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古墳を見守る石像群 高鍋大師 宮崎県高鍋町

 宮崎県高鍋町の持田古墳群のある日向灘を望む持田台地の東端に「高鍋大師」があります。
 近くを走る国道10号線からも石像群は良く見えます。
 ここに上って来る道は、南側と東側があります。私は東側の道を使います。
 東側の道沿いに26号墳(山の神塚古墳)、持田古墳群27号墳があります。
 26号墳前の畑にはコスモスが咲いていました。見頃はあと少し先かな?

 駐車場は、高鍋大師手前にある持田古墳群48号墳を左に入った奥にあります。

 高鍋大師と呼ばれる一連の石像群は、近隣にある持田古墳群の霊を慰めるため、町内で米穀店を営んでいた岩岡保吉氏によって作られたものです。
 29歳の時に四国八十八箇所巡礼の旅へ出た岩岡氏は、当時同古墳群での相次ぐ盗掘に心を痛めていたことなどもあって、高鍋にも八十八箇所を建設することを決意し、43歳にて古墳群近くの土地を購入して整地すると、大分県から石工仏師を招聘して彫刻技術を習得しました。
 岩岡氏は八十八箇所仏完成後も彫像にいそしみ、最終的に本人が生涯で刻んだ石像は700体以上にものぼりました。
 その中には6mを超える巨大なものも含まれています。

古墳を見守る石像群 高鍋大師 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 宮崎県高鍋町

 今回は、大きな石像9体を撮影しました。

弘法大師
 左手に「からいも」を持っています。
 昭和三十三年六月十五日 岩岡弘覚サく 年七十才
 からいも:サツマイモのことです。
 70歳から巨像を造り始めるとは凄いですね。

古墳を見守る石像群 高鍋大師 弘法大師 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 弘法大師 宮崎県高鍋町

 巻雲が、石像からパワーが出ている様に見えます。

古墳を見守る石像群 高鍋大師 弘法大師 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 弘法大師 宮崎県高鍋町

正一いいない大神(正一位稲荷大神)
 ちょんまげ頭で、立派なおひげです。
 左手に鎌を持っています。
 右下の石像の胸が大きい・・・女性ですね。

古墳を見守る石像群 高鍋大師 正一いいない大神(正一位稲荷大神) 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 正一いいない大神(正一位稲荷大神) 宮崎県高鍋町

百たいふど(百体不動)
 火よけみまもり

古墳を見守る石像群 高鍋大師 百たいふど(百体不動) 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 百たいふど(百体不動) 宮崎県高鍋町

 不動様の目は透明なガラスですね。
 子供の目は黄色い電球の様ですが、片方割れています。

古墳を見守る石像群 高鍋大師 百たいふど(百体不動) 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 百たいふど(百体不動) 宮崎県高鍋町


古墳を見守る石像群 高鍋大師 百たいふど(百体不動) 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 百たいふど(百体不動) 宮崎県高鍋町

 石像に文字が書かれているのですが、漢字とひらがなとカタカナが入り混じった文字列です。

十一めんくわんのん(十一面観音)
 昭和三十八年十一月七十五才サく
 75歳の作

古墳を見守る石像群 高鍋大師 十一めんくわんのん(十一面観音) 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 十一めんくわんのん(十一面観音) 宮崎県高鍋町

 笑っている顔が良いですね。

古墳を見守る石像群 高鍋大師 十一めんくわんのん(十一面観音) 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 十一めんくわんのん(十一面観音) 宮崎県高鍋町

十二めんやくし(十二面薬師)
 岩岡山七十五才のサく
 ゆう日サん あサ日カガやく
 あくまかぜ をしはらい

古墳を見守る石像群 高鍋大師 十二めんやくし(十二面薬師)宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 十二めんやくし(十二面薬師)宮崎県高鍋町

明治百年 アマテラスオオミカミ(天照大御神)?
 明治百年 むえん こ中 まもれ 昭和四十三年 岩岡弘覚 五月五日 八十才のさく
 後光を表しているのでしょうか?
 丸と四角の穴はガラスが埋められていますね。
 碍子(がいし)が見えます。電気が点いていたのでしょうか?

古墳を見守る石像群 高鍋大師 アマテラスオオミカミ(天照大御神) 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 アマテラスオオミカミ(天照大御神) 宮崎県高鍋町

スサノオノミコト
 太刀を持っています。
 ライオンの様な髪と髭ですね。

古墳を見守る石像群 高鍋大師 スサノオノミコト 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 スサノオノミコト 宮崎県高鍋町


古墳を見守る石像群 高鍋大師 スサノオノミコト 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 スサノオノミコト 宮崎県高鍋町

かみなり(雷神)
 岩岡弘覚八十四サく
 目玉と牙が凄いです。

古墳を見守る石像群 高鍋大師 かみなり(雷神) 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 かみなり(雷神) 宮崎県高鍋町

 84歳で巨像を造るのは凄いパワーですね。

古墳を見守る石像群 高鍋大師 かみなり(雷神) 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 かみなり(雷神) 宮崎県高鍋町

カぜのカみ(風の神・風神)
 昭和四十七年九月吉日
 顔の掘りが深いですね。
 眉毛が太い。

古墳を見守る石像群 高鍋大師 カぜのカみ(風の神・風神) 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 カぜのカみ(風の神・風神) 宮崎県高鍋町

この石像も84歳の時造っています。

古墳を見守る石像群 高鍋大師 カぜのカみ(風の神・風神) 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 カぜのカみ(風の神・風神) 宮崎県高鍋町

 肩に乗っている石板の意味は何だろう?

古墳を見守る石像群 高鍋大師 カぜのカみ(風の神・風神) 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 カぜのカみ(風の神・風神) 宮崎県高鍋町

 カメです。

古墳を見守る石像群 高鍋大師 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 宮崎県高鍋町

 右の大師堂には、色々な資料が納められています。
 奥の建物はトイレです。とても綺麗なトイレです。

古墳を見守る石像群 高鍋大師 宮崎県高鍋町
hiroの部屋 古墳を見守る石像群 高鍋大師 宮崎県高鍋町

 航空自衛隊新田原基地 第305飛行隊 F-15DJの垂直尾翼に、高鍋町、木城町のマスコットキャラクターが描かれています。
 石像「高鍋大師の十一面くわんのん」をモチーフにして作られた、高鍋町のマスコットキャラクター「たか鍋大使くん」です。

新田原エアフェスタ2018 地上展示 第305飛行隊 Mitsubishi F-15DJ Eagle 82-8065
hiroの部屋 新田原エアフェスタ2018 地上展示 第305飛行隊 Mitsubishi F-15DJ Eagle 82-8065


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  1. 2023/10/27(金) 15:47:30|
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宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方

都城市山之口町花木前方にある南方神社の鳥居の両脇に仁王像が建っています。

宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方
hiroの部屋 宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方

元文4年(1739年)に月待行事の二十三夜待(にじゅうさんやまち)の供養を目的として作られたものだそうです。

月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜に、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事です。

宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方
hiroの部屋 宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方


宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方
hiroの部屋 宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方


宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方
hiroの部屋 宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方


宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方
hiroの部屋 宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方


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  1. 2021/08/25(水) 18:30:34|
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宮崎県の山の神 山之口永野の山の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内

永野神社の標柱の下に、「山の神」と書かれています。

宮崎県の山の神 山之口永野の山の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の山の神 山之口永野の山の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内

「山之口永野の田の神」の側に、「山の神」が祀られています。

宮崎県の山の神 山之口永野の山の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の山の神 山之口永野の山の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内


宮崎県の山の神 山之口永野の山の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の山の神 山之口永野の山の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内


山の神(やまのかみ)
農民の間では、春になると山の神が山から降りてきて田の神となり豊穣をもたらし、秋には再び山に戻るという農耕の神ですが、山の民にとっての山の神は、自分たちの仕事の場である山を守護する神です。



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  1. 2021/08/24(火) 18:15:02|
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宮崎県の山の神 山之口天神川原の山の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い

山之口天神川原の田の神と共に山の神が祀られています。

大きさ測定するのを忘れていました。

宮崎県の山の神 山之口天神川原の山の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の山の神 山之口天神川原の山の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い


宮崎県の山の神 山之口天神川原の山の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の山の神 山之口天神川原の山の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い

大きさは、田の神と同じぐらいです。

宮崎県の山の神 山之口天神川原の山の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の山の神 山之口天神川原の山の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い

山の神(やまのかみ)
農民の間では、春になると山の神が山から降りてきて田の神となり豊穣をもたらし、秋には再び山に戻るという農耕の神ですが、山の民にとっての山の神は、自分たちの仕事の場である山を守護する神です。



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  1. 2021/08/21(土) 18:30:02|
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縄瀬の菅原神社の仁王像 都城市高崎町縄瀬三和

菅原神社の鳥居の傍に、仁王像が立っています。

縄瀬の菅原神社の仁王像 都城市高崎町縄瀬三和
hiroの部屋 縄瀬の菅原神社の仁王像 都城市高崎町縄瀬三和


縄瀬の菅原神社の仁王像 都城市高崎町縄瀬三和
hiroの部屋 縄瀬の菅原神社の仁王像 都城市高崎町縄瀬三和


縄瀬の菅原神社の仁王像 都城市高崎町縄瀬三和
hiroの部屋 縄瀬の菅原神社の仁王像 都城市高崎町縄瀬三和


縄瀬の菅原神社の仁王像 都城市高崎町縄瀬三和
hiroの部屋 縄瀬の菅原神社の仁王像 都城市高崎町縄瀬三和


縄瀬の菅原神社の仁王像 都城市高崎町縄瀬三和
hiroの部屋 縄瀬の菅原神社の仁王像 都城市高崎町縄瀬三和


縄瀬の菅原神社の仁王像 都城市高崎町縄瀬三和
hiroの部屋 縄瀬の菅原神社の仁王像 都城市高崎町縄瀬三和

阿吽の像ともに高さは200cmで、どちらにも刻銘はありません。近代末期の造立と推測されます。


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  1. 2021/07/29(木) 18:02:00|
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小林市指定文化財 伊集院源次郎忠眞の供養塔 小林市野尻町東麓本町

伊集院源次郎忠眞の供養塔
小林市指定文化財
 伊集院源次郎忠眞は島津氏の家老、伊集院忠棟(幸侃)の嫡男である。
 文禄4(1595)年、伊集院忠棟(幸侃)は鹿屋2万石から都城8万石の領主となるが、その後の慶長4(1599)年、京都伏見の薩摩屋敷において、主家乗っ取りの嫌疑で島津忠恒(家久:薩摩藩初代藩主)により殺害された。都城の伊集院源次郎忠眞はこの事件を知り主家島津氏に反旗を翻し戦いとなった。圧内の乱である。

小林市指定文化財 伊集院源次郎忠眞の供養塔 小林市野尻町東麓本町
hiroの部屋 小林市指定文化財 伊集院源次郎忠眞の供養塔 小林市野尻町東麓本町

 翌年、戦いが不利となった伊集院源次郎忠眞は、徳川家康の仲介で和睦を受け入れ、頴娃(えい:鹿児島県)1万石を経て帖佐(ちょうさ:鹿児島県)2万石を給された。
 慶長七(1602)年、島津忠恒(家久)は上洛するにあたり伊集院源次郎忠眞にも同道を命じた。そして上洛途中にこの野尻に滞在した島津忠恒(家久)は、8月17日、鹿狩りを行った際に伊集院源次郎忠眞主従を殺害させた。

小林市指定文化財 伊集院源次郎忠眞の供養塔 小林市野尻町東麓本町
hiroの部屋 小林市指定文化財 伊集院源次郎忠眞の供養塔 小林市野尻町東麓本町

 この事件で伊集院源次郎忠眞射殺の命を受けた穆佐の士、押川治右衛門と渕脇平馬は、伊集院源次郎忠眞と馬を交換して乗っていた平田新四郎(島津氏家老の子)を伊集院源次郎忠眞と思い誤射した。押川治右衛門はその責を負い、自害したという。
 ここにある供養塔(五輪塔)は、非業の死を遂げた伊集院源次郎忠眞の慰霊のため建立したものである。

小林市指定文化財 伊集院源次郎忠眞の供養塔 小林市野尻町東麓本町
hiroの部屋 小林市指定文化財 伊集院源次郎忠眞の供養塔 小林市野尻町東麓本町

 また、五輪塔に向かって右側の近い方が押川治右衛門、その隣が平田新四郎の供養碑で、事件の翌年、押川則貞が施主となり建立したものである。なお敷地内後方に並ぶ石碑は、伊集院源次郎忠眞家臣の墓石と考えられ、野尻城址に散在していたものを、平成21年、この地に移したものである。
平成21年12月
小林市教育委員会


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  1. 2021/02/28(日) 12:30:18|
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吉村の五輪塔群 小林市野尻町東麓吉村

吉村の五輪塔群
 明治期以降の開墾により五輪塔の残欠が多数掘り出され野積みされて約90年近く放置され、竹林となり人の目にもふれることなく現在に至った。

吉村の五輪塔群 小林市野尻町東麓吉村
hiroの部屋 吉村の五輪塔群 小林市野尻町東麓吉村

 平成元年度、ふるさと創生一億円事業の「古代野後駅調査実践隊」により、埋もれていた五輪塔などを掘り起こし現在地に収集保管をさせた。
 その後、多数ある五輪塔の中から風化防止のため5基選んでこのように堂の中に保存共養したものである。

吉村の五輪塔群 小林市野尻町東麓吉村
hiroの部屋 吉村の五輪塔群 小林市野尻町東麓吉村

 また、四辻(向畑宅裏)に祀られている空・風輪は吉村五輪塔群の中でも最高の存在価値をもつ石塔である。

吉村の五輪塔群 小林市野尻町東麓吉村
hiroの部屋 吉村の五輪塔群 小林市野尻町東麓吉村

平成8年10月吉日
小林市教育委員会

五輪塔(ごりんとう)
 主に供養塔・墓として使われる塔の一種です。五輪卒塔婆とも呼ばれます。


2021/2/27 ブログアクセス1,210,000件を超えました。
ご覧いただきありがとうございますm(__)m


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  1. 2021/02/27(土) 16:54:08|
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宮崎県指定史跡 池ノ原一里塚 小林市野尻町紙屋

 一里塚は、江戸時代初期慶長9年(1604年)江戸日本橋を起点として主要街道に一里ごとに目印が設けられたのに始まります。

宮崎県指定史跡 池ノ原一里塚 小林市野尻町紙屋
hiroの部屋 宮崎県指定史跡 池ノ原一里塚 小林市野尻町紙屋

 一里塚は宝永3年(1706年)の初め頃に薩摩藩が鹿児島下町札辻を起点とし街道筋に設置されたと思われます。
 この一里塚は東の「漆野原一里塚」を経て綾に至り、西の加久藤筋を経て鹿児島本府へ至る街道筋にあたります。

宮崎県指定史跡 池ノ原一里塚 小林市野尻町紙屋
hiroの部屋 宮崎県指定史跡 池ノ原一里塚 小林市野尻町紙屋

 街道筋には松などを植えて松並木が形成されていたようです。
 一里塚は直径6m、高さ2mの円形で、夏に木陰になる桜、榎などが植えられ、旅人の憩いの場となり、また、旅程の目安にもなったと思われます。

宮崎県指定史跡 池ノ原一里塚 小林市野尻町紙屋
hiroの部屋 宮崎県指定史跡 池ノ原一里塚 小林市野尻町紙屋

 形状はほぼ原型を留めていますが、反対側に一部の塚跡が残っています。


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  1. 2021/02/23(火) 15:53:15|
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寒山拾得の石仏(かんかん仏) 児湯郡高鍋町舞鶴公園

児湯郡高鍋町舞鶴公園にある寒山拾得の石仏(かんかん仏) です。

寒山拾得の石仏
銘:天文18年(1549年)
 高鍋異色の石像で俗に「かんかん仏」と呼ばれている。 
 中国における民間信仰の道教神と思われる。 
 もと串間にあったものを秋月氏が江戸藩邸に移し、明治になって神奈川県の片瀬(藤沢市)の別邸に、更に高鍋城内に移した。
 江戸(東京)麻布の藩邸にあった頃、毎夜邸内を歩き廻る怪しい者がいるので、宿直の武士が妖怪の仕業と考え、待ち伏せて一刀切りつけた。
 手応えはあったが姿が消え失せ翌日その武士は高熱を発し、邸内の石仏には刀のあとが残っていた。
 その後、秋月家に何か異変があると、この傷がはっきり出て夜泣きして知らせたという。
 霊験も著しく祈願がよくかなうといわれ、年中供花の絶えることがない。

寒山拾得の石仏(かんかん仏) 児湯郡高鍋町舞鶴公園
hiroの部屋 寒山拾得の石仏(かんかん仏) 児湯郡高鍋町舞鶴公園


寒山拾得の石仏(かんかん仏) 児湯郡高鍋町舞鶴公園
hiroの部屋 寒山拾得の石仏(かんかん仏) 児湯郡高鍋町舞鶴公園

 通称「かんかん仏」と呼ばれており、顔面に亀裂があります。
 建立者、建立年月日などは不明ですが、背面に「天文18年」(1954年)と銘が刻まれています。
 「寒山」(写真右)「拾得」(写真左)とも中国の伝説的な詩僧です。
 天台山国清寺の豊干禅師の弟子です。
 拾得は豊干に拾い養われたので拾得と称しました。
 寒山は国清寺近くの寒山の洞窟に住み,そのため寒山と称したといい、樺皮を冠とし大きな木靴をはき、国清寺に往還して拾得と交わり、彼が食事係であったので残飯をもらい受けていた。
 ともに世俗を超越した奇行が多く、また多くの詩を作ったといわれています。
 しかし、寒山、拾得が実在したのか真偽は分かりません。

寒山拾得の石仏(かんかん仏) 児湯郡高鍋町舞鶴公園
hiroの部屋 寒山拾得の石仏(かんかん仏) 児湯郡高鍋町舞鶴公園

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  1. 2020/12/12(土) 12:45:00|
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高鍋藩領国境標柱 児湯郡高鍋町舞鶴公園

児湯郡高鍋町舞鶴公園にある高鍋藩領国境標柱です。

【領国境標柱】
この2本の石柱は高鍋藩領の境界に立てられていたものです。

高鍋藩領国境標柱 児湯郡高鍋町舞鶴公園
hiroの部屋 高鍋藩領国境標柱 児湯郡高鍋町舞鶴公園

右側の標柱には「これより東南高鍋領」とあり延岡藩との境であった日向市幸脇に、

高鍋藩領国境標柱 児湯郡高鍋町舞鶴公園
hiroの部屋 高鍋藩領国境標柱 児湯郡高鍋町舞鶴公園

左側の標柱には「これより北東高鍋領」とあり、佐土原藩との境であった新富町鬼付女(きづくめ)に建てられていました。

高鍋藩領国境標柱 児湯郡高鍋町舞鶴公園
hiroの部屋 高鍋藩領国境標柱 児湯郡高鍋町舞鶴公園

このような標柱は県内でも7つしか発見されておらず、しかも3面に文字が刻まれているのは、他県にも例の少ない貴重な資料です。

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  1. 2020/12/12(土) 12:40:52|
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