大寺まで延べ10数万人が参加し9ヶ月をかけて運搬されました。

経緯
 東大寺大仏殿の虹梁は、柱の間隔7.7m(2丈5尺4寸)の3倍すなわち23.1mの長さを持ち、3020トンの屋根を支える必要があることから、長さ23.6m(13間)、直径1m(3尺)で強度があり耐久性の高いアカマツが求められました。公慶は様々な手を尽くしてこの条件に見合うアカマツの大木を探していましたが見つからない状態が続いていました。
 1702年(元禄15年)になって日向国小林(小林市)に住む園田清右衛門が霧島山山腹の白鳥神社境内に2本のアカマツの大木があることを見いだし、薩摩藩と奈良奉行を通して公慶に報告しました。公慶は早速現地に検分に訪れました。大木は高さ54m(18丈)あり、曲がりも虫食いもない良材であることが確認され虹梁として採用されることになりました。

掘り倒し
 切り倒すと裂ける恐れがあることから、根の周囲を掘って倒す方法が採られることになりました。
 1703年(元禄16年)9月19日にまず1本目の掘削が始められました。90人が作業にあたり9月22日に掘り倒されました。
 9月23日から2本目の掘削が始められ、こちらも100人がかりで9月25日に掘り倒されました。
 倒された大木からそれぞれ虹梁材が切り出され、衝撃で裂けないよう両端に金属の輪がはめられました。
 1本目は長さ23.6m(13間)、元口1.3m(4尺3寸)、末口1.0m(3尺3寸7分5厘)、重量23.2トン(6183貫)、
 2本目は長さ23.6m(13間)、元口1.2m(4尺1寸)、末口1.1m(3尺7寸5分)、重量20.4トン(5435貫)でした。

運搬
 白鳥神社から海岸までは起伏のある道を66km(16里半)運搬する必要がありました。
 運搬には丸太を樋の形に組んだスラと呼ばれる誘導路や、木馬(きんま)と呼ばれるソリが使われたと考えられています。
 2本の虹梁材は1704年(宝永元年)1月7日に白鳥神社を出発し、尾八重野(えびの市)、加久藤(えびの市)、吉松(湧水町)、牛の瀬戸(湧水町栗野)、横川(霧島市)、鳥越(霧島市隼人)を経て新川口(天降川河口)まで運ばれました。
 途中様々な場所で迂回する必要があり、結局90km(23里)の行程となりました。
 薩摩藩の山奉行が指揮を執り、延べ10万人が参加し牛4000頭を使って115日をかけ5月4日にようやく新川口に到着しました。

 2本の虹梁材は新川口に隣接する浜之市(隼人港)で筏に組まれ、鹿児島湾を6艘の船に引かれ3日間をかけて鹿児島津(鹿児島港)に到着しました。
 鹿児島から畿内までの航路には波の荒い日向灘や玄界灘が控えており、筏のままでは強度が不足するため船に乗せる必要がありました。しかしながら当時はこのような大木を船に乗せる技術がなく、商人たちは輸送を躊躇する状況でした。
 このような中、志布志の商人山下弥五郎が観音様のお告げを受けたとして、米を運ぶのと同じ運賃で畿内までの輸送を買って出ることになりました。
 弥五郎は2本の大木を船に乗せるために船を沈める方法を用いました。
 6月11日に船底の栓を抜いて船を沈め、翌12日の満潮時に2本の虹梁材を船の上に配置しました。
 干潮になるのを待って船底の栓を戻し、船の中から水をくみ出すことで虹梁材の積載に成功しました。
 この方法は弥五郎の娘が夢で観音様から教えられたとされています。

 2本の虹梁材と24名の乗組員を乗せた観音丸は6月20日に鹿児島津を発ち、翌21日、山川港に立ち寄りました。
 南風を待って7月5日深夜に出港し、7月12日、兵庫津(神戸港)に到着しました。
 虹梁材を船から降ろす際にも船を沈める方法が用いられています。
 兵庫津から4艘の船に引かれて7月16日に大阪の伝法川河口に到着しました。
 大阪からは船で虹梁材を挟み、淀川と木津川をさかのぼりました。
 延べ4625人が川岸から綱で船を引く作業に参加し、8月10日、木津(木津川市)に到着しました。

 8月19日、木津でそれぞれ2基の台車に乗せられ、東大寺までは市坂(木津川市)と奈良阪(奈良市)を越える陸路を人手によって運搬されました。
 虹梁材を引く作業には延べ1万7千人が参加し、周辺には数万の見物人が集まりました。
 運搬の様子は「大仏殿虹梁木曳図」(明誉古磵筆、東大寺蔵)に描かれています。
 1本目は9月2日、2本目は9月5日に東大寺に搬入されました。

その後
 大仏殿への取り付けは1705年(宝永2年)3月13日と3月18日に行われ、4月10日に上棟式が執り行われました。
 大仏殿は1709年(宝永6年)に完成し3月21日に落慶供養が行われましたが、公慶は1705年(宝永2年)に亡くなっており完成を見ることはありませんでした。
 1905年(明治38年)から1911年(明治44年)にかけての修繕作業において虹梁が約50cm曲がっていることがわかり鉄骨で補強されています。
 1979年(昭和54年)、九州自動車道の工事に際して行われた宮崎県えびの市の前畑遺跡の調査において、16世紀の陶磁器片とともに大木を引いた経路と見られる遺構が発見されました。
 遺構は幅1.8-2.0mで長さは発掘範囲全体の50mにわたって東西に延びており、発掘範囲の両側へ続いていると考えられています。
 深さ10-20cmで幅20-40cmの窪みが20-30cmの間隔で繰り返される枕木の跡のような形状を呈しています。
 当初は利用目的がわかりませんでしたが、同時期に鹿児島県栗野町(湧水町)の山崎遺跡でも同様の遺構が見つかっていて、いずれも確証はありませんが虹梁材の運搬に用いられたものと考えられています。



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荒神堂とタブノキ 宮崎県えびの市

京町温泉駅から歩いて3分のところに、荒神堂とタブノキがあります。
京町温泉駅駐車場に車を停め「荒神堂とタブノキ」を撮影に。現地に駐車場はありません。

荒神堂(こうじんどう)とタブノキ KOUJINDOU&TABUNOKI
 荒神堂の由来等は不明ですが、京町では「荒神様のおかげで、昔から京町は火災が少ない。
 もし火災が起きても大火にならず、その被害が少ないのは荒神様のおかげだ」と地区民の厚い信仰を受けてきました。
 祭神は三宝荒神(さんぽうこうじん)で俗にいう荒神様です。
 三宝とは、仏・法・僧を指します。

荒神堂とタブノキ 宮崎県えびの市
hiroの部屋 荒神堂とタブノキ 宮崎県えびの市

 荒神の名の付く神様は何種類かありますが、三宝荒神が基本となります。
 激しく祟(たた)りやすい性格を持つところから荒神と呼ばれるようになりました。
 そして不浄を嫌うことから火の神に当てられ、竈(かまど)の神様とされました。

荒神堂とタブノキ 宮崎県えびの市
hiroの部屋 荒神堂とタブノキ 宮崎県えびの市

 荒神堂の境内には、七福神の一員である恵比寿様(左手に竿、右手に大きな鯛を抱えている恵比寿は葦船に乗せられてきた蛭子(ひるこ)神とされている)を祀る恵比寿堂と八供養菩薩碑もあります。

荒神堂とタブノキ 宮崎県えびの市
hiroの部屋 荒神堂とタブノキ 宮崎県えびの市

 また、市指定の天然記念物に指定されたタブの大樹は、推定500年以上といわれています。
 このタブは、大樹、巨樹、老樹というだけではなく、西南の役の兵火の際、樹木の中身がほとんど焼失しいるのに、外皮だけで繁茂している歴史を秘めた貴重な大樹です。
 えびの市観光協会

荒神堂とタブノキ 宮崎県えびの市
hiroの部屋 荒神堂とタブノキ 宮崎県えびの市

天然記念物 荒神堂タブ大樹
 推定樹齢五百年と言われ、目通りまわり6.1m、根元まわり9.4m、樹高9mのタブノキの大樹。
 このタブノキは、大樹、巨樹、老樹ということばかりではなく、火災により、樹木の中身がほとんど焼失しているにもかかわらず外皮だけで繁茂するなど歴史を秘めた貴重な大樹である。
    市指定年月日・昭和49年1月24日

荒神堂とタブノキ 宮崎県えびの市
hiroの部屋 荒神堂とタブノキ 宮崎県えびの市

町中を歩いていて気付いたのですが、商店街でシャッターが閉まっているお店はありますが、一軒家で空き家になっている家が多いですね。


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みやざきの巨樹 白鳥夫婦杉 白鳥神社 えびの市

先日NHKで放送された番組で、東大寺大仏殿の大屋根支えている大虹梁が、えびの市の白鳥神社境内の二本の赤松だと言う事を知り、やって来ました。
ここから奈良まで、どのように運んだのでしょう。

東大寺大仏殿 虹梁(梁木)白鳥巨松の由来
東大寺大仏殿の大屋根八十万6千貫(3020トン)を支えている大虹梁は、元禄十六年(1703)この白鳥神社境内より伐出された二本の赤松である。
いずれも樹齢は二千年を超えるものであった。1本目は長さ十三間(約24m)、元口四尺三寸(約1.3m)、末口三尺三寸七分五厘(約1m)、重さ六一八三貫(23.2トン)あり、樵夫(きこり)九十人の手により四日間かかり伐出された。二本目は長さ十三貫(約24m)、元口四尺一寸(約1.2m)、末口三尺七分五厘(約90cm)、重さ五四三五貫(20.4トン )余。百人の人手が、三日間費やされた。代金は一本二千両。山出しの際は傷がつかないよう両端には金輪がはめられ、霧島山中から薩摩湾岸の国分新川口に至る二五里(98.2 km)を一日八百六十人の人夫と牛四十頭の号力によって運び出された。到着するまでには百十五日の歳月を要し、その間には命を失うもの、怪我をしたものは数しれなかったらしい。国分新川口からは千石船に積み替えられ、鹿児島湾、日向細島港さらに豊予海峡の急灘を乗り越え瀬戸内海に入り、兵庫港に着き、大阪伝法川口を経て、また淀川をのぼり、木津川から奈良坂を越えて、ようやく無事に大仏殿に到着した。延々八百五十里(3,338 km)に及ぶ大運搬であった。
宝禄六年(1709)東大寺大仏殿の落成供経も盛大に行われたが、白鳥巨松は、後の大改修を経ながらも大虹梁として今なお東大寺際仏殿を支え続けている



本殿右手裏に、白鳥夫婦杉があります。

白鳥夫婦杉(御神木)御由緒
直径約19メートル、周囲約6メートル、樹齢は約500年と云われている。
当白鳥山が、1000年以上の神厳とした霊地で高徳先賢の一大道場でもあった歴史を物語り、御神木として崇敬されている。
hiroの部屋 巨樹 白鳥夫婦杉 白鳥神社 えびの市

逞しい巨樹ですね。

hiroの部屋 巨樹 白鳥夫婦杉 白鳥神社 えびの市


hiroの部屋 巨樹 白鳥夫婦杉 白鳥神社 えびの市


hiroの部屋 巨樹 白鳥夫婦杉 白鳥神社 えびの市

白鳥神社 (えびの市)
白鳥神社(しらとりじんじゃ)は、宮崎県えびの市南部の白鳥山中腹にある神社である。
959年(天徳3年)、霧島山を訪れていた性空が白鳥山の頂上付近にある六観音御池の畔で法華経を唱えていたところ白髪の老人があらわれ「自分はヤマトタケルであり、白鳥となってこの山に住んでいる」と語ったことにちなみ、白鳥山中腹に白鳥権現社として創建された。ヤマトタケルが霧島山中にあらわれたのは、かつて熊襲を討った因縁があったためといわれる。
性空は白鳥神社の近くに天台宗の寺院を創建したが、後に荒廃し神社のみが残された。室町時代初期の1403年(応永10年)、光尊阿闍梨によって真言宗の白鳥山金剛乗院満足寺として再建された。
軍神であるヤマトタケルを祀っていたことから領主の島津義弘は戦に赴く前にここで武運を祈願し、1601年(慶長6年)から1605年(慶長10年)にかけて社殿の新築を行ったり領地を寄進するなどして支援した。また、山麓の飯野郷や丘郷では白鳥を殺すことが禁じられていた。
1703年(元禄16年)、境内にあったアカマツの巨木が運び出され、東大寺大仏殿の屋根を支える虹梁として使用されている。
近くに白鳥温泉があり、江戸時代には寺院の僧侶たちが入浴していたといわれる。毎年11月上旬にえびの白鳥観光祭が開催される。



白鳥夫婦杉の地図はこちらです。


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  1. 2009/11/03(火) 21:40:00|
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