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SUPER BIKE RACE in KYUSHU 2021 MFJ ALL JAPAN ROAD RACE CHAMPIONSHIP Round.7

オートポリスで、9月18日~19日に「2021 MFJ全日本ロードレース選手権シリーズ第7戦」が開催されます。
コロナ渦、開催されるのか心配でしたが、昨日公式通知No1(タイムテーブル)が発表されました。
開催の方向で動いているようです。
開催が楽しみですね。

SUPER BIKE RACE in KYUSHU 2021 MFJ ALL JAPAN ROAD RACE CHAMPIONSHIP Round.7

hiroの部屋 2020 MFJ JAPAN ROAD RACE CHAMPIONSHIP Round3 ST600


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  1. 2021/08/31(火) 20:40:07|
  2.  ┣ 三股町(田の神様)|
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宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田

都城市山之口町富吉の道路から見える祠に「富吉乗平の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田


宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田


宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田

冨吉乗平の田の神
設置場所: 水田
建立年: 不詳
型分類: 神像型
形態: 上半身のみ
像高: 77cm
像幅: 43cm
奥行: 25cm
持ち物: 白い帽子状の物を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いていません。
彩色: 袍(ほう)は薄茶色です。
風化が進んでいます。表情は不明です。

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
袍(ほう):公家の装束の盤領 (まるえり) の上衣。

宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田


宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田


宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉乗平の田の神 都城市山之口町富吉乗平 水田

旧山之口町の田の神さぁを見てきました。
まだ探しきれていない田の神さぁがありますが、一応山之口町の田の神さぁ巡りは終了します。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/30(月) 18:00:11|
  2.  ┣ 都城市山之口町(田の神様)|
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宮崎県の田の神さぁ 富吉桑原の田の神 都城市山之口町富吉桑原 水田

都城市山之口町富吉桑原の県道47号線沿いに「富吉桑原の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 富吉桑原の田の神 都城市山之口町富吉桑原 水田
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉桑原の田の神 都城市山之口町富吉桑原 水田


宮崎県の田の神さぁ 富吉桑原の田の神 都城市山之口町富吉桑原 水田
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉桑原の田の神 都城市山之口町富吉桑原 水田

富吉桑原の田の神
設置場所: 水田
建立年: 不詳
型分類: 神官型
形態: ―
像高: 35cm
像幅: 80cm
奥行: 55cm
持ち物: 胸から上が無く、残った部分も破壊されています。
彩色: 無し
下の部分の四角形が残っているので、田の神様と分かります。

青山幹雄著の「宮崎の田の神像」(1979年6月29日発行)にも書かれています。

宮崎県の田の神さぁ 富吉桑原の田の神 都城市山之口町富吉桑原 水田
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉桑原の田の神 都城市山之口町富吉桑原 水田


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/29(日) 18:00:10|
  2.  ┣ 都城市山之口町(田の神様)|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内

都城市山之口町富吉中原にある県道47号線沿いの中原公民館敷地内に「富吉中原の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内


宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内


宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内

富吉中原の田の神
設置場所: 公民館敷地内
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 63cm
像幅: 55cm
奥行: 26cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組の手が線彫りで、胴体に穴を開けて物をさすようになっています。
彩色: 赤茶色が残っています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具。
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内


宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内


宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内


宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内

胴体に穴を開けて物をさすようになっています。

宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内


宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内


宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉中原の田の神 都城市山之口町富吉中原 中原公民館敷地内


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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青山幹雄著の「宮崎の田の神像」(1979年6月29日発行)には、
川東墓地には沢山の「田の神さぁ」が祀られています。

  1. 2021/08/28(土) 18:00:09|
  2.  ┣ 都城市山之口町(田の神様)|
  3. トラックバック:0|
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宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い

都城市山之口町富吉にある「弥五郎どんの館」の南に、「 富吉的野(正近)の田の神」が祀られています。

「田の神像」の標柱があります。
道路沿いの畑の高台に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い

笑顔満面の田の神様ですね。

宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い

富吉的野(正近)の田の神
青山幹雄著の「宮崎の田の神像」には「正近」と書かれています。
設置場所: 道路沿い
建立年: 不詳
型分類: 農民型、都城型
形態: 立位
像高: 58cm
像幅: 47cm
奥行: 20cm
持ち物: シキを被り、長袖和服と長袴姿で、右手にメシゲを持ち、左手に椀を持っています。
彩色: 顔と手は白色です。シキは黒色で赤茶色の衣に縦筋模様の袴(はかま)姿です。

シキ:縄で編んだ敷物。
メシゲ:しゃもじ。

宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉的野(正近)の田の神 都城市山之口町富吉的野 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/27(金) 18:00:08|
  2.  ┣ 都城市山之口町(田の神様)|
  3. トラックバック:0|
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宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台

都城市山之口町富吉上森の道路沿い高台にある祠に「富吉上森の田の神」が祀られています。
細い道なので注意が必要です。車が1台だけ停められるスペースがあります。

宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台


宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台


宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台

富吉上森の田の神
設置場所: 道路沿い高台
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 100cm
像幅: 100cm
奥行: 45cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴は開いていません。
彩色: 冠は黒色、袍(ほう)は赤茶色で、背中からお腹に青い肩衣(かたぎぬ)と胸から足元まで黄色、顔と手は肌色です。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具。
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
袍(ほう):公家の装束の盤領 (まるえり) の上衣。
肩衣(かたぎぬ):室町時代以後の武士の礼服。袖(そで)がなく、小袖の上に、肩からせなかをおおって着るもの。下には半袴(はんばかま)を着ける。

宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台


宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台


宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台


宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台

どこから撮っても、目がこちらを向いているように感じますね。

宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台

目の前に田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 富吉上森の田の神 都城市山之口町富吉上森 道路沿い高台


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/08/26(木) 18:00:07|
  2.  ┣ 都城市山之口町(田の神様)|
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宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方

都城市山之口町花木前方にある南方神社の鳥居の両脇に仁王像が建っています。

宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方
hiroの部屋 宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方

元文4年(1739年)に月待行事の二十三夜待(にじゅうさんやまち)の供養を目的として作られたものだそうです。

月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜に、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事です。

宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方
hiroの部屋 宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方


宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方
hiroの部屋 宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方


宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方
hiroの部屋 宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方


宮崎の仁王像 南方神社(高木)の仁王像 都城市山之口町花木前方
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  1. 2021/08/25(水) 18:30:34|
  2.  ┣ 石仏・石塔|
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宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横

都城市山之口町花木前方にある南方神社鳥居横の祠に「花木前方の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横


宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横

花木前方の田の神
設置場所: 南方神社鳥居横
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 101cm
像幅: 64cm
奥行: 50cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴は開いていません。
彩色: 彩色無し

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具。
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横


宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横


宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横

磨滅が激しいですね。

宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 花木前方の田の神 都城市山之口町花木前方 南方神社鳥居横


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/25(水) 18:00:06|
  2.  ┣ 都城市山之口町(田の神様)|
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宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野

国道268号線山之口麓交差点から県道422号線を5km程走ると、永野神社です。
車は、県道422号線沿いに停められる所があります。

立派な鳥居です。
「永野神社」と書かれています。

宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野
hiroの部屋 宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野

社殿でしょうか。
軒下に飾り模様が描かれています。

宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野
hiroの部屋 宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野

中には、石仏が祀られています。

宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野
hiroの部屋 宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野

優しいお顔をしています。

宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野
hiroの部屋 宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野


宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野
hiroの部屋 宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野


宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野
hiroの部屋 宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野

頭頂部に筋がありますね。

宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野
hiroの部屋 宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野


宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野
hiroの部屋 宮崎の神社 永野神社 都城市山之口町山之口永野


↓link リンク
1 宮崎市 宮崎神宮
2 宮崎市 宮崎神宮 古神符焼納祭
3 宮崎市 皇宮神社
4 宮崎市 皇宮神社
5 宮崎市 江田神社
6 宮崎市 江田神社
7 宮崎市 生目神社
8 宮崎市 住吉神社
9 宮崎市 一葉稲荷神社
10 宮崎市 野島神社
11 宮崎市 木花神社
12 宮崎市 白髭神社
13 宮崎市 八幡神社
14 宮崎市 名田神社
15 宮崎市佐土原町 巨田神社
16 宮崎市佐土原町 巨田神社
17 宮崎市佐土原町 愛宕神社
18 宮崎市佐土原町 佐野原神社
19 宮崎市清武町 船引神社
20 宮崎市清武町 今泉神社
21 宮崎市清武町 炎尾神社
22 延岡市 今山八幡宮
23 延岡市北方町 今村神社
24 西都市 都萬神社
25 西都市 銀鏡神社
26 西都市 銀鏡神社
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31 日南市 波切神社
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33 日南市 郷原神社
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36 串間市 串間神社
37 串間市 瀧山神社
38 串間市 御崎神社
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41 都城市 童子丸神社
42 都城市山之口町 走湯神社
43 都城市山之口町 永野神社
44 都城市山之口町 熊野神社
45 都城市高崎町 東霧島神社
46 都城市高崎町 縄瀬の菅原神社
47 小林市 霧島岑神社
48 小林市野尻町 高都萬神社
49 えびの市 水流菅原神社
50 えびの市 水流菅原神社
51 えびの市 香取神社
52 高千穂町 高千穂神社
53 高千穂町 鉾神社
54 高千穂町 落立神社
55 五ヶ瀬町 三ヶ所神社
56 五ヶ瀬町 三ヶ所神社
57 日之影町 山口八大龍王神社
58 日之影町 鹿川神社
59 都農町 都農神社
60 木城町 比木神社
61 川南町 平田神社
62 川南町 白鬚神社
63 川南町 甘漬神社
64 新富町 水沼神社
65 高鍋町 舞鶴神社
66 高鍋町 鵜戸神社
67 綾町 綾神社
68 綾町 入野神社
69 国富町 本庄剣柄稲荷神社
70 三股町 御年神社
71 高原町 狭野神社
72 高原町 霧島東神社

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  1. 2021/08/24(火) 18:30:02|
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宮崎県の山の神 山之口永野の山の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内

永野神社の標柱の下に、「山の神」と書かれています。

宮崎県の山の神 山之口永野の山の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の山の神 山之口永野の山の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内

「山之口永野の田の神」の側に、「山の神」が祀られています。

宮崎県の山の神 山之口永野の山の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の山の神 山之口永野の山の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内


宮崎県の山の神 山之口永野の山の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の山の神 山之口永野の山の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内


山の神(やまのかみ)
農民の間では、春になると山の神が山から降りてきて田の神となり豊穣をもたらし、秋には再び山に戻るという農耕の神ですが、山の民にとっての山の神は、自分たちの仕事の場である山を守護する神です。



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  1. 2021/08/24(火) 18:15:02|
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宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内

国道268号線山之口麓交差点から県道422号線を5km程走ると、永野神社です。
永野神社境内に「山之口永野の田の神」が祀られています。

車は、県道422号線沿いに停められる所があります。

宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内

「山之口永野の田の神」は、大きなムクノキの根元に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内

山之口永野の田の神
設置場所: 永野神社境内
建立年: 不詳 九月吉日徳右衛門
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 55cm
像幅: 46cm
奥行: 28cm
持ち物: 頭部は改作されています。衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 袍(ほう)と袴(はかま)は薄茶色です。

衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
袍(ほう):公家の装束の盤領 (まるえり) の上衣
袴(はかま):日本で下半身に着用する伝統的な衣類の一つ。

宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内

両手輪組で穴が貫通しいています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内

頭部は後付けで、セメント付けされています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口永野の田の神 都城市山之口町山之口永野 永野神社境内


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/24(火) 18:00:05|
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宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い

国道269号線山之口麓交差点から高城方面へ斜め右へ410m程行った所を右折し、さらに440m行った先を右折すると「山之口田原の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い

山之口田原の田の神
設置場所: 道路沿い
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 58cm
像幅: 64cm
奥行: 27cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 赤茶色が残っています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具。
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口田原の田の神 都城市山之口町山之口田原 道路沿い



  1. 2021/08/23(月) 18:00:05|
  2.  ┣ 都城市山之口町(田の神様)|
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誰もいない生駒高原 宮崎県小林市

今日のお天気は曇りです。
お日様が時々顔を出しますが、真っ青な空になりません。
海に行ってもどんよりしていて、サーファーを撮影しようと思いましたが、ちょっと暗いですね。
何かあるかもと思い生駒高原へやって来ました。

誰もいません。

誰もいない生駒高原 宮崎県小林市
hiroの部屋 誰もいない生駒高原 宮崎県小林市


誰もいない生駒高原 宮崎県小林市
hiroの部屋 誰もいない生駒高原 宮崎県小林市

お店は開いています。

誰もいない生駒高原 宮崎県小林市
hiroの部屋 誰もいない生駒高原 宮崎県小林市

今の時期は、園内に無料で入れます。

誰もいない生駒高原 宮崎県小林市
hiroの部屋 誰もいない生駒高原 宮崎県小林市

コスモスが咲くのは、もう少し先ですね。

誰もいない生駒高原 宮崎県小林市
hiroの部屋 誰もいない生駒高原 宮崎県小林市

2021年は、9月18日から10月24日に「生駒高原コスモスまつり」が開催されます。


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  1. 2021/08/23(月) 16:02:33|
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宮崎の神社 走湯神社(旧走湯権現社) 都城市山之口町山之口麓

国道269号線沿いの山之口麓文弥節人形浄瑠璃資料館前から宮崎方面へ240m走った所を左折し、最初の十字路を右折すると走湯(はしりゆ)神社です。

宮崎の神社 走湯神社(旧走湯権現社) 都城市山之口町山之口麓
hiroの部屋 宮崎の神社 走湯神社(旧走湯権現社) 都城市山之口町山之口麓


宮崎の神社 走湯神社(旧走湯権現社) 都城市山之口町山之口麓
hiroの部屋 宮崎の神社 走湯神社(旧走湯権現社) 都城市山之口町山之口麓

とても綺麗な拝殿です。

宮崎の神社 走湯神社(旧走湯権現社) 都城市山之口町山之口麓
hiroの部屋 宮崎の神社 走湯神社(旧走湯権現社) 都城市山之口町山之口麓

走湯神社は、南北朝期の建武3年(1336年) 新武家政権(北朝)の足利尊氏の命により、三俣院高城の領主の宮方日向国三俣院肝付八郎兼重(きもつき かねしげ)制圧の為に、関東より派遣させられた土肥平三郎実重(土肥実平三代の孫)が三俣院高城と対峙する山之口城に居を構え、この地に伊豆国走湯権現社(静岡県熱海市伊豆山神社)の分霊を勧請し創建したものです。

宮崎の神社 走湯神社(旧走湯権現社) 都城市山之口町山之口麓
hiroの部屋 宮崎の神社 走湯神社(旧走湯権現社) 都城市山之口町山之口麓

祭神
 大名持命(大国主神)
 天照皇大神(天照大神・天照大御神)
 少彦名命(少名毘古那神)
 豊受姫神(豊宇気毘売神)

宮崎の神社 走湯神社(旧走湯権現社) 都城市山之口町山之口麓
hiroの部屋 宮崎の神社 走湯神社(旧走湯権現社) 都城市山之口町山之口麓

石仏でしょうか。

宮崎の神社 走湯神社(旧走湯権現社) 都城市山之口町山之口麓
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12 宮崎市 白髭神社
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17 宮崎市佐土原町 愛宕神社
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20 宮崎市清武町 今泉神社
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32 日南市 鵜戸稲荷神社
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43 都城市山之口町 永野神社
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45 都城市高崎町 東霧島神社
46 都城市高崎町 縄瀬の菅原神社
47 小林市 霧島岑神社
48 小林市野尻町 高都萬神社
49 えびの市 水流菅原神社
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60 木城町 比木神社
61 川南町 平田神社
62 川南町 白鬚神社
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64 新富町 水沼神社
65 高鍋町 舞鶴神社
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  1. 2021/08/22(日) 18:30:02|
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宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内

国道269号線沿いの山之口麓文弥節人形浄瑠璃資料館前から宮崎方面へ240m走った所を左折し、最初の十字路を右折すると走湯神社です。この走湯神社境内に「山之口麓の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内

山之口麓の田の神
設置場所: 走湯神社境内
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 96cm
像幅: 85cm
奥行: 50cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 赤茶色が残っています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具。
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口麓の田の神 都城市山之口町山之口麓 走湯神社境内


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/22(日) 18:00:03|
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宮崎県の山の神 山之口天神川原の山の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い

山之口天神川原の田の神と共に山の神が祀られています。

大きさ測定するのを忘れていました。

宮崎県の山の神 山之口天神川原の山の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の山の神 山之口天神川原の山の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い


宮崎県の山の神 山之口天神川原の山の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の山の神 山之口天神川原の山の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い

大きさは、田の神と同じぐらいです。

宮崎県の山の神 山之口天神川原の山の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の山の神 山之口天神川原の山の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い

山の神(やまのかみ)
農民の間では、春になると山の神が山から降りてきて田の神となり豊穣をもたらし、秋には再び山に戻るという農耕の神ですが、山の民にとっての山の神は、自分たちの仕事の場である山を守護する神です。



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  1. 2021/08/21(土) 18:30:02|
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宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い

国道269号線のJR青井岳駅入口から南に1.1km行った所に「山之口天神川原の田の神」が祀られています。

標柱があります。
左下に祀られているように見えますが、よく見ると、標柱の下に右向きの矢印があります。

標柱に
「この地は高城郷の「飛地」で、山之口郷と高城郷の役人が日替りで勤めていました。晩年の役人は清川平八と記されています。」
と書かれています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い

右を見ると「山の神さま」の案内板があり、奥の方に田の神様が見えます。

宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い

田の神様は、山の神様と共に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い

山之口天神川原の田の神
設置場所: 道路沿い
建立年: 嘉永5年(1852年)の刻銘
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 70cm
像幅: 49cm
奥行: 30cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 赤茶色が残っています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い

両手輪組で穴が開いています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口天神川原の田の神 都城市山之口町山之口天神川原 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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宮崎の神社 熊野神社(旧熊野六社大権現社) 都城市山之口町山之口飛松

都城市山之口町の東にある青井岳の北東に熊野神社(旧熊野六社大権現社)があります。
標柱の手前に広いスペースがあるので、ここに車を停めます。

宮崎の神社 熊野神社(旧熊野六社大権現社) 都城市山之口町山之口飛松
hiroの部屋 宮崎の神社 熊野神社(旧熊野六社大権現社) 都城市山之口町山之口飛松

標柱に、
「山之口名勝志」の由緒書に、「熊野六社大権現社 壱宇 格護 河野次郎八木像六躰冠装束之形 高さ六寸程」とあり又「熊鷹が幣をくわえて右社の地に至りこの松の木にその幣をかけた。それで熊野神社大権現とあがめた。」
と書かれています。

幣(ぬさ):神に祈る時に捧げ、また祓(はら)いに使う、紙・麻などを切って垂らしたもの。

宮崎の神社 熊野神社(旧熊野六社大権現社) 都城市山之口町山之口飛松
hiroの部屋 宮崎の神社 熊野神社(旧熊野六社大権現社) 都城市山之口町山之口飛松

熊野神社
旧熊野六社大権現社
寛政年間(1789年から1801年)、飛松番所の役人、河野氏が建立。
飛松の鎮守としたと伝えられる。
御神体や由緒については「山之口名勝志」に記録がある。
平成19年3月 河野光

宮崎の神社 熊野神社(旧熊野六社大権現社) 都城市山之口町山之口飛松
hiroの部屋 宮崎の神社 熊野神社(旧熊野六社大権現社) 都城市山之口町山之口飛松


宮崎の神社 熊野神社(旧熊野六社大権現社) 都城市山之口町山之口飛松
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宮崎の神社 熊野神社(旧熊野六社大権現社) 都城市山之口町山之口飛松
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石灯籠に明治三年と書かれています。

宮崎の神社 熊野神社(旧熊野六社大権現社) 都城市山之口町山之口飛松
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宮崎の神社 熊野神社(旧熊野六社大権現社) 都城市山之口町山之口飛松
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45 都城市高崎町 東霧島神社
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48 小林市野尻町 高都萬神社
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50 えびの市 水流菅原神社
51 えびの市 香取神社
52 高千穂町 高千穂神社
53 高千穂町 鉾神社
54 高千穂町 落立神社
55 五ヶ瀬町 三ヶ所神社
56 五ヶ瀬町 三ヶ所神社
57 日之影町 山口八大龍王神社
58 日之影町 鹿川神社
59 都農町 都農神社
60 木城町 比木神社
61 川南町 平田神社
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65 高鍋町 舞鶴神社
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宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内

今回は、都城市山之口町の田の神さぁを巡ります。
山之口町東部からスタートす。

都城市山之口町の東にある青井岳の北東に「山之口飛松の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内

杉林の中に熊野神社があります。

宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内

境内の左側に祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内

山之口飛松の田の神
設置場所: 飛松熊野神社境内
建立年: 天保4年11月27日(1833年)
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 80cm
像幅: 50cm
奥行: 30cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 赤茶色が残っています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内

青山幹雄著の「宮崎の田の神像」(1979年6月29日発行)には、飛松は高城町の飛地で【高城町の田の神一覧表】に「飛松の田の神」が書かれています。

天神川原の田の神の標柱に
「この地は高城郷の「飛地」で、山之口郷と高城郷の役人が日替りで勤めていました。晩年の役人は清川平八と記されています。」
と書かれています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内

両手輪組で穴が開いています。

宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内


宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 山之口飛松の田の神 都城市山之口町山之口飛松 飛松熊野神社境内


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横

都城市高城町桜木にある菅原天神横に「桜木(さくらぎ)の田の神2」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横


宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横

桜木(さくらぎ)の田の神2
設置場所: 菅原天神横
建立年: 文政12年(1829年)
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 73cm
像幅: 45cm
奥行: 30cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 顔と両手は白色で、袍(ほう)と袴(はかま)は赤色。冠と衣冠束帯は黒色です。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
袍(ほう):公家の装束の盤領 (まるえり) の上衣
袴(はかま):日本で下半身に着用する伝統的な衣類の一つ

宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横


宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横


宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横


宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横


宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神2 都城市高城町桜木 菅原天神横

旧高城町の田の神さぁを見てきました。
まだ探しきれていない田の神さぁがありますが、一応高城町の田の神さぁ巡りは終了します。


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前

都城市高城町桜木にある将軍神社前に、「桜木(さくらぎ)の田の神1」が祀られています。
将軍神社の鳥居がありません。鳥居の台座が残っています。
新しい鳥居は奥の方にあります。

宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前

とても高い台座です。

宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前


宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前

桜木(さくらぎ)の田の神1
設置場所: 将軍神社前
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 74cm
像幅: 70cm
奥行: 42cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 顔と両手は白色で、袍(ほう)と袴(はかま)は赤色。冠と襟元は黒色です。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前

都城市指定文化財になっています。

宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前


宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前


宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前


宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前


宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前


宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前


宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 桜木(さくらぎ)の田の神1 都城市高城町桜木 将軍神社前


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い

タイヨー高城店北側の水田の道路沿いに「穂満坊(ほまんぼう)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い

台座にセメント付けされています。

宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い

穂満坊(ほまんぼう)の田の神
設置場所: 水田の道路沿い
建立年: 享保年間(1716~1736年)
型分類: 農民型、都城型
形態: 立位
像高: 48cm
像幅: 40cm
奥行: 18cm
持ち物: 大きなシキを被り、長袖和服と長袴姿で、右手に少し長いメシゲを持ち、左手に椀を持っています。
彩色: 和服と袴は朱色で、シキとメシゲと椀は黄色です。

シキ:縄で編んだ敷物
袴(はかま):日本で下半身に着用する伝統的な衣類の一つ
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い

目の前には、田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 穂満坊(ほまんぼう)の田の神 都城市高城町穂満坊 水田の道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い

都城市高城町石山を走る国道10号線西側に「石山片前(かたまえ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い

石山片前(かたまえ)の田の神
設置場所: 水田の道路沿い
建立年: 不詳
型分類: 神像型椅像
形態: 椅像
像高: 104cm
像幅: 80cm
奥行: 50cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いていません。
彩色: 朱色が残っています。
台座にセメント付けされています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い

目の前には、田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山片前(かたまえ)の田の神 都城市高城町石山片前 水田の道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/16(月) 18:00:09|
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宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く

都城市高城町石山にある観音池公園の北側に「石山迫の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く


宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く

ブロック塀に囲まれています。

宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く


宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く

石山迫の田の神
設置場所: 道路近く
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 71cm
像幅: 59cm
奥行: 22cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。冠のあご紐と首紐があります。
彩色: 全体に薄い朱色が塗られています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く


宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く

穴が開いています。

宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
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宮崎県の田の神さぁ 石山迫の田の神 都城市高城町石山迫 道路近く
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/15(日) 18:00:08|
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宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内

国道10号線石山小入口交差点から西へ走り、石山分館前を左折した先にある菅原神社鳥居横の祠に「石山中方(なかほう)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内


宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内


宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内

石山中方(なかほう)の田の神
設置場所: 菅原神社境内
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 93cm
像幅: 90cm
奥行: 50cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 全体に薄い朱色が残っています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内


宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内


宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内

両手輪組で穴が開いています。

宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内


hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
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宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内

祠の前にコスモスが咲いていました。

宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山中方(なかほう)の田の神 都城市高城町石山中方 菅原神社境内


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/08/14(土) 18:00:07|
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宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い

都城市高城町石山を走るひむか神話街道から南へ390m走った道路沿いに「石山萩原(はぎはら)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い

石山萩原(はぎはら)の田の神
設置場所: 水田の道路沿い
建立年: 弘化4年(1847年)?
型分類: 農民型、都城型
形態: 立位
像高: 50cm
像幅: 28cm
奥行: 20cm
持ち物: シキを被り、長袖和服と袴姿で、右手にメシゲを持ち、左手に椀を持っています。
彩色: 顔・メシゲ・お椀は白色で、衣は赤色です。
膝から下がありません。セメント付けされています。

シキ:縄で編んだ敷物
メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
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宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い

目の前には、田んぼが広がっています。
田植えが終わったばかりの田んぼもあります。

宮崎県の田の神さぁ 石山萩原(はぎはら)の田の神 都城市高城町石山萩原 水田の道路沿い
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/13(金) 18:00:06|
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宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台

有水橋から南へ270m程先の交差点を右へ70m程行った道路脇の高台に「石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神」が祀られています。
道幅が狭いので、この場所には車は停められません。

宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
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石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神
設置場所: 水田道路脇高台
建立年: 大正5年(1916年)?
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 78cm
像幅: 60cm
奥行: 40cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 袍(ほう)と袴(はかま)は朱色です。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。
袍(ほう):公家の装束の盤領 (まるえり) の上衣
袴(はかま):日本で下半身に着用する伝統的な衣類の一つ

宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
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宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
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宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
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両手輪組で穴が開いています。

宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
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宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
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立派な冠ですね。

宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台


宮崎県の田の神さぁ 石山香禅寺(こうぜんじ)の田の神 都城市高城町石山香禅寺 水田道路脇高台
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/08/12(木) 18:00:05|
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宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い

県道414号線(有水高原線)にある、高城地域乗合バス停西久保の側に「有水西久保(にしくぼ)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い

有水西久保(にしくぼ)の田の神
設置場所: 道路沿い
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 86cm
像幅: 75cm
奥行: 45cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で腕の下が貫通しています。
彩色: 彩色無し
首はセメント付けされています。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い

腕の下が貫通しています。

宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い

首はセメント付けされています。

宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い

止まれの先が、県道414号線(有水高原線)です。

宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水西久保(にしくぼ)の田の神 都城市高城町有水西久保 道路沿い


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
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  1. 2021/08/11(水) 18:00:04|
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宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横

国道10号線高城町有水交差点から県道414号線を西へ140m走った左側にあるJA都城有水出張所の裏手の倉庫横に「有水木之下(きのした)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横

有水木之下(きのした)の田の神
設置場所: JAの倉庫横
建立年: 不詳
型分類: 神像型座像
形態: 座位
像高: 84cm
像幅: 84cm
奥行: 40cm
持ち物: 纓(えい)の無い冠を被り、衣冠束帯(いかんそくたい)で両手輪組で穴が開いています。
彩色: 彩色無し
摩耗が進んでいます。

纓(えい):冠の後ろに尾のようにつける装飾の具
衣冠束帯(いかんそくたい):平安時代後期に生まれた日本の衣裳の名称の一つで、公家の正装をいう。

宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横


宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横


宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横


宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横


宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横


宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水木之下(きのした)の田の神 都城市高城町有水木之下 JAの倉庫横


「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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宮崎県の田の神さぁ 有水星原(ほしはら)の田の神 都城市高城町有水星原 道路沿い

国道10号線星原入口から県道422号線を東に2.1km程走った所を左折し、道なりに280m程走った左側に「有水星原(ほしはら)の田の神」が祀られています。

宮崎県の田の神さぁ 有水星原(ほしはら)の田の神 都城市高城町有水星原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水星原(ほしはら)の田の神 都城市高城町有水星原 道路沿い

有水上星原(ほしはら)の田の神
設置場所: 道路沿い
建立年: 昭和8年(1933年)
型分類: 大黒天型(農民型と融合)
形態: 座位で胡坐(あぐら)
像高: 78(上部50)
像幅: 35cm
奥行: 34cm
持ち物: 頭部に平型頭巾を被り、長袖和服で右手にメシゲを持ち、左手に稲穂を持ち肩に担いでいます。
彩色: 顔とメシゲは白色です。

メシゲ:しゃもじ

宮崎県の田の神さぁ 有水星原(ほしはら)の田の神 都城市高城町有水星原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水星原(ほしはら)の田の神 都城市高城町有水星原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 有水星原(ほしはら)の田の神 都城市高城町有水星原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水星原(ほしはら)の田の神 都城市高城町有水星原 道路沿い


宮崎県の田の神さぁ 有水星原(ほしはら)の田の神 都城市高城町有水星原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水星原(ほしはら)の田の神 都城市高城町有水星原 道路沿い

星原字川内口池都
ハ元畑地ナリシヲ
末村甚之助氏藤原
豊吉氏大庭弥吉氏
等発起トナリ水田
ニセント大正五年
十月溝掘ニ着手仝
六年六月竣工其後
当地面ハ高城村
伊集院忍氏此ヲ引受

大正八年三月藤原
氏ノ手引ニテ不肖
侈轉耕作ニ着手セ
シモ当時ハj実ニ反
当籾八斗位ノ収穫
ニテ困難ノ土地ナ
リシモ冶ント五年
間ハ寐食ヲ忘レテ
努力ノ結果今日ニ
テハ旧田ニモ劣ラ
ヌ程ノ水田トナル

依テ田ノ神ヲ祭リ
テ子孫ニ傳フ
昭和六年五月
施主 前畠七太郎
    当年七十三歳
 長男 勇吉
 次男 文次
都城市 石工 倉吉喜太郎

宮崎県の田の神さぁ 有水星原(ほしはら)の田の神 都城市高城町有水星原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水星原(ほしはら)の田の神 都城市高城町有水星原 道路沿い

鹿児島県加治木町
 西別府武村ヨリ移住ス

宮崎県の田の神さぁ 有水星原(ほしはら)の田の神 都城市高城町有水星原 道路沿い
hiroの部屋 宮崎県の田の神さぁ 有水星原(ほしはら)の田の神 都城市高城町有水星原 道路沿い


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目の前には、田んぼが広がっています。

宮崎県の田の神さぁ 有水星原(ほしはら)の田の神 都城市高城町有水星原 道路沿い
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「田の神さぁ」とは・・・
 田の神は、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられています。
 「田の神」信仰は、全国的な民俗行事として古来から農村に浸透していますが、「田の神」を石に刻み(田の神石像)豊作を祈願する風習は、18世紀初めに始まる薩摩藩独特の文化です。
 霧島の噴火や天災などが原因で、農家にとって大変厳しい時代でしたが、江戸時代からの赤字経済を立て直すため、薩摩藩では少しでも収穫を増やそうと、稲作を奨励する政策を行っていました。このような中、農民達が霧島の噴火がおさまり豊作に恵まれるようにとの願いを込めて造ったのが田の神像の始まりといわれています。
 田の神のことを、「田の神さあ(タノカンサア)」と呼んでいます。



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  1. 2021/08/09(月) 18:00:02|
  2.  ┣ 都城市高城町(田の神様)|
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