都井岬「駒止の門」で協力金400円を支払って、小松ケ丘へ行ったのですが御崎馬は一頭もいませんでした。
火祭り広場に移動してきました。
蘇鉄(ソテツ)の側に、御崎馬いました。
日南海岸国定公園 日南フェニックスロード 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市大納
【御崎馬(みさきうま)】
哺乳網奇蹄目ウマ科。岬馬とも呼ばれています。
江戸時代前期の元禄10年(1697年)、高鍋藩の秋月家が軍事に欠かせない馬の放牧を、福島地方(現在の串間市)を中心に7カ所設置された藩営牧場の1つ都井村御崎牧(現在の御崎牧場)で始めたのが始まりとされています。
明治維新後の明治7年(1874年)、御崎牧場は組合員155名からなる御崎組合の共有牧場として払い下げられました。
明治30年(1897年)に明治政府は種牡馬検査法を公布しました。その後、国策として内国産馬の体格を向上させるために洋種馬の血統を導入する計画を実施しました。日南海岸国定公園 日南フェニックスロード 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市大納
御崎馬も国策としての内国産馬改良事業から完全に逃れることはできず、都井岬には大正2年(1913年)に父がスタンダードブレッド、母が北海道和種と南部馬の雑種の北海道産牡馬である小松号が導入され、種馬として1年間供用され数頭の牝馬が種付けされました。
小松号の特徴は、栗毛、流星、珠目正、鼻白、右後一白でした。それ以来、御崎馬には栗毛や白持ちで大柄の馬も出るようになりました。しかし、小松号の影響は限られたものにとどまり、御崎馬は純粋度の高い馬群を維持する数少ない日本在来馬として残りました。日南海岸国定公園 日南フェニックスロード 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市大納
御崎馬は第二次世界大戦中から戦後にかけて数が減少し、農業の機械化にともない農耕馬としての需要も見込めなくなりました。
しかし、昭和28年(1953年)に「岬馬およびその繁殖地」が国の天然記念物に指定され、昭和42年(1967年)と昭和43年(1968年)に発足した都井岬馬保護対策協議会と都井岬馬保護対策協力会が御崎牧場に協力、援助する体制ができました。
さらに、昭和49年(1974年)からは国、宮崎県、串間市の補助事業として保護策がとられ、御崎馬の頭数は次第に増加傾向に転じました。近年は120頭前後で安定し、半野生状態を維持された希少な日本在来馬として宮崎県の重要な観光資源となっています。日南海岸国定公園 日南フェニックスロード 都井岬の御崎馬 宮崎県串間市大納
【特徴】
体長・体高ともに130cm内外で、毛色は主に鹿毛と青毛で、栗毛は極めて少なく、背中に鰻線のあるものが多く見られます。
【生態】
春から夏はノシバやチガヤの豊富な小松ヶ丘や扇山の草地で、種雄馬(しゅゆうば)を中心に数頭の雌馬と子馬で構成された群(ハーレム)を作って過ごします。
秋から冬は小さな群に分かれて海岸よりの杉林や雑木林に移動して、ススキやシダあるいはタブノキやアカメガシワなどの茎葉を食べて過ごします。
【春駒(子馬)】
御崎馬の出産のシーズンは 3月~8月で、4・5月に最も多く生まれます。Googleマップ ストリートビュー

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- 2023/09/19(火) 13:18:14|
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