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青井岳の紅葉 都城市山之口町

以前、青井岳温泉の紅葉を撮影したことがありました。
国道269号線を走って帰るので、ちょっと寄ってみましょう。

カメラを持った方が数人います。
で、こちらも撮影です。

青井岳の紅葉 都城市山之口町
hiroの部屋 青井岳の紅葉 都城市山之口町


青井岳の紅葉 都城市山之口町
hiroの部屋 青井岳の紅葉 都城市山之口町


青井岳の紅葉 都城市山之口町
hiroの部屋 青井岳の紅葉 都城市山之口町


青井岳の紅葉 都城市山之口町
hiroの部屋 青井岳の紅葉 都城市山之口町

宮崎の紅葉の見頃も終わりかな?
いや、去川のイチョウの木がまだありますね。


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  1. 2017/11/19(日) 15:14:05|
  2.  ┣ 宮崎の紅葉|
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霧島の紅葉 鹿児島県霧島市

えびの高原から鹿児島県側へ下り、県道104号線を高千穂河原方面へ走ります。
こちらの方は、紅葉しています。

霧島の紅葉 鹿児島県霧島市
hiroの部屋 霧島の紅葉 鹿児島県霧島市

車を停めて、写真を撮っている方がいます。
私もここで撮影を。

霧島の紅葉 鹿児島県霧島市
hiroの部屋 霧島の紅葉 鹿児島県霧島市


霧島の紅葉 鹿児島県霧島市
hiroの部屋 霧島の紅葉 鹿児島県霧島市


霧島の紅葉 鹿児島県霧島市
hiroの部屋 霧島の紅葉 鹿児島県霧島市

高千穂河原も紅葉していましたが、色が鮮やかではありませんでした。


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  1. 2017/11/19(日) 12:38:20|
  2.  ┣ えびの高原付近の紅葉|
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えびの高原の紅葉終わっていました 宮崎県えびの市

白鳥神社で紅葉を見た後、えびの高原まで上ってみましょう。
白鳥温泉の駐車場は満車になっています。
えびの高原に到着です。
山にはうっすらと雪が見えます。
車から出ると、空気が冷たいですね。

えびの高原の紅葉終わっていました。

えびの高原の紅葉終わっていました 宮崎県えびの市
hiroの部屋 えびの高原の紅葉終わっていました 宮崎県えびの市

硫黄山近辺は、有毒ガスが出ているため駐車禁止になっています。

えびの高原 宮崎県えびの市
hiroの部屋 えびの高原 宮崎県えびの市

えびの高原は、冬になっています。

えびの高原 宮崎県えびの市
hiroの部屋 えびの高原 宮崎県えびの市

崖が凄いですね。
こんな崖があったのですね。

えびの高原 宮崎県えびの市
hiroの部屋 えびの高原 宮崎県えびの市

今の時期の宮崎で、雪があるとは思いませんでした。

えびの高原 宮崎県えびの市
hiroの部屋 えびの高原 宮崎県えびの市


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  1. 2017/11/19(日) 11:55:16|
  2.  ┣ えびの高原付近の紅葉|
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白鳥神社の紅葉 宮崎県えびの市

 白鳥神社(しらとりじんじゃ)は、宮崎県えびの市南部の白鳥山中腹にある神社です。

白鳥神社の紅葉 宮崎県えびの市
hiroの部屋 白鳥神社の紅葉 宮崎県えびの市

 959年(天徳3年)、霧島山を訪れていた性空が白鳥山の頂上付近にある六観音御池の畔で法華経を唱えていたところ白髪の老人があらわれ「自分はヤマトタケルであり、白鳥となってこの山に住んでいる」と語ったことにちなみ、白鳥山中腹に白鳥権現社として創建されました。

白鳥神社の紅葉 宮崎県えびの市
hiroの部屋 白鳥神社の紅葉 宮崎県えびの市

 ヤマトタケルが霧島山中にあらわれたのは、かつて熊襲を討った因縁があったためといわれています。

白鳥神社の紅葉 宮崎県えびの市
hiroの部屋 白鳥神社の紅葉 宮崎県えびの市

 性空は白鳥神社の近くに天台宗の寺院を創建しましたが、後に荒廃し神社のみが残されました。
 室町時代初期の1403年(応永10年)、光尊阿闍梨によって真言宗の白鳥山金剛乗院満足寺として再建されました。

白鳥神社の紅葉 宮崎県えびの市
hiroの部屋 白鳥神社の紅葉 宮崎県えびの市

 軍神であるヤマトタケルを祀っていたことから領主の島津義弘は戦に赴く前にここで武運を祈願し、1601年(慶長6年)から1605年(慶長10年)にかけて社殿の新築を行ったり領地を寄進するなどして支援しました。
 また、山麓の飯野郷や丘郷では白鳥を殺すことが禁じられていました。

白鳥神社の紅葉 宮崎県えびの市
hiroの部屋 白鳥神社の紅葉 宮崎県えびの市

 1703年(元禄16年)、境内にあったアカマツの巨木が運び出され、東大寺大仏殿の屋根を支える虹梁として使用されています。

白鳥神社の紅葉 宮崎県えびの市
hiroの部屋 白鳥神社の紅葉 宮崎県えびの市

 近くに白鳥温泉があり、江戸時代には寺院の僧侶たちが入浴していたといわれています。

白鳥神社の楓(イロハモミジ) 宮崎県えびの市
hiroの部屋 白鳥神社の楓(イロハモミジ) 宮崎県えびの市

白鳥神社の参道前鳥居横道路沿いに大きな楓(イロハモミジ )があります。


東大寺大仏殿 虹梁(梁木)白鳥巨松の由来
 東大寺大仏殿の大屋根八十万6千貫(3020トン)を支えている大虹梁は、元禄十六年(1703)この白鳥神社境内より伐出された二本の赤松です。
 いずれも樹齢は二千年を超えるものです。
 一本目は長さ十三間(約24m)、元口四尺三寸(約1.3m)、末口三尺三寸七分五厘(約1m)、重さ六一八三貫(23.2トン)あり、樵夫(きこり)九十人の手により四日間かかり伐出されました。
 二本目は長さ十三貫(約24m)、元口四尺一寸(約1.2m)、末口三尺七分五厘(約90cm)、重さ五四三五貫(20.4トン )あり、百人の人手が、三日間費やされました。
 代金は一本二千両。
 山出しの際は傷がつかないよう両端には金輪がはめられ、霧島山中から薩摩湾岸の国分新川口に至る二五里(98.2 km)を一日八百六十人の人夫と牛四十頭の号力によって運び出されました。
 到着するまでには百十五日の歳月を要し、その間には命を失うもの、怪我をしたものは数しれなかったらしい。
 国分新川口からは千石船に積み替えられ、鹿児島湾、日向細島港さらに豊予海峡の急灘を乗り越え瀬戸内海に入り、兵庫港に着き、大阪伝法川口を経て、また淀川をのぼり、木津川から奈良坂を越えて、ようやく無事に大仏殿に到着しました。
 延々八百五十里(3,338 km)に及ぶ大運搬でした。
 宝禄六年(1709)東大寺大仏殿の落成供経も盛大に行われましたが、白鳥巨松は、後の大改修を経ながらも大虹梁として今なお東大寺際仏殿を支え続けています。


東大寺大仏殿虹梁
 東大寺の大仏殿の屋根を支える2本の虹梁(こうりょう)は、それぞれ長さ23.5mのアカマツが使われており、1704年(宝永元年)、日向国の白鳥神社から大和国の東大寺まで延べ10数万人が参加し9ヶ月をかけて運搬されました。

経緯
 東大寺大仏殿の虹梁は、柱の間隔7.7m(2丈5尺4寸)の3倍すなわち23.1mの長さを持ち、3020トンの屋根を支える必要があることから、長さ23.6m(13間)、直径1m(3尺)で強度があり耐久性の高いアカマツが求められました。公慶は様々な手を尽くしてこの条件に見合うアカマツの大木を探していましたが見つからない状態が続いていました。
 1702年(元禄15年)になって日向国小林(小林市)に住む園田清右衛門が霧島山山腹の白鳥神社境内に2本のアカマツの大木があることを見いだし、薩摩藩と奈良奉行を通して公慶に報告しました。公慶は早速現地に検分に訪れました。大木は高さ54m(18丈)あり、曲がりも虫食いもない良材であることが確認され虹梁として採用されることになりました。

掘り倒し
 切り倒すと裂ける恐れがあることから、根の周囲を掘って倒す方法が採られることになりました。
 1703年(元禄16年)9月19日にまず1本目の掘削が始められました。90人が作業にあたり9月22日に掘り倒されました。
 9月23日から2本目の掘削が始められ、こちらも100人がかりで9月25日に掘り倒されました。
 倒された大木からそれぞれ虹梁材が切り出され、衝撃で裂けないよう両端に金属の輪がはめられました。
 1本目は長さ23.6m(13間)、元口1.3m(4尺3寸)、末口1.0m(3尺3寸7分5厘)、重量23.2トン(6183貫)、
 2本目は長さ23.6m(13間)、元口1.2m(4尺1寸)、末口1.1m(3尺7寸5分)、重量20.4トン(5435貫)でした。

運搬
 白鳥神社から海岸までは起伏のある道を66km(16里半)運搬する必要がありました。
 運搬には丸太を樋の形に組んだスラと呼ばれる誘導路や、木馬(きんま)と呼ばれるソリが使われたと考えられています。
 2本の虹梁材は1704年(宝永元年)1月7日に白鳥神社を出発し、尾八重野(えびの市)、加久藤(えびの市)、吉松(湧水町)、牛の瀬戸(湧水町栗野)、横川(霧島市)、鳥越(霧島市隼人)を経て新川口(天降川河口)まで運ばれました。
 途中様々な場所で迂回する必要があり、結局90km(23里)の行程となりました。
 薩摩藩の山奉行が指揮を執り、延べ10万人が参加し牛4000頭を使って115日をかけ5月4日にようやく新川口に到着しました。

 2本の虹梁材は新川口に隣接する浜之市(隼人港)で筏に組まれ、鹿児島湾を6艘の船に引かれ3日間をかけて鹿児島津(鹿児島港)に到着しました。
 鹿児島から畿内までの航路には波の荒い日向灘や玄界灘が控えており、筏のままでは強度が不足するため船に乗せる必要がありました。しかしながら当時はこのような大木を船に乗せる技術がなく、商人たちは輸送を躊躇する状況でした。
 このような中、志布志の商人山下弥五郎が観音様のお告げを受けたとして、米を運ぶのと同じ運賃で畿内までの輸送を買って出ることになりました。
 弥五郎は2本の大木を船に乗せるために船を沈める方法を用いました。
 6月11日に船底の栓を抜いて船を沈め、翌12日の満潮時に2本の虹梁材を船の上に配置しました。
 干潮になるのを待って船底の栓を戻し、船の中から水をくみ出すことで虹梁材の積載に成功しました。
 この方法は弥五郎の娘が夢で観音様から教えられたとされています。

 2本の虹梁材と24名の乗組員を乗せた観音丸は6月20日に鹿児島津を発ち、翌21日、山川港に立ち寄りました。
 南風を待って7月5日深夜に出港し、7月12日、兵庫津(神戸港)に到着しました。
 虹梁材を船から降ろす際にも船を沈める方法が用いられています。
 兵庫津から4艘の船に引かれて7月16日に大阪の伝法川河口に到着しました。
 大阪からは船で虹梁材を挟み、淀川と木津川をさかのぼりました。
 延べ4625人が川岸から綱で船を引く作業に参加し、8月10日、木津(木津川市)に到着しました。

 8月19日、木津でそれぞれ2基の台車に乗せられ、東大寺までは市坂(木津川市)と奈良阪(奈良市)を越える陸路を人手によって運搬されました。
 虹梁材を引く作業には延べ1万7千人が参加し、周辺には数万の見物人が集まりました。
 運搬の様子は「大仏殿虹梁木曳図」(明誉古磵筆、東大寺蔵)に描かれています。
 1本目は9月2日、2本目は9月5日に東大寺に搬入されました。

その後
 大仏殿への取り付けは1705年(宝永2年)3月13日と3月18日に行われ、4月10日に上棟式が執り行われました。
 大仏殿は1709年(宝永6年)に完成し3月21日に落慶供養が行われましたが、公慶は1705年(宝永2年)に亡くなっており完成を見ることはありませんでした。
 1905年(明治38年)から1911年(明治44年)にかけての修繕作業において虹梁が約50cm曲がっていることがわかり鉄骨で補強されています。
 1979年(昭和54年)、九州自動車道の工事に際して行われた宮崎県えびの市の前畑遺跡の調査において、16世紀の陶磁器片とともに大木を引いた経路と見られる遺構が発見されました。
 遺構は幅1.8-2.0mで長さは発掘範囲全体の50mにわたって東西に延びており、発掘範囲の両側へ続いていると考えられています。
 深さ10-20cmで幅20-40cmの窪みが20-30cmの間隔で繰り返される枕木の跡のような形状を呈しています。
 当初は利用目的がわかりませんでしたが、同時期に鹿児島県栗野町(湧水町)の山崎遺跡でも同様の遺構が見つかっていて、いずれも確証はありませんが虹梁材の運搬に用いられたものと考えられています。



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  1. 2017/11/19(日) 11:15:16|
  2.  ┣ えびの高原付近の紅葉|
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イロハモミジの紅葉 宮崎県日南市北郷町

11月上旬には、見頃を迎える日南市北郷町のイロハモミジ。
県道28号線、県道33号線を走り、広渡ダムに架かる橋を渡ります。
ここから狭い道になります。
対向車が見えたら、路肩に避けて待つのが一番です。

大勢の人が来ています。

イロハモミジの紅葉 宮崎県日南市北郷町
hiroの部屋 イロハモミジの紅葉 宮崎県日南市北郷町


イロハモミジの紅葉 宮崎県日南市北郷町
hiroの部屋 イロハモミジの紅葉 宮崎県日南市北郷町


イロハモミジの紅葉 宮崎県日南市北郷町
hiroの部屋 イロハモミジの紅葉 宮崎県日南市北郷町


イロハモミジの紅葉 宮崎県日南市北郷町
hiroの部屋 イロハモミジの紅葉 宮崎県日南市北郷町


イロハモミジの紅葉 宮崎県日南市北郷町
hiroの部屋 イロハモミジの紅葉 宮崎県日南市北郷町


イロハモミジの紅葉 宮崎県日南市北郷町
hiroの部屋 イロハモミジの紅葉 宮崎県日南市北郷町


イロハモミジの紅葉 宮崎県日南市北郷町
hiroの部屋 イロハモミジの紅葉 宮崎県日南市北郷町

帰り道が大変でした。
最初は、対向車もなく走っていたのですが、カーブを曲がった所で5~6台の車が停車しています。
対向車と離合出来ないようです。
しばらく待っていると、前の車が進みだしました。
対向車が路肩に5~6台停まっていました。
こんな事が3、4回続きようやく県道へ出ることが出来ました。
イロハモミジの側には車が10台程度しか止められないのに、対向車は20台以上・・・大丈夫かな?


樹齢:200年
樹高:20m
幹周り:2m40cm

イロハモミジ(いろは紅葉、学名 Acer palmatum)は、カエデ科カエデ属の落葉高木である。イロハカエデ(いろは楓)などとも呼ばれる。
日本では最もよく見られるカエデ属の種で、紅葉の代表種。本種より作られた園芸種も多い。
樹高 15m、幹の直径は 80cm 以上に達する。雌雄同株。
葉は長さ 3.5~6cm、幅 3~7cm で、掌状に深く 5~9裂する。和名は、この裂片を「いろはにほへと……」と数えたことに由来する。裂片の縁には鋭く不揃いの重鋸歯があり、裂片の先は長く尾状に伸びる。秋(10~12月)には黄褐色から紅色に紅葉して散る。 葉はオオモミジやヤマモミジなどに似るが、本種の葉は一回り小さく、鋸葉が粗く不揃いなところで区別される。
花期は春(4~5月)。花は直径 5~6mm。暗紫色で 5個の萼片と、黄緑色もしくは紫色を帯びる萼片より小さい 5個の花弁をもつ。風媒花。
果実は翼果、長さ 1.5cm 程度の翼があり、夏から初秋にかけて熟すと風で飛ばされる。



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  1. 2017/11/11(土) 13:51:06|
  2.  ┣ イロハモミジ(紅葉) 北郷町|
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常光寺の滝の紅葉 高千穂町岩戸

常光寺の滝(じょうこうじのたき)
 標高1756mの祖母山から湧出する自然水が創り出す落差37mの「常光寺の滝」。

常光寺の滝の紅葉 高千穂町岩戸
hiroの部屋 常光寺の滝の紅葉 高千穂町岩戸

 岩肌を這うように流れる光景がいく筋もの糸を引いたように美しいことから、「白糸の滝」や、お寺の住職がこの水を飲んで長生きをされたことから、「長寿の滝」とも呼ばれています。

常光寺の滝の紅葉 高千穂町岩戸
hiroの部屋 常光寺の滝の紅葉 高千穂町岩戸


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  1. 2017/11/05(日) 13:00:36|
  2.  ┣ 宮崎県の滝|
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上岩戸大橋 高千穂町上岩戸

上岩戸大橋(かみいわとおおはし)
 天岩戸神社から県道7号線(緒方・高千穂線)を大分方面へ約5キロほど行った場所にある岩戸川に架かかる橋で、「ふるさと林道上岩戸線」に架かっている橋です。
 橋としては橋長(410m)、水面からの高さ(122m)、橋脚の高さともに林道橋として日本一の橋です。

 下を見るのもちょっと怖い。

上岩戸大橋 高千穂町上岩戸
hiroの部屋 上岩戸大橋 高千穂町上岩戸

 紅葉の見ごろはこれからのようです。

上岩戸大橋 高千穂町上岩戸
hiroの部屋 上岩戸大橋 高千穂町上岩戸


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  1. 2017/11/05(日) 12:00:51|
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高千穂の紅葉 高千穂町岩戸

延岡から九州中央自動車道(無料)、国号218号を走り高千穂に向かいます。
県道7号線に入り大分県方面へ。
天岩戸神社を過ぎて県道204号線に入るとすぐに、落立神社方面へ曲がり土呂久へ。
細い道が続き、集落を抜けると紅葉している木々が見えてきました。

高千穂の紅葉 高千穂町岩戸
hiroの部屋 高千穂の紅葉 高千穂町岩戸

少し上ると、小さな滝が

高千穂の紅葉 高千穂町岩戸
hiroの部屋 高千穂の紅葉 高千穂町岩戸


高千穂の紅葉 高千穂町岩戸
hiroの部屋 高千穂の紅葉 高千穂町岩戸



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  1. 2017/11/05(日) 11:00:21|
  2.  ┣ 宮崎の紅葉|
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宮崎の神社 鉾神社 高千穂町上岩戸

鉾神社(ほこじんじゃ)
 神武天皇御東征の時、台風の危機にあい添利山(そばりやま)(祖母山)を望み祈念されたところたちまち波はおさまったという。

宮崎の神社 鉾神社 高千穂町上岩戸
hiroの部屋 宮崎の神社 鉾神社 高千穂町上岩戸

 神武天皇の祖母はこの霊峰の祭神豊玉姫命であり、3000年来祖母山の頂上に鎮座されていた。

宮崎の神社 鉾神社 高千穂町上岩戸
hiroの部屋 宮崎の神社 鉾神社 高千穂町上岩戸

 往昔、祖母嶽大明神の下宮八社の一つとして県境鉾峠(尾平峠)に勧請したのが神社の起源といわれる。

宮崎の神社 鉾神社 高千穂町上岩戸
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 享保21年(1736年)社殿再建の棟札がある。

宮崎の神社 鉾神社 高千穂町上岩戸
hiroの部屋 宮崎の神社 鉾神社 高千穂町上岩戸

 以来、風(台風)除の守護神とし、又、日子穂々出見命は、野山の幸を司る神であり五穀豊穣を願いて遠近の信者も多かった。

宮崎の神社 鉾神社 高千穂町上岩戸
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 しかし参道険難であったため老幼の人々の登山が困難となり、明治5年(1872年)6月現在地に遷座。

宮崎の神社 鉾神社 高千穂町上岩戸
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御祭神
 日子穂穂出見命(ひこほほでのみこと)
 豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)
 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

本殿の彫り物が凄いですね。


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  1. 2017/11/05(日) 10:42:27|
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宮崎の神社 御祭神伊弉冊命 落立神社 高千穂町岩戸

落立(おちたち)神社
 弘仁(810~824年)の頃、三田井家の遠祖大神大太惟基(おおかみたゆうこれもと)公が熊野三社権現を勧請したと伝え、若一皇子大権現と称していた。

宮崎の神社 御祭神伊弉冊命 落立神社 高千穂町岩戸
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 永正5年(1508年)に三田井右京大夫右武越前守親武が再建した棟札がある。

宮崎の神社 御祭神伊弉冊命 落立神社 高千穂町岩戸
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 御祭神は伊弉冊命(いざなみのみこと)で、懐妊の女性が参拝して祈れば必ず安産するという。

宮崎の神社 御祭神伊弉冊命 落立神社 高千穂町岩戸
hiroの部屋 宮崎の神社 御祭神伊弉冊命 落立神社 高千穂町岩戸

 例祭には婦人の参詣が多く旧岩戸村の鎮守の神である。

宮崎の神社 御祭神伊弉冊命 落立神社 高千穂町岩戸
hiroの部屋 宮崎の神社 御祭神伊弉冊命 落立神社 高千穂町岩戸

 全国各地に信者がおり、参道には沢山の奉納板が並び元横綱千代の富士の奉納板もある。

宮崎の神社 御祭神伊弉冊命 落立神社 高千穂町岩戸
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  1. 2017/11/05(日) 10:05:25|
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今山大師 九州四十九院薬師霊場 第十八番札所 延岡市

今山大師 九州四十九院薬師霊場 第十八番札所 延岡市
hiroの部屋 今山大師 九州四十九院薬師霊場 第十八番札所 延岡市

日本一の弘法大師像
 1839年(天保10年)延岡の地で疾病が猛威を振るった際、延岡城下の大師信徒たちが高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)まで行き、弘法大師座像(現在の本尊)を勧請(かんじょう)して「家内安全」「息災延命」「五穀豊穣」「商工発展」の祈願のために大師庵を経てたことが縁起となっています。

今山大師 九州四十九院薬師霊場 第十八番札所 延岡市
hiroの部屋 今山大師 九州四十九院薬師霊場 第十八番札所 延岡市

 大正7年に大師堂が建立され、さらに昭和32年、信者や近郷近在の有志から広く浄財が寄せられ、高さ17メートル、日本一の弘法大師像が建立されました。

今山大師 九州四十九院薬師霊場 第十八番札所 延岡市
hiroの部屋 今山大師 九州四十九院薬師霊場 第十八番札所 延岡市


今山大師 九州四十九院薬師霊場 第十八番札所 延岡市
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  1. 2017/11/04(土) 23:00:29|
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宮崎の神社 今山八幡宮 延岡市

今山八幡宮
 土持氏から内藤氏に至る歴代藩主が延岡領内守護の神社として厚く崇敬し、代々の領主の祈願所でした。明治時代の神仏分離以降は県内外からの参拝者も多く、県北第一の大社として崇敬の念を集めています。

宮崎の神社 今山八幡宮 延岡市
hiroの部屋 宮崎の神社 今山八幡宮 延岡市

 さらに末社の今山恵比須神社の例祭も「延岡十日えびす」として多くの参拝者で賑わっています。

宮崎の神社 今山八幡宮 延岡市
hiroの部屋 宮崎の神社 今山八幡宮 延岡市

 また、明治11年に今山八幡宮の鐘を、城山に移し鐘楼を建てました。
 それから以来100年以上にわたり、時を知らせています。
 初めの鐘は内藤記念館に展示され、現在の鐘は二代目になります。


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★hiroの部屋★宮崎の神社
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  1. 2017/11/04(土) 22:50:00|
  2.  ┣ 宮崎の神社|
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延岡城跡 城山の鐘 延岡市

延岡城
 江戸時代に高橋元種によって築かれた平山城である。
 築城当初は縣城と呼ばれたが、後に延岡城へ改称されている。
 縣藩、後の延岡藩の政庁、臼杵郡地域の拠点とされた。

延岡城跡 城山の鐘 延岡市
hiroの部屋 延岡城跡 城山の鐘 延岡市

 もともと、縣は古代以降土持氏の支配する所であり、この城も高橋元種の築城以前に存在した土持氏の城館を改修増築した可能性も考えられている。
 延岡市松山町にあった中世・戦国期土持氏の拠点城郭松尾城(当時は縣城とも)を延岡城とする記述が見られることがあるが、これは誤りである。

延岡城跡 城山の鐘 延岡市
hiroの部屋 延岡城跡 城山の鐘 延岡市

 延岡城には、ある石をはずすと一気に全壊し、一度に千人の敵兵を殺すことができるという石垣があり、「千人殺し」と呼ばれている。

延岡城跡 城山の鐘 延岡市
hiroの部屋 延岡城跡 城山の鐘 延岡市


延岡城跡 城山の鐘 延岡市
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 天主台跡に鐘付き堂があり、現在も1日に6回、市民に時刻を告げている。歌人若山牧水もその様子を歌に詠んでいる。
 2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(195番)に選定された。

延岡城跡 城山の鐘 延岡市
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  1. 2017/11/04(土) 22:40:00|
  2.  ┣ 仏舎利塔|
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宮崎の食事 延岡鮎やな 宮崎県延岡市

 「鮎やな」とは、川をせき止めてその一部に流れ口を作り、成長して産卵のために川を下る鮎の習性を利用して、「落簀(おてす)」と呼ばれる竹のスノコの上に落ちた鮎を採る伝統的な漁法です。

 台風のため、「落簀(おてす)」は外されていました。

hiroの部屋 延岡鮎やな 宮崎県延岡市

「落簀(おてす)」です。

hiroの部屋 延岡鮎やな 宮崎県延岡市

食べられる順番を待つ鮎?

hiroの部屋 延岡鮎やな 宮崎県延岡市

じっくりと炙ります。

hiroの部屋 延岡鮎やな 宮崎県延岡市

で、「いただきま~す。」

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  1. 2017/11/04(土) 22:30:00|
  2.  ┣ 魚介料理・海鮮丼・刺身等|
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延岡歩こう会 あゆやな 延岡城址 今山大師 延岡市 2017/11/04

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  1. 2017/11/04(土) 22:29:08|
  2. ■ 歩こう会|
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