「田の神さぁ」とは・・・
田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。
「下浦の田の神さぁ」の詳細
建立年:不詳
型分類:農民型
形態:座位
像高:52cm
像幅:33cm
持ち物:両手でメシゲを持つ
被り物:シキ
彩色:顔・手・足は白。シキは赤。衣類は緑。袴(はかま)茶色。
宮崎県の田の神さぁ 下浦の田の神さぁ えびの市
躍動的な田の神さぁです。
宮崎県の田の神さぁ 下浦の田の神さぁ えびの市
タスキをしています。
宮崎県の田の神さぁ 下浦の田の神さぁ えびの市
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- 2018/08/26(日) 15:50:53|
- ┣ えびの市(田の神様)|
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「田の神さぁ」とは・・・
田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。えびの市内には約150体の田の神が残されています。
「上浦岡元の田の神さぁ」の詳細
建立年:文政2年 (1819)
型分類:神像型
形態:座像
像高:40cm
像幅:37cm
持ち物:笏(しゃく)
被り物:冠
彩色:顔と手は白。冠、袍(わたいれ)と袴(はかま)類は黒。
宮崎県の田の神さぁ 上浦岡元の田の神さぁ えびの市
コップに入った水に縄を浸している意味が分かりません。
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- 2018/08/26(日) 15:26:39|
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