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宮崎の花 安井息軒記念館・安井息軒旧宅の梅 宮崎市清武町加納甲

昨年はコロナのため安井息軒旧宅に入れませんでしたが、今年は門扉が開いています。
安井息軒は儒学者というのは知っていますが、それ以上詳しく知らないので・・・

安井息軒は宮崎市清武町の出身の儒学者で、明治日本の近代化の素地をつくった「知の巨人」です。

安井息軒の主な教え
1.「三計の教え」→「三計塾」
 一日の計は朝(あした)にあり、一年の計は春にあり、一生の計は少壮の時にあり
 何事も初めが肝心であるという考え方で、「今日という日は二度と戻らない。だから一日一日を、その日その時を、大切にしっかり勉強しなさい」という教えです。

2.半九の精神(「戦国策」より)
 百里の道をゆくものは九十里をもって半ばとす
 百里を行く者は、九十里を半ばと考えるべきだ。最後の十里が難しいという意味で、事を始めるのはたやすいが、成し遂げるのは難しいことのたとえ。

3.苦学時代の自作短歌
 「今は音(ね)を 忍が岡のほととぎす いつか雲井の よそに名告(なの)らむ」

宮崎の花 安井息軒記念館・安井息軒旧宅の梅 宮崎市清武町加納甲
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知の巨人 安井息軒4つの偉大さ
1.学者として
 朱子学者以外から初めての昌平坂学問所の儒官になる。(古学、古注学、考証的手法)
 儒学のみならず法家の「管子(かんし)」の研究も行った。また洋学に精通し、三計塾では西洋の天文学、地理学、数学等も教えていた。
 儒学:中国古代の儒家思想を基本にした学問。孔子の唱えた倫理政治規範を体系化し、四書五経の経典を備え、長く中国の学問の中心となった。自己の倫理的修養による人格育成から最高道徳「仁」への到達を目ざし、また、礼楽刑政を講じて経国済民の道を説く。

  管子:古代中国の管仲に仮託して書かれた、法家または道家・雑家の書物。

 塩谷宕陰(しおのやとういん)、芳野金陵(よしのきんりょう)と共に文久の三博士と呼ばれる。
  塩谷宕陰:(1809~1867年) 江戸末期の儒学者。
  芳野金陵:(1803~1878年) 江戸末期の儒学者。

 「聖書」を批判的に研究して「辨妄(べんもう)」を出版した。その水準はキリスト教からも認められたほどで、英訳されて、欧米にも紹介された。
 息軒の学識の深さは中国(清)や韓国(朝鮮)でも知られ、日本随一の学者と言われた。
 息軒をはじめ父滄洲(そうしゅう)、孫小太郎の書籍や資料等約7,000点が慶應義塾大学図書館斯道(しどう)文庫に「安井文庫」として大切に保管され、今日でも研究が行われている。

宮崎の花 安井息軒記念館・安井息軒旧宅の梅 宮崎市清武町加納甲
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2.教育者として
 清武「明教堂」、飫肥「振徳堂」、江戸「三計塾」、そして「昌平坂学問所」で藩や地方のみならず国を支える優秀な人材を育てた。
 弟子の数はおよそ2,000名で、谷干城や陸奥宗光、井上毅、平部嶠南、小倉処平、阿萬豊蔵、河原順信、雲井龍夫、北有馬太郎など、そうそうたる弟子たちがいる。

  谷干城:(たにたてき1837~1911年) 日本の武士(土佐藩士)、陸軍軍人、農商務大臣、政治家。
  陸奥宗光:(むつむねみつ1844~1897年) 日本の武士。明治期の外交官、政治家。第2次伊藤内閣の外務大臣
  井上毅:(いのうえこわし1843~1895年) 日本の官僚、政治家。法制局長官、文部大臣などを歴任。
  平部嶠南:(ひらべきょうなん1815~1890年) 江戸・明治期の政治家。飫肥藩家老。
  小倉処平:(おぐらしょへい1846~1877年) 日本の武士(飫肥藩士)、官僚、思想家。
  阿萬豊蔵:(あまんとよぞう1810~1876年) 明教堂教授、振徳堂教授。
  河原順信:(かわはらじゅんしん1848~1922年) 足利郡領家村(現在の埼玉県川口市)の子弟教育。
  雲井龍夫:(くもいたつお1844~1871年) 江戸時代末期(幕末)から明治にかけての志士、集議院議員。
  北有馬太郎:(きたありまたろう1828~1862年) 三計塾塾頭。安井息軒の長女須磨子と結婚。

宮崎の花 安井息軒記念館・安井息軒旧宅の梅 宮崎市清武町加納甲
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 明治2年には息軒のもとを訪ねてきた勝海舟と山岡鉄舟から、明治天皇の侍講(じこう)になるよう要請されたが、高齢と体調等理由に断った。
 この頃息軒の下に藩主(知事)や現役の官僚らが次々と入門し、息軒から法学や儒学の思想、学問の方法などを吸収し、大きな影響を受け、法治国家建設や日本の急速な近代化へとつながった。

宮崎の花 安井息軒記念館・安井息軒旧宅の梅 宮崎市清武町加納甲
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3.政治的助言
 第14代将軍家茂に謁見し、老中の板倉勝静(かつきよ)、小笠原長行(ながみち)、さらには秋月種樹(たねたつ)等には日頃から様々な助言を行っていた。その一部が「上明山公書」「時務一隅」等として伝わっている。
 水戸学の中心人物、御三家の一つ徳川斉昭(なりあき)から今後の幕政の在り方について意見を求められ、考えをまとめて上奏し、深く感謝された。お礼に直筆の書や葵の紋が入った着物を拝領した。
 「辨妄(べんもう)」には、島津久光が序文を寄せた。さらに久光の要請により仮名文字版が刊行された。

宮崎の花 安井息軒記念館・安井息軒旧宅の梅 宮崎市清武町加納甲
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4.郷土貢献そして日本発展への貢献
 幅広い人脈を生かしながらさまざまな情報を収集し、第13代藩主伊東祐相(すけとも)や最後の家老を務めた平部嶠南(きょうなん)との深い信頼の絆に基づいてさまざまな助言を行い、藩の財政や人々の生活の改善に大きく貢献した。
 飫肥藩の長年の悪習「間引き」を禁止させ、二期作や養蚕、干し芋・干し大根等の奨励、自らも苦しんだ天然痘の予防接種(牛痘法)についても紹介し、感染の収束に貢献した。
 敬老への取組についても進言し、今から150年以上前に実現させた。
 藩の財政や人々の生活向上のため、さまざまな情報を収集し、自ら足を運び、書にまとめて藩に伝えた。藩は即刻現地に技術者を派遣し、実行に移させた。
 深く広い見識に基づいて優秀な人材を育て、国や地方の発展に大きく貢献した。
 戦前、森鴎外の「安井夫人」は何度も教科書に掲載された。今日でも顕彰活動が盛んに行われている。


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  1. 2023/02/16(木) 16:35:14|
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宮崎の花 安井息軒記念館・安井息軒旧宅の梅 宮崎市清武町加納甲

今日のお天気曇りですが、梅の花を求めて出かけました。
少しは早いかなと思いながら、安井息軒旧宅へ行ってみることに。
駐車場へ車を停め、安井息軒旧宅へ。
昨年と同じで、コロナの為門扉が閉まっています。
門扉の外から撮影です。

宮崎の花 安井息軒記念館・安井息軒旧宅の梅 宮崎市清武町加納甲
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メジロが飛び回っています。

宮崎の花 安井息軒記念館・安井息軒旧宅の梅 宮崎市清武町加納甲
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宮崎の花 安井息軒記念館・安井息軒旧宅の梅 宮崎市清武町加納甲
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撮影を終えて駐車場へ帰ると、記念館の職員の方が手招きしています。
そちらの方へ行ってみると、梅が咲いていました。
ここに梅が咲いていることは知りませんでした。
早速撮影です。

息軒廟の周りに梅の花が咲いています。

宮崎の花 安井息軒記念館・安井息軒旧宅の梅 宮崎市清武町加納甲
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少し早いかな~って来てみましたが、来てみて良かったです。
職員の方、教えていただきありがとうございました。


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  1. 2022/01/30(日) 13:22:30|
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宮崎の花 安井息軒旧宅の白梅 宮崎市清武町加納甲

梅を撮影しようと、市民の森へ行ってみたのですが、駐車場が満車で入れません。
この様子では、他の場所の梅園も人が大勢いるのでは・・・
人が少ない梅の咲いている場所は・・・
安井息軒旧宅に白梅が咲いていたのを思い出し、行ってみました。

「新型コロナウィルス感染防止のため、当分の間、臨時休館といたします。」との張り紙があり門扉が閉まっています。

安井息軒旧宅の白梅 宮崎市清武町加納甲
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門扉から撮影です。

安井息軒旧宅の白梅 宮崎市清武町加納甲
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安井息軒旧宅の白梅 宮崎市清武町加納甲
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安井息軒旧宅の白梅 宮崎市清武町加納甲
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安井 息軒(やすい そっけん、寛政11年1月1日〈1799年2月5日〉 - 明治9年〈1876年〉9月23日)
 江戸時代の儒学者です。
 名は衡、字は仲平、息軒は号です。
 日向国宮崎郡清武郷(現・宮崎県宮崎市)出身です。
 その業績は江戸期儒学の集大成と評価され、近代漢学の礎を築きました。
 門下からは谷干城や陸奥宗光など延べ2000名に上る逸材が輩出されました。
 妻の佐代は、森鷗外の歴史小説「安井夫人」のモデルです。
 安井息軒旧宅は旧宅としては宮崎県で唯一、国の史跡に指定されています。
 旧宅の庭の隅に「安井息軒先生誕生地」の記念碑があり、題字は徳川家達により書かれたものです。
 庭内にはまた安井息軒が自ら植えたとされる梅の木(息軒手植えの梅)が残っていて、開花時期の2月11日に「安井息軒梅まつり」が毎年開催されていますが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、今年は中止になりました。
 有名な言葉としては「一日の計は朝にあり。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり。」


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  1. 2021/02/07(日) 14:29:26|
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